采は投げられた





 久々知兵助が複数の六年生に襲われて怪我をした。
 その情報は、水面下で密やかに速やかに広がっていった。ただ襲われ怪我をしただけならばそれほど問題にもされなかったのだろうが、そこには天女と呼ばれている鈴木愛梨の名が絡んでいたからだ。曰く、六年生に久々知兵助の襲撃を唆したと。
 愛梨の存在を邪魔に思う者が存在しているので、そんな者達が流した、ただの噂だと切って捨てることも出来た。だが兵助は確かに六年生に怪我を負わされ、その現場を仲のいい友人達が目撃している上に、襲撃してきた六年生の口から直接その理由を聞いている。その友人達のうち二人は愛梨を好ましく思っていたので、その情報は実に信憑性があった。






「やりおったな」
「何のことでしょう」

 呆れたような顔で告げられた言葉に、はしれっとそう嘯き差し出された茶に口をつけた。


「何でしょう、大川平次渦正学園長先生」

 学園長から齎される威圧も意に介さず白を切りとおすに、学園長はぴくりと片眉を動かし、小さく息を吐いた。

「大方面倒になったんじゃろうが……まったく、お主という奴は。おかげで学園は真っ二つじゃ」
「酷い仰りようですね。こうなることを望んでおられたのは学園長の方でしょうに。私にだけ責任を擦り付けないでいただきたい」
「だがこれでは処分するしかないではないか」
「火種はなくすにこした事は無いでしょう?」

 ただでさえ天女と呼ばれて物珍しさから偵察に来る城付きの忍者が溢れかえっているのだ。外に放り出してもどこかの城に囲われ、その情報が広まれば彼女を欲した馬鹿な城主たちが争奪戦を繰り広げるに決まっている。つまり、彼女を外に出した所で戦が増えるだけなのだ。そんな面倒の塊はさっさと排除してしまうに限る。
 それをしっかりと理解している学園長は、毒の含んだ笑みを浮かべたに同意するしかない。

「その通りじゃ」
「まぁ、面倒なのも本音ではありますがね」

 独占欲も露に嫉妬してくれる兵助はそれはもう可愛らしいし、前以上に懐いてきてくれる一年は組の子供達は愛らしいしで、にとっていくつかの利点はあるのだが、そろそろ外を自由に歩き回りたいのだ。何故たった一人の女ごときで自分の行動が遮られなければならないのだ。確かに納得していた事実ではあるが、最近はそれが癪に障って腹が立ってきていた。
 学園長は溜息をつきながらも、ぽんと膝を打つ。

「まぁよい。よ」
「は」
「手段は問わぬ、此度の事態を収拾せよ。学園は一枚岩でなければならん」
「御意」

 深々と下げた頭の影でにやりと唇が歪められているだろう事が簡単に予想でき、学園長は頼もしい思いと問題児を抱えている為に発生する頭痛とを抱えて、苦笑を浮かべた。





 音も立てずに障子を開けると、いくつもの視線がへと集中した。学園長の下した判断を早く教えろと、雄弁に語るその目に、はふと鼻から息を吐き出し畳へと座した。すかさず入れられた茶がの前に出され、は当たり前のように口をつける。

、学園長は何と仰った?」
「学園は一枚岩でなければならん」

 ごく自然に寄り添うようにの傍へと移動し、茶を差し出した兵助にぴくりと眉を震わせながらも仙蔵は尋ねる。するとは小さく口角を吊り上げ、学園長が口にした言葉を復唱した。望んでいた言葉が得られたと知れ、室内の空気がざわりと歓喜に揺れた。五、六年ともなると表情はあまり変わってはいないが、やはり喜色が滲んでいる。

「やはり、か」
「予定通りだ。後は実行するのみだが……やるか、兵助?」

 心なしかそわそわし始めた兵助に提案してみると、兵助は顔を跳ね上げた。

「……いいのですか?」
「借りがあるだろう」

 腕と足の負傷した部分を一瞥する。出血量はそこそこでも傷自体は浅く、痕も残らないと新野先生も伊作も太鼓判を押していた。元から心配しては居なかったが、それを聞いて安堵したのも確かだった。
 兵助はどうすると首を傾げるに、不敵な笑みを浮かべる。

「任せていただけるのでしたらば、是非」
「許す、やれ。援護はしてやる」
「はい」

 綺麗に頭を下げる兵助に一つ頷き、同じように動きたそうにしている四年生の二人に目を向ける。

「平、田村、お前達はどうする?」
「やります!」
「やらせてください!」

 の問いに綺麗に重なった声に滝夜叉丸と三木ヱ門は顔を見合わせ、いつもなら次の瞬間には顔を背けるか舌戦に突入する二人だが、今回は目的が重なっている為か頷き合っている。これならば問題は無いだろうと判断を下した。

「なら兵助の指揮下に入れ」
「「はい!」」
「それと、綾部と仙蔵は出来るだけ深い穴を二つ」
「二つ、ですか?」

 埋めるだけならば一つだけでも構わないのではないかと首を傾げる喜八郎に、は口を開こうとして仙蔵に視線で止められ、口をつぐむ。

「何故だと思う?」
「一つはあの女を埋める為のものですよね」
「そうだ」
「もう一つは……あ」

 しばらく考え込んで、答えに至ったのかぽんと掌を叩いて喜八郎は仙蔵を見上げた。

「あの女の持ち物を処分する為のものですか」
「そうだ。人間の身体は土に還るが、それ以外はそうもいかないものもある。一度焼き払ってしまった方がいい」
「そういう事だ。穴を二つ。大至急」
「わかっている。裏々々山でいいな?」
「ああ。できるだけ生徒の通らない場所に」
「言われずとも」
「わかりました、すぐに」

 言葉通りに即座に部屋を出て行った二人に、兵助がいいのかと伺うようにを見上げる。それに、仙蔵が付いているのだから問題はないと首を縦に振り、少しばかり複雑そうに顔を歪ませた兵助の頭を撫でた。

ちゃん、私は何をしたらいい?」
「小平太は長次と文次郎を学園の外に出さないようにしてくれ。あの女から離れはしても、敵対しているわけではないからな」
「了解!」
「鉢屋と尾浜も同様に」
「わかりました」
「はい」
「伊作と留三郎は二年と三年を気にかけておいてくれ。特にあの方向音痴二人組み」
「あはは、了解」
「わかった。あと生物の方も出来るだけ見とけばいいな」
「ああ。頼む」

 こくりと頷き、天女の排除を実行する三人とだけがその場に残る。人口密度が下がり少しばかり広くかんじられるようになった部屋の中心に膝を寄せ、彼らは視線を合わせた。は、忍務の開始時に感じる心が徐々に凍りつき始めるようなひやりとした感覚を身体の奥底で感じながら、ゆるりと口角を引き上げた。

「さぁ、作戦会議といこうか」

 酷薄で確実に死に至るであろう毒を含んだその表情に、見慣れない滝夜叉丸と三木ヱ門は息を呑み、兵助はどこか恍惚とした光を瞳に滲ませて、その言葉を噛み締めるようにしっかりと頷いた。


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