理想郷へのカウントダウン





 タカ丸と三郎次が天女様から距離を置き始めた。ちょうど、愛梨が火薬委員会を手伝うという名目でに会いに来たあの日からだ。どうしたのかと聞いてみると、ただぽつりと「愛梨さんがあんな事を言うとは思わなかった」と呟くのみだった。何を言われたのかは頑として口を割りはしなかったが、おそらくはと兵助の関係を否定するような事でも言ったのだろう。
 そしてその後、保健と用具の子供たちが愛梨から距離を取り始めた。彼らの委員長である伊作と留三郎はどこの熟年夫婦だというくらい仲がいいから、おそらく三郎次から川西左近に、川西左近から三反田数馬、三反田数馬から富松作兵衛へと話が伝わり、ショックを受けたのだろう。彼らは何のかんのと言いながら、委員長を尊敬していた。そして、そんな彼らの関係を否定するような彼女よりも自分たちの先輩を選んだのだ。両委員会の一年ろ組の子供たちは、そんな先輩たちの様子を敏感に感じ取って、自分からは愛梨に近づかなくなっている。
 そして愛梨はというと、男相手に負けているというのが許せないのか、あれ以来兵助を憎憎しげに、それこそ親の仇でも見るような目で睨むようになった。にも、何故男を相手にしているのかとでも言いたそうな、目を向けてくる。
 おかげでは食堂で取る美味しいはずの食事の味が数段落ちているような気がした。それでも、今までどおり食堂では彼女に思いを寄せる忍たま達が生きた壁となってから彼女を遠ざけてくれているので、まだマシと言えばマシだが。
 そんな彼女の様子を見て、彼女に思いを寄せていたはずの五年ろ組の不破雷蔵と竹谷八左ヱ門が、戸惑いを覚え始めている。あともう一押し、何かがあれば彼らは完全に彼女から離れるに違いない。これには三郎が喜びを露にしている。も思わぬ収穫に、さすがは仲の良い五年生と笑みを浮かべた。なにも戸惑っているのは彼らだけではないが。
 それ以外の影響はと言うと、彼女の発言に引きずられて衆道に嫌悪を覚え始めた人間がいることだろう。
 これは少し突いてやれば簡単に動き出す。それが容易に解った。

「さて、どうするか」

 に組している上級生だけが集まっている室内で、ぽつりと呟く。壁に寄りかかって座っていた仙蔵は、くいと片眉を上げた。

「そういう言い方をすると言うことは、もうどうすればいいか解っているのだろう?」

 面白そうな顔をする仙蔵に、はひょいと肩をすくめる。

「どういう状況に持っていけば良いのかはな。それぐらいは誰でも想像が付くだろう」
「はいはい、ちゃん!」
「何だ小平太」
「私わかんない!」

 最上級生にあるまじき発言に、滝夜叉丸は頭を抱え、喜八郎はおやまぁと呟き、三木ヱ門はあんぐりと口を開いて、五年生三人は苦笑を浮かべ、六年生四人は溜息をついた。小平太は戦闘に関することならばどんなに難しいことでも勘と反射神経でこなしてしまうのだが、それ以外がてんで駄目だった。特に頭を使わなければならない情報戦なんかは全くと言って良いほどで、本当に六年生まで進級できたのが奇跡だと教師にまで言わしめたほどであった。
 これに関しては、全てはへの忠誠心の賜物だと彼の両親は語り、小平太はあっさりきっぱりそれを肯定した。が関われば彼は忠誠心から来る恐ろしいほどの集中力で不可能も可能にしてしまうのである。
 滝夜叉丸は委員長のおバカ発言に頭痛を覚えながらも、装束の裾を指先に引っ掛けるようにして引っ張った。

「つまりですね、七松先輩。今学園内は大きく分けて、鈴木愛梨の言葉に動揺する者と彼女の言葉に追従する人間に分かれています」
「私たちは敵対してる派だけど」
「私たちを除いてですよ。今はそれは置いておいてください。ここまではいいですか?」
「うん」
「この二派をつついて、戸惑っている人間を彼女から完全に切り離して追従派と対立させれば、学園の中が真っ二つという状況に持ち込めます」
「ふんふん」
「学園は外敵も多いので、できれば一枚岩であるべきです。ですからそういう状況になれば、学園長がその原因の排除を先輩に命じるようになります」
「なるほど!」

 ぽんと手を打ち鳴らして納得した小平太は、底抜けに明るい笑みを浮かべてわしわしと滝夜叉丸の頭を撫でた。小平太の手の下で、僅かに滝夜叉丸の頬が染まる。

「おやめください七松先輩! 髪が乱れます!」
「わはははは! 細かいことは気にしない!」
「気にします!」

 必死に手から逃れようとする滝夜叉丸に、がっちり確保して頭を撫で続けている小平太。始まってしまったじゃれあいに、は溜息をついてぱんと手を打つ。それは本人以外には思いの外大きく響いたようで、びっくりしたように視線がへと集まった。

「で、現状は把握したな小平太」
「うん、ごめんなさい」
「問題はつつく方法だ」

 の言葉に、全員が真剣な顔へと戻る。その中で、仙蔵だけが口角を吊り上げた。

「簡単な事ではないか」

 十対の目が仙蔵へと集中する。その中で仙蔵は兵助の顔を見つめて、挑発的に目を細めた。

「あの女は久々知に対して憎悪に近い感情を抱いている。それを殺意に変えてやればあの女に引きずられている馬鹿な連中が勝手に動くさ。上手く行けばあの女自らそれをあっちに付いた馬鹿どもに頼むだろうよ。それで事件でも起これば今回の事で戸惑っている奴らの目も覚めて、あの女は学園に悪影響だという結果になる」

 それは確かに合理的で一番簡単な方法だ。だが、それでは兵助一人にかかる負担が大きすぎる。が五年生に視線を投げると、三郎は静かに、勘右衛門は眉間に皺を寄せて仙蔵を見返した。

「ですが立花先輩、それでは兵助の身が危険です。あちらには……」
「わかりました」

 勘右衛門の反論を遮って、兵助が了承の言葉を口にする。今度は兵助に視線が集中した。知性的な黒い瞳はどこまでも強く鋭い眼差しで仙蔵の目を見返す。バチリと両者の間に火花が散っているようにも見え、と小平太を抜かした全員が顔を引き攣らせた。どうにも仙蔵は、と兵助が恋仲であるという噂が心底お気に召さないらしい。

「兵助、あちらには六年生も入るんだぞ。少し危険すぎやしないか?」
「大丈夫だ。中在家先輩や潮江先輩が出てこなければどうにかなる」
「でも兵助一人じゃ」
「兵助」

 落ち着きすぎていて淡々と聞こえるの声が割って入り、兵助は仙蔵からへと視線を移す。その目からは鋭さが抜け固い意志だけが残っていた。兵助の中では既に結論が出てしまっている事に小さく息をつき、は一度瞬いた。

「俺が止めろと言えばどうする」
「申し訳ありませんが、その場合は勝手に動かせていただきます」
「逆らうか」
「これが一番早く済みます」
「危険だぞ」
「承知の上です」

 あくまでも決意は変わらないという兵助に、は深々と息をつく。これはもう何を言っても無駄だ。の言うことは大抵逆らう事無く受け入れる兵助が、ここまで言っても聞かないのならばもうどうしようもできない。

「やる時は言え。頃合を見て止めに入る」
「わかりました」

 許可を出してしまったに、三郎と勘右衛門が縋らんばかりの視線を投げかけてくる。それには、小さく首を横に振った。三郎はむすっとして視線を逸らし、勘右衛門は気落ちしたように肩を落とす。

「ヘマはするなよ」
「もちろんです」
「留さん、仙蔵と久々知が怖いよ……」
「見るな聞くな全て忘れろ、いいな伊作」
「私はもうあっちの様子探らなくていいんだよね、ちゃんの側に戻ってもいいよね滝ちゃん?」
「学園が二分するまでは我慢してください」
「終ったんなら私もう蛸壺掘りに行っても良いですかー?」
「自由すぎるぞ喜八郎……」

 今後の方針が決まった途端、再び火花を散らしはじめたりそれを怖がったり宥めたりわがままを言ったり宥めたりマイペースフリーダムな発言に突っ込んだりと好き勝手しはじめた連中に、はただひょいと肩をすくめた。何せこれが鈴木愛梨という女が来るまでの日常に一番近いものだったので。


NEXT