世界から隔絶された
「あ、あの、君!」
艶やかな黒髪を揺らして歩く少年に、声をかける。きょとんと振り向いた彼に、愛梨はどきどきしながら口を開いた。
「あの、私……」
「あー、すいません鈴木さん。私、鉢屋三郎です」
の顔をした三郎が、苦笑を浮かべる。まさか彼がの変装をしているとは思いもしなかった愛梨は、ぎょっとしてその顔をまじまじと見つめた。けれども、三郎との違いが良くわからず、眉尻を下げる。
「ご、ごめんなさい、三郎君!」
「いえ」
「ねぇ、君どこにいるか知らない?」
「さぁ……。ああ、そういえば一年は組の教室の方に向かってたような」
「そうなの、ありがとう!」
満面の笑みを浮かべて、ばたばたと走り出す。そんな愛梨の後姿を見送って、三郎は貼り付けていた笑みを落す。名前で呼んで良いと言ったことなど無いというのに、勝手に名前で呼ぶとは。天女はとんだ礼儀知らずらしい。
本当は、一年は組の教室に向かっただなんていう情報は嘘だ。今頃は、自室でゆっくりとくつろいでいる事だろう。天気が良い日ならば、あの人は外に出て昼寝でもしているだろうが、鈴木愛梨が自分を探して学園をうろうろしている事を知っていて、そんなことをするほど愚かではない。
ふと、溜息をつき、役目を終えた変装をといていつもの雷蔵の顔へと戻った。服も、五年のものへと戻す。いつまでもの恰好をしていては兵助に怒られる上に、立花仙蔵に見つかれば睨まれるのだ。ただでさえ最近機嫌が良いとは言えず、いつにもましてその人の視線は鋭いため、晒されたいとは思わない。
今日はこれで良いだろう。後は一年は組がどうにかしてくれる。先輩を守るのだと息巻いていた良い子達の顔を思い出し、三郎はニッといつもの笑みを浮かべた。
一年は組の教室の前。愛梨はきょろきょろとの姿を探していた。がやがやと騒がしいは組の教室に、もしかして教室の中にいるのかしら、と首を傾げる。三年生の子が、は一年は組の子供たちととても仲が良いのだと言っていた事を思い出す。
からりと扉を開けると、中にいた十一人の子供たちの視線がいっせいに集中して、愛梨は一瞬たじろいだ。
「あれ〜、お姉さんどうかしたんですか〜?」
壷を持った子供が、首を傾げる。その壷の中身にうねうねとうごめくナメクジが一瞬覗き、愛梨は思わず一歩下がってしまった。引きつる顔に、無理やり笑みを浮かべる。
「あの、ね、君、こっちに来てないかしら?」
「せんぱいですか? ねぇみんなー、今日せんぱい見たー?」
「「「「「「「「「「見てませーん」」」」」」」」」」
見事に返事がはもる。本当に仲が良いのね、と呟き、愛梨は悲しげに眉間に皺を寄せた。
「う〜ん、三郎君はこっちに向かったって言ってたけど……」
どこに行ったのかしらと頬に手を当てて考え込む愛梨に、は組の良い子達は素早く顔を見合わせた。鉢屋先輩は協力者で、彼がは組の教室まで誘導したのだ。なら、先輩の所に行かないようにするのが自分たちの役割だ。
「お姉さん、僕たちこれからサッカーするんですけど、お姉さんも一緒にどうですか」
「一緒に遊びましょう」
庄左ヱ門が口火を切って、わらわらと良い子達が愛梨の足元に群がる。周囲をしっかりと固めて遊ぼう遊ぼうと笑顔で誘ってくる子供達に、愛梨は可愛いと頬を緩めて頷いた。そして、連行されるように、外へと連れ出されていった。影できめられたガッツポーズには気付かないままに。
「平和だ」
兵助の膝を枕に、ごろりと寝転がりながらは呟いた。鈴木愛梨という少女から逃げ回る事はや数日。三郎や勘右衛門達の協力も得られ、より逃げやすくなったために、の周囲はひどく平和だった。むしろ以前よりも静かになったのではないだろうか。
を探して鈴木愛梨がうろうろしているために、天気が良い日に外に出て昼寝ができないのが残念でならないが、これはこれでは気に入っていた。障子越しで日差しは柔らかく室内を暖めているし、喧騒も障子がある程度遮ってくれるので、部屋の中だけ隔絶された場所にあるようでゆったりと時間が流れているように感じる。
満足げに息をついたに、膝を提供している兵助は柔らかく笑みを浮かべた。掛け布団代わりにかけてある柔らかな色合いの着物をそっと引き上げる。
「ご満足ですか?」
「まぁな。あまり外に出られないのは不満だが」
「今は室内のほうが安全ですから」
部屋の前の廊下は作法委員会特性の罠が仕掛けてあり、部屋の前の庭にも、喜八郎特性の蛸壺が所狭しと並んでいる。伊作を筆頭とした保健委員には鬼門とも言える、罠地獄が完成していた。殺傷能力は無いに等しく、忍にはお遊び程度の罠でしかないが、素人の、しかも女性には充分対応できる代物だ。これであの女は直接の部屋に来る事は出来ない。故に、室内は今一番平穏と言える場所だった。
「夜になら外に出れますよ」
「月が綺麗な夜ならそれも良いが……庭がああも穴だらけだとお前を舞わせる事も出来ないのではつまらん」
平穏が確保されているのは嬉しいが、それとこれとは別だ。手を伸ばして兵助の頬に触れる。しっとりと手に吸い付くような感触に目を細めると、兵助はその手を取って薄く染まった頬を摺り寄せた。
「全てが終ったら、好きなだけ」
「つまり全て終るまで俺の自由は拘束されると」
「先輩……」
「逃げ回ると決めたのは確かに俺だが、不愉快だ」
あんな女ごときの為に、と眉間に皺を寄せるに、兵助は苦笑する。仕方の無い事ではあるが、確かに窮屈な事この上ないだろう。でもそれも長くないのではないかと、兵助は思っていた。あの女が動き、が動いた事で学園内のバランスが崩れだしているのだから。
「そう長くもありませんよ、きっと」
さらりと、頭巾と元結が外され、滝のように流れる髪を宥めるように撫でる。囁くような声で落とされた言葉に、はそっと目を細め、唇を笑みの形に歪めた。よく状況を見ている。
「だといいがな」
頬から首筋に手を回し、引き寄せる。抵抗すれば簡単に外せるほど弱い力だったと言うのに、頬を染めながらも素直に体を倒し、唇を軽く触れ合わせる。そのまま咽喉もとに指先を這わせると、握りこまれた。唇が触れ合う距離で、長い睫毛が揺れる。
「……駄目です」
「どうして」
「怪我がまだ治っていないでしょう」
「もう治った」
「包帯が取れていないのに」
腕に巻かれた包帯を、袖の上から撫でる。その感触がくすぐったく、握りこまれた指を絡めて身を起こし、兵助を押し倒した。二度三度と唇を重ね、深く口付ける事はせずに顎を伝って咽喉に唇を這わせる。
「ん……先輩、駄目ですってば」
くすぐったいと身じろいで、首筋に顔を埋めるの肩に触れる。も本気で続ける気もなく、首筋に軽く口付けを落としただけで、素直に身を起こした。絡めた指が離れる事を少し寂しく感じながら、兵助も身を起こし、の両頬をそっと包んで、小さく口付ける。
「完治、したら、付き合います、から……」
耳まで真っ赤に染めて視線を落す兵助に、はふぅっと艶やかな笑みを浮かべて額に口付けを落とし、着物を被って再び寝転んだ。もちろん、兵助の膝を枕にして。
もう本当にこの人は。そう思ってはいても、実際に文句など言えるはずもなく。に触れられるのは嬉しいのだから仕方が無い。恋愛なんて惚れた方が負けなのだ。
艶やかな黒髪を、指先ですく。さらりと流れ、指に絡んでもすぐに離れていく髪に何度も触れながら、小さく呟いた。
「早く、全てが片付いたら良いですね。そしたらまた、伊助や他の子達も連れて外で昼寝でもしましょう」
いつも通り学園は騒がしいでしょうけど、焔硝蔵の裏は静かですよ、きっと。
喧騒は遠く、静かな室内に、の呼吸と兵助の柔らかな声が響く。触れる体温と指先を心地よく感じながら、はとろとろと意識を溶かしていった。
……えーっと、ワンパタ?
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