変装名人の憂鬱





 かの天女が、あの先輩の事を聞きまわっているらしい。
 そんな噂は、さすがは忍術学園とでも言おうか、一気に広まっていた。おそらく発生して間もないのだろう噂を耳にして、三郎はうわーというかあっちゃーというか、とりあえず目元を蔽って唸った。よりにもよって、何故、あの、先輩なのだ、と。
 確かにあの先輩は素敵な笑顔の持ち主だろう。顔立ちは整っているのに表情を浮かべないと華というものが無い。反対に表情を浮かべれば一気に空気の色すら変わって見えるほど鮮やかな存在へと変わる。あれは流石に天才鉢屋三郎ですらも、容易には真似できない。笑みなど、その最たるものだろう。ただし、恐ろしくて二度と目にしたくは無いという方面で。
 美しい笑みだと思う。初心な娘が目にしたら、すぐに顔を真っ赤にしてのぼせ上がるほどに艶やかで魔性を帯びている。ただし同じくらい、そこには毒が含まれているのだ。純粋な優しい笑みを見ることも出来るが、それは対下級生用だと本人ものたまっているし、基本的に三年生以下の人間にしか向けない。
 その事を、彼に近い上級生ほど、の性質の悪さと共に良く知っていた。上級生の中で知らないのは編入したばかりの斉藤タカ丸くらいではなかろうか。実力は学園一、まではいい。だが、趣味特技が拷問で女よりも男を好んで抱いて、興味を覚えなければいくらこちらから好意を寄せても視界にすら入れようとしないうえに名前も覚えない。
 今現在その際たるものが例の天女サマなのだ。最初は路傍の石程度にしか思っていないと、三郎は断言できる。そして今現在の認識はというと、きっと忍務対象、というのが正しいだろう。
 その強さから一月の半分は学園外に出ているあのが、長々と学園に居座っている。その事実に違和感を覚えないなどという愚挙を犯しているのは彼女に落ちてしまった人間で、三郎はしっかりと気付いていた。は天女に対する処分を下す時の司令塔だ。そのために、出来うる限り学園内に引き止められている。ついこの間、学園長の「おつかい」で外に出て大怪我をして帰ってきたが、おそらくそれも計画のうちなのだろう。あの性質の悪い人がただ怪我をして帰ってくるわけが無い。きっと外に出たときに情報操作の一つや二つはこなしてきていたはずだ。それが解っているから、兵助がその血まみれな姿に泣きじゃくった事に対する怒りは身の内で消化して成り行きを見守っていたのだが。
 まさか、当の天女サマが近い将来自分を殺すかもしれない男を好きになるとは。いや、実行するのは他の人間かもしれないけど。想い人を骨抜きにされてしまった四年生達が順調に殺意を育んでいるようだし、あれだけ周囲に男がいながらを好きになったとなれば、兵助や無自覚にを愛している立花仙蔵が大人しくしているはずは無い。たとえが天女サマに忍務対象という認識以外に興味の欠片も持たずにいようとも、だ。
 立花先輩は近づかなければどうにかなるにしても、友人の荒れぐあいを思うと頭を抱えずにはいられない。

「……というわけで、勘ちゃんはどうする?」

 兵助の同室者である尾浜勘右衛門に聞いてみた。先輩関連で一番に兵助の被害に遭うのだが彼なのだ。自室でくつろぎのんびりと茶を啜っていた勘右衛門は、勢い良く部屋の中に入ってきた三郎にきょとんとした後、三郎がまくし立てた話の内容にああと頷いた。

「協力するかなぁ」
「は?」
「いや、兵助のことだから……というか、興味の欠片も無い人間に傍をうろちょろされたり好意を持たれたりすると「面倒」で一蹴するあの先輩だよ? いつも通りなら遠ざけて終わりだけど、今度の相手は忍務対象だから勝手に手は出せない。ありとあらゆる手を使って逃げようとするはずだから、当然兵助は協力するだろうし、きっと天女サマに靡いてない生徒にも手を回してるよ」
「だから協力する、ね」
「そう。三郎こそどうするの? 今までどおり傍観に徹する?」
「んー、手伝おうかな」

 正直、雷蔵があの女に夢中になっている図というのは大変気に喰わないものがあるので。学園も動かないし先輩が天女の件の頂点にいるので大人しくしていた――邪魔をすると本人も怖いが、誰よりも兵助が恐ろしいのだ――が、そろそろ動き出してもいいだろう。何をしても許される、自分の思い通りになると思っているような傲慢な女の鼻柱を折ってやれるだろうし。

「そう」
「しばらく先輩の変装でもしてようか」
「それは兵助が怒るんじゃない?」
「似てないって?」
「似てたら似てたで怒るだろうけどね」
「違いない」

 とりあえず協力するという方向に意見は纏まって、三郎と勘右衛門が笑いあっていると、物凄いスピードで近づいてきた気配が三郎に負けず劣らずの勢いで障子を開けた。噂をすれば何とやら、兵助である。しかも物凄く目の据わった。

「かくかくしかじかという事で勘ちゃん協力して!」
「まかせてー」
「あ、兵助、兵助、私も手伝うから」

 のほほんと笑った勘右衛門と楽しそうにニヤリと笑みを浮かべた三郎に、兵助はきょとんと瞬いた。


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