行方知れずな謝罪先




 ヤバイ。
 その顔を見た瞬間、中在家長次は本能と理性で危険を感じ取った。逃げろ、と本能から齎される忠告に全力で従いたいのだが、身体はすくんで動かず、目を離すことすら出来なかった。
 ガンガンガンガン。
 頭の中で警鐘が鳴る。
 固まった長次を見て、はふぅっと、至極麗しく艶やかな笑みを浮かべた。知らぬ男が見たら思わず下半身が反応してしまいそうな、淫猥な笑みだ。けれども長次が感じたのは全身に走る寒気だった。恐ろしい。恐ろしすぎる。
 過去、あまりの性質の悪さに記憶の奥底に封じたはずのトラウマがのそりと顔を出し始め、長次の背中には冷や汗がだらだらと伝った。

「ちょーじ」

 語尾にハートマークでもついていそうな語調だ。けれどもそこには凍えるような冷たさしか存在せず、酷く怒っている事が知れた。何故怒っているのか、その対象が何故自分なのか。とんと理由が思いつかない長次は、顔を青ざめ引きつらせながらもやっとの事で一歩後退る。
 それが気に障ったのか、は更に笑みを深めてふっと身体を沈ませた。はっと息を呑むと同時に、長次の身体は畳の上にうつぶせに転がされていた。その上に、が馬乗りになる。

「逃がすか」
「……」
「うん? 何を怒ってるのかって? あっはっは、誰が教えるか愚か者」

 上げられた笑い声すらも酷く棒読みで、冷え冷えとしていた。恐怖と過去のトラウマが蘇った所為で動けない長次の咽喉元に、同じようにひやりとした指先が回される。そこまで冷たくは無いはずなのに氷のように冷たく感じられ、長次の肌に鳥肌が立った。

……すまん……」
「それは何に対する謝罪だ?」
「……」
「答えられないか、そうか、そうだろうな。だが俺は怒っている。というわけで大人しくお仕置きされておけ」

 咽喉元に回された手にぐっと力がこもる。長次の手はの足で押さえ込まれ、容赦ない力で顎を引っ張り上げられて背中が海老反り状になる。あまり体の柔らかくない長次は、ぎしぎしと軋む身体に声無き悲鳴を上げた。

「〜〜〜〜〜っ!」
「痛いか、そうか」

 お前に懐いているあの子の心はもっと痛かっただろうよ。
 わざわざ言ってやる義理も無いが、言わずにはいられなかったは、長次から見えないのをいいことに唇だけを動かして声も無く告げる。そうして、僅かに唇を歪めた。
 それから長次が半泣きで降参を告げるまで、は喜々として極技をかけ続けるのだった。





「うわっ、長次どうしたの!?」
「……が」

 ぐったりと畳に倒れ伏す長次に悲鳴を上げた小平太に、何とかその名前だけを出す。あからさまに顔色の悪い長次から出された主君の名前に、小平太は親友が倒れているにも関わらず、にっこりと笑みを浮かべ。

「あ、じゃあ仕方ないね!」

 の一言で締めくくった。

「……」

 少しは心配してくれてもいいのではなかろうか。小平太はそういう奴だと知っていながらも、そう思った長次は悪くないはずだ。


 天女様関係できり丸を叱った事に対するお仕置きを実行した艶主。
 仕方ないの一言で済ませた小平太は、天女様に惹かれていても基本は艶主至上主義なので、艶主がやる事がよほど酷い事でなければあっさり受け入れます。
 ちなみに艶主が長次に仕掛けているのはキャメルクラッチです。和名を駱駝固め、別名カバージョ、馬乗り固めとも。長次は体が硬いと思います。潮江も長次とどっこいか僅差で柔らかいくらい。逆に柔らかいのは小平太とは組の二人。仙蔵と艶主は柔らかすぎず硬すぎずな感じ。


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