穢れを知る白こそが美しい



 学園長のお使いで一週間ほど学園を空けていた間に、なにやら見知らぬ女が増えていた。なんでも話によると何も無い空から落ちてきたのだとか。故に天女だ何だと騒がれ、その名に恥じぬほどの美貌と優しさを持っているともっぱらの評判だ。
 その話を聞いたときのの感想は幻術使いじゃないのかと言う、忍としては至極もっともなものだった。しかしながら、女の話を持ってきたのがの可愛がっている一年は組の後輩だったものだから、顔にも口にも出さずただ受け流した。これが四年以上の野郎どもだったりしたら、即座に蹴り倒しているところだ。実際、綺麗な人だと興奮気味に詰め寄ってくる犬があまりにも煩かったので一撃でのしたことは記憶に新しい。あまりにも怪しい女を前に最上級生がそれでいいのかと。
 しかしながらそれだけでは懲りず、会ってみればわかるだの本当に可愛くて綺麗なんだと言い募ってくるものだから、は遠く離れた木の上から観察してみた。
 結果分かったこと。彼女はおそらく自分と同郷の人間だ。だからといって下らない感傷など感じることも無かった。あの世界と比べると、この世界は自分にとって生きやすい。己の趣味がそう非難されることも無く――たまに苦言は呈されるが――、むしろ忍としての技量と評価されるくらいなのである。帰りたいと、思ったことなど一度も無い。
 そして彼女の人となり。
 確かに、綺麗で可愛らしい外見はしている。けれどもあれと同じかそれ以上ならばくのたま教室にはごまんと存在するし、花街にだって美しく咲き誇っている。それにあれと比べれば白い肌も黒い髪も兵助の方がしっとりと潤っているし、容姿など仙蔵の方が倍以上美しい。
 確かに、優しい心を持っている。しかしそんなもの街で生きている女たちとそう変わりないではないか。いや、それよりも悪いかもしれない。こちらに来てすぐに保護された彼女はこの時代の闇を知らないのだ。知らないが故の真っ白な優しさ。柔らかくてあったかくて心地よいと皆は言うが、あまりにも薄っぺらくて反吐が出る。彼女と比べれば町の娘のなんと健気なことか。そして、戦を知り、家族を亡くし、世界の闇を知り泥水を啜ってなお、生きる気力を失わずたくましく自活して身を立てている子供が、きり丸がいっとう愛しく思える。
 身寄りの無いのが何だ。不安だろうに涙を見せない事が何だ。姫のように美しい指が傷ついていく事がどうだと言うのだ。そんなもの、珍しくも何とも無い。この世にごまんと溢れているものではないか。
 彼女の傍にいたと、彼女を手に入れたいと、周囲が白熱していくたびにの心はさめていった。馬鹿みたいではない。馬鹿なのだ。たった一人の女に入れ込み、自分達がたまごとはいえ忍であることを忘れているような輩どもは。
 そうしては女から興味を失った。いや、最初から興味なんてものも持っていなかった。ただ、普段から懐いてくる犬が声高に吠え立てるのでその原因を分析していただけなのだ。それが終ったから視線を外し、己に害がないから放置したに過ぎない。
 鈴木愛梨とかいう存在は壊れやすい女で、鉄筋コンクリートのビルが聳え立つ時代から来た、そこそこ精神力がある以外に苦痛に対する耐久性など望めるはずも無く、が興味を持ったところで泣き叫ぶしか能の無い、ごくごく普通の現代人なのだ。
 自分に害がない以外は放置するという結論を出した後は、現代から来た女が存在していることだけは覚えて、後は全て脳内から消し去った。
 だから忘れていた。情事を終えた閨の中で、兵助が縋るような目をして問いかけてくるまでは。

先輩」

 うとうとと、自分よりも一回りは小さいだろう身体を抱きしめ、柔らかな髪に顎を埋めて心地よい気だるさを纏ったまま眠りに付こうとした時に、啼かせすぎてかすれた声で呼びかけられ、はそっと目を開けた。闇の中に、兵助の白い肌がぼんやりと浮んでいる。見上げてくるどこか潤んだ瞳に、その肌が先ほどまで快楽に翻弄され桜色に染まっていたことを思い出し、うっすらと笑みを浮かべた。それだけで色気を漂わせるに、兵助は頬を染める。

「どうした、兵助」
「聞きたいことが、あって」

 ああ、そういえばそんな事を言っていたな。と思い出す。
 物言いたげな顔をして話があると六年長屋にある自分の部屋を訪ねてきた兵助に、学園を出てから今日まで誰の肌にも触れていなかったことを思い出して有無を言わさず押し倒してしまったのだ。禁欲期間は二週間近く。情事だけではなく拷問すらも行っていないのだから、それを考えれば今までで最長なのではないだろうか。そんな事をつらつら考えながら、兵助の柔らかな髪をもてあそび、続きを促す。

「鈴木愛梨…さんの事、どう思ってます?」

 鈴木愛梨。
 閨の中で出された女の名に、は本気ではて誰だろうと眉間に皺を寄せた。髪を弄る動きをも止めて難しい顔で考え込んでしまったに、兵助はどこかほっとしたように息をつき緊張にこわばらせた顔を緩めた。

「食堂で働いている、あの人の事です」
「……ああ」

 言われて、そういえばいたなと思い出した。あの天女だ何だと騒がれている現代人の女だ。興味の欠片も持たなかったものだから、すっかり忘れていた。

「俺に害が無ければどうでもいい」
「先輩らしいですね」

 小さく笑う兵助に、抱きかかえている体が揺れる。その振動を感じながら、兵助の額にかかった前髪を払い、頬を撫でて額に口付けを落とした。薄く色づいた肌と指先に絡む髪はしっとりと潤っていて心地好い。逆に仙蔵は肌も髪もサラサラとしていたな、と思考の片隅で思い出していた。

「あの女がどうかしたのか?」
「いいえ、最近よく見ていらっしゃったようなので」
「ああ……小平太が五月蝿いものだから観察していた」

 最近は口を開けば愛梨ちゃんが愛梨ちゃんがと、よりいっそう五月蝿い。煩わしいので必要最低限以外は小平太の世話は長次に任せ近づかないようにしている。だからあの女の名前もすっかり忘れていたのだ。
 の冷めた言葉に嬉しそうに目を細める兵助に、はにやりと口角を吊り上げた。

「何だ、妬いたか」

 からかうような口調に、兵助は首から耳まで真っ赤に染める。何とも分かりやすい反応に、可愛い奴めと抱く腕に力を込めた。その腕から逃れようと、兵助がもがく。しかしながら抵抗と言うにはあまりにも弱い力に、あっさりとは彼を取り押さえ、その唇に深く口付けた。


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