性的・暴力的表現注意!



愛したい10のお題6



● 勢いだけの乞い。





『大丈夫?』

 若干舌足らずに聞こえる、耳障りのいい声が頭上から降る。思い切り打ってしまった鼻を抑えながら顔を上げてみれば、そこには見たことも無いような美しい人が立っていた。こんな綺麗な人の目の前でいつもの不運を発動してしまっただなんて、とあまりの恥しさに身体が熱くなる。きっと、打ってしまった場所すらわからないほど、顔どころでなく全身真っ赤になっているに違いない。
 慌てて身を起こすと、きょとんと瞬いていたその人は、にっこりと笑みを浮かべる。その、綺麗という言葉すら陳腐に思えるような綺麗な笑みから、目が離せなかった。










 城下町の出入り口に少年が二人、一人の青年と向き合っていた。一人は柔らかくうねる茶色い髪を一つに束ね、何の憂いもない明るい光と感謝を薄い瞳に宿し、青年を見上げている。もう一人はしなれた変装姿で、一つ上の少年の横でどこか気だるげな表情をしていた。けれどもその目には、あまりにも強すぎる決意のようなものが宿っている。それをしっかりと確認しながら、青年――悠一郎はきりりとした精悍な顔つきを僅かに緩めて、彼らを見下ろした。

「じゃあ、気ぃつけてな」
「はい、お世話になりました!」
「はーい」

 ぴょこりと頭を下げる伊作の横で、三郎が気安く返事をする。瞬き一つで強すぎる意志を覆い隠した三郎に一つ頷いて、悠一郎は彼らを促し、学園の帰路へと着かせた。二つの、まだ成長しきっていない小さな背中が遠のいていく。そして絶対に声が聞こえないだろう所までその背が遠ざかった時、悠一郎はちらりと傍らの門の影へと視線を投げた。

「頼んだぞ」
「御意」

 いくつかの気配が、ひっそりとした応えと共に子供たちを追いかけていく。それは子供たちに付けられた護衛だった。けれども諸事情で正規の忍を使うわけにもいかず、付けられた護衛はまだ育成中の【蕾】と呼ばれる育成班に所属するたまご達。それでも、正規部隊への異動間近の、ヤエザキでなければ立派にプロと呼ばれていてもおかしくはない実力の持ち主たちだ。不安はない。もっとも、その護衛を付けたのは悠一郎ではなかったが。

「心配ならお前が行きゃいい話だろうが」

 
 城の屋根の上。その場所に立って、彼らを見送っているはずの男の名を、聞こえないと知っていてなお、小さく呟いた。




「いっちゃった……」

 どこか呆然と、寂しげに響く自分の声に、は小さく口角に苦笑を刻んだ。何を寂しがっているのだろうか。自分から、望んで手放したくせに。二度と会わないように祈っているのに。会えば、訪れるのは確実にどちらかの死だ。それでも、いずれどこかで出会うことを望んでいる。己の死を望んでいる。この世界から逃れる唯一の方法であろう、その術を。
 だから、彼は今此処で死んでもらっては困るのだ。

「……気をつけて」

 帰路に着く彼らの護衛にと差し向けたのは、【蕾】の中でも指折りの実力者だから心配は要らないだろうけれど。それでも、大事な――そう認識している事に、は正直まだ戸惑っている――弟である三郎と、忍であるのに医師でもあるという矛盾を抱えた、いずれ自分を殺すだろう少年の無事を祈った。

「神様なんて、いないのにね」

 ならば、一体自分は何に対して祈っているのだろうか。答の見えない疑問を戯れに思い浮かべながら、は顎を逸らして空を見つめた。憎たらしいほどに晴れ渡り、ゆるりと雲の流れる空を。





 さすが。
 出された課題をこなし、学園への帰路で一つ上の先輩の様子をじっくりと観察しながら、三郎はその違和感のなさに感嘆の息をつくと共に舌を巻いた。普通、記憶操作されたり幻術に掛けられたりした人間は、大なり小なり何かしら違和感が現れる。けれども幻羅の幻術にかかっているはずの伊作にはそれが全くなかった。もしくは、三郎が見つけられないほど小さなものなのかもしれない。
 だがそれにしたって、見事なものだ。変装の達人を父に持ち、自らも変装術に秀で、洞察力に自身のある三郎ですら、幾重にも暗示が掛けられていると最初から知らされていなければ、全く気付くことなどできなかったに違いない。これならば、忍術学園の教師陣にも解りはしないだろう。
 さすが。
 もう一度、幻術という一点に特化しまくった子供を内心で褒め、三郎は上機嫌に話を続ける伊作に笑みを浮かべながら相槌を打った。絶対にこの人を兄のものにするのだと、幾度目かの決心を重ねながら。





 夜も更け、虫が控え目に鳴く声が響く。目を閉じ、それに耳を傾けているの横顔を、灯台に灯した明かりがぼんやりと照らし出していた。無表情でじっと聞き入っているその様はのえもいわれぬ美貌を一層際立たせ、悠一郎は一瞬、息を呑むと同時に自分が何をしにこの場に来たのかを綺麗に頭から吹き飛ばした。

「なに?」

 視線に気付いたのか、それとも息を呑む音を敏感に聞き取ったのか、は目を開いて障子を開けたまま呆然と突っ立っている悠一郎を見上げた。その瞳には、以前と同じように――いや、以前以上にぽっかりとした闇が顔を覗かせていた。それを痛ましく思わないわけがない。悠一郎は僅かに眉間に皺を寄せながらも障子を閉め、その場に腰を下ろした。

「伊作と三郎が無事に学園に着いたらしい」
「そう。【蕾】の子達は?」
「全員傷一つない。襲撃は一、二度あったらしいがな」
「ふぅん。そんな命知らずまだいたの」
「そら、いるだろうよ。元は割り出して、何人か警告に出しといた」
「落とした首持たせて?」
「いや、生きたまま」

 の眉間に皺がよる。拗ねたように尖らせた唇に、悠一郎は小さく溜息をついた。仕様がないと言わんばかりのそれに、の機嫌はますます傾いたらしく、にじり寄って悠一郎の膝の上に乗りあがると、長い髷をぐいっと引っ張った。

「痛ぇっ……ちょ、おいこら、!」
「首」
「ちょっ」
「落として」
「だからっ」
「運べば」
「痛いって」
「楽なのにっ!」
「言ってんだろが!」

 情け容赦なく引っ張られる髷に、バランスを崩して倒れぬように片手を床につき、片手での身体を支えながらも、文句だけは欠かさない。これでは自分の首が痛むと悟った悠一郎は、最終的には床についた手をバネにして体を跳ね起こし、自分の髷をぐいぐいと引っ張るの手を捕まえて髪からその指を無理矢理離させた。何本か髪が抜けてしまっている。

「ったく、何しやがる」
「ぶぅ」
「ぶぅじゃねーよ。情報収集の為だ、我慢しろ」
「……幻羅の暗示つきな訳」
「正確には幻羅直伝の暗示つきだ。あいつはまだ、町の外には出せねぇからな」
「あの子は一点に特化しすぎてバランス悪いもんねー……ならいーかな」

 幻術はプロ以上の腕を持つのに、それ以外は年相応の技術しか持たない子供を思い浮かべて、は痛ましい瞳はそのままにくふくふと笑いながらも悠一郎の肩口に懐く。小さな子供がしがみついてくるような仕草に、悠一郎ははいはいと軽く流しながらも、その背中を宥めるように軽く叩いた。



(留三郎、ただいまー)(食満先輩、お久しぶりでーす。じゃ、私はここで)(うん、また後でね)(おー。三郎と一緒とは珍しいな)(いやー、今回の課題先が三郎の実家でね)(ほー)(捕まっちゃってすっごいピンチだったんだけど、そのおかげで不問にされて……あ、そうそう、悠一郎さん――留三郎のお兄さんに会ったよ)(は?)(助けてもらっちゃった)(へ?)(ヤエザキの小頭だなんて凄いねー)(生きてたのかよ! っつーか、ヤエザキ!? 小頭!? はぁああああ!?)(知らなかったの?)(聞いてねぇっ!)























































































































● 記憶が渦を巻いて沈む。





 手が、舌が、唇が肌の上を滑る。それに為す術もなく熱をあおられ、望んでもいないのに何度もやってくる何もかもが真っ白になる瞬間に、泣く事しかできなかった。望んで、いないに。
 そう、望んでいない。男に犯されることなど望んでなどいない。蹂躙される事を許せるほど、プライドがないわけではなかった。けれども、完全に拒絶しきる事が出来ないのは何故なのだろうか。ぽっかりと穴の開いたような、闇ばかりが垣間見える瞳を見ると、無性に胸が痛くなるのは、何故なのだろうか。
 そんな思いも、白くなって沈むのだけれど。










 伊作の様子がおかしい。
 留三郎がそのことに気付いたのは、伊作が課題先――あの、伝説の忍がいることと、幼くして賢明な城主がいることで有名な、珍しくも治安のいい国の一つだ。驚いた事に留三郎の兄が小頭として勤めていたらしい――から帰ってきて、一週間ほど経ったときだった。
 一つは伊作の仕草が少しばかり女性的なものになっていることだったが、それは女中として潜り込んでいて未だにその時に身につけたものが抜けない所為だと本人も笑っていた。これは別にどうでもいい。問題は、毎日のように魘されているという事だった。
 本人は悪夢を見ていると言う事は覚えているものの、その内容は全く覚えておらず、何故魘されているのかは解らないままだ。
 どうしたものだろうか、と留三郎は溜息をつく。衝立を挟んでいるとはいえ、隣で毎晩のようにうんうん魘されているのを聞いているのは辛いものがあるのだ。おちおち安眠できやしない。何より、友人としてとても心配だった。
 課題先で何かあったのだろうか。
 思い当たる事は、夏休みと逆転して長くなった秋休みに出された宿題だけだ。それに思いをめぐらせ、守秘義務から忍務の事は聞き出せないと頭を振って、もう一度溜息をつく。

「三郎にでも聞いてみるか」

 昔、忍者に囲まれて生活をしていたと言っていた三郎の実家が、実は隠れ里ではなく伝説の忍を内包するあのヤエザキ――しかも話の限りではかなり上層部に近い場所にいる――だと今回の伊作の忍務で判明した事には驚きを隠せなかったが、四年生でありながらあまりにも突出した能力を持つ訳がわかって納得せざるをえなかった。
 最近伊作と接触する機会の増えた後輩の顔を思い浮かべて、一緒に帰ってきたくらいなのだから、少しくらいは伊作のみに何が起こったのか把握しているだろうと思う。まぁ半分以上は、彼も忍務で実家にはいなかったのだろうが。
 返答次第では新野先生にも相談しなければならないだろう。友人の魘され具合は半端ではない。





「……三郎、こんな所にいたのか」

 屋根の上でだらんと全身の力を抜いてだれながら、赤い隈取の狐の面を弄っていた三郎を発見すると、留三郎はなんだか全身から力の抜けるような思いと共に溜息をついた。いかにも大儀そうに吐かれた息に、三郎は珍しい、と視線を上げる。

「おや、食満先輩。私に何か用ですか?」

 わざとらしい仕草と声に、ますます疲れたような顔をして、留三郎は三郎の隣に人一人分の間を空けて座った。それに首を傾げつつも、内心で、伊作先輩の事かな、とあたりをつける。彼が、夜中に魘されているだろう事を、三郎はよく知っていた。なにせ、そのきっかけを作っているのは三郎なのだから。
 伊作には、今幾重にも幻羅の手による暗示が掛けられている。段階的に掛けられたそれを、三郎は伊作の様子を見ながら一つ一つ外していっているのだ。封じられた記憶を夢と言う形で見せて、目覚めたときには覚えていないようにする。けれども確実に心に残るように。兄の、詠野という男の存在を焼き付けていく。そして、最終的には全てを思い出して、もう一人、兄を慈しみと愛情の深い瞳で見つめていた、癒羅という人物と人格を統合できるように。
 その為に伊作との接触回数は格段に増え、不審を覚える者もいたりしたが、伊作の忍務先が三郎の実家だったのだいう言葉で大半は納得させられた。しかし留三郎はそうもいかないだろう。同じ時期から、伊作が魘されだしているのだから。近いうちに接触してくることは予想できていた。もちろん、心の準備も。

「聞きたいことがあるんだが」
「私にわかることでしたら、出来うる限り答えますが」
「助かる」

 少しばかり、間が開く。すぐに話し出そうとはしない留三郎の様子を横目で窺うと、彼は言葉を捜しているのか視線をふらふらと泳ぎ、若干眉間に皺がよっていた。けれどもそう空白を置かず、腹を括ったのか口を開いた。

「……伊作の、事なんだが」
「伊作先輩がどうかしましたか?」
「休明けからこっち、良く魘されててな。本人に聞いてもどうして魘されてるのかわからんと言うし、いつもの不運だろうと笑い飛ばしてはいるんだが心配でな」

 度が過ぎれば新野先生に相談する必要もあるだろう。そう言う留三郎に、三郎は少しばかり間隔をあけるべきだろうか、とそれなりに真剣に話に耳を傾けていますという表情と、心情を切り離して考える。しかしながらここで間を空けてしまえば、三郎が原因だと言っているようなものだ。勉強にはそれほど強くはないが変に鋭い、と言われるは組に所属する留三郎には気付かれてしまうかもしれない。今の段階でそれは大変嬉しくない予測だ。やはりしばらくはそのままで、少しずつペースを落としていくべきか。
 今後の方針を決めつつ、留三郎の顔を見た。

「で、うちで何かあったんじゃないか、と?」
「まぁ、時期的に」

 少々心苦しそうにする留三郎に、お人よしだな、と思う。是非とも兄の側にいて欲しい性情の持ち主だ。伊作の件が上手く行った暁にはスカウトしなければ。

「そう言われても、私も休み終了の一週間ほど前まで宿題で出てたんですが。帰ってきたときには既に一度捕まって、悠一郎さんに保護されていましたし」
「あー……兄貴、な」

 複雑そうな表情だ。それもそうだろう。物心つく頃には既に兄のお世話係と化していた悠一郎は、実家とは全くと言っていいほど連絡を取っていなかったそうだから。生死すらも曖昧だったらしく、伊作からその名を聞いたらしき時は素晴らしい絶叫を響かせてくれていた。一つ下の学年の長屋にまで響いてきたのだから、凄い肺活量だと感心した事は記憶に新しい。

「その、兄貴からは何か聞いてないか?」
「いえ、特に何も」

 実は保護される前に、既に兄に喰われて色々と大変な事になっていたりしたのだが、そんな事はおくびにも出さずに首を振って見せる。知られてしまったら、絶対にこの先輩は邪魔してくるに決まっているのだ。だからこそ、隠せる部分は徹底的に目隠ししたままで隠し通させてもらわなければならない。確実に、伊作を手に入れるために。最終的には、それも伊作の意思次第なのだが。

「そうか」

 まだ納得の言っていない顔で、小さく溜息をつく。それはそうだろう。三郎だって、仲のいい友人達がそんな状況に陥っていれば、どうにかしてやろうと動くに違いないのだから。けれどだからと言って、今取っている行動をやめようとは思わない。当たり前だが、留三郎への同情よりも、兄への愛情の方が比重は遥かに大きいのだから。



(「突然すまんな」)(「いーえ、おかまいなく」)(すまない、だなんてそんな言葉)(本当はこっちが言わなきゃならないんですけどね)(でも言わない)(その代わり、最高の就職先紹介してあげますから)(許してくださいね、食満先輩)







































































































































● 失恋に重ねられた感情。





 記憶が塗りつぶされていく毎に、降り積もる不安。自分が自分ではなくなっていくような、そんな、不安定な心。彼が口を開くのが怖かった。耳元で囁かれる、絶対に聞き取れない、覚えていられない言葉が怖かった。
 本当は聞こえているのかもしれない。覚えているのかもしれない。それでも留まりはしないのは、きっと自分を拒絶する言葉だから。それは確実に、自分の中の何かを蝕んでいた。彼と触れ合い、知るごとに、拒絶している心が削り取られていくのと、反比例するように。どろりと胸の奥で波立つ、訳のわからないものが嵩を増す。

『  』

 やめて。
 ききたく、ない。





 ずるい、と思った。
 不可抗力だと三郎は言うし、状況から鑑みて雷蔵もそれが正当な言い分であると理性では納得できるのだけれど、感情面ではそう簡単にはいかなかった。家族ならば仕方がないと諦めがつくけれど、相手は数いる先輩の中で仲が良い方だと言っても、一番、と言うわけでもなかったから。いや、一番仲のいい先輩相手だったとしても、雷蔵が抱く感情は変わらなかっただろう。
 ずるいと思う。三郎の、幾重にも隠された素顔を知っている事に対して。それは幼い独占欲であり、純然たる嫉妬であった。

「ずるい」

 膨れっ面で呟いた言葉に、三郎はきょとんと瞬いて顔を借りている親友の方へと振り向く。するとばっちり目が合って、三郎は雷蔵が自分だけを見ているという事実に歓喜を覚えながらも、もう一度きょとんとした表情のまま瞬いて見せた。

「何がだい?」
「伊作先輩。三郎の素顔を知っているんでしょう?」
「ああ、そのこと」

 事も無げに返した言葉に、そのことって何だよ、と雷蔵はますますへそを曲げてしまった。珍しい事だ、と三郎は首を傾げる。普段とは全く逆の事態だ。いつもならば、雷蔵に対して三郎が些細な事で拗ねてみせ、それを雷蔵が笑いながら受け入れて宥めるというのに。

「雷蔵は私の素顔を見たいのか?」
「そ、れは……見たくない、なんて言ったら、嘘だけど……」

 うろうろと視線を彷徨わせ、「見たいけど、それだと三郎の変装の価値が……でも見たくないなんてのは嘘で……」と迷い始めてしまった。あっさりと顔を出したその迷い癖に、三郎はひょいっと肩をすくめて思考の迷路へと突入してしまった雷蔵の顔をそれと無しに見つめた。
 別に、雷蔵にならば素顔を見せてしまってもいいと思うのだ。もう長いこと同じ部屋で共に過ごしているし、何より双忍と自他共に認識するくらいの信頼関係もある。三郎の外見だけを見て惑わされる事もないだろう。ただ、それをきっかけに、雷蔵の心境に多少の変化はあるかもしれないが。

「無自覚な面食いだもんな」

 雷蔵には聞こえないように口の中で呟く。今まで雷蔵が惹かれていた女の子の外見を振り返ってみると、見事にきらきらしゃらしゃらな色素の薄めな綺麗な子ばかり。けれども、彼女たちに負けない自信が、三郎にはあった。男女の違いはあれど、美貌だけならば三郎の方が上だ。兄の言う所のきらんきらんな美人であると三郎は自らの容貌を客観的に捕え、それ故に兄とは系統が違えど類を見ない美貌の持ち主であることをきちんと自覚していた。晒らして歩いていれば、男女関係なく砂糖に集る蟻のように寄ってくることも。だからこそ、素顔を晒す事を嫌うのだが。
 たとえ雷蔵の心境に変化があろうと、三郎は構いやしなかった。三郎は雷蔵をそういう意味も全てひっくるめて愛していたし――恋ではない。そんなものをはるかにすっ飛ばしているのだ――彼の気持ちが友情から恋に変わった所で彼から離れる気もなかった。そういう関係になるのに抵抗はない。そうなれば体の関係も出来るだろうが、忍の実力的には三郎の方が上だし、押し倒される前に押し倒す自信もある。むしろ、雷蔵を独占する確固たる理由を手に入れられるのならば万々歳ではないか。
 それはいい。というか、むしろそれがいい。ぼんやりと雷蔵の悩み顔を見つめながら巡らせていた思考にそう決着をつけた三郎は、彼が見ていないのをいい事ににやりと一瞬あくどい笑みを浮かべてみせ、雷蔵の肩をぽんと叩いた。

「雷蔵」
「……あ、三郎、何?」
「雷蔵が見たいと言うのなら、見せてもいいぞ」
「え、ええ!? ……そんな事言って、僕の顔の下にまた別の顔を用意しているとか言うんだろう?」
「いいや、今回は本気も本気さ」

 何せ君を独占する為なのだからね。
 そんな本音をおくびにも出さず、三郎はにっこりと微笑んで見せた。珍しくも本気が垣間見える三郎に、雷蔵は戸惑いを浮かべながらも小首をかしげる。

「見せてくれるって言うなら、嬉しいけど……本当にいいの?」
「いいさ。雷蔵だからね」

 事も無げにそう言って、しゅるりと頭巾を解き髷を取る。首と変装用の擬似的な皮膚との境目に指をかけると、緊張からか雷蔵の咽喉がごくりと鳴る。それにくすりと小さく笑うと、一気に変装を引っぺがした。一瞬目を閉じ、最も美しく見えるだろう角度でゆっくりと目を見開く。ふわりと、鬘の中に押しこめていた亜麻色の髪が頬に零れ落ちるのを感じた。
 ぽかんと、した表情で、それでも食い入るように、雷蔵は三郎の素顔を見つめた。僅かな灯りでもキラキラと光を弾く亜麻色の髪、それよりもなお薄い梔子色の瞳、ぼんやりと浮ぶとろりとした白い肌。目鼻立ちは繊細で、一つ一つが丁寧に作り上げられたようなパーツが小さな顔の中に絶妙なバランスで納まっている。雷蔵が短い生涯で見てきた中で、最も美しい造作を持った人がそこにいた。どくりと、心臓が大きく拍動する。かっと、全身が熱くなるのを感じた。
 真っ赤になって、それでも視線を外そうとしたない雷蔵に、三郎は至極満足してその心のままに満面の笑みを浮かべる。それを正面から受け止めた雷蔵が、ぎゅっと胸元を握り締めてますます顔を赤くした。

「どうだい」
「ぅ、ぇ、ど、どうだいって、言われても……それ、本当に……」
「疑り深いな、雷蔵は。そこまで言うなら触ってごらんよ」
「えぇっ!?」

 三郎が膝でにじり寄ると、気おされるように雷蔵が後ろへと下がっていく。けれどもすぐに壁に背があたり、焦ったように背後を振り返る雷蔵の両手を、三郎はしっかりと捕まえた。びくりと、大げさなまでに雷蔵の肩が跳ねる。三郎はその捕まえた両手を、自分の頬へと触れさせた。恐々と、指先にまで戸惑いを見せながら、それでも雷蔵の手はすべらかな頬に触れ、それが本物だと知ると、しっかりと両手で三郎の小さな顔を包み込んだ。

「ほ、んもの、だ……」
「だから言っただろう」
「う、わぁ……!」

 感動したような声を上げ、雷蔵は包みこんだ手で目尻や鼻にそっと触れた。割れ物でも扱うかのような慎重さに、三郎はくすぐったさを覚える。ほうっと、雷蔵はうっとりとした溜息をついた。

「……こんなこと言われるのは嫌かもしれないけど」
「言ってみなよ。君に言われて嫌な事なんて殆どないよ、私は」
「三郎って、すっごく綺麗」
「そうかい?」
「うん。今まで見てきた中で、いっとう綺麗だよ」

 そう言って自分の顔を触り続ける雷蔵に、三郎はそれはそれは綺麗な笑みを浮かべてみせた。

「ありがとう」



(ほうら、落ちてきた)(簡単簡単)(これで君は私のものだ)(だぁれにも渡さない)(君は私が他の人の変装をしているといつも機嫌が悪くなっていたもの)(君の気持ちなんて、お見通しさ)


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