性的・暴力的表現注意!





● 足を抱えて呟き続け。





 血の臭いがする。
 鼻先を掠めた金臭い臭いに、伊作は目を瞬かせた。ここに監禁されてからは、以外からは臭わなかったものだ。けれどからしている血の臭いも、これほどは臭わない。せいぜい髪から少し臭う程度だ。
 何故、と顔を顰める。考え込んでいると、そこへ天井からするりとが姿が現れた。先ほど鼻先を掠めた血の臭いが濃くなり、伊作はを見上げる。

「……血の臭いがします」
「うん、さっきまで鼠狩りしてたから」
「返り血、ですか?」
「今日は一滴もついてないよ」

 今日はって何ですか、いつも浴びてるんですか、そう言葉が出そうになるのをこらえて、伊作はの全身へと視線を走らせる。返り血を浴びていないのならばこの血の臭いは何なのだ。隅から隅までこと細かく視線を彷徨わせる伊作に、は少しばかり嫌な気持ちになりながらも黙ってその様子を見つめる。そうして、左手の甲に少しばかり見えた傷口に突っ立ったままのを座らせ、一気にその袖を捲り上げた。

「何ですかコレは!?」

 響いた怒声に、はきょとんと瞬いて眉尻を吊り上げている少年を見下ろす。そしてことりと首を傾げ、伊作が捲り上げている己の腕を見下ろした。手の甲の辺りから肘に向かって、一直線に走る傷。それはそう深いものではなく、既に出血も止まっていた。

「何って、怪我でしょ」
「だから何で怪我をしたまま放置するんですか!」
「血は止まってるし、放ってても死なないんだからいいじゃない」
「よくありません! 傷口からばい菌が入り込んで膿んだりしたら大変なんですよ。これは裂傷……いや、切り傷。金瘡か。毒はないな。傷口は洗いましたか?」
「……うん」
「救急箱は……」

 きょろきょろと己の周囲を見回し、今いる場所に手当てをする為の道具などが置かれていない事を知ると肩を落とす。それはそうだ。捕えている忍の周囲に、武器となりそうなものを置くはずも無い。けれども保健委員として怪我を見れば治療をする習性が、伊作の顔を悔しそうに歪ませた。
 そんな様子を黙ってみていたは、伊作に背を向けると床板をいじり少し離れた場所から木箱を一つ取り出した。そしてそれを伊作の目前に置く。伊作が瞬きながら差し出された箱を開けると、そこには消毒薬や傷薬、包帯や木綿といったものが一通り揃えられていた。綺麗な、けれども年季の入った救急箱だ。
 伊作は顔を跳ね上げ、を見上げた。どこか困惑しているような雰囲気をかもし出すに、驚愕と共にキラキラとした期待の目が向けられる。

「つ、使っていいんですか?」

 こくりと、は一つ頷く。そして、いきいきと怪我を治療しはじめた伊作に、はきゅっと眉間に皺を寄せた。以前、どんな人間でも目の前で怪我をしていれば治療する。それはが相手でも変わらないと言われた。実際にそうされてしまうと言いようの無い思いが胸の中で渦を巻く。それが何なのかが全く解らず、ひどく気持ちが悪かった。ただ、相手が誰でも怪我人には治療を施す、と言い切ったのを聞いたときに感じたものと同じだという事だけはわかる。
 消毒され、薬が塗られて木綿が当てられ、くるくると包帯に覆われていく腕を見ながら、は気持ちが悪いと胸元をぎゅっと握った。

「はい、出来ました……気分でも、悪いんですか?」
「……何で?」
「だって、胸元……」

 着物を握りこむ指先を指されて、むっつりと黙り込んだまま見下ろす。そのまま眉間に皺を寄せて黙ってしまったに、伊作は心配そうな顔をしたままで手を伸ばした。横に垂れた髪を払って頬に触れてくる指先に、は少し顔を上げる。その視線の先にあったのはを案ずる顔で、一瞬くらりと視界が回ったような気がした。
 頬に添えられた指を捕まえて、強引に腕の中に引っ張りこむ。腕の中に倒れこんできた伊作の身体を力任せに抱きしめて、は唇をかんだ。
 伊作は強く抱きしめる以外が何もしてこない事を知ると、強張らせていた身体から力を抜いて引き寄せられるままに身体を預ける。身体を締め付ける腕の力は強すぎて痛く苦しかったが、それがあまりにも必死で、縋りつかれているかのようで、何も言う事が出来ない。ただ背に腕を回して、そっと手を当てた。



(助けて)(そう、叫んでいるような気がした)(そんなはず、無いのに)























































































































● 気紛れに戯れ、本気の賭け。





 欲しいな。
 好き勝手に身体を弄られ、貪られて気絶するように眠りについた伊作の寝顔を見ながら、心の中だけで呟く。監禁されても、陵辱されても、己が己であることを忘れず崩れもしない、にとっては不可解なほどの強さを持つ少年。自分を陵辱した相手の治療すらしてしまう子供を、は本気で欲しいと思い始めていた。最初は単に暇つぶしのつもりで、侵入者をおもちゃとして己の巣の中に引き込んだはずなのに。彼を見ていると腹の底がなにやらどろどろしてきて嫌な気分になるが、それ以上に欲しい、と思ってしまった。

「欲しいな」

 今度は言葉にして呟いてみる。するりと出た言葉に、やはり心底自分はこの子供が欲しいのだと確信した。ならば自分のものにしてしまえばいいのだ。悠一郎をヤエザキの平和と引き換えに己に縛りつけたように、戦場から弥次郎や魅羅を拾ってきた時のように。多くの行き場の無い子供を、ヤエザキの忍にするべく拾った時のように。
 けれども。疲労の浮ぶ子供の頬をするりと撫で下ろす。この子供はきっと自分のものにはなってくれないのだ。きっと帰る場所がある。何より、まだ逃げる事を諦めていないことが、仕草や表情、言葉の端々に見ることが出来ていた。自由を奪われようと、犯されようと、この子供はに屈してはいない。

「欲しいな」

 対応を間違った、と今更のように思う。欲しいと思うようになると分かっていたら、城の中で泳がせて時折構いにいく程度に止めていたのに。しかしながら覆水盆に返らず。起きてしまったことはどうしようもないのだ。けれども欲しい。どうしても欲しい。

「……この子自身、じゃなければ手に入るよねぇ」

 この子の性質そのままの、この子じゃないこの子。どうせならば、への好意も刷り込んで。

「そういう人格を植えつけちゃえば」

 君は俺のもの。
 呟いて、無邪気な笑みを浮かべたまま、眠り続ける伊作の髪をさらりと梳いた。






「本気ですか?」

 顔を引き攣らせて、幻羅は己の上司を見上げた。は自分の胸ほどの身長しかない子供を見下ろして、無邪気な笑みを浮かべて頷く。

「うん」
「復唱します。貴方が暇つぶしにおもちゃにしていた人物が欲しくなったので、ここに留める為に新たな人格を植えつけて欲しいと」
「そう」

 復唱しながらもなんとも人でなしな内容だと幻羅は思う。けれどもはそれに何も感じないようで、嬉しそうに頷くだけだった。未だに引き攣る顔に無理矢理笑みを浮かべて、幻羅は首を傾げて見せた。

「やれと言われればやりますが、何で僕に?」
「だって精神系統はうちじゃ幻羅が一番だもん」

 きょとんとした顔で至極当然のように言われ、幻羅は頬に血が上ってくるのを感じた。慕っている人に認められるということは嬉しい事である。その期待に応える為ならば、いくらでも無茶は出来るというものだ。故に彼は依頼内容が全く非道なものであるというその事実を空の彼方に投げ捨てて、機嫌よくの依頼に応じた。

「わかりました。やってみます」
「お願いね、幻羅」
「お任せを」

 いい子いい子と頭を撫でる手にはにかんで、幻羅は優美に頭を下げた。





 初めて、以外の人間を見た。
 驚きのあまり言葉をなくし目を見開いた伊作の前に立った少年は、ぽかんする彼の様子など気にする事無く小奇麗な顔立ちににこりと笑みを浮かべて見せた。

「初めまして」
「はじめ、まして」
「僕は幻羅といいます。貴方は?」
「伊作……」
「伊作さん、と呼んでも?」
「あぁ、はい、どうぞ」

 ほぼ反射的に会話を交わしながら、なんて暢気な会話だろうと思う。

「あの、幻羅、君?」
「はい、何でしょう」
「えと、勝手に入ってきて大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ、許可は得ていますから」
「そうなの?」
「はい。というか、それが様の望みですから」
「え……?」

 どういうこと、と。
 伊作が思うと同時に、じっと合わされた少年――幻羅の瞳が一瞬赤く輝いたような気がした。そうして襲ってくる、沈み込んでいくような、浮かび上がっていくような、不思議な感覚。ぱたりと畳の上に身体が倒れ伏す頃には、伊作の意識は本人の知らぬ内に奥深くへと沈んでいた。
 その姿を見て、幻羅は成功に確信を抱き天井を見上げる。

様、もういいですよ」
「ありがと、幻羅」

 するりとしなやかに降り立ったは、幻羅の頭を優しく撫でる。その顔は機嫌の良さそうな笑みが浮んでおり、いい仕事をした、と幻羅も笑みを浮かべる。

「次に彼が起きたら名前を付けてください」
「名前が鍵?」
「はい。貴方の声で、貴方が名づけた人格が表にいるときに伊作さんの名を呼べば伊作さんが、伊作さんが表にいるときに貴方のつけた名を呼べばその人格が出てくるようになっています」
「ふーん、便利だね」

 遊び方が増えた、と無邪気に喜ぶ。嬉しそうに見上げてくる幻羅の頭をもう一度撫で、はどんな名前にしようかな、と小首を傾げた。

「それじゃぁ、僕はもう戻りますね」
「一人で大丈夫?」
「はい、カラクリが作動停止状態の今なら、問題ありません」
「そう」

 ひらひらと手を振るに一度頭を下げ、に天井まで持ち上げてもらって、幻羅は部屋から出た。いつもならばカラクリを止める事はしないのだが、幻羅は幻術以外の能力は下から数えた方が早いくらいなので、その実力に合わせたのだ。もちろん、彼が完全に部屋から出たと判断できた後はもう一度作動させるつもりでいる。まだ伊作を捕らえておく為の部屋は必要なのだ。

「伊作、って言うんだね……それならいっちゃん、かな」

 くすくすと笑いながら、意識の無い伊作の頬を撫でる。すると、ぴくりと彼の目蓋が動いた。目覚めの兆しだ。内心、珍しく浮き立つような感覚を感じながら、彼が覚醒するのを待った。

「ん……」
「起きた?」

 小首を傾げて覗き込むに、目覚めた彼は薄らと頬を染めた。その反応に、確かに幻羅の術が効いているのだとわかる。これが伊作本人ならば、びくりと身体を震わせた後、少し身を引くからだ。

「ぁ、はい」
「おはよう、癒羅」
「ゆ、ら……」
「そう、君の名前」

 ゆら、ゆら。俯いて、何度も自分に付けられた名を口の中で転がす彼。は面白そうにその様子を観察しながら、彼の反応が帰ってくるのを待った。そうして、頬を淡く染めた彼の顔が上げられる。

「おはよう、ございます」

 様。
 穏やかな声で紡がれた名前に、はにこりと笑みを浮かべた。



(てにいれた)(これできみはおれのもの)(……ほんとうに?)


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