性的・暴力的表現注意!





● 「いっそのこと」なんてまだ早い。





 ふと意識が浮かび上がっていくのを感じた。それと同時に、身体に鈍い痛みを感じる。咽喉、関節、身体の奥。この感覚は知っていた。に犯された後の身体の状態だ。けれど伊作の記憶に、彼に触れられた記憶は無かった。
 まただ。また、記憶がとんでいる。
 あの日、幻羅という少年にあってから、伊作の記憶は度々穴を開けるようになった。それも決まって、が側にいて、伊作に向かって何か言葉を投げつけたときに。その言葉をしっかりと耳にしているというのに、記憶にその言葉は残らない。いつも、するりと掌から抜け落ちていく。
 どうして。初めて記憶が欠けた時からずっと抱いていた不安と焦燥が、どうしようもないくらい膨れ上がる。ぐるぐると胸に渦巻くそれが目の奥を熱くし、涙がこぼれそうになった瞬間。頭に、そっと手が乗った。だ。
 目を開く。かすかな光が障子越しにさしてくる中で、が淡い笑みを浮かべて伊作を見下ろしていた。無垢にも濁っているようにも見える瞳は、変わらず光が差す事無く、ぽっかりとした深淵が顔をのぞかせている。

「おはよう」

 小さく首が傾げられ、短い黒髪がさらりと流れた。そしていつもなら返ってくる返事が言葉ではなく、何かをと痛げな視線である事に、三度ほどぱちりと瞬く。

「……貴方は」
「うん?」
「僕に何をしたんですか?」
「何って、こういうこと?」

 かすれた声での問いに、ちゅっと、小さく音を立てて口付ける。それに身体を硬直させたり無意識に逃げようとしたりという反応が返ってこない事に、は首を傾げた。じっと、向けられる強い視線を見返す。

「……ここ数日、所々記憶がとんでいる。貴方は僕に何をしたんですか。あの子に、何をさせたんですか?」

 伊作の言葉に、は面白そうに目を細めた。部分的な記憶の喪失。それを問う伊作に、今まで頑ななまでに見えなかった揺らぎが見えた。ここだ。ここをつつけば、この子供はあっけないほどに崩れていくだろう。口角が、つりあがる。

「植えつけたんだよ」
「何、を……」
「もう一人の君を」
「もう一人の、僕……?」
「そう。君であって、君でない。君と近しくて、君から遠い。同じで全く違う君」
「な、んで……」
「そんなの、欲しかったからに決まってるでしょー」
「え……?」
「それでね、彼に名前をつけたよ。俺を好いて、俺の為に存在する彼に、俺のものである証を」

 細い指先が、驚愕に目を見開く伊作の頬に触れる。
 伊作は身を震わせた。向けられる、その深淵を覗かせる瞳が怖い。伊作自身など要らないと、言外に告げるその言葉と瞳はどんな刃よりも鋭く伊作の心を切り裂いた。何故これほどにもショックを受けているのかも解らないほどに、その事実は伊作に痛みを与える。
 筆舌に尽くしがたい、強いて言うのならば絶望といった表情を浮かべる伊作を、はうっとりとした表情で見下ろす。伊作を捕えてから、初めて見る表情。そう、これだ。この顔が見たかった。欲しいと思ってしただけの行動に思わぬ副産物がついたのは、嬉しい誤算だった。
 色を失って紫色になって唇が、震えながら開く。その奥でちらりと見える舌には一つ瞬き、羽織っていた小袖の袖口を半開きになった口の中へと突っ込んだ。

「ぅぐっ……!」
「舌噛む気だったでしょ。だぁめ」

 その命も俺のモノなんだから。
 そう言って、袖を噛ませたまま唇の端に口付けるに、伊作は大きな瞳からポロリと涙を流した。



(もう少し)(ここまで堕ちてくればいい)(早く早く早く)(俺の可愛いおにんぎょーさん)






































































































































● 何故、自分だけと大笑い。





 記憶がなくなっている時間は、日を追う毎に増えていく。数時間の空白から、丸一日、酷い時は二日以上経っている時もあった。その事実に、ぽろぽろ、ぽろぽろと、伊作の中から何かが崩れ落ちていく気がしていた。



 そっと、頭に手が触れる感触がする。それを感じて、徐々に浮き上がっていく意識に、伊作は泣きたいような気分になりながら、そっと目を開けた。視線の先には、片手で伊作の髪をいじり、長々と巻物を広げて読んでいるの姿。
 伊作の意識が沈み、もう一人の自分とやらが表に出て、今度は何日経過したのだろうか。また目覚める事ができたと安堵しながらも、視線を彷徨わせ考える。身を起こそうと動くと、伊作が目を覚ました事に気付いていたのか、はあっさりと手をどかしてゆるりと焦点の合わない瞳を向けてきた。

「おはよう」

 障子越しの太陽は、既に赤く色を変えている。最後の記憶は完全に日が沈んだ後だった。ならば、少なくとも約一日は経過しているのだ。
 目が覚めると同時に言葉を投げかけるには一度だけ視線を向けて、身を起こす。じゃらりと音を鳴らす足首に目を向けると、初めてそれを嵌められたときとは違い、少しだけ隙間が出来ていた。ろくに身体も動かせない所為で、少しずつ筋肉が落ちているのだ。
 くすりと、笑う声が聞こえた。

「少し細くなったんだ」

 細い指が足枷と足の境目をそろりと這う。足と足枷の間に、細いといっても大人の指が入るような隙間は無いが、小さな子供の指ならば突っ込めそうだった。はその僅かな隙間に、指先を食い込ませる。少しだけ伸びた爪が、皮膚を軽く引っかいた。

「まぁ、問題は無いでしょ」

 伊作が反応を返すことが無くても、は御機嫌な様子できゅうっと目を細め、後ろから手を伸ばしてくる。腰に両腕を絡められて緩く拘束され、肩口に顎を乗せられて、その感覚に伊作の体が自然と震える。

「もうすぐ、それも外してあげる」

 囁くような声は、甘く、楽しげに弾んでいた。けれども。

「それは……」

 僕を解放するためですか。それとも逃げ出すことが無いと、確信できる何かがあるからですか。
 そんな言葉が、胸の中に生まれる。けれども、それは声に乗る前に喉の奥で潰えた。答えは、聞くまでも無くわかっていたからだ。
 途中で消えていった言葉など意に介せず、はくすくすと笑いながら伊作の頬へと口付ける。流れてもいない涙の軌跡を追いかけるように舐め上げ、目元に柔らかく歯を立てた。



(足枷を外して)(代わりに紐付きの首輪を上げる)(そうしたら、紐を杭で打って繋ぎとめておくの)























































































































● ……ころ、ん。





 ああ、もう終わりなのだと、伊作はを見た瞬間に思った。楽しそうな、どこかうっとりとしたような表情。そんな顔で伊作を見下ろして、はその細い指を伊作の頬へと伸ばしてくる。どこか愛しげに触れてくる指先に、一瞬目を閉じ、をじっと見上げる。恐怖は感じなかった。けれど、胸が痛かった。その痛みが何なのかは、知らなかったけれど。
 は一瞬瞠目したかと思うと、きゅうっと目を細めて耳元へと唇を寄せた。

「  」

 もう一人の自分が何と、呼ばれているのか。
 結局解らないままに、伊作の意識は闇の中へと落ちていった。





 今日で手に入るのだ。
 そう思うと、の心は浮き立った。を好きにはならないだろう伊作が眠って、を好きでいてくれる癒羅が目覚める。今日を終えればずっとそのまま。それは何て素敵なことなのだろうか。自然と顔がほころぶ。
 その為に、は今日まで待ったのだ。待って待って、待ったのだ。あの、伊作を眠らせて、癒羅を目覚めさせる作業を淡々と繰り返しながら。それも、今日で終わる。終わらせる。
 するりと、いつものごとく天井から部屋の中へと入る。そうして、を見上げている伊作へと手を伸ばした。白い頬に、指を這わせる。幼さを残す顔を掌の中に収めた時、伊作はゆっくりと瞬いて、を見た。瞬間。

 ぎくりと、した。

 静かな、静かな、何もかもを悟ったような、その表情。
 を見つめるその瞳には、が知らない感情が、光が宿っていた。責めているのではない。怒っているのではない。哀れんでいるのでもない。けれど、何かをへ伝えようとしていた。それが、には怖かった。こわ、かった。
 けれども、そんな感情は一瞬で打ち消す。きゅうっと目を細め、伊作の顔を見ないように耳元に唇を寄せ、何時ものように、もう一人の彼の名を呟いた。

「癒羅」

 触れている場所から、彼の身体から力が抜けていくのが解る。倒れこんでくる小さな身体を腕の中に収めて、もう一人の意識が浮かび上がってくるのを待った。震えそうになる体を、無理矢理押さえ込みながら。
 ぴくりと、腕の中の身体が動く。ゆったりとした動作で身体を起こす彼を、はじっと見つめた。
 上げらた面はぼんやりとしていた。深い眠りから今覚めたかのように何度か瞬きを繰り返して、近いところにあるの顔を見上げる。ほんのりと色づいていく頬に、多少こわばる顔を無視して笑みを浮かべた。

「おはよう、癒羅」
「おはようございます、様。……どうかなさいましたか?」

 優しげな顔を心配そうに歪めて、の頬に手を添える。その、けして大きいとは言えない手の上に、自分の手を重ねた。

「どうもしないよ。でも、癒羅と一緒にいたいなー」
「……はい」

 至極嬉しそうにはにかんで微笑む癒羅の顔を引き寄せ、触れるだけの口付けを落としながら、腹の底でどろりと存在を主張する得体の知れない感情に、そっと蓋をかぶせた。



(貴方が欲しかったのは僕ではないのですか)(僕である僕は要らないのですか)(遊び相手として目をつけられたのは僕なのに)(それなのに、こんな仕打ちはあまりにも酷い)





 ようやく伊作編・前編が終了。まだ前編です。まだ。
 まだまだ続きますよー。伊作編は、というかくっつくまでが三部構成って自分の首を絞めている気がしてなりません。いや、発展させるのにそれだけかかるんですけど。しかし、待て。もしかしてもしかしたら四部構成かも……いやいやいや。どうなの、そこんところ!?←
 ……脳内の構成を確認した所、たぶん三部構成くらいでくっついてくれるはずです。

 そしてそして、遅ればせながらごめん、いさっくん。そしてファンの方。変な、というか酷い役割押し付けて。しかしながら伊作しかいなかった。こんなの伊作相手でしか書けません。だから伊作相手でつっぱしりました。……こんな話書いてますが、ちゃんとゴーカンは犯罪だと思ってますし知ってます、大丈夫です、はい。
 えーこの話の時間軸的には、伊作が五年生の夏か秋くらいを想定しています。というか、希望は秋休み。何でかって、部屋締め切ってたら夏は熱にやられて死んじゃうからです。BLはファンタジーだけど、さすがに夏も汗かきません、暑くありませんだとそれもう人間じゃないからね!
 で、伊作がにとっ捕まっていた期間は約三週間です。最初の十日間くらいは普通に捕まえて好き勝手弄ってて、残りの十日くらいで人格を植えつけて取っ換え引っ換えしつつ弄んでいました。
 でも秋休みってそんなに長くないですよねー、きっと……。多分学園長の思いつきで、夏休みが短くなって秋休みが長くなったんですよ! それか、上級生は忍務遂行の為に、一ヶ月くらい猶予を持たせてるとか。まぁ、そんなご都合主義で行きます、はい。
 次回からはまた悠一郎とか三郎とか、ヤエザキのキャラクターをわさっと出していきたいと思います。