性的・暴力的表現注意!































脅しと嘘が上手くなる





 ぼんやりとした表情、無垢なようにも濁ったようにも見える瞳。夜叉王の訓練を受ける様子も、そのあと悠一郎が全ての面倒を丸投げされるのも、常と変わらないものだった。
 けれど、どこかが違う。あの、全身を血まみれにして、戦場で一人哄笑を上げた時から、の中で小さくなって震えていた子供の姿はなくなっていたのだ。あの血に塗れた戦場で、共に殺されてしまった。そのことに最初に気付いたのは、やはりというべきかと共にある悠一郎だった。


「悠一郎」

 口調も、しっかりとしたものになった。うっすらと、笑みも浮かべるようになった。けれども反比例するように、瞳にわずかに浮んでいた光はなくなり、代わりに闇を詰め込んだように暗い。まるで深遠を覗き込んでいるような気分になる。
 周囲はこの少しの変化を、忍として生きることを受け入れたのだと思っている。だが、違うのだ。ギリギリの所で保たれていた精神の均衡が崩れ、現実の厳しさと優しい心の間で喘ぎ喘ぎ必死に生きていたが死に、忍として文字通り叩き込まれていた部分だけが残ったに過ぎない。の優しく柔らかな心は、生を奪うという行為に堪えられなかったのだ。
 悠一郎はまた全身を赤く染めて帰ってきたの顔をこする。乾いた血が、ぱりぱりと音を立ててはがれた。

「真っ赤だな」
「ふふふ、真っ赤だねー。また髪切らないと駄目?」
「いや、洗えば落ちるだろう」

 血で固まった短い髪を見て、悠一郎は息をつく。は長く美しい髪をしていた。手入れをしていなくても艶々として真っ直ぐで、すこし毛先がぱさついていた髪。けれども、最初の戦場で全身が血に塗れ、髪までがちがちに固まって、切らざるを得なくなってしまったのだ。の髪の手入れをするのも悠一郎の仕事で、手触りの良い髪に触れるのも嫌いではなかったために、髷が結えないほどに切ってしまったのは残念でならなかった。は頭が軽いと言って、短い髪を気に入っているみたいだが。

「ゆーいちろー、頭洗って」
「へいへい」

 ぽすりと胸元に懐いて甘えてくるに、悠一郎は苦笑しながらも頷き、自分から動く気の無いを抱えあげる。首に腕を回してご機嫌な猫のようにごろごろと懐いてくるに、これだから過保護だの甘いだの言われるのだろうと思いながらも、悠一郎はこのかなしくてならない子供を甘やかす事を止められない。この子供が甘えられる人間など、ほぼいないに等しいのだから。

「きょーはねー」

 血で染まった衣装を捨て――洗濯しても落ちないのだから、もったいないが仕方ない――風呂場で髪にこびりついた血を落としていると、気持ち良さそうに目を閉じたが間延びした声を出した。

「暗殺でねー」
、忍務内容は……」
「ゆーいちろーしかいないからいーでしょー」
「そういう問題じゃ」
「そーゆーもんだいー」
「おい」
「くのいちのおねーさんに手伝ってもらってじょそーしてねー」
「こら」
「そしたら暗殺たいしょーに押し倒されてー」
「待て」
「男だってばれてー」
「ちょ、おい、!」
「でも男でもいいっていわれてーひんむかれてー」
「何かされたのか、何もされてないよな!?」
「されるまえにぐさーって」
「そうか、良かった……!」
「くるしいー」

 涙目になりながら力いっぱ抱きしめてくる悠一郎に、は顔を顰める。身じろぐに悠一郎はすまんと謝りまた髪についた血を落としにかかった。

「でもねー、それまではバレなかった」
「……そうか」
「うん」

 ようは、偽る事が上手くなったのだ。少し前のは、上手く出来なかった。こんな所にも、が壊れていっている証が顔を出している。どうしようもなくやるせない。けれども、悠一郎にはどうしようもないのだ。唯一どうにかできるかもしれないのは夜叉王だけだが、それも期待できないだろう。
 そういえば、夜叉王はの崩壊を知っているのだろうか。いや、例え知っていたとしても、彼はを忍として育てる事を止めようとはしないだろう。詠野夜叉王とは、そういう男だ。坂を転がり始めた石は、止まりはしない。さらに加速していくだけ。

「終わったぞ」
「んー、ありがと」

 ようやっと指を通すようになった髪に、悠一郎は頭をぽんと叩き、は顔に落ちてくる水滴を手で拭う。それから子猫のようにふるふると頭を振るに苦笑を浮かべた。

「風呂から出たら飯食おうな。握り飯用意してもらってるから」
「……やだ。食べない」

 ぽんと湯船の中に放り込みながら言うと、は唇を尖らせそっぽを向いた。完全に食欲が無いらしい。忍務の後は極端に食欲の落ちるの気持ちはわからないでもないが、食べなければ夜叉王の容赦の無い訓練についていけるわけもないので悠一郎は眉間に皺を寄せた。

「食べなきゃぶっ倒れるぞ」
「……それでも食べたくない」
「組頭の訓練がもっときつくなってもか」
「うっ……うぅ〜………」

 脅しだ、酷い、と唸りながら上目遣いに睨んでくるを平然とした顔で見下ろして、悠一郎はの返答を待つ。やがてしぶしぶといった様子を隠さず頷いたに、悠一郎は安堵の息を吐きながら優しく頭を撫でた。

「お前の為なんだからな」
「ぶぅ」

 膨れっ面で食べたくない食べたくないと繰り返す。それに食いたくなくても詰め込めと答える口調は厳しくても、悠一郎のを見守る目と頭を撫でる手は優しい。だからは、最終的には大人しく是と頷くのだ。



(やしゃおうはきらい)(ゆういちろうはすき)(だから、ことばはきつくてもゆうこときいてあげる)























































































ガキの希望を摘み取るお仕事





「えい!」

 そんな軽い掛け声と共に放たれた手裏剣は、標的をかすって、はるか先の木の幹へと突き刺さった。はその様子を見て、満足そうに息を吐く。

「お仕事しゅーりょー」

 さ、帰ろ帰ろ。
 潜んでいた場所からさっさと抜け出して帰途に着こうとしただったが、襟首をギュッとつかまれ、くるりと振り返った。焦点の合っていない瞳で見上げた男の顔に、の顔が僅かに嬉しそうに緩む。

「ゆーいちろー」
「“ゆーいちろー”じゃないだろう。まだ帰るな」
「なんでー? 仕事は終ったよー」

 本気でわからないと首を傾げるに、悠一郎は深々と溜息をつきながら、その場に腰を下ろした。引っつかまれたままのも、引きずられるようにしてしゃがみこむ。

「対象がちゃんと死んだのを見届けてからだ」
「八方手裏剣に塗った毒は普通の人間なら解毒する前に死んじゃうやつだから大丈夫だってー」
「それでもだ。あとあの手裏剣は回収して来い」
「はぁい」

 むくれながらも悠一郎の言う事を聞き、猫のような身のこなしでするりと刺さった手裏剣を回収しに行く。上手い事人に見つからないように行動するに安堵の息を吐きながらも、悠一郎は血の滲む怪我に首を傾げている暗殺対象を見やる。
 浅い、本当に浅い怪我だ。植物や紙で切ったような怪我とそう大差ないだろう。あの程度の怪我ならば、放置していても大丈夫なほどの。けれどもそれが命取りだ。が仕込んだ毒は遅効性ではあるが、効き出すまでにそれほど時間をかけるものでもない。もうそろそろ効きはじめるはずだ。

「ただーいまー」
「…おかえり」
「うん。ねー死んだー?」
「いや、まだだ」
「ふーん……」

 少なかったかな。
 そう言って、回収してきたばかりの八方手裏剣を矯めつ眇めつ見る。毒を塗ってあるそれは、てらりと艶が出ており、黒い刃が鈍く光を反射している。平然とした顔で人殺しの道具を眺めるを一瞥し、悠一郎はやるせない気持ちを散らすように一つ瞬いた。

「さっさとしまっておけ。誤って怪我する前にな」
「はーい」

 ごそごそと毒のついた手裏剣をしまいこみ、ふらふらと庭先を歩いている暗殺対象をぼんやりとした瞳で観察する。そしてその視線の先にある人物が倒れると。安堵したように息を吐いた。

「死んだー」
「毒が回って倒れただけだろう」
「そうだけどさー。もう助からないよ」
「……そうだな」
「あ……」

 全身に回る毒に苦しがってもがいている対象。その対象に、家屋から出てきた子供が駆け寄る。年は十歳前後といったところか。が慕っていた人物と死に別れたのと同じくらいの年周りの子供に、悠一郎は小さく息を飲んでの様子を横目で窺った。

「子供、いたんだ」

 表情の落ちた顔で、子供を見つめる。呟いた声は低く、感情を聞き取る事ができなかった。
 しばらく対象にすがりついていた子供は、やがて泣き始める。その姿を見て、は淡く笑みを浮かべた。すっと懐から戦輪を取り出す。

、あの子供は暗殺対象には入っていない」
「でも、ここで死んだ方が幸せでしょ」
「……お前がそうだからか」
「んー、ふふふ」

 ひゅんひゅんと戦輪を回しながら笑い、は悠一郎を見上げた。

「人の幸せなんてね、結局は自分の価値観に基づくものだから他人に量れるものじゃないけどー」
「けど?」
「あの子はここで死んどいた方が幸せ」
「何故」
「だってー、暗殺の依頼人って対象の上司なんだよねー。どんな手段を使っても良いから殺せって言われたでしょー。それって何が何でも殺したいってことだよね」
「ああ……」
「そんな対象の子供の末路って良いもんじゃないに決まってるじゃなーい」

 売られるか、慰み者にされるか、結局は殺されるか、変な所に奉公に出されるか。いずれにしてもろくな人生歩めないよ。
 そう言って、悠一郎が止める間もなく戦輪を放った。の細い指先から離れた戦輪は弧を描いて子供の皮膚を浅くかすり、の指へと戻ってくる。僅かについた血を拭い戦輪を懐に戻す。その戦輪の刃はてらりと光を帯びており、毒が塗られていたことが知れた。

……」
「同じ人間に同じくらいの時間に、同じ毒で死んだら、きっと同じ所に逝けるよねぇ」

 羨ましいなぁ。
 浮かべられた淡い笑みに切なさが差す。悠一郎は眉間に皺を寄せ、の腕を掴んで立ち上がらせた。きょとんと見上げるぼんやりとした瞳に、妙に安堵しながら、唯一言帰るぞと促し、走り出す。はそんな悠一郎に首を傾げながらも、対象は無事に――というのも変な言い方だが――息絶えていたので、後を追うように走り出した。



(さなんさん)(もうあえない)(それはとてもいやなこと)









































































大切なものは自分と金と逃げ道だ





 上の方にいる人間は顔だけ違って中身は一緒。
 今日も今日とて悠一郎によって寝床に押し込まれたは、さっさと部屋を出て行こうとした悠一郎の袖口をきゅっと掴んで、ぽつりと呟いた。寝るまでの話し相手が欲しいのかと、悠一郎は小さく溜息をついて、枕元に座りなおす。

「一緒って、何が一緒なんだ?」
「だから中身」
「その中身の内容だ」

 ないよーと小さく復唱して、は悠一郎の袖口をきゅむきゅむと力を入れては弱めという動作を繰り返し、ことりと枕の上で頭を傾げた。

「暗殺に行くでしょー、そしたら言う台詞はみーんな一緒。いくら貰った、その二倍三倍出すから助けてくれーって。そんで通らないとなると隠し通路から逃げようとすんの」
「ああ、そういうことか」

 それならば悠一郎も覚えはある。そもそも暗殺で姿を見せなければならないことは少ないが、それでも姿を見せれば大方そんなやり取りをするはめになる。

「意味ないのになんでそんなこと言い出すのかなー」
「金で動く人間が多いからだろう。そういう人間は自分も金で動く」
「へー。じゃあ諜報の時に簡単に利用できそうだね」
「まぁな」

 金さえ出せば動くと言う事は、こちらに有利にも不利にもなるので、あまり使い勝手の良い手段とはいえないが。

「ふーん。夜叉王がねー」
「組頭と言え、組頭と。それか父上だろう」
「えー、俺のおとーさんは桜南さんだもん。あれが父親とかヤ」

 言い切った。
 だがしかし、実際養子縁組を済ませてしまっているので、血は繋がっていなくとも彼らは親子なのである。それらしい触れ合いがほとんど無いにしても。しかしながらその気持ちは短い付き合いの中で知りたくも無いほど知ってしまっているので、悠一郎は僅かに顔を引きつらせて視線を逸らしただけだった。

「で、組頭がどうした」
「戦い方とかー暗殺とかーとりあえずその辺の経験積んだからー、何人かと組んでやるのに切り替えてくって。ほら、俺悠一郎とか小頭とかとしか一緒に行ってないでしょー」
「お前が、か……?」
「うん」
「お前が、俺や小頭以外と、組むのか……?」
「夜叉王が言ってたねー」

 も・の・す・ご・く、心配だ!
 袖口を掴んでいた手で悠一郎の手を取り、遊びながらきゃらきゃらと笑い声を上げるに、悠一郎は顔を引きつらせて空いている手で額を押さえた。
 は強い。この二年ほどで一人でも大抵の任務をこなせるまでに成長した。その代わり精神は外見に反して幼い。幼い、と言うかまるで子供返りしているようだ。壊れた心を守るための防御なのかもしれないが、その分理性よりも本能的な部分が勝っているのか、以前と比べると残虐だ。バッタの足が取れやすいからといってもぎに行くような、蟻の行列を見つけたら潰しに行くような、そんな残酷な部分をてらいも無く表に出す。
 けれども充分には理性的だった。ちゃんと頭で考え、用意周到に動き回り、作戦を実行するということもできる。だがそれは悠一郎や小頭といった、にしっかりと認識され、甘える事が許される人間に対してだけだ。それ以外はどうにも有象無象と認識しているらしく、気遣いのきの字すらも見えない。
 そんなが、真実他人と認識している相手と共に忍務。そんなもの不安しか残らないではないか。

「……
「なーにー?」
「頼むから、忍務遂行時は組んでる人間の命を優先してくれ」
「えー、何でー? 忍務の完遂が優先でしょー?」
「忍の育成には時間がかかるんだ。しかもお前より年上の人間はプロ中のプロなんだ。経験豊富な人達なんだよ。頼むから、人命を優先してくれ」
「むー……わかった。できる範囲でがんばる」

 間延びせずに返ってきた返事に、とりあえずは聞き入れてくれたことを知って、悠一郎は小さく息をつきながらの頭をくしゃくしゃと撫でた。くすぐったそうに肩をすくめる仕草に和む。仕草や話し方や容姿は可愛いのに、言動や中身は何故あんなにも物騒なのだ、この子供は。いや、一度心を壊してしまったからなのだろうが。
 話すことに満足したのか黙り込んでやがて聞こえてきた寝息に、悠一郎は眠るの髪を一度撫で、立ち上がった。
 小頭にちょっと相談してこようと思いながら。



(忍を育てるには性急なことが多い)(それが解らないはずは無いというのに)(どうして、組頭はそれほどまでに急ぐのか)


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