性的・暴力的表現注意!



































自分より 仲間より この汚い色した鉄くずを信じろ






 ここは何処だろうか。
 木々の葉の隙間から見える空を見上げながら、はぼんやりと考えた。そして、足元に突き刺さる一本のクナイへと視線を下ろす。のものではない。けれど、夜叉王がの為に置いていったものだ。本当にそれがの為かどうかなどはわからないが、夜叉王がこれ一本を持って城まで戻って来いと言ったことだけは真実だ。
 人を殺すための道具だ。けれど、それ以外にも色々と使いようによっては便利な道具となることを、今は知っている。わざわざ夜叉王が置いていったという事は、これがなければ城に戻るには危険だと言うことだろう。夜叉王が常に懐に持っている、人の血を吸い所々変色しているクナイに手を伸ばした。






「一人で山の中に放置してきたぁ!?」
「クナイは置いてきてやったぞ」

 素っ頓狂な声を上げる小頭に、傍若無人という言葉を人の形にギュッと押しこめたような男――夜叉王はしれっとした表情で返した。
 がいないことに気付いたのは、やはりというべきか、夜叉王から世話係を押し付けられてからずっと継続しての世話を焼いている悠一郎だった。悠一郎がいてもいなくてもは普段、一人で行動することなど無いが、が行きそうな場所を片っ端から探し、それでもいないのでパニックになりかけながらも、小頭にがいないと泣きついたのだ。すると、小頭も朝から夜叉王の姿を見ていないという。これはもしやと確信にも似た思いを抱き、漸く姿を見せた夜叉王に問い詰めてみると、訓練の為に山の中に一人置き去りにしてきたという言葉が返ってきた。
 小頭は頭を抱え、悠一郎はというと完全に顔から血の気が引いている。今にも飛び出していきそうな悠一郎の腕を捕まえ、小頭は友人兼上司を睨みつけた。

「お前が常に手放さなかったあのクナイをに渡したってのも驚きだが、お前、あのぼーっとした子供を、罠が満載で、時には賊も出る、山の中に、放置して来ただと?」
「ああ、そう言った」
「こ、この、人でなしが……!」
……っ!」

 踵を返して駆け出そうとした悠一郎を、小頭は腕に力を入れて捕獲しておく。恨めしそうに見上げてくる悠一郎と、反省の欠片も無い夜叉王を見て、盛大に溜息をつく。

「とりあえず組頭、をどの辺に置いてきたか教えてくれませんかね」

 小頭の言葉に、じっと、悠一郎の視線が夜叉王に突き刺さる。けれども夜叉王は小頭を一瞥しただけで、ふんと鼻を鳴らした。

「お前達は見誤っているのではないか」
「組頭……?」
は強くなった。あの山程度ならばすぐに戻ってこれる程度の実力ならば、既に身につけている。過保護は為にならんぞ」

 ぐっと、悠一郎は息を呑む。過保護だとはわかっていた、そして、がもう充分に強くなっていることも。おそらく、命のやり取りを含まない短期決戦ならば、互角に遣り合える程度には。長引くとの体力が無いために、悠一郎のほうが優勢なのだ。それに、はまだ人を手にかけたことなどなかった。将来の事を考え少しでも慣れさせるために、食用の鳥等から始めようとしたが、それすらもできないほどに優しいあの子供。そのままでいてほしいと思うが、そのままでいられるほど、忍の世界は甘いものではない。その道を確かに辿ってきた悠一郎も小頭も、それはよくわかっていた。
 黙りこんだ二人に、夜叉王はもう一度鼻を鳴らす。

「ここで大人しく待っておけ。生きていれば戻ってくる」

 死んだらそこまでだとでも続きそうな言葉に、悠一郎は両の拳に力を込め小頭は深々と溜息をついた。





 罠がいっぱいだ。
 注意深く観察し、勘で罠のありそうなところを避けながら、はあまりの罠の多さにげんなりするでもなく、逆にその大量の罠を設置した手間と時間を思い感心した。しかもここの罠は注意深く観察するまでもなくたやすく発見できるブービートラップから、恐ろしく手の込んだ連鎖的に作動するものまであり、罠の博覧会かと聞きたくなるほどに多種多様なものが設置されていた。
 そういえば、山には絶対に入るなと悠一郎が言っていた気がする。はあまりにも必死な顔をして言い募っていた男の姿を思い出した。やけにボロボロで、あちこち怪我をしていたような。これにひっかかったのかと、先に進むためにはどうしても発動させなければ足の踏み場も無いトラップ地獄を木の棒を強く叩きつけることで発動させ、安全圏でトラップの連続発動を見守りながら考える。あの男、かなりの世話焼きではあるが少しばかり抜けているのだ。

「これ、かかったらしぬ、かも」

 それを考えると、軽傷と服を駄目にするだけで、五体満足で戻ってきた悠一郎は凄い、のだろうか。その辺りの基準が全くわからない。ことりと首を傾げ、はざかざかと草を掻き分け、トラップが全て発動した地面を通り過ぎた。
 夜叉王がここに連れてきたということは、悠一郎も迎えには来ない。時々構ってくる小頭だって来ないだろう。生きるためには、自分で山を降りなければならない。そこまで考えて、はたと足を止めた。自分は生きたい、のだろうか。生きたい? いや、生きたいわけではない。生きる目的も無い。ここで足を止めるか、罠の中に突っ込んでいけば死ねるだろう。でも、死にたくは無い。

「しぬのは、こわい」

 怖がりは忍者の三病の一つだと聞いた。だから治さなきゃならないらしい。治そうと思って治るものなのだろうか。またことりと首を傾げ、足元にあった細い糸をクナイで切った。一歩下がりしゃがみこむと、細身の丸太がぶんと音を立てて横切る。頭の上を通過していった丸太に小さく息をつくと、ひぐれまでにはかえれるかな、と呟き、じわりと浮んだ涙を拳で拭った。
 からり、と音が聞こえた気がした。






「遅い。次は昼までに降りて来い」

 泥だらけで所々に傷を負ったを一瞥し、夜叉王はそれだけを言うとさっさと背を向けて行ってしまった。はこくりと一つ頷き、地面に崩れ落ちる。体力は既に限界だった。そんなに悠一郎は心配を隠す事無く駆け寄り、壊れ物に触るかのようにそっと触れた。

「大きな怪我は……ないな」

 よかったと息をつく悠一郎を見上げて、襟元へと手を伸ばした。きゅっと、握りこむ。

?」
「わな、いっぱい」
「あ、ああ」

 そう言えば、あの罠地獄の山の中に放り出されていたのだったか。本当に良く無事だったものだ。

「ゆーいちろーは、すごい」
……!」

 何時もの如くぼんやりとした表情ではあったが、初めて名前を呼ばれた事に驚きと喜びを感じ、悠一郎は自分の着物が汚れる事も構わず、襟元を握りこむをぎゅっと抱き寄せた。
 小頭は、「いたい」と言って身じろぐを見て、ぞくりと背筋を震わせた。確かには怪我をしている。けれども、それは六年をかけて忍として育てられた悠一郎が山に放り込まれた時より怪我の程度は軽く、数も少ない。本当にとんだ逸材だ。夜叉王がさらうようにして連れてきた時はどうなる事かと思っていたが、あいつの勘は正しかったらしい。
 それに悠一郎は気付いていないが。けれど遠からず気付くだろうと、小頭は小さく息をついた。



(誰より、何より、信じるものは)(いつかお前は気付くだろう)



























































頭の螺子は自主的に抜いておけ





 ひゅぅっと、自分の呼吸音だけが聞こえる。
 こわいこわいこわい、どうしてこんなに怖いのだろう。がたがたと手が震える。その手には夜叉王から渡されてそのままになっているクナイが握られていた。じっと、鈍く光る刃を見つめる。
 そう、そうだ。殺せ、と言われた。無情に、無慈悲に、非情に、命を刈り取れと。罠だらけの山から出て来いと、に忍になれと言った時と全く同じ表情で、事も無げに、そう命令した。それに嫌だともわかったとも答えないままに、戦場に放り込まれたのだ。
 もう拒否など許されない。いや、意味を成さないのだ。刃を向けられる。やらなければ自分がやられる。はらはらと、涙が目からこぼれた。それも、覆面に吸い込まれて頬の辺りだけが濡れる。
 からり、からりと、音がする。

「うわあぁぁぁあぁぁぁぁ!」

 を見つけ、切りかかってくる男。大きく上段に振り上げられた銀色の刃に、夜叉王に仕込まれたとおりに、体が動いた。男の身体に食い込んだクナイから伝わる、鈍い感覚。肉を貫く、嫌な手ごたえ。逸れる事無く急所を貫き、血が噴出し、男は倒れる。
 初めて人を手にかけた重い手ごたえに固まってしまったは、返り血を避けることも出来ず、まともに浴びてしまった。生暖かい液体がべったりと身体につく。掌と顔を汚した赤い色に、は身を震わせた。

「あ、ぁ……」

 真っ赤になった手とクナイを見下ろすの瞳がぼやける。
 完全に動きを止めてしまったを、周囲の“敵”が放っておくわけもなく、次から次へと切りかかる。
 殺したくない。だがそれ以上に死にたくは無い。

 怖い、怖い、怖い、怖い、こわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 払う、打つ、切る、突く、貫く、叩き折る、叩き潰す。
 奪って、血と油で切れなくなれば捨てて、奪って、切れなくなればまた捨てて。
 骨の髄まで叩き込まれた武術が、人を殺すために刷り込まれた技術が、三百六十度四方を取り囲む敵に対して余す事無く発揮される。

「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」

 雄たけびと共に、手にした槍が二人を纏めて貫く。完全に焦点を失った瞳はそれでも身体に叩き込まれた通り、次の標的を探しており、そんな自分の反射的な動きに、はぼろぼろと涙を零していた。けれども動きは止まらない。

 殺したくない。

 生きたい。

 殺さなきゃ。

 死にたくない。

 死にたくない。

 死ぬのは、こわい!

 やっと体が動かなくなった時は、すでに涙は枯れ果て、頭からつま先まで赤くない場所などないほどに全身が染まっている。周囲は呼吸を止めた、つい数分前までは人であったものが転がっており、まさしく血の海が出来ていた。最後に握っていた刀が、鈍い音を立てて手から滑り落ちる。
 指先から、ぽたぽたと赤い雫が伝い落ちる。
 からり、からり、からり。
 音がする。音がする。音がする。
 心が石化して、壊れていく音。

……」

 全身を真っ赤に染めて、立ち往生してしまったように動かないに、漸く夜叉王から迎えに行く許可の下った悠一郎が血の気を引かせて声をかける。
 周囲には死体の山。血の海。むせ返るような鉄の臭い。その中心には、全身を真っ赤に染めた、少年が一人。酷い戦場だと思う。この状態をたった一人の少年が作り出したことに戦慄すら覚える。けれども、そんな事実すら飛び越して、悠一郎はただのことが心配だった。


「ふ、ふふ」

 の薄い肩が揺れる。じっと地面に向けられていた顔がゆっくりと上を向き、前髪に隠れた瞳が露になった。
 死んだ魚のように濁った、完全に焦点をなくした瞳。

「ふふふふふ、あは、あはははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!」
……!」

 壊れたように笑い続けるに、悠一郎は顔を真っ白にして、駆け寄る。肩に両手をかけると、乾ききっていない血がぐっしょりと掌を濡らした。

「ははっは、は、はっ……ふ、っぅぐっ」

 覆面をかくように剥がし、膝から崩れ落ちる。掌を血で汚れた大地につくと、その場に嘔吐してしまった。二度三度と吐くと、ついに胃液しか出なくなり、むせる。そのまま意識をなくして顔から吐瀉物の中に突っ込みかけたを支え、悠一郎は横抱きに抱えあげた。

、ごめん。ごめんな、……」

 何を謝っているのか、悠一郎にもわからなかった。けれども、謝らずにはいられなかった。
 の心を守っていた最後の堰が壊れてしまったのだと、悠一郎は先の笑い声と血の滴る姿に確信する。
 蒼白い顔で意識を飛ばしているに、涙が滲んだ。



(からり、からり、からり)(音がする、音がする、音がする)(螺子が外れた、箍が外れた)(それは崩壊の合図)


NEXT