性的・暴力的表現注意!






























■ろくでなし狂詩曲



ここで生きるには まとも過ぎる人だった






 詠野夜叉王。ヤエザキ城忍組頭で、忍の世界では「伝説の」と冠されるほどの凄腕の忍。そんな彼が、ヤエザキ城近隣の村を荒らして回る盗賊の討伐を命じられ、さほど時間をかける事無く帰ってきたのは当然のことである。だが、その腕に子供を一人抱えていた事には、彼の部下をはじめ、城主やその奥方おも驚かせるには充分すぎるほどであった。しかもその子供を自分の養子として引き取り、後継者として育てると言うのだ。今まで忍組に所属する人間を見ることはあっても正式に弟子を取らない男であったが故に、周囲の驚きは一入であった。

「おい、新入り」
「はい、何でしょう、組頭」
「こいつの世話をしろ。名はだ」

 そう言って、ぽんと放り投げられた子供を、新入り――食満悠一郎は慌てて受け止めた。そのまま去っていく夜叉王の背中を呆然としたまま見送り、腕の中の子供を見下ろしてぎょっとした。
 身体をぐるぐる巻きにしている薄い着物の下は何かを身につけている感触はなく、着物の隙間から見える肌には、陵辱されたらしき痕が生々しく残っている。見たところ二つ三つしか違わないというのに、この子供は忍術学園で接していた後輩と比べると病的に細く軽い。組頭が赴いていた場所の事を考えると、盗賊たちに囚われ、慰み者にされていたのだろうことは容易に察する事が出来た。

「なんて惨い……」

 気を失っているらしき子供――と言ったか――の身体を何かから守るように抱きしめ、悠一郎は顔を顰めた。盗賊に捕まった子供がこういう目に遭うのはそう珍しいことでは無いのかもしれないが、目の当たりにすると衝撃は大きい。の心が、壊れていなければいいが。

「着物……は俺のでいいか。いるのは風呂と治療と飯だな」

 必要なものをつらつらと思い浮かべ、を抱えなおしながら、悠一郎は忍組の為に用意されている風呂へと足を進めた。 





 あたたかい。
 目が覚めたが一番初めに思ったのは、そんな感想だった。ゆらゆらと、目の前で揺れている水面からは湯気が立ち上っている。風呂だ、とぼんやりとする頭で考え、手ですくう。水面から出した、血で汚れていたはずの手が綺麗な肌色を取り戻していた。そういえば、自分をしのびにすると言った男に、盗賊の塒から連れ出されたのだったか。

「起きた、のか……?」

 恐る恐る、といった声が背後から聞こえた。男の、というにはどこか調子に幼さが残り、少年と言うにはしっかりしている。腰の辺りにはの身体を支えるように腕が回されており、身体は膝の上に乗せられているのか湯の中には四本の足がゆらゆらと揺らいでいた。頭を反らして、自分を抱える男の顔を見上げた。目つきの鋭い、けれども美形と言っても過言ではない男前な面構えの男だ。年は15、6といったところだろうか。こんな顔立ちの男もいるのかと、把握できていない長い時間を狭い空間で過ごしていたは、どこかずれた感想を思い浮かべた。
 ぼんやりと見上げたまま何の反応も無い少年に、悠一郎はおっかなびっくり触れる。正直、目が覚めた時に近くに自分よりも大きな大人の男が傍にいれば暴れだすと思っていた。なんせ、ここに連れてこられるまで、彼は盗賊たちに犯され続けていたのだから。その時、どれだけ手荒く扱われていたかは、撒かれていた着物を脱がせ、身体を洗っていたときに把握できていた。体中に残る鬱血の痕に、強い力で握られていたのか手首や足首には手の痕らしきものも残っていたし、身体に精液がこびりついていた。何より、尻の穴から流れていた精液に、ここに連れてこられる寸前まで犯されていたことが、嫌でも知れた。放っておけば体調を崩すのは知れたことで、悠一郎は何だか泣きたいような気持ちで処理したのだ。
 だが、は目が覚めても、ぼんやりと見上げてくるだけで、怖がるわけでも泣き叫ぶわけでもない。もしかして既に発狂してしまっているのではないか、と悠一郎は恐れた。夜叉王がわざわざ連れてきたのだから問題ないのかもしれないが、この姿を見ては安心は出来なかった。

……?」
「だれ?」

 かすれた声が、誰何した。丁寧に洗った長い黒髪が、湯の中でゆらゆらと揺れている。白い頬が湯の熱で赤く染まり、焦点の定まっていない潤んだ瞳に一瞬ごくりと咽喉を鳴らした悠一郎は、そんな自分を許せず強く頭を振ると一度深呼吸した。

「俺は悠一郎。食満悠一郎だ。組頭……と言ってもわからないか。お前を助けた男から、お前の世話をするようにと言われた」
「……さなんさんを、ころしたやつを、ころしたひと」
「その“さなんさん”ってのはわからんが、賊を殺してお前を助けた人だ。覚えてるか?」
「……おれも、ひとをころすの」

 無垢にも濁っているようにも見える目でじっと見上げられ、悠一郎はぐっと言葉につまり、無言で立ち上がり、湯船から出た。彼の腕に抱かれているも、湯の中から引き上げられ、少しばかりひやりとした空気が肌を撫でて、風呂に入ったのなんて久しぶりだと、遠ざかる湯船を少しばかり恋しく思いながらも思考する。
 ぼんやりとしている間にもの身体は悠一郎が大きな布で拭っており、その手が思いの外優しく、は再び悠一郎を見上げた。自分の身体を大雑把に拭って下だけを履いた彼の上半身には、大小の傷跡がいくつも残っていた。手を伸ばして、ぺたりと触れる。

「な、何だ?」
「けが」
「あ、ああ。もう治ってるから、痛くは無いぞ?」

 戸惑ったような声も、しっかりとの耳には入っておらず、ただこんな傷をつくるような事をこれからしなければならないのかと思った。潰えたはずの恐怖心が震える。目の前が歪み、瞬くとぼろぼろと涙が零れ落ちた。

「あ、!? だ、大丈夫だ、大丈夫だから、な?」

 嗚咽も挙げずただ涙だけを流すに、悠一郎はわたわたと焦り、触れても怖がりも暴れもしないをそっと引き寄せて頭を撫で、背を幼子をあやすように叩いた。

「……お前は、優しいんだな」

 忍になるには向いていないほどに。そう心の中で呟き、悠一郎はの行く道を憂えてそっと息をついた。
 違うのだ、とは思う。優しいのではない。過ぎるほどに臆病なのだ。怖いからといって己の命を絶つ勇気があるはずも無く、はただ脅えて泣くしかない。目の前にいる悠一郎は、これからのの忍という名の恐怖の象徴だ。自分も人を殺すのかと聞いた言葉に否定をしなかった。けれどもを泣きやませようとする悠一郎の手は、脅えて泣く子供を苦笑しながらもあやしてくれた優しい人を思い出させそっと目を閉じた。
 からりと、音が聞こえた気がした。



(桜南さん……)
































































死が近くにある 生きたい奴らの町





 を見る視線は、憐憫と好奇心と嫉妬のどれかに満ちていた。一番多いのは憐憫だ。が盗賊の慰み者にされていたと言う事実を殆どの人間が知っていた。そして次に多いのが嫉妬。何故あんなただの子供でしかない人間が夜叉王の目に止まったのかと問う声。中には盗賊に足を開いていたように色仕掛けでもしたのではないかと嘲る声もあった。好奇心だけに満ちている視線は一番少なかった。この子供がどんな成長をするのか、夜叉王が見出した資質を、探し出そうとするかのように、観察を目的とした視線が突き刺さる。
 そんな視線の中で、はただひたすらに体力をつけ、戦闘訓練を受けさせられ、体が動かなくなると今度は座学を受けさせられていた。その合間に食事を取り、排泄し、風呂に入り、眠る。生活サイクルは見事に忍として生きるための勉強に支配されていた。盗賊に捕えられていた時、セックスに当てられていた時間が忍としての訓練に変わっただけの生活だった。
 だけ、と言うには、体力ががくりと落ちたにはきつすぎる内容だったが。正直、訓練以外の時間は全て悠一郎の世話になっていた。体力の無いは、訓練を終えると指1本動かす事ができなくなっているからだ。
 その悠一郎はと言うと、訓練に手を出すのはに忍としての技を文字通り叩き込んでいる夜叉王に禁じられていたため、いつもはらはらしながら殺そうとしているとしか思えないそれを眺めていた。そして、訓練が終った後時には意識を失い、時には倒れたまま起き上がれなくなっているに息がある事を確かめ、安堵していた。こんなやり方は間違っているのだと思う。けれども、他ならぬ組頭がしている事であり、悠一郎自身は今年は言ったばかりの新人であるために、発言権など無いようなものだった。それに何より、の体力は長期的に見ておいておくにしても、実力だけは見ていて面白いほどに伸びているのだ。例え悠一郎に発言権があったとしても、結果が出ている以上通るわけもなかった。
 が砂が水を吸収するように急速に成長するにしたがって、嫉妬の目は畏怖に、好奇心はやはり夜叉王の目は正しかったのだと言うようなものへと変わって行った。けれども、の心は此処に来たときから置いてきぼりだ。は唯ひたすら、その日その日の生を全うするのに必死だった。技術の向上はただ身につけなければ情け容赦の無い夜叉王に殺されると思った為に、必然的になった末の事にすぎず、体力もその過程でついただけ。その技術が、何に使われるものか、どう使わなければならないものかなど、の中には存在していなかった。いつかは自分も人を殺さなければならないのだろうという考えを持ってはいるものの、それが夜叉王から叩き込まれている技術とは結びついていない。
 その意識のすれ違いや考え方の溝というものに気付いている人間は、今の所皆無だった。けれど、は正式に忍組に受け入れられ始めていた。夜叉王の養子としても、弟子としても。そこには、プロの忍の目から見ても、過ぎるほどに厳しい訓練を堪えているに対する賞賛と敬意、そして畏怖のようなものが存在した。

は凄いな」

 悠一郎に抱きかかえられて眠っているの顔を覗き込み、ヤエザキ忍組の小頭は感嘆の溜息と共にそう呟いた。気配も無くいきなり現れた男に、悠一郎は一瞬ぎょっとし、を抱える腕に力を込めた。その力があまりにも強かった所為か、はむずかるように身をよじり、悠一郎は慌てて腕の力を抜く。はふっと安心したような寝息を漏らして眠り続けるに安堵する悠一郎に、小頭はくっと咽喉を鳴らした。

「んでお前は雛を守る親鳥みたいだな。しかも過保護」
「世話係ですから」

 過保護である自覚があるのか、悠一郎は少しばかり視線をそらして最大の免罪符を口にした。それに気付いている小頭は、くつくつと咽喉を鳴らして笑い続ける。本当は声を上げて大笑いしたかったのだが、それで貴重な休息を取っているを起こしてしまっては、起床後に待っている夜叉王のスパルタ訓練を思うと後悔してもしきれない。

「しかしまぁ、本当に良くついていってるよ、は」
「はい」
「こんな小さいのになぁ……確か十三かそこらだろう?」
「……そう、言っていました」

 いつものぼんやりとした表情で年号を聞かれ答えたときに、暗い表情で「さんねん」とぽつりと呟いた言葉を聞いて、悠一郎は衝撃を受けた。何が三年なのか、そんなことは聞かなくても明白だ。三年もの間、は盗賊たちに弄ばれ続けていたのだ。を捕えていた盗賊たちの悪名の高さはよく知っており、よく生きていられたものだと悠一郎は言葉もなくを抱きしめた。そしてその時に初めて、の年齢を知ったのだ。“さなん”という人物に拾われたのが十歳くらいの時らしく、それから三年経っているので十三歳、ということらしい。そんな子供になんて事をしてくれたのだと、悠一郎はもうこの世の何処にも存在していない盗賊に対し、憎悪にも似た怒りを抱いた。抱かずにはいられなかった。その感情のやり場は何処にも無いと知っていても。
 胡坐をかいた足の上に、一枚の厚手の手触りのいい布――驚いた事に夜叉王が用意したものらしい――に包まり丸まって眠るの顔はあどけなく、年よりも随分と幼い印象を受ける。この寝顔を見るたびに、この子供は自分が手を離したらそれだけで死んでしまうのではないかという気持ちに駆られた。

「組頭はその辺わかっててやってるのかねぇ」

 小頭はそっと、の頭を撫でる。その仕草が思いの外優しく、心からを気遣っている事が知れた。だからふと、悠一郎は聞いてみたくなった。

「小頭」
「うん?」
「小頭は、の笑った顔を見たことがありますか?」
「いや……笑わないのか?」
「はい。少なくとも、俺といるときには見たことがありません」
「四六時中に張り付いてるお前が見てないなら、他の誰も見たことなんぞ無いだろう。……だが、そうか。笑わないのか」

 険しい顔をして、真剣に眠るを見る。悠一郎も眉間に皺を寄せ、口を引き結んだ。
 は笑わない。それどころか、表情を変えることも稀だ。訓練中に怪我をすれば痛いと言うし、顔を歪めるもある。だが、それだけだ。泣いた所を見たのも、此処に連れてこられ、風呂に入れた後のあの一度っきり。目は生気など無いに等しく、無垢なような濁ったような色をしたままだ。それでも生きるために必死に忍の技を身につけている様は、矛盾しているとしか思えなかった。けれど誰だって死にたくは無いものだ。が生きようとしていることは、素直に嬉しいと思える。

「忍として顔に表情が出ないのは良い事だが、子供が笑えないってのはな……。まぁ、こいつの過去が過去だ。しばらく様子を見よう」
「はい……」

 今は安らかな顔で眠る子供の顔。綺麗な顔立ちをしているから、きっと笑えば年相応に可愛らしいだろう。そんな日が来る事を願って、悠一郎はそっとの背を撫でた。



(笑ってほしい)(生きてほしい)(そう願うことは勝手だろうか)























































明日には敵だ 今日も敵なのかもしれない





 自分にのしかかる男を、は常と同じ無垢にも濁ったようにも見える瞳で見上げた。腰の上に乗られ、肩を畳に押さえつけられ、見下ろされている。けれども男には今までを犯していたような男達のような色は見えず、興奮しているわけでもない事が知れた。
 口に布が当てられているのは声を出させないためか。を押さえつけているのとは反対の手には鈍く光るクナイ。犯しに来たのではなく、殺しに来たのだと言うことは容易に知れた。それでも抵抗するわけでもなく、ただ焦点の定まっていない瞳で見上げるに、暗殺に来たはずの男は戸惑いを隠せないようだった。その証拠に、手に持っているクナイを振り下ろそうという気配は無い。
 ここで死ぬのだろうか。桜南が殺されたときのように、血の海に浸って。そうしたら、悠一郎はどう思うだろう。抵抗する術は持っていたのにと嘆くだろうか、それとも怒るだろうか。養父は一瞥した後に去っていくに違いない。どっちにしろ、死んでしまっては確かめる術も無いのだが。からり、と音がする。

!」

 まるでにらみ合うようにして視線を合わせたまま動かない二人の間に、悠一郎の声と共に手裏剣が割り込んだ。を襲っていた男はその手裏剣に引き剥がされるようにしての上からどき、悠一郎の横をすり抜けて部屋から脱出する。何人かの忍がその後を追い、悠一郎は仰向けに倒れたままのへと駆け寄った。

、無事か? どこか怪我は……!?」


 そっと身体を抱き起こして顔を覗き込み、顔色を変えて安否を問う悠一郎に、はゆっくりと頭を横に振った。そしての言う通り何処からも出血がなく、骨や筋にも異状が無い事を確かめると、やっと安堵の息をついた。常と同じように身体を預けるを優しく抱きしめる。

「さっきの」

 小さな声が、呟いた。悠一郎は身体を離し、再び顔を覗き込む。

「さっきのが、どうした?」
「かお、しってる」
「……何だって?」
「教えろ、どいつだ」

 氷のような声が割って入った。悠一郎ははっと息を呑み、振り返る。細く引っかいたような月を背に、夜叉王が声と同じような冷え切った表情で佇んでいた。は表情を変える事無く、夜叉王を見上げる。

「どいつだ、
「じょちゅう。すこしまえに、きたばかりの」
「女装して潜り込んできたのか。私としたことが、敵の潜入を許すとは……」

 舌を打ち、早々に踵を返してを襲った忍を追っていった。
 夜叉王の威圧感に全身を緊張させていた悠一郎は、夜叉王の姿が見えなくなると同時にそろそろと息を吐いた。の傍にあることで夜叉王にはそこそこ慣れてきてはいたが、やはり正面から向き合うと圧倒されてしまう。流石は伝説の忍といったところか。
 そのことを思うと、腕の中でぼうっと夜叉王がいた場所を見つめているはやはりとんでもない器の持ち主なのだろう。忍務中の張り詰めた夜叉王に連れてこられ、訓練中も真正面から向き合っているのだ。悠一郎に、それはできない。やはりは夜叉王の後継たる人間なのだ。



 呼びかけると、ゆったりとした動きで悠一郎を見上げる。二度三度と瞬いたに、もう遅い明日に差し支えるから寝ろと言おうとした時、が口を開いた。

「あのひと」
「あの人……? さっきの、お前を襲った奴か?」
「そう。しぬの?」
「っ……ああ」

 一瞬言葉に詰まったが、隠し通せることでも、目を逸らさせて良い事でもないので、悠一郎は頷いた。あまり過保護にしすぎては、忍としての育成の邪魔になってしまう。けれど、泣くかと思った。悠一郎の怪我を目にだけで泣き出した子供だ。また、ぼろぼろと泣き出すのではないかと内心緊張した。けれども、は泣かず、また外を見た。

「やしょく、もってきてくれた」
「そう、だな」

 内心、あの女中だったのかと冷や汗をかきながら、こくりと頷く。の目には薄らと涙の膜が張っているように潤んでいた。暗く沈んで見えるの表情に、悠一郎はそっと頭を胸に引き寄せ、手で目元を蔽った。

「これが忍の世界だ。騙して、騙されて、裏切って、裏切られて。全ては忍務の為に」
「……」
「もう寝ろ。また明日も、組頭の訓練がある。身体が持たないぞ」

 一度瞬いたのか、掌を睫毛の先がくすぐる。そして少しだけ、掌が濡れた。それでも素直に頷き、促されるままに褥の上に身を横たえる。十分と経たないうちに穏やかな寝息が聞こえてきて、悠一郎は小さく息をつき、の目を蔽っていた手を外した。涙の跡が、目元に少しだけ残っている。親指で優しくそれを拭い、前髪をそっとすいた。



(今は眠れ)(何もかも忘れて)(俺だけは、何があっても)(お前の敵にはならないから)


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