闇の守人〜天湖の森〜





 天湖の森は里から少し外れた場所にある。
 そこは禁忌の森とされ、人の気配がまるで無い。
 そこに四代目は密かに邸を構え、一人になりたい時などに利用していたらしい。
 いつも強引にその場所へと連れて行かれていたシカマルは、そこが夏はとても過ごしやすく、冬は冷たい美しさに包まれ、春と秋は多種多様な草花や樹木で豪華絢爛に彩られることを知っていた。




 天湖の森には、幾つもの湖が存在する。
 その中でもっとも大きな湖の真ん中に浮かぶようにして、邸は建っていた。
 色々な仕掛けが施してある、所謂カラクリ邸なのだが、どうやって建てられたのかは、今は無き四代目意外誰も知らない。
 そこへ色々な物を運び込み、術等で輸送してすっかりと移り住む準備が整ったところで、シカマルはナルトを迎えに行った。
 四代目が亡くなってからずっと使っていなかったために掃除をしなければならないと思っていたのだが、特殊な術が施されていたのか、最後に訪れた時そのままの姿で、チリ一つ積もっていなかった。
 そういえば、いつも唐突にこの邸を訪れていたが、常に綺麗な状態だったな、と当時の記憶をひっばりだす。
 四代目の相手をするのに精一杯で、今まで気づかなかった。

「それでは三代目」
「うむ」

 多少拗ねながらも頷く三代目。
 頭では分かっていても心を納得させるのは難しいらしい。
 そんなことを頭の隅で考えて、ナルトの軽い身体を抱き上げる。
 その際にナルトの身体が多少強張ったのだが、気づかないふりをした。
 これから徐々に慣れていってもらうしかない。

「しっかりつかまっていろ。走る」

 うんと頷いたのを確認して、窓に足を掛ける。
 トンッと床と窓枠を蹴る際、「そこは出入り口ではないわー!!」という三代目の叫びが聞こえた気がした。
 しかし止まることはせず、逆にスピードを上げた。
 理由はただ一つ。怒られるのがめんどくさいからに他ならない。
 窓から抜け出して、屋根の上を走り、木々の合間をすり抜ける。
 瓦の音が鳴らなければ、木の葉も一ミリだって揺れない。
 だというのに、誰の目にも捉えることのできぬスピードで、シカマルは駆けていた。
 ひとつふたつ森を突き抜けて、幾つ目かの森の中に入ったとき、急に周囲の雰囲気が変化する。
 ナルトはピクリと反応し、シカマルの服をきつく握って顔を上げた。
 シカマルはそんなナルトをちらりと見やり、走るスピードを緩める。

「ここが天湖の森だ」
「空気が、違う」
「…どんな風に」

 淡々とした声が、どこか面白がっているように聞こえた。

「キレイで、気持ちいい」
「だろうな。ここは聖気に満ちている」

 強く木の枝を蹴り、地に降りる。
 そよと冷気を帯びた風が頬を撫で、ナルトは身体をひねって背後を振り返った。
 零れ落ちてしまいそうなほど、大きく目を見開く。
 そこにあったのは、大きな湖。
 水は何処までも透明で、深く、冷たく、澄んでおり、湖面はまるで丹念に磨かれた鏡のように、真っ白な雲が浮かんだ蒼穹、湖面に向かい垂れている枝垂桜などを映している。
 その湖の中心には、これまた大きな邸が荘厳な雰囲気を漂わせて存在していた。
 空気はいっそう、弓に張られた糸のようにぴんと張り詰めて清く澄んでいる。
 畏怖をも感じさせる美しさに、ナルトは息をするのも忘れてただ見入った。
 そんなナルトを見て、シカマルは僅かに――他人には分からないほど本当に僅かに、小さな微笑を浮かべる。
 予想以上に、ナルトの性格はひねていない。
 それが三代目のおかげか、はたまたナルトの腹に封印されている元神のおかげかはあずかり知らぬところだが、美しい者を美しいと感じ、それが心に響くのなら、それはヒトの心がちゃんと生きているという証拠だ。
 ナルトの周囲を取り巻いている大人や環境から、もう少し荒れていると考えていたのだが、これは嬉しい誤算だ。
 すっと、音も無く湖の上に足を進める。
 シカマルが足を置いたところから波紋が広がり、足元の水が仄かに淡く輝いた。
 シカマルが動いたことから我を取り戻したナルトは、それを見てパチパチと瞬く。
 不思議そうな色を瞳に浮かべて湖を凝視するナルトを視界の端にとめて、シカマルは邸の入り口となっている場所にナルトを下ろした。
 自身もサンダルを脱いで、設置されている棚に入れる。
 この邸には玄関というものが無いのだ。
 何か意味があるのかと四代目に聞いたところ、ヘラリとした笑みに共に「忘れてた」と言われた時は本当に心底呆れた。
 四代目らしいとも思ったが。

「こっちだ」

 ナルトの小さな背を押して、縁側を歩く。
 南西の方角には花見や月見に適した釣殿のような場所がある。
 実際釣殿のように池に突き出しているのではなく、縁側と部屋が一体となったような感じで、『縁側』と言ったらそこを指した。
 ついでに言えば、そこから見える景色が四季を通して最も美しい。
 その縁側に、ナルトと向かい合い腰を下ろす。

「今日からここに住むことになる。森には結界が張ってあるし、至ることろに罠が仕掛けてある。此処を知る者は俺達と三代目くらいのものだけどな。里の中で此処がもっとも安全だ」

 そう、皮肉なことにも、最も危険とされ禁域となっているこの場所が。
 まぁ、それも四代目が己の平穏を守るために流したデマに過ぎないのだけれど。

「訊きたい事があれば言え」

 淡々と言葉をつむぐシカマルを、空と海が混じったような深い蒼が見詰める。
 小さく、口を開いた。

「この森のこと教えて」

 それに一つ頷き、巻物を一つ何処からか取り出した。
 広げてみれば、それの中身は真っ白だった。
 訝しそうなナルトの表情をちらりと見、巻物にチャクラを流し込む。すると、空白の紙面に何らかの模様と文字が浮かび上がってきた。
 完全に浮き上がってみれば、それはこの森に地図。
 森の図面の中には、大小さまざまな幾つもの湖が点在し、最も大きな湖は森の中心に存在した。
 その中心を、シカマルの指がトンッと叩く。

「今俺たちがいるのが此処だ。この邸を中心に何十にも結界と幻術がかけられている。俺とナルトと三代目、それ以外は入ってきてもほぼ強制的に排除される」

 わかるか?とでも問うかのように、ナルトの目を見る。それにナルトは一つ頷いた。

「この森は“天湖の森”と呼ばれている。昔から狐の神が祀ってあって“天弧”とも置き換えられる」

 巻物に“天湖”という達筆な字が浮かび、次いでその横に“天狐”という字が浮かび上がった。
 ナルトはそっと己の腹を押さえる。

「そう。お前の中に封じられている九尾がそうだ。昔は社もあったけど、三年前に壊されてる。……何故九尾が暴れたのか、知っているか?」
「聞いた」

 腹を押さえたままの体勢で呟く。
 誰に、とは言わず、シカマルも何も訊かず、ただ「そうか」と頷いた。

「…森の中には、多くの動物達が住んでいる。中には神の眷属もいるからな。九尾がいれば大丈夫だとは思うが、接する時は気をつけろよ」
「うん」
「そんなところだ。この森に関しちゃ。あとは自分で見て感じろ」
「うん」

 巻物をくるくると片付けて、また何処かへと収納する。
 ついと、視線を森へと向けて、すっと目を細めた。
 湖面はキラキラと輝き、ハラハラと舞う花びらは水面に触れるたび小さな波紋を描き、緑も揺る木々は風に揺れ、優しい音楽を奏でる。
 柔らかに輝き、生命力に満ち溢れる春。
 これが、この天湖の森の春の美しさ。
 それを最初に気づかせてくれた人はもういないけれど、この美しさは変わらない。
 薄らと口元に笑みが浮かび、瞳が緩む。
 ふわりと、シカマルを取り巻く雰囲気が柔らかくなった。



 心地が好いと、ナルトは思う。
 天湖の森に満ちる空気は痛いほど澄み、透明で、何処までも優しい。
 火影の邸と同じように厳重に結界が張られ、幻術がかけられ、罠が仕掛けられているという。
 しかし、圧迫感は欠片も無い。
 初めて自然に、呼吸ができた気がした。
 目の前の漆黒を見上げる。
 湖の広がる森を見ている瞳は、とても優しい光を宿していた。
 口元も僅かに緩んでいる。
 滲むような、笑み。
 何故かそれを懐かしいと思う。
 そして唐突に気づく。
 ここにはかつて、四代目がいたことに。
 この漆黒が四代目を酷く尊敬していたことは、態度や言葉の端々から知ることができた。
 今目の前にいる漆黒が滲むように笑っているのは、彼の人を思い出しているから。
 悔しいと、思った。
 何故悔しいのかは全く分からなかったけれど、酷く悔しかった。
――ソンナ、オレノ手ノ届カナイ遠イ所ナンカ、見ナイデ……。
 ナルトはぎゅっと、シカマルの服の裾を握った。



 緩く下方に引かれる感覚に、シカマルはその方向へと視線を移した。
 どこか縋るような瞳で、服の裾を握るナルト。
 その表情はまるで、見捨てられた子犬のようだと思った。
 そして知る。
 春だけでなく、四季を通してのこの世界の美しさを教えてくれた人は既にいないけれども、彼の人が残した、この金色の子がこれからは共にあるのだと言うことを。
 大きくなって、自分から離れていくその時まで、共にいることを。
 先ほど春を見詰めていた時のように、目を細めて、深くなった漆黒で金色の子を見詰めた。
 ナルトは、自分にも向けられた優しい瞳に目を瞬き、魅入った。
 吸い込まれるような深い漆黒は、優しいだけではなく、凪いだ海のような穏やかさをも湛えている。
 その瞳が意味するものが、なんなのかは分からなかったけれど。
 自分に向けられたその優しさが、くすぐったくて。
 とても、嬉しかった。
 すっとシカマルの手が伸びて、ナルトの金色の髪を梳く。
 感じたのは、やはり優しさと、どこか冷たくも柔らかなチャクラ。
 手の平もチャクラも、初めてこの人に頭を撫でられた時と同じく、とても心地好かった。
 ナルトはまた、そっと微笑む。
 ただただ穏やかな空気が、そこにはあった。

「これからよろしくな、ナルト」
「うん」

 風がふわりと、花びらを掬い天に昇った。


To be continued.



 三話目しゅーりょー。
 天湖の森と邸を説明するためだけに作った話しだったり。(+引越し話)
 新しい発見=シカはどうやら四代目に振り回されていたようだ。



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