闇の守人〜火影の願い〜





 小難しい顔をして、火影はキセルをふかしていた。
 じっと目前にある水晶を見詰め、眉根を寄せている。
 深く煙を吸い込み、溜め息と共に吐き出した。

「三代目」

 声から一瞬遅れて、一つの影が気配も無く窓から降り立つ。
 月の光を背にして佇むのは、狼の面をつけた一人の暗部。長い黒髪を項より少し上で結んでいる、二十歳前後の青年だった。
 青年は火影の前まで行き、膝を折る。

「三代目、これが報告書です。内通者を見つけ出したので始末いたしましたが、よろしかったでしょうか」
「うむ、ご苦労じゃった」
「ありがたきお言葉」

 抑揚の無い、淡々とした声。
 いつもの如く感情の読み取れぬ口調に、差して機嫌が悪くないことを悟り、火影は心の中でほっと安堵の息を吐いた。
 背筋を伸ばして息を整え、結界を張る。
 一瞬のうちに変わった空気に、暗部の青年は面越しに火影を見詰めた。

「これで邪魔も入らん。面を取って変化を解いてはくれんか」
「……御意」

 暫くの沈黙の後返った言葉と共に、印を切らずに姿を変える。
 術を使う時に生じる煙も無く、ただゆらりと青年の姿が揺れた。
 面を取ると、声音と同じく完璧な無表情を湛えた13、4歳の少年がそこにいた。
 人形のようなそれ。
 ゆっくりと一度だけなされた瞬きが、彼が生きていることを教える。

「お主に頼みがある」
「それは『榊』の俺にですか、それとも『黒曜』に?」
「お主に、じゃ」

 また一つ、瞬く。
 それは理解したようであり、また、困惑しているようでもあった。
 しかし、顔にも瞳にも気配にも感情は現れておらず、火影には彼の感情を知る術は無い。
 視線で話の続きを促す少年に、火影は重々しく口を開いた。

「三年前のことを……覚えておるか」
「勿論。……ナルトですか」
「左様。その、ナルトの事なのじゃがな……」

 どこか言いにくいようで、言葉に詰まる。

「どれほどの力を、つけたのですか?」

 態度の何処からか、火影の言いたかったことを理解したらしく問いが返ってくる。
 相変わらずの頭の回転の速さに、火影は毎度の事ながら舌を巻いた。

「上忍並、じゃな。じゃが……」
「経験不足のため上忍や暗部には敵わない」

 少年が引き継いだ言葉に、火影は然りと頷く。

「生き延びる術を教えれば良いのですか?」
「いや……」

 呟いて、火影はキセルを吸い、吐いた。
 沈黙の狭間を縫うように、紫煙が漂う。
 その煙の消え行く様を見ていた火影は、ひたと少年の目を見据えた。

「あの子を――ナルトを守り、育ててもらいたい」

 火影のその発言に、少年は初めて表情を動かした。
 言葉の意味が理解できないと言うかのように、眉根を寄せ訝しそうに火影を見る。

「……適任者は他にいると思いますが」
「お主、ナルトの事はどう思っとる」

 前触れも無く話を変えられ、少年はさらに眉根を寄せる。
 何の関係があると視線で訴えたが、火影は少年の答えを待つように口を閉ざしていた。
 少年は小さく息を吐く。

「木の葉の守り神であり、愚かな里人の所為で子供を失ってしまった哀れな九尾を封じられた子供。四代目やその奥方に望まれて生まれてきた子供。生まれてすぐ、父と母を失ってしまった哀れな子供」

 そう、生まれた時から命を狙われ続けている、哀れな子供。
 謡うように、言葉をつむぐ。
 そんな少年に、火影は目元を緩めた。

「恨んでは折らんのか? お主の育ての親であり師である四代目を亡くしたというのに」
「恨む? 何故? 里を襲ったのは九尾で、原因を作ったのは愚かな里人。四代目が死んだのはあの方が思いを貫いたからで、九尾を封印している器であるだけのナルトを恨む理由などありません」

 やはり、と火影は安堵の息を漏らし、微笑んだ。
 黙っていることが多いけれど、決して嘘をつくことの無い少年。
 こんなにも話している所をみるのは初めてで多少は驚いたけれど、それが全て嘘偽り、裏の無い真実であることが、真実であると信じられることが、とても嬉しい。
 何故、四代目と奥方が望んで側に置き、弟のように息子のように、家族同然に慈しみ愛したのか、改めてよくわかる。

「じゃから、お主にナルトを育ててほしい」
「……」
「今までに送り込んだ世話係は、ことごとくナルトを殺そうとして返り討ちにあいよった。その所為でナルトは少々……いや、かなり人間不信になってしもーての」
「ならば、ナルトを恨んでいない信頼できるものに任せれば良いでしょう?」
「じゃから今打診しとるのではないか」

 その言葉は暗に信頼していると言っているようなもので。
 少年は珍しくも言葉に詰まり、目を伏せ視線を下に落としてしまった。

「引き受けてはくれんか?」
「……それは、命令ですか?」
「老い先短い老いぼれのお願いじゃ」

 命令の方がおぬしには楽かもしれんがのう。
 心の中でそう呟いて、眉間に皺を寄せたまま黙っている少年を見詰め、目を細めた。
 命令だと言えば、少年は即座に諾と言うだろう。
 そしてその任務を完璧にこなすに違いない。
 けれど、それでは駄目なのだ。だってそこには、『心』がない。
 それでは、駄目なのだ。
 この少年にとっても、ナルトにとっても。

「頼まれては、くれんか?」
「……できません」
「何故じゃ」
「俺はまだ子供です」
「里一番の稼ぎ頭じゃがの」
「暗部に所属している以上、守りきれるという保証も無い」
「里でも外でも最強の名をほしいままにしておるくせに何を言う」
「…子供を抱けるほど綺麗な手をしていない」
「それならばわしにも当てはまるの。忍ならば皆同じじゃ」
「……どうしても俺を世話係にしたいんですか」
「『世話係』ではなく『保護者』じゃ」

 しらっと言いきった火影に、少年は深々と溜め息を吐いた。
 ナルトとは十しか離れていない自分が保護者。
 数年もすれば成人だってするが、それとこれとはまた話が別だ。
 というか何故自分なのだろう。はたけ上忍とかがいるではないか。



 ふぅっと火影が息を吐く。
 先ほどもそうだったが、淡々と言葉を重ねていた少年は再び元の人形のような無表情に戻ってしまっている。
 初めてこの少年に会った時――僅か2、3歳の時――から、こんなところは全く変わっていない。
 けれど、四代目と共にいた時は、少しばかり……本当に少しではあるけれど、空気が和らいでいたのだ。
 歳相応に笑うことすらあった。
 この少年は己の孫のようなものだ。
 できれば笑っていて欲しい。
 ナルトといれば再び笑うことがあるかもしれないというのも、ナルトの保護者を推す理由の一つだ。
 もう一つの理由が、主ではあるのだが。

「お主に頼むことは、四代目の遺志でもある」

 火影の言葉にぴくりと肩を震わせ、はっと息を呑んで、少年は目を見開いた。
 火影はさらに続ける。

「最後に会った時、里が落ち着いてきたら、ナルトの事をシカマルに頼みたい、と言っておった」




 あれは死を覚悟して戦場に向かう前。
 生まれたばかりの赤子を――ナルトを腕に抱え、愛しさの溢れる目で己の子を見詰めながらのことだった。

『三代目。里が落ち着いたらナルトをシー君――シカマルに頼みたいんだ。俺はナルトに英雄になってもらいたいし、里の人達がそう思ってくれることを信じてる。でもね、三代目。僕は心の奥で、それを否定しているんだ。人間はそう簡単に憎悪という感情を忘れることなんてできないし、憎しみを糧に生きている人間がいることも知っている。そう、簡単なものじゃない。だから、きっとこの子は九尾を封じられたことで同一視されて、多くのものに命を狙われるだろう。でもシカマルならきっと、僕の遺志を理解してナルトをナルトとして受け入れてくれるだろうから。僕や奥さんの分まで、守って愛してくれるだろうから』

 そう言って、笑ったのだ。
 死を前にしているなど微塵も感じさせぬほど、穏やかに。
 四代目火影と言葉を交わしたのはそれっきり。
 遺言ともいえるそれを、どうして叶えずにいられるだろう。




「四代目……」

 ぽつりと呟いて、少年――シカマルは下を向く。
 火影はただそれを見守り、沈黙を保つ。
 やがて、数分がたったとき、シカマルがぼそりと口を開いた。

「俺は、三代目……俺は、信用されていたんでしょうか」
「……それは、少し違うのう」

 シカマルを優しい視線でみ、目元を和ます。

「信用ではなく、愛し、信頼しておるのじゃよ」

 自分の死後、大事な息子を安心して預けられるほどに。
 そう、言葉には表さなかったけれど。

 とても優しい声音。
 今更ながらに知った事実に、シカマルはその黒曜石のような瞳を僅かに揺らし、そっと瞳を閉じた。
 四代目は、とても優しい人だ。そして、とても強い。
 あのときは今よりも人間嫌いが酷く、それを言葉にされていたとしても信じることはできず、もし信じることができたとしても、その重みに押しつぶされていただろう。
 それがわかっていたから、きっと、四代目は何も言わず黙って見守っていてくれたのだ。
 これほど強く優しい人間を、他に知らない。

 そっと、瞳を開いた。
 再び元の何の感情も浮かばぬ瞳に戻っていたが、それでも前以上に澄んだ瞳で、火影を正面から真っ直ぐに見た。

「俺に、その資格があるというのなら……」
「お主にしか頼めんよ。詳細はまた後日。今日は帰ってゆっくり身体を休めてくれ」
「御意」

 すっと膝を折ると頭を垂れ、次の瞬間、その姿は部屋から消えていた。




 闇の中に解けるように、音も無く駆ける。
 里を一望できる、里から少し外れた高台で足を止めた。
 歴代の火影の顔が彫られた岩を見上げ、シカマルは一人佇み狼の面を外す。
 その面を暫く見詰め、火影たちの顔を見上げた。
 透明な視線の先にあるのは、初めて『敬愛』の念を持った人物の顔。
 一つ、ゆっくりと瞬く。

「……ナルトは、必ず守ります。四代目」

 貴方の信頼に、応えるためにも。
 貴方と奥方が俺に注いでくれた『愛情』と『慈しみ』の心、全てを。
 貴方と奥方が与えるはずだったそれを、ナルトの為に。
 この、命に代えても。
 全ての心を、小さく呟いた言葉に込めて。
 すっと深く、頭を下げた。


To be continued.



 パラレルです。
 ナルトとシカマルの歳の差は十歳です。
 ……自分で書いといてなんだが、いいのだろうか。



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