26.朗報×喜劇



 が正式に射手座の地位について数ヶ月、フーガとアルバフィカも無事に聖衣を受け継ぎ――そもそもの聖衣継承時に起こった騒動は例外である――時折任務が入る以外は、の予想に反して穏やかな日々が続いていた。
 アルバフィカは双魚宮、フーガは双児宮も聖衣と共に受け継ぎ、それぞれに従者もついて、生活の場も移っている。しかし今まで人口密度の高い双魚宮で過ごしていたために、自分と従者だけという環境になれないのか、ほぼ毎日のように宮を行き来して、双魚宮にいた頃のように三人団子になって寝る事も多々あった。その場合、大体において場所が人馬宮だったりするのは、そこが二つの宮の間に存在するのと、放っておけば人馬宮の主が自分達に構ってくれないからである。
 役目を終えた彼らの師たるアフロディーテはというと、手の空いた唯一の元黄金と言う事で、教皇の命により――一部の噂では自分から教皇に願い出て――後進の指導の為、聖域に留まっている。彼の弟子達は巨蟹宮に留まる師の姿に、単に弟子と恋人から離れたくないだけなのではなかろうかと見ているが、真実はアフロディーテの胸の中だ。
 そんなこんなで、その日も彼らは人馬宮で午後のお茶の時間をゆったりと過ごしていた。賑やかな闖入者が満面の笑みで一つの知らせを持ってくるまでは。

「お嬢さん、お嬢さん! 朗報よ!!」

 必死になって引きとめようとするクラレットの声を引き連れて、明るい声が穏やかな空間に割り込んでくる。引き止めた甲斐も無くあっさりと主の下へとエリアーデを通してしまったクラレットは、途方にくれたように泣きそうな顔での顔を見つめた。正反対な彼女達の様子に、は苦笑を浮かべる。

「いい、クラレット。エリアーデの分のお茶を」
「かしこまりました。宝瓶宮様、ごゆるりとお過ごしくださいませ」

 薄らと頬を染め、平静をなくした己を恥じながら頭を下げるクラレットに、ありがとう、ごめんなさいねといつもの軽さで謝りながら、エリアーデはの正面にある椅子に腰掛けた。きびきびと働く従者をちらと見、にんまりと笑う。

「随分様になってるじゃない」
「数ヶ月経ちますからね」

 すいと肩をすくめる。あっさりと流されてしまったエリアーデはつまらなそうに唇を尖らせるも、すぐに気分を切り替えて笑みを浮かべた。いつになく機嫌の良さそうな水瓶座に、三人は顔を見合わせる。彼女の持ってきた朗報というものはよほど良いものらしい。

「エリアーデ」
「なぁに?」

 クラレットからカップを受け取り、ことりと小首を傾げる。

「それで、朗報の中身というのは?」

 アルバフィカとフーガの興味津々と言う視線がエリアーデに集中する。パァッと、エリアーデの顔が輝いた。

「そうそう、それ! 喜劇よ!!」
「「「はい?」」」

 喜劇、コメディ。筋立や登場人物が滑稽で観客を楽しませ笑いを誘う劇。もしくは思わず笑い興じるような出来事(by広辞苑第五版)。その前者を見ることが出来るというのだろうか、それとも誰かに喜劇的な何かが起こったというのか。いや、それだと朗報とは結びつかない。劇が見られるとなればエリアーデは喜ぶだろうが、こうして飛び込んでは来ないだろうし。
 疑問符を撒き散らし、それを齎した本人が目前にいるというのに考え込んでしまったの右側で、フーガが手を挙げた。

「はーい、エリアーデ様、質問です!」
「はい、フーガ君、何かしら?」
「何で朗報と喜劇が結びつくんですか?」

 テーブルの一点を見つめて固まってしまっているの肩を、アルバフィカが軽く叩いて正気に戻す。

「あら、ごめんなさい。つい気が急いちゃって」

 フーガの質問にきょとんとしたエリアーデは、先ほどの言動を思い出して苦笑を浮かべた。どうやら言いたい事がありすぎて一番印象の強い言葉が口をついて出たらしい。少し冷めた紅茶を一口含み、エリアーデは沸き立つ心を落ち着けようと試みる。ソーサーにカップを静かに下ろしたエリアーデは、己に集中する三対の目に気を取り直してにっこりと笑みを浮かべた。

「アタシも今日……っていうかさっき知ったんだけどね、なんと新たに黄金聖闘士の卵が見つかったのよ!」
「見つかったんすか? 何座!?」
「何歳くらい? 女? 男?」
「へー、で、それが何で喜劇?」

 フーガとアルバフィカが身を乗り出し、はマイペースにも最初の疑問を口に出しながらもテーブルの中央のクッキーへと手を伸ばした。ぽりぽりとクッキーを噛み砕く音が静まり返った室内に流れる。

「……お嬢さんは気にならないの? どんな子が来るのかしらーとか、何座かしらーとか」
「そんなもん実物に会えば分かる事ですから。それよか私は、どうしてそれが喜劇という言葉に繋がるのかが気になります」
「相っ変わらずクールというかドライというか……」
「だってだし。従者がつくって時もほとんど反応変わらなかったしなー、自分の事だってのに。変わりにオレとフィーの方が興味津々だったんすよ」
「あら、それ本当?」
「はい。明日になれば分かることだからって言って」
「事実だろう」

 自然と集まる視線を、一言で切って捨てる。あくまでも淡々とした姿勢を崩さぬには余計に苦笑を誘われ、三人は顔を見合わせた。

「まぁだし」
だからな」
「お嬢さんだものねぇ」

 こくこくと頷かれる。八歳の子供としては異常な行動をそれだけで許容されるというのは至極楽でいい一方、何となく複雑な気分である。はティーカップの影で少しばかり口をへの字に曲げて、脱線してしまった話を軌道修正した。

「で、喜劇というのは?」
「ふふふ、それがね、その新たに見つかった子が五歳の男の子で」
「「男の子で?」」

 気を取り直して話し出したエリアーデは、意味深に間を取る。知らず、男二人は身を乗り出した。

「守護星座が何と山羊座なのよ!!!」

 拳を握り締め、エリアーデは力説する。何だかそびえたつ崖とザッパーンと打ち寄せる波の幻影が見えてきそうである。
 クラレットに紅茶のおかわりを要求しながら、はそこでやっとエリアーデが朗報を喜劇と言ったのかが見えてきた。
 新たな黄金聖闘士が見つかった。それは確かに朗報だ、この聖域にとって。問題は、現山羊座のパーンだ。彼はその厳めしい顔立ちから、小さな子供とはすこぶる相性が悪い。エリアーデが喜劇だと言ったのはおそらくその事だろう。彼らの関係性から言って。

「山羊座かぁ……ってことはパーンさ…じゃなかった、パーンの所だから人馬宮の一つ上だな」
の、隣……」

 フーガの言葉にぴくりと反応したアルバフィカが、その愛らしい眉間に皺を寄せ、硬く低い声で呟く。その顔にはでかでかと、面白くない、と書かれていた。熱い二杯目に口をつけながらアルバフィカの表情が変化する様を観察していたは、すいと手を伸ばして独占欲の強い魚座の頭を撫でる。その心は呆れ二割愛しさ――というか「何この可愛い生き物」という萌え八割だったりするが内緒だ。
 そんなの内心を知らぬアルバフィカは、優しく触れてくる手に心地良さそうに目を細める。

――何か警戒心の強い子猫みたいね。
――可愛いでしょう。

 エリアーデから飛んできた小宇宙通信に、間髪入れずフーガはそう切り返した。
 二人の間に交わされた小宇宙にアルバフィカはきょとんとし、は半眼でなにやらこくこくと頷くエリアーデ達を見る。聞こえはしなかったが、何となくその内容は推測できた。アルバフィカの頬に触れながら浅葱色の髪をすきおろし、小宇宙でのやり取りに気付かなかったことにして口を開く。

「で、そのパーンは今……」
「それがもう表情ガッチガチよ! ただでさえ怖い顔がさらに怖くなってるわ。今ならきっとルヴィでも泣くわね」
「それは……」

 三人が顔を引きつらせる。あの、黄金聖闘士の小宇宙と殺気が飛び交う最中でぐーすか眠れる豪胆な赤子が泣くって、どれほどひどい顔をしているのだ。
 何とも言えぬ空気が漂う中、ただ一人エリアーデだけがイイ笑顔を浮かべていた。

「まぁ、見慣れてれば面白いだけだけどね!」

 でも、だからあいつ今自分の宮に引きこもって出て来ないのよ。
 ああ、だから最近全然顔見なかったのか。

 ころころと笑い声を上げるエリアーデに、とアルバフィカ、フーガはさもありなんと頷いた。


NEXT