25.ドリュアスの嘆き:捌



 許可は思っていたよりもあっさりと降りた。何って、墓荒らしの。いや、正確に言えば、日記を掘り出す許可だが。その為に取る行動は同じなのだから、どちらも似たようなものだ。
 はぐったりと死ながらも、問題となっている男の墓の前に立っていた。

「射手座様、これを」

 しかしながら一見欠片ほども疲労の見えない彼女に、一本のシャベルが差し出される。そういう男の手にも一本のシャベルが握られており、続々と集まってくる男達の手にも、また同様のものがあった。なかなか久しぶりに見たその道具に、は目を瞬かせる。

「射手座様?」

 じっと、それを見つめるだけで受け取らないに、男は訝しそうな顔で再度呼びかける。男達の視線の集まる中で、何故しゃべると考え込んでいたは、ようやっと墓とそれとを結びつけ、世間一般じゃ確かに必要だと心の中で手を打った。

「心遣い感謝する。だが不要だ、今回はな」
「はぁ……」

 困惑も露な男達を尻目に、はすたすたと墓に近寄り、しゃがみこむ。大地に手を当て、足下の土の奥へと、探査の小宇宙を広げた。そしてさほど深くはない場所に、目的のものを見つける。は小宇宙でそれを絡めとり、自分を含め、地面が崩れるであろう範囲から人を後退させた。
 右手を血と水平に掲げ、天へと向けていた掌を何かを引っ張るかのように、ぐっと握り締める。突如、ぼこりと、土がまるで沸騰するかのように内側から跳ね上がり、地表に幾筋もの亀裂が走る。その上にあった墓石は倒れ黒い土を吹き上げながら、黄金の光に包まれた黒色の棺は姿を現した。
 おおという低い感声を背で聞きながら、はそれをひっくり返された土の横へと静かに下ろす。近寄りながらも引き続きPKを駆使して棺のふたを開け、黙祷を捧げてから白骨化した遺体の胸の上に安置されている日記帳を手に取った。
 パラリと、思っていたよりも痛んでいない頁を捲る。そこに綴られていたのは、男が犯した罪への悔恨と懺悔だった。
 下らない。
 予想とほぼ違わぬないように目を通しながら、胸中で呟く。後悔するなら最初からしなければいいのだ。おかげで今いらん面倒に見舞われているだろうが。結局のところ、の文句はそこへと行き着く。
 しかしながら後に悔いるから後悔と言うのであって、起こした行動がどこに行く付くのかは、時が立たねば結果はわからぬのだから仕方がないと言えなくもない。それにこの場合、後悔すらできぬようではそれはそれで問題はあるし、男として人間としてどうかと思うのだが。
 パタリと、音を立てて日記帳を閉じる。そしては仮面の奥から温度のない視線で、棺に横たわる、日記を記した男の成れの果てを見下ろした。





 さあ、決戦だ。
 は口元に不敵な笑みを浮かべ、森の中の肥大な土を踏みしめる。薄暗くなってきた森の中で、ドリュアスであったものを宿した木は淡く、けれど澱みを持った光に輝き、簡単に見つけることが出来た。そして、その木の前に当然とした瞳の肉感的な女が立っていた。
 男を魅了するうっとりとした表情が、を認めた瞬間がらりと変わった。柳眉はキリキリとつりあがり、顔の下半分が歪む。それはさながら般若のそれであった。ゆらりとゆらめく女の力に、はここまで抑えてきた小宇宙を開放する。目に見えるほどの密度を持った黄金の小宇宙は波状に広がってに向かってくる根や枝葉を弾き飛ばし、女の髪の何房かを散らした。けれどすぐにそれは生え揃い、は「へぇ」と片眉をくいと持ち上げる。その間に一瞬で纏った射手座の小宇宙が、高揚した小宇宙に反応して煌き、黄金の羽をしゃらしゃらと鳴らした。

「……随分なアイサツじゃねぇか、なぁ」
『女、オンナ……! 私とあの人を引き離す女っ! 殺してやる、殺してやるわ……っ!』
「聞いてねぇか。まぁ、言葉が通じたらこんな面倒な事にはなってねぇわな」

 うなりを上げて襲ってくる根を軽快な動きで避けながら愚痴る。避けきれぬものははじき、時には粉砕し、女の呪詛のような言葉を聴きながら、徐に本体である木に近づいていく。そして後一歩強く踏み出せば一瞬で女の背後に回りこめる位置に到達したは、仮面の奥でキロリと目を輝かせた。

「ハンティング・アロー」

 両の腕を滑らせて空を薙ぎ、矢へと変えた小宇宙を放つ。それはランダムな軌跡を描いて宙を切り、根や枝葉、そして女の肢体へと突き刺さリ粉塵を巻き上げて爆発した。
 爆風吹きすさぶ中、女の悲鳴を耳で拾いながら、は粉塵の中を突っ切って木へと肉薄した。握った拳へと、小宇宙を集める。

「グラビティ・ギガ」

 木へと突き立った拳に集められた小宇宙が、ドンと音を立てて爆ぜる。以前とは違い、局部に集中させた重力は木を守っていた女の小宇宙すら弾き飛ばして、中央一点を押しつぶして破壊し、多くの年月を経た事を思わせる太い幹を上下真っ二つに割った。

『ギャアアァアアァァアァァ!!!』

 高く、絹を裂くような絶叫がほとばしる。まるで超音波のように鼓膜を震わすそれに思い切り顔をゆがめながら、は上半分の木を向こう側へと蹴り飛ばした。昔耳元で聞くはめになったアルバフィカの悲鳴ほどの破壊力はないが、それでもくらりとする頭を数度振って、不快感を追い払う。そして、小宇宙で風を巻き起こした。
 粉塵が風によって周囲へと運ばれ、濁った視線は急速にクリアなものへと変わっていく。元に戻った世界の中で、女は赤い血を流して地へと這い蹲り、憎しみにギラついた瞳で、を睨み上げていた。

『己、おのれぇぇぇ……!』

 ひび割れた声で呪詛をはく女を憐れみの眼差しで見下ろしながら、右手を天へと掲げ、何かを招くように指を折り曲げた。黄金の小宇宙が一点に集中し、空間を割る。光がはじけたその場所には、金色の淡い燐光に包まれた黒い棺が、そこにはあった。
 それはゆっくりと宙をすべり、と女の間へと降下する。ギリギリと音が立ちそうなほどの険しさでを睨みつけていた女は、その棺を目にすると、憑き物でも落ちたかのような風情で表情を柔らかなものへと変え、じっと、黒い棺を見つめた。ぼやけていた焦点が集まり、瞳に光が宿る。

「……わかるのか? それがお前が長い間待ち続けてきた男だと」
『あなた……』

 うっとりと蜜のように甘い声色で愛しい者を呼ばい、地べたを這いずりながら、赤く染まった腕を必死に伸ばす。そして黒い棺へと縋りつき、土に塗れた、けれども白い頬を寄せた。か細い手が、何度も何度も、棺を撫でる。

『ずっとずっと待っていたのよ、あなた。やっと、来てくれたのね……。もう離さないわ』

 女は極上の笑みを浮かべる。どことなく凶器を孕んだ危うげなものだったが、これ以上ない幸せそうな、夢を見ているかのような、心の底からの安堵と美しさを併せ持った笑顔でもあった。
 ゆらりと、女の姿が崩れ、その存在感が薄れていく。女の体からはきらきらと輝く光の粒子が立ち上り、それが数を増やすごとに、女の体の向こう側の景色が透けて見えるようになった。けれども女はただ、棺の上に伏して、夢見るように微笑みながら瞳を閉じたまま。

「わからない」

 低く小さく、は呟く。仮面の下に隠された素顔は、複雑な心境に歪んでいた。

「何故、そんな姿になってまで、自分を殺した男を待ち続けることができる」

 何故愛しいと言い、恋焦がれることができる。何故思い続けられるのだ。
 には、全くと言っていいほど分からない。それは彼女が彼女として意識持った瞬間から今まで、一度として経験した事のない感情だ。
 小さく息をつき首を振り、複雑な思いを抱えたままその様子を見守る中、他と上り、宙に散っていた粒子が寄り集まり、ぼんやりと、人に似た形を取った。もう消えかけている女同様、その向こうが透けて見えは下が、葉の冠も碧の髪も、にははっきりと確認する事ができた。思いも寄らぬその姿に、は息を呑み目を見開く。

「ドリュアス……」
『礼を言います、女神の聖闘士』

 澄んだ声が脳内に響く。それは彼女に救いをとに思いを託したドリュアスよりも、若干幼い響きを持っていた。
 呆然とするの前で、ドリュアスはそれだけを口にすると柔らかな笑みをたたえ、今まで存在していたのが嘘であったかのようにその姿を消した。同時に、棺にもたれかかっていた女の姿も消え失せる。ただ戦闘での爪あとだけが残されていた。
 しばらくの間、は言葉もなくその場に佇んでいたが、ややあって大きく息を吐き出した。あまりにもあっけない終わり方に、体中の力が抜けそうになる。
 仮面を取ってぐりぐりとこめかみを揉み、もう一度大きなため息をついて、彼の女の名残の為か蔦が幾重にも絡んでいる棺を指先で撫でた。

「無事に帰すことができるだけよしとするか」

 多少汚れはしたが、遺体自体に傷は付いていないので問題はないだろう。掘り出し、そのまま借りてきた諸悪の根源とも言える男の棺をチェックしながら、そう呟く。村長に色々と事情を説明し、脅して賺して借りてきたのだ、この棺は。実は半ばほど返せないかもしれないと思いながら。穏便に済んでよかったと頷き、は仮面を装着する。
 そして、ついと折れた木の方へと振り返り、足を向けた。地に根を張る、残された下半分。それをじっと見つめ、眉間に皺を寄せる。僅かながらに、腐臭と言えばいいだろうか。そんな独特な臭いを感じた。
 は蔦をはがし棺をテレポーテーションで元の場所へと戻し、数歩根から下がる。そして少々のためらいの後に、PKを発動させた。非常に嫌な予感と共に。の力はビキビキと大地にヒビを入れ、しっかりと根付いていた木の下半分を徐々に浮かしていく。そして土を纏った根の部分がずるりと表に現れ、その全貌が明らかになった瞬間、は顔を引きつらせ、「げぇ……っ!」と呻いた。
 それは何と表現すればいいのだろう。とにもかくにも、根に絡め取られた人、人、人。腐りかけ虫に食われているものもあれば、ミイラのような姿になっているものや、中には取り込まれた年月が経った者もいたのであろう、白骨化しているものすらもあった。
 これが何であるのか、考えをめぐらせずともわかる。彼らは、この件での犠牲者だ。その証拠に、聖衣を纏った男のミイラが数体ある。おそらく真っ先に養分にされでもしたのだろう。持って帰らねばならぬ荷物が増えたことに、安堵やら煩わしさやらが混じった息をつくしかなかった。


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