24.クラレット


 双魚宮の従者は、その大きな葡萄色の瞳を零れ落ちそうなほどに見開き、眩しそうに目を細めた。
 眦に光るものを指先で弾き、ロゼは深々と頭を垂れる。教皇は言うに及ばず、師やその他黄金にしかこれほどまで深く頭を下げる様を見たことの無かったは面食らった。
 次いで、己がその地位に在る事を自覚する。

「射手座就任、心よりお祝い申し上げます」
「ありがとう、ロゼ」

 どうにも落ち着かず、はがしがしと頭をかく。
 順応性だけは、馬鹿高い自信があるのですぐに慣れるのだろうが。
 居心地の悪そうなの様子に気付いたロゼは、くすりと笑いを零し、黄金の鎧に包まれた少女を見上げる。
 彼女が負けるとは夢にも思わず、こうして黄金聖衣を身に纏いロゼの前に立てくれると信じて疑いもしなかったが、やはり実際にその姿を前にすると感慨無量な事この上ない。
 それに加えが十二宮に来た当時の事が思い出され、あのお小さかった人馬宮様が、と熱い思いが胸に迫った。

「よくお似合いです、人馬宮様。全てが滞りなく終わったようで、ロゼは安心いたしました」
「ああ。クレオンの当主は上に?」
「はい。ただいま詮議中です」
「予定通りだね」
「これだけ思い通りに事が進むとちょっと怖い気もするけどなー」
「嘘付け、楽しくて仕方が無い癖して何言ってやがる」
「へへ、わかる?」

 大分とスッキリした雰囲気で言い合う子供達を、ロゼはニコニコと笑みを浮かべたまま見守る。
 しかしそこで、彼らを目に入れても全く痛くないと常日頃から豪語する現魚座の彼らの師がどこにもいないことに気付いた。それどころか他の黄金聖闘士の気配も小宇宙も近くには無く、首を傾げる。

「ロゼ、どうかしたか?」
「いえ……双魚宮様や他の宮主様方がまだ十二宮に戻られていないので……」
「あー、まだ下の広場の闘技場にいるんだ」
「いつものようにデスマスク様と師匠が喧嘩始めちゃったからね」
「周囲の方々は大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫だろ。他の黄金聖闘士もいるんだし」

 それでも二人を止めるでもなく、パーン一人が結界を張るという処置しかしていないのだが。
 いくら互いしか見えていなくても羽目を外さない限り死人が出る事は無いだろうと、辺に確信を抱きながらは言い切る。
 あまり根拠と言う根拠の無い宣言だったりするのだが、そうと知らないロゼは胸を撫で下ろし安堵と共に顔をほころばせた。

「ロゼ、人馬宮には明日移るから」
「かしこまりました。人馬宮の従者も明日入る事になっておりますゆえ、丁度良うございます」
「人馬宮の従者?」
「はい。人馬宮様より五つ年上の女性です」
「へぇ」
「へー、どんな人?」
「美人?」

 従者がつく本人は極薄い反応を返すだけで、逆に回りの人間の方が興味津々だ。あまりにもらしい三人に、ロゼは変わらないなぁと笑みを深めて悪戯っぽく人差し指を唇の前に立てた。

「秘密です」
「えー!」
「何でだよ、教えてくれてもいいじゃねーか。なぁ、
「別に」

 不満を漏らすフーガに同意を求められるも、あまり他人というものに興味を示さないの返事はつれなく冷めている。
 何故だと問いながらのしかかってくる友人を押しやって、は肩をすくめた。

「何でも何も、どうせ明日会うんだから構わんだろう。それに、下手に先入観持ちたくねーからな」

 これからずっと、叶うならば聖戦後も世話になる予定の相手だ。出来れば、ロゼのように仲良くやっていきたい。
 そんなものかと首を傾げるフーガとアルバフィカを横目に、第一印象が肝心だと、仮面の影で唇を歪めた。





 うわぁ、ガッチガチ。
 目の前に跪き、深々と赤紫色の頭を下げる従者が緊張に震えているのを見て、流石のも可哀想に思う。
 髪の合間から見える肌は血の気が引いている所為か青白い。それはが無言で従者を観察している所為もあるのだが、そうと知らぬは、空色のヒマティオンをさらりと一撫でしてマイペースに口を開いた。

「射手座のだ。よろしく」
「…人馬宮従者を任ぜられました、クラレットと申します。至らぬ点も有ろうかと存じますが、何卒、よろしくお願い申し上げます」

 赤紫――本人の名と同じ色の頭が更に深く下げられる。
 その声は少しばかり震えていたが、耳障りの良い落ち着いたものだった。聞いていて心地の良い声を、は気に入り顔をほころばせる。
 隙の無い、張り詰めているような空気がふと緩み、クラレットはそのままの姿勢で身体に入っていた余計な力を抜いた。安堵のあまり脱力しすぎて床につっぷしそうになったが、何とかこらえて主となった少女が促すままに顔を上げると、深遠を持つ紫紺が柔らかな焔を宿していた。



 十二宮に澄む黄金聖闘士には、必ず一人は従者がつく。それは黄金聖闘士が他の事に手をかかずらせないよう身の回りの世話をさせるためであるが、主が何らかの理由で宮を空ける時に、宮を管理し守るためと言うのが一番の理由だ。
 故に従者には治癒や防御、結界といった守護の為の小宇宙の収得が義務付けられ、黄金聖闘士の候補生が見つかると同時に、才能ありと判じられた候補生と同性の子供が従者としての必須事項を叩き込まれる。
 そうして、候補生が聖闘士になった暁に、引き合わされるのだ。
 主と同じ席に着くなどといって固辞する従者を言いくるめ、二つの用意したカップに双魚宮から持ち込んだオリジナルブレンドティーをたっぷりと注がせて正面に座らせたクラレットの話に耳を傾けていたは、初めて聞いた従者のシステムに、そういうことになっていたのかと感心しながら頷く。
 色々な事に戸惑いながらも請われるままに語っていたクラレットは、どうやら選択した話題は気に入ってくれたらしいと胸を撫で下ろした。
 未だに緊張は解けていないらしい。従者の微細な表情の変化でそれを見て取ったは、僅かに目を細めた。これでは数日と持つまい。
 従者の不調は己の不都合に繋がると、双魚宮での生活で学んだは、どうするべきかと静かに頭を高速回転させる。一番良いのは話術を駆使して己のペースに巻き込んでうやむやにする事なのだが、それはフーガの得意とするところだ。何より疲れるし自分のキャラではないのでやりたくない。
 やっぱり時間に任せることにしようか。ぶっちゃけ面倒だ。
 自分の平安を確保するためとはいえ、ここの所ちょっと働きすぎて疲れている。ああでも……。
 カップを傾け、なんでもないような表情の裏でぐるぐると考える。その合間に口に含んだ紅茶の豊かな芳香と渋みの少ない優しい味に、素直に美味しいと感想を漏らした。
 半ばどきどきしながら主の口に始めて彼女の為に入れた紅茶が含まれる様を見守っていたクラレットは、ほぼ反射的にもらされた言葉にほっとし、頬に血を上らせて初めて笑みを浮かべた。
 すると凛とした印象が柔らかなものへと変わり、大人びた顔つきが年相応に思えた。
 可愛い。
 五つ年上と言えど、まだ13歳だったか。自身二桁に届かない年齢――肉体が、だが――だということを思い出し、何だかなぁと内心で呟いた。
 数えると嫌になるので精神年齢と肉体年齢の間のギャップはすでに諦め考えないようにしているが、こういうところで時折、ああ、と嘆息してしまう。どうしようもないが。

「人馬宮様?」

 小首を傾げるクラレットに、いや、と答え、ついた頬杖の影で薄らと笑みを浮かべた。


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