23.彼への用事


 負けたのか。
 木で出来た屋根を見上げて、最初に思ったのはそんな事だった。
 ぎしぎしと痛む身体に小さくうめき声を上げ、電撃が走るかのような痛みを大きく息を吐き出すことで逃がそうとする。
 意識を失う前に食らった技……グラビティ・ギガといったか。彼女のあの技が、これほどのダメージを与えるとは。
 戦う直前まで、相手をたった八つの女の子だと思い侮っていた自分が馬鹿みたいに思えた。彼女はただの少女ではなく自分と同じ――いや、一緒にしては失礼だろう。少なくとも少女の方はシジフォスを侮っていなかったのだから。少女は黄金聖闘士になるべく育てられた、生粋の射手座候補生だと言うのに。
 それに戦っているうちにわかった事だが、彼女は本気を出してはいなかった。推測すると、せいぜい全力の半分かそれ以下といったところだ。
 打った技はことごとく避けられたのにもかかわらず、彼女が事も無げに放った一撃は防ぐ事も避けることも出来なかった。それまでまともに撃ち合えていたのは、彼女が手加減をしてくれていたからだろう。
 何故そんな事をしたのかはわからないが、彼女とシジフォスの間に横たわる実力差がはっきりとしている以上、それは純然たる事実だ。
 けれど不思議と悔しくは無かった。強い相手と撃ち合えて楽しかったからか、あまりにも実力差がありすぎたからか。
 ふいに笑がこみ上げてきて、声を上げて笑った。

「は、はははっ……いてっいた……はっははははは!」

 笑うたびに痛みが走る。けれど、その衝動と言うべきものは止められなかった。

「ははははっ」
「何笑ってんだよお前。壊れたか?」
「アレは精神に作用するような技じゃねえぞ、フーガ」

 まるで気でも触れたかのように笑い続けていると、赤い髪の友人がひょっこりと顔を出し、その後ろからは今までシジフォスが思い返していた少女が、ブルーの髪の少年と共にいた。
 驚きのあまり笑いはピタリと止まり、痛みだけが残って悶絶する。

「うーわー、痛そ……」
「あんな無防備にのグラビティ・ギガを喰らったんだから、骨の一つや二つ折れてても不思議じゃないよ」
「だよなー。俺だってまともにアレ喰らいたくねーもん」
「言っとくがあれはまだ未完成だからな。本当はもっと局部集中させんだよ」
「え……まだ完成してなかったの?」
「未完成であの威力って……どんな破壊力だよ、それ」
「できてからのお楽しみだ。何なら実験台になってみるか?」
「勘弁してくれ」
「遠慮するよ」

 目に涙を浮かべ声にならぬ悲鳴を上げているシジフォスを尻目に、三人の黄金候補生となりたて聖闘士は日常的な会話を繰り広げる。
 必死になって痛みをやり過ごしながらも、何しに来たんだろうと思わずにいられなかった。

「そうそう、目的を果たさなきゃな」

 カツカツと、足音も高くはシジフォスに歩み寄る。
 涙で滲んだ目にも金に輝く鎧ははっきりとわかり、その翼も聖衣のフォルムも息を呑むほど美しく、瞬間、呼吸も痛みもどこかへ置き忘れた。
 は白いマントをふわりと翻し、シジフォスが横たわるベッドの前に立つと、緩やかに両手を広げ、小宇宙を高めた。

「キュアフェザー」

 温かな小宇宙が燐光とともに溢れ、無数の羽の形を作りシジフォスの上に降り注ぐ。それが触れた場所から痛みが消え温もりが広がっていく。
 体中にそれがいきわたり、少しばかり汗ばんだところで、シジフォスの中から怪我が齎す不快感や痛み、そして怪我と言う怪我が全て拭い去られていた。
 先ほどまでうめいていたとは思えないほどの勢いで、シジフォスは身を起こす。手を握ったり開いたりを繰り返して調子を確かめた。

「治った……」

 呆然としているのが自分でもわかる。
 フーガはその気持ちはよくわかる、と実験台になった日々を思い返しながら頷き、アルバフィカは我が事のように得意満面の笑みを浮かべた。
 は当たり前だとばかりに一つ頷き、近くの椅子を引き寄せてどかりと腰を下ろす。
 黄金の羽がしゃらりと揺れた。

「勝負の結果は私の勝ち。この通り射手座も私が継いだ。その後お前の父親が自爆して現在教皇の下で取調べ中。何か聞きたいことは?」

 前置きも無くいきなり本題に入った少女に目を丸くし、それでもその言葉を理解すべくシジフォスの脳内は高速回転を始める。

――え〜と、勝負は負けて射手座は彼女がそれまでの予定通り継いで、俺の父さんが取調べ中……取調べ!?

「と、取り調べって……」
「昨夜が買収された雑兵に襲われてな。それと十二宮に出回ってた毒物。双方の黒幕の嫌疑がかかってる」

 嫌疑がかかっている、と言っても、黒である証拠は全て揃っているのですでに犯人扱いだが。

「ばっ……おっ!?」

 おそらく買収、襲われた、と言いたいのだろうが、驚きのあまり言葉にならない。
 シジフォスは思わず身を乗り出して、少女のショルダーパーツに包まれた肩を掴んだ。フーガの頬が一瞬ぴくりと引きつり、アルバフィカはむっと眉間に皺を寄せる。

「大丈夫なのか!? 怪我、怪我は……!?」
「寄るな触るな近い」

 つばも飛ばさんばかりの勢いで迫ってくる少年の頭をPKで押しやり、仮面の奥で盛大に顔をしかめた。
 かなり近いところまで寄っていた事を自覚したシジフォスは、割りに帰ると慌てて離れる。は深々とため息を吐いた。

「怪我はねーよ。雑兵ごときに後れを取るとでも?」
「い、いや……そうか、それもそうだな……」

 仮面の上からでもわかる冷たい視線にさらされ、シジフォスは背に汗をかきながら頭をかいた。

「で、他にはねーのか。ないなら帰らせてもらうぞ」
「ああ、ちょっと待って! 父が取り調べられているのはわかった。これから、父はどうなるかわかるか?」
「……殺されはしないだろうが、無事と言う事もねぇだろう。私を襲った事で雑兵に死者が出た。毒物の方は一人たりとも犠牲者は出なかったが、十二宮内に無差別に出回ってた事が問題だ。下手をしたら教皇の口に入っていたかもしれねえからな」
「死者……君は…」

 は指先で仮面を叩く。それだけで、聖域に住む者には話が通じた。

「そ、うか……」

 肩を落とし項垂れるシジフォス。
 それっきり内に篭ってしまった少年に、は己の用事が終わったことを感じ取り、さっさと扉へ向かう。
 戸の脇にもたれて待っていたアルバフィカは、目線だけでもう良いのかと問うた。はそれにただ頷き、何だか小宇宙の荒れている少年の髪を指先で梳く。それが子ども扱いされているような気がして、アルバフィカは触れられた場所を手で押さえながら唇を尖らせた。
 けれど、ほんのりと頬が上気している事をフーガは見つけ、こっそりと笑みを浮かべる。考え込んでいる友人をちらりと見て、大切な者達の後を追った。
 扉を開けると、キィッと音が鳴り、シジフォスは我に返って振り向く。開いたドアから光が入り、少女が纏う黄金の鎧に反射し煌いた。
 しゃらりしゃらりと、しなやかな翼が音を立てる。

「……えっと、
「何だ」

 光の中で、少女が頭だけで振り返る。
 彼女の後ろに経っていたフーガが、少し身体をずらした。

「おめでとう。それと、ありがとう」
「……どーいたしまして」

 ひらりと手が振られる。
 濡羽色が光の中に線を描き、消えた。
 ぱたりと、扉が閉まる。
 後に残されたのは三つの異なる薔薇の香りと、再び己のうちに沈む少年の姿だった。






の用事って、あのおっさんの事だったんだな」
「どれだけ似てなかろうと親子だからな。あいつには知る権利がある」

 それは義務と言っても良いが。
 人気の無い十二宮を上りながら、一歩前を行くフーガが頭の後ろで手を組みながら落とした言葉に、は淡々と返した。
 十二宮があまりにも静かなのは、住人が未だに闘技場でドタバタしているかららしい。山羊座の小宇宙で張られた結界がそのままになっている事からも、それがうかがい知れた。
 いい加減戻ってきたらどうだ。教皇ならば青筋を浮かべてそう言うに違いない。
 黄金聖闘士――といっても空席は三つ、いや、が射手座を埋めたので二つ有る――が一堂に会する機会など滅多に無いために、年甲斐も無くはしゃいでいるのだろうが、宮守護をおろそかにするとは何事か。
 心にも無い事を考えながら、人馬宮への一段一段を踏みしめる。

「でも、言わなかったね。クレオン家御取り潰しの可能性」
「推測の段階ってだけで、確証がねえからな」

 今頃教皇のまで行われているであろう詮議に思いを馳せ、遥か上方を見上げる。

「それに、クレオン家はおそらく残るだろう。あの男は全権を取り上げられた上で、当主の座から退かされるだろうが」
「今までの功績と、射手座誕生の慶事故の減刑って所か」
「資金源がなくなるのも痛いよね」
「でもそれって、聖域が直接管理すれば良いことじゃね?」
「それだと、人も時間もかかりすぎる。今まで通りクレオンの奴らに任せとく方が楽なのさ。任された奴がそれで私服を肥さねぇとは限らねぇし」
「その点、当主達の暴走で肩身の狭い思いをしてる一族の人間は、汚名をそそぐために真面目に働いてくれるだろうから、私欲に走る可能性が低い」
「う〜わ〜、黒っ!」
「それが政治だろ」
「次の当主って誰になると思う?」
「さぁな。親族のうちの誰かだろう」
「シジフォスがなる可能性もあるよな」
「確率は低いと思うが」
「あの脳みそまで筋肉で出来てそうな奴に当主が勤まるとは思えないけどね、僕は」
「毒舌だな。もしかしてもしかしなくてもお前、シジフォスの事嫌いだろ」
「うん」

 振り向き、後ろを向いたまま器用に階段を上るフーガに、アルバフィカは間髪入れず答える。
 射手座の決着がついた今でも、が気にかけたというだけで、彼のシジフォスへの認識は敵と言うカテゴリに有り、印象は最悪だ。実害を加えていた当主よりもその地は低い、かもしれない。
 フーガは内心うわ即答、あらら可哀想にと思いながらも、あえてフォローはしなかった。例え友人であっても、彼にとっては所詮大勢いる中の一人にすぎない。大切な人の機嫌を損ねてまで、フォローしてやる義理は欠片たりとも無かった。
 笑顔でだろーなーと受け流す未来の双子座を横目で見やり、はお前友人だろと心の中で突っ込む。口にしないのは、言った所でこれまた笑顔で肯定される事がわかりきっているからだ。それとこれとは別らしい。
 どうにも比重が偏っている事実に何故だろうと首を傾げるも、すぐにその思考を放り出した。いくら推測を重ねても、真実を知っているのは本人だけである。無駄な労力は使いたくは無い。
 他人を知るためにはそれなりの努力は必要ではあるが、考えているだけではそれが出来上がったところで、己で作り出した虚像に過ぎぬのだから。
 機会があって気が向いたら聞いてみれば良い。
 そうこうしている内に、人馬宮は目前に見えた。
 手入れは事前から行われており、教皇が宣言した瞬間から人が動いて荷物も運び込まれているのだろうから、今すぐ移っても問題は無い。
 白亜の神殿を前にして、フーガもアルバフィカも口をつぐみ、沈黙と共に見上げる。
 友人が無事黄金聖衣を獲得した事は喜ばしいが、寝起きを共にし、ずっと共にいた大切な人が一人宮を移ってしまうのは寂しい。
 少しばかり複雑な気分を持て余す少年達をよそに、はさっさと人馬宮に足を踏み入れる。慌てて金色の翼の後を追いかけ、少女の両腕を取った。
 両脇をガッチリと固められ、はぱちくりと目を瞬かせる。

「何だ?」
「ねぇ、。人馬宮に移るのは明日にしてほしいんだけど」
「教皇も今日移れって言わなかったし、なっ、そうしようぜ!」

 言いながらも、の返事を待つことなくずりずりと引きずっていく。
 聖衣をまとい、小宇宙が満ち満ちている今の状況ならば力技で振り払う事も出来るが、力加減を間違えてしまいそうで怖い。
 それにロゼにも一度顔を見せに行かなければと思っていたは、仕方が無いと苦笑を浮かべ首肯した。


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