22.試合その後


 浅緑の瞳を潤ませ、口元を手で覆って、師は無言で感無量を語っていた。
 何度も何度もの姿を上から下まで見直し、遂にはぼろぼろと大粒の涙を零す。

〜……!」
「師匠、泣かないでください。黄金聖闘士の威厳形無しですよ」

 聖衣をつけたまま抱きついてくるアフロディーテの背中を、小さな子をあやすように叩いた。
 アフロディーテはの頭上で激しく首を横に振る。
 胸元に顔を押し付けられているため見えはしなかったが、薄葡萄の髪が左右に跳ねるのを背に回した手と気配で感じた。
 喜んでくれているのはわかるし嬉しいが、公衆の面前である。少しばかり恥ずかしい。
 彼らはまだ、未だに射手座の誕生と名家の当主逮捕に沸き返る闘技場にいた。
 全てに片がついてほんの少ししか経っていないというのもあるが、今までを可愛がってきていた黄金達が、その就任を祝いたいが為にその場に留まり続けているというのも大きな一因である。その為に闘技場にいる者たちもよほどの用が無い限り立ち去ることなく、この場にい続けているのだが。
 これはあまり見かける機会のない、雲の上に等しい黄金聖闘士が全員集まってきたいるのだから見ないと損といったような、ミーハーな理由からというのがほとんどである。
 は黄金聖闘士がどういう認識をされているのか、この時改めて知った。周囲のこの目がこれから自分にも向けられるのかと思うと鬱陶しい様な気もするが、それほど下に下りるような事も無いだろうから良いが。
 自分の上で泣きじゃくっている師に、そろそろ離してほしいなぁと思っていると、少し離れた場所から大らかな声が諭した。

「黄金聖闘士とて人の子じゃ。今は泣かせてやるが良かろう」
「青炎様……」
「わしも様はつけんで良いぞ。今はもう同等の立場じゃ」
「はぁ」

 しかし青炎にはなんとなく様をつけないではいられない気がする。そんな思いと共に、は曖昧に返事をした。
 すると、その言葉を聞いた周囲が次々と呼び捨てにしろと言い出した。

「はぁ。じゃ、遠慮なく」

 いつ慣れるかはわからないが。
 しがみついている魚座の影で頷く少女に、年上の黄金達は満足そうに頷いた。
 それはいいのだが、誰か師をはがしてはくれないだろうか。
 そんな心の声が届いたのかどうかは知らないが、頼もしい声がすぐ近くから助け舟を出してくれた。

「アフロディーテ、嬉しいのはわかるがそろそろ離してやれ」

 言葉だけでなく実力行使で、デスマスクはからアフロディーテをべりっと引き剥がす。
 泣き腫らした目で恋人を睨みつける麗人を軽く流し、デスマスクは手振りでに行けと伝える。はそれに素直に従って、フーガとアルバフィカの元へと避難する。その先はいつもの痴話喧嘩勃発である。
 それが彼らのコミュニケーションであると既に割り切っている弟子たちは慌てることなく、むしろ安全な所に避難した上で無視して、マイペースにも会話を始めた。
 ちなみに周囲は黄金のちょっぴり殺気立った小宇宙が飛び交い、それに当てられ倒れるものが出たり、我先にと逃げ出す者がいたりでちょっとした混乱が起こっている。
 幸い、見かねたパーンが周囲を結界で覆い、それほど大きな騒ぎにはならなかったが。

、おめでと」
「おめでとう、。すっごく良く似合ってるよ」

 フーガが満面の笑みで、アルバフィカが薄らと頬を染めて祝福の言葉を投げかける。
 は唇で弧を描き、ありがとうと返した。

「しっかし、フル装備か。女の聖闘士の場合、軽量化するって聞いてたけど」
「重くない?」
「いや、やっぱそれなりの重量はあるがな。思っていたよりは軽い」

 それに力がみなぎる。手甲に包まれた手を見下ろし、ぎゅっと拳を作る。

「…時間が経てば慣れるだろ」
「ふーん……」
「そんなもんか」

 もうしばらくすれば、双子座と魚座を受け継ぐ少年二人が、しげしげと射手座の聖衣を眺める。
 特に翼を熱心に見ていたフーガは、うずうずした気持ちを抑えず、少しばかり下にあるを見下ろした。

「なぁ、それ触っても良いか?」
「それって、これか?」

 背についている翼を一度ばさりと動かす。
 いくら本物の翼もかくやと言わんばかりの代物でも元は無機物。双子座の頭部が泣くように動きはしまいと思っていたフーガとアルバフィカは、顔を輝かせ触れたいと雄弁に語った。
 やんちゃなガキそのものの表情に、はため息混じりに頷く。

「好きにしろ」
「やった!」

 フーガが歓声を上げ、アルバフィカは恐る恐る黄金の翼に触れる。太陽の下、金色の光を弾いてきらめくそれはほのかに暖かく、けれども金属の硬質な感触をアルバフィカの白魚のような指先へと伝えた。それでもしなやかな動きを持つ翼。心底不思議で、少年達は首を傾げる。

「見た目はまるっきり本物なのに……」
「固いね。やっぱり黄金聖衣の一部なんだ」
「そりゃぁな」
「何で動くの?」
「聖衣を装着する時にそうあってほしいと思ったから。ただの飾りなら邪魔なだけだろ」
「やっぱり飛べたりとかするのか?」
「たぶん……今はやらねぇぞ。面倒くせぇ」

 今にも飛べと言い出しかねないフーガに先に釘をさす。するとフーガだけならずアルバフィカの方も至極残念そうな顔をし、思わずまた後でと約束してしまった。
 年々美人になっていくアルバフィカに年々弱くなっていく自分。超がつくほど好みである美人な師匠には年を経るごとに容赦がなくなっていくというのに何故。
 仮面越しに遠い目をし、内心頭を抱える。これ以上成長したらどうなるのだろうか。アルバフィカにだけは果てしなく弱くなりそうな予感に、しっかりしろ自分と活を入れる。
 は頭を負って気分を切り替え、先ほどから気になっていた事を切り出した。

「ところで、シジフォスはどうした」
「医務室の方に運ばれてるはずだけど……会いたいの?」

 実に嫌そうに顔をしかめるアルバフィカに、は一つ頷いた。


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