21.公開試合


 そして翌日。
 闘技場を中心に、聖域は興奮に包まれていた。
 元より娯楽の少ない聖域、神聖なる聖衣をかけての試合はそれだけで恰好の獲物だが、それが今回、かけられているものが射手座の黄金聖衣であるが故に、その注目度は桁違いである。
 黄金聖衣をかけての公開試合など滅多にあるものではなく、それを見逃すまいと白銀聖闘士から雑兵までこぞって詰め掛け、周囲を取り囲むように存在する客席を埋めつくしていた。
 そして彼らを最も驚かせたのは、そこに現存する黄金聖闘士が全員揃っていたことである。一層この勝負への興味が高まった事は言うまでも無いだろう。
 ペリクレス・クレオンも勿論その場におり、この状況に至極満足していた。この場で息子が目障りな事この上ない小娘に勝てば、クレオン家の名声は一層高くなり、聖域での立場も更に強くなる事は確実だ。
 昨夜の襲撃が失敗した事は気に入らないが、切り札も手に入れた。彼は何の疑いもなく、己の息子が勝つ事を、射手座の聖衣を手にすると信じていた。
 もうすぐで、滅多に無い栄誉を手にする事が出来る。ペリクレスは上機嫌に唇を歪めた。

「うーわー、気持ち悪ぃ」

 たまたま見たくも無いおっさんの笑顔を見てしまったフーガが思い切り顔を歪めて呟いた。
 同じ方向を見てクレオン家の当主を見つけてしまったアスランは苦笑しながらそれに同意し、エリアーデは「アタシは何も見なかったわ……!」と身悶えている。
 その存在に最初から気付いていたは決してそっちの方向は見ず、近くにいる己の師とデスマスク、ランティスの顔をじっと見上げていた。手元にはしっかりとアルバフィカを抱えている。よほど視界に入れたくないらしい。

、調子は?」
「絶好調です」

 昨日よりも大分と落ち着いている師匠に、は仮面の下で満面の笑みを浮かべる。
 雰囲気だけでそれを感じ取ったアフロディーテは、心の中だけで仮面が邪魔だと繰り返した。

「ま、いつも通りやってりゃ負けねーだろ」
「聖衣は既にを認めてるからね。頑張って」

 ランティスがの頭を撫で、淡く微笑む。いつも淡々とした無表情しか見せる事の無い牡羊座の珍しすぎる笑みと気遣いに、周囲がどよめいた。
 何なんだあの子供は、と言うような視線がに集中する。

「さぁ、時間だよ」

 美貌の師の声に、は大人しく腕の中に納まっていたアルバフィカを離し、壇上に上がった教皇を見上げる。一瞬だけ、ちらりとの方を見たような気がした。
 前聖戦を戦い抜いた聖域の最高権力者の姿に、その場の空気が熱に浮かされたようなそれから、ピンと糸が張ったような緊張感へと変わる。
 その存在一つで場を引き締めた教皇に、は密かに賛辞を送った。

「これより公開試合を始める。射手座候補生、並びにシジフォス、前へ」
「はっ」
「はい」

 緊張にかすれたシジフォスの声と、いつも通りのの声が重なる。
 心配そうに掌に触れてきたアルバフィカの頬を指先で撫で、は一歩遅れて前へと踏み出す。
 頬を淡く染めるアルバフィカと、覇気の見えるの背中に、彼らのやり取りの一部始終を見ていた黄金+αは。

「格好良いわ、

 思わずといった風なエリアーデの呟きに深く同意し、首を縦に振った。
 時折、生まれてくる性別を間違えたのではないだろうかと思ってしまう。あれで性別が男だったら、多くの女性が理想とする男性そのものだろう。
 複雑な感情が入り混じった視線を背中に受けながら、は中央に進み出、若干の戸惑いと安堵が交差しているシジフォスと向かい合う。

「なお、最初に言っておくが、もし勝ったとしても黄金聖衣に認められなければ射手座の黄金聖闘士とは認めん。解っておるな」
「はい」

 異口同音に首肯する。教皇はよろしいと一つ頷き、声を張った。

「それでは、始め!」

 闘技場が緊張と興奮に支配される。
 シジフォスは戸惑いを多少抱えたまま構え、はあくまでも自然体。けれど、迷いを持ったままで対峙するシジフォスが気に入らず、は内心苛立っていた。
 このまま戦って勝ったとしても、きっとすっきりしないだろう。こっちは絶好調だというのに。
 小さく舌打ちをかまし、片足に体重をかける。そして一気に、間合いを詰めた。

――速い!

 気付いたときには左後方に移動し、細い身体からは想像がつかないほどの重く強烈な回し蹴りをは繰り出しており、それをぎりぎりで防ぎながら、シジフォスは驚きに目を見張った。
 クロスして蹴りを受け止めた両腕がビリビリと痺れる。踏ん張った足が地に二本の線を引き、数メートル後方に押しやられる。
 は追撃する事もなくただシジフォスを見ていた。凛と佇む少女を、シジフォスは見返す。凍りついた瞳が、見えたような気がした。

「……くそっ」

 闘争心に火がついた。
 苛烈さを宿した瞳にその事を感じ取ったは、唇で弧を描き、真っ直ぐに繰り出された拳を軽くいなす。掌底を胸元に叩き込もうとしてかわされ、代わりに追ってきた足を掴み放り投げる。
 体術だけのやり取りではあるものの、そのスピードは既に候補生のものではなく、彼らの素早い攻防を目で捉える事の出来る者達は感心し、最初の一撃以外見ることの出来ていない者達は何が起こっているのかと周囲の者に尋ねた。
 そして言うまでも無く前者である黄金聖闘士たちはというと。

「いつもの半分くらいかな」
「だな。シジフォスの奴も頑張っちゃいるが、が全速力出してないだけの話だし」
「完全に遊んでるな、の奴」
「最初の一撃は割りと本気だったみたいだけど……まったく、あの子は……」

 アルバフィカとフーガは頷きあい、デスマスクは口角を吊り上げ、アフロディーテは苦笑を零す。
 彼女の実力を知る者達には、この試合はいささか遊戯じみて見えるだけだ。聞くともなしに聞いていた周囲の黄金たちは、あれで半分、と驚いたり、賞賛を贈ったり。
 そんな中、ランティスはポツリと呟く。

「…ただ遊んでるだけじゃないと思うけど」

 黄金+αの視線が、彼に集中する。

「あの子は面倒が大嫌いだけど、必要な事には手間を惜しまないでしょ。今回もそうなんじゃない?」
「そうか……!」
「あのおっさんへ牽制とデモンストレーションって訳か」
「転んでもただでは起きぬってか。らしいな……」

 デスマスクは笑いを漏らし、少女の抜け目の無さを知っている彼らは各々の反応をしながらもそれに同意した。
 その間にも戦闘は続いており、地面の所々は抉れ、観客席の一部は崩れ落ちている。二人とも埃や土に塗れてボロボロでシジフォスには傷が増えているが、にはかすり傷一つついていない。時間が経つにつれ、実力の差が見え始めていた。
 ペリクレスは一般人であるが故に状況が掴めず歯噛みしていたが、息子の方は強い相手を前に目を輝かせ、彼女が五つ下の少女であることや、今が射手座の聖衣をかけて試合の最中である事も忘れ、ただこの勝負を純粋に楽しんでいる。
 しかしはいい加減飽きてきていた。
 いくらデモンストレーションが必要とはいえ、そろそろ決着をつけても良いだろう。小宇宙を使った技も出てきてる事だし。
 そんな事を考えながら、その技を危うげなく避ける。そして間合いをとり、初めて攻撃の為の小宇宙を燃やした。
 今までとは比較にならない瞬発力でシジフォスの懐に詰め寄り、拳を叩き込んだ。

「グラビティ・ギガ」

 小宇宙が爆発し、為す術も無く吹き飛ばされたシジフォスに凄まじい重力が襲い掛かる。全てを押し潰すようなGに、歯を食いしばっていたシジフォスも、数秒と経たず意識を飛ばした。
 クレーターの中心に倒れ伏すシジフォスの姿に、ペリクレスは顔色を変えて立ち上がり、周囲は肌で感じた少女の小宇宙の強大さにどよめく。
 しかも見る限り、あれが少女の全力という訳でも無さそうだ。これで聖衣に認められれば、何とも頼もしい射手座の誕生となる。
 の勝利を判ずる教皇の声に、その横にすえられた黄金の聖衣箱に全ての視線が集中した。

よ、聖衣を」
「はい」

 気を失ったまま数人の雑兵に運ばれていくシジフォスを視界の端で捕らえながら、は聖衣箱に手を伸ばした。
 それに応えるように箱はその姿を崩し、弓を引くケイロンが現れる。
 射手座の聖衣は晴れ渡った空の下太陽の光を弾いてきらめき、主の小宇宙に共鳴し喜びの声を上げた。

「射手座。わが身を包め」

 御意、と。そんな言葉が聞こえてきそうな共鳴音を一際高く発し、弓引く人馬はその身をバラして、まだ磁石が引き合うかのようにの身を覆っていく。

「おおっ……!」

 感嘆の声が上がる。
 角ばった無骨なフォルムは少女の身を包むたびに優美なものへと変わっていき、飾りでしかなかった翼は、生きた鳥のそれのように大振りで今にも動き出しそうなしなやかな姿になる。翼の付け根につけられた白いマントに濡羽色の髪が映えた。

「ほぅ……」

 教皇も思わず声を漏らす。聖衣は、女性が身に纏うと、その身体の軽さ、敏捷さを生かすために軽量化する。男のようにフル装備する、という事はない。
 その中で、は異質だった。いくら男顔負けの性格をしていても、は正真正銘少女である。だというのに、射手座の聖衣は少女の全身を覆い、翼の形状を大きく変えている。教皇の長い生でも、そんな現象は見た事が無かった。
 それほどまでに、現射手座が慕わしいというのか、射手座の聖衣よ。
 心の中で問いかけながら、教皇は最後の言葉を口にした。

「女神はを射手座と……」
「お待ちください、教皇!」

 かすれた男の声が、教皇の言を遮る。視線は彼に集中し、や彼女の協力者達は、来た、と目を細めた。
 ランティスがそっとその場を抜け出し、白羊宮の一角に留めておいたあるものを取りに走る。

「何だ、クレオンよ」
「そ、その娘に射手座たる資格があるのでしょうか」
「射手座の聖衣を纏う事が出来る。それが答えだ」

 目を血走らせる男に、何を今更と白い眼が突き刺さる。
 けれど、予定には無い、あってはならない事態に我を忘れたペリクレスは、己が持っている最大の札を突きつけた。
 それが、故意に見逃されていた札だとは気付かずに。

「その娘は昨日、雑兵と私闘を行ったのですぞ!?」

 その声に、周囲がざわめく。と教皇は罠にかかった獲物の感触に、密かに笑みを浮かべた。黄金たちやその候補生二人も、笑い出さないように必死にこらえている。
 そしてそ知らぬふりをして、教皇はに問うた。

よ、それは本当か?」
「確かに昨夜、雑兵どもに襲われましたが」

 周囲がどよめく。しかしがさらに言葉をつむごうとしている事に気付き、すぐに静まり返った。

「その時に仮面を弾き飛ばされ、素顔を見られてしまいまして。女聖闘士が素顔を見られれば愛すか殺すかのどちらか。私は掟に従い後者を取ったまでのことです」
「なるほど。ならば問題は無いな」
「そんな……」

 色を失ったペリクレスが、脱力して席に座り込む。そこへ喜々として、は今までの恨みを込めに込めた止めをぶっさした。

「一つ聞きたいことがあるクレオンのご当主。私が昨夜襲われた事は十二宮に住む聖闘士の方々しか知らぬ事実。何故貴殿が知っておられる?」
「そ、それは、人に聞いて……」
「どちらに? 私の顔を見た者は全て消させてもらったが。私を襲った中に生き残りがいたとして、それが何故貴殿の元へ行くというのか……私は若輩ゆえ考え付かぬ。教えてはいただけまいか、ご当主」
「し、知らん、私は何も知らん! わ、私がその雑兵どもを金で買ったとでも言うのか!? 十二宮に出回っていた毒も私がしたと……!」
「金? これは興味深い事を仰る。それに十二宮に多種多様な毒が出回っていたという事実も、十二宮のもの以外知らぬ事」
「詳しく話を聞きたいものだな。雑兵、クレオンの当主を連れて行け」
「はっ」

 彼の近くにいた雑兵が膝をつき、ペリクレスを引っ立てる。何やかやと喚き立てるおっさんを鼻で笑って見送り、は教皇を見上げた。

「教皇、件の雑兵の中に私の顔を見なかった者が一人おりました故、捕らえてあります」
「その者はどこに?」
「ここですよ」

 牡羊座が一人の気を失った男を投げ落とす。地面に身体を叩き付けられた衝撃と痛みで眼を覚ました彼は、きょろきょろと周囲を見回し、血の気を引かせた。

「ありがとうございます、ランティス様」
「様はつけなくていいよ。君ももう立派な聖闘士だ」
「はい、ランティス」

 教皇の命で引っ張られていく雑兵を視界の端に捕らえながら、は牡羊座の要望通り彼を呼び捨てる。けれど、ここに着てからずっと様付けで呼んでいた為に、どこか違和感があり、慣れるのに時間がかかりそうだと思った。

「いらぬ邪魔が入った。よ、女神はそなたを射手座と認めた。これより、人馬宮をそなたに任せる。心して仕えよ」
「御意」

 女神の代理人の言葉に、黄金の翼の戦士は厳かに膝を折った。
 かくして、他の黄金聖闘士達を差し置き、歴代最強の聖闘士として名を残す射手座は誕生したのであった。


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