20.ネズミ退治


 公開試合の前日。
 の希望通り警戒網は緩められ、金で買われた俄か暗殺者達の殺気が所々で感じられた。
 命を狙われている当の本人は、馬鹿正直なネズミが罠にかかったと言いながら茶をしばくくらいに暢気なものだが、彼女を溺愛している師は気が気ではなく、様子を見に来ていた恋人にもたれながら胃をキリキリさせている。
 己がここまで、それこそ心を悪鬼にして育て上げた弟子の力を信じていないわけではないが、心配なものは心配なのだ。
 こうなった師に迂闊に近寄れば離してくれない事を良く知っているは、師の面倒を巨蟹宮の主に全面的に任せ、仮面を一度つるりと撫でて窓の外を見上げる。そろそろ良い頃合だ。

「んじゃ、ネズミ退治に行ってきます」
「……! やっぱり…ふがっ」

 まるで散歩にでも行くかのような気軽さで手をスチャッと挙げるにアフロディーテが制止の言葉をかけようとするも、背後からデスマスクに口をふさがれてしまう。
 その手から逃れようともがくアフロディーテものともせず押さえつけ、デスマスクは手振りだけで行って来いと促した。もその好意に頷き、双魚宮を出る。
 まるでいつもと変わらぬ後姿を見送ったフーガとアルバフィカは、視線を合わせて頷きあい、少し遅れて彼女の後を追った。
 そうして三つの小さくも頼もしい背中を見送ったデスマスクは、やっと恋人を解放する。

「ぷはっ……何をするんだ、デスマスク!」
「何っての邪魔をしそうだったお前を止めたんだろうが」
「邪魔って、私はの身を案じて……!」
「それはわかってるさ。けどな、あいつはもう黄金聖衣を継承するだけの実力は身につけてるんだ。わざわざ雑兵如きにやられるわけがねぇ。それは師であるお前が一番良く知ってるだろう」
「それは……だけど……!」
「いつまでも拾ってきた時のままの、ひ弱で小さなガキじゃねぇんだ。お前もいい加減大人になって見守ってやれ」
「……あの子が大切なんだ…愛しくてたまらない……」
「ああ、その気持ちはよくわかる。きっと十二宮にいる奴らは全員そう思ってるだろうよ。…他の奴らも大事にならないように周囲を警戒してる」

 ソファに身を埋め、手で顔を覆ってしまった恋人の肩を抱き寄せ、薄葡萄の髪に口付ける。

「大丈夫だ」
「うん……」

 触れる温もりに目を閉じ、アフロディーテは静かにデスマスクの肩口に頬を寄せた。





 日も暮れ、空は漆黒のベールに覆われている。月は皓々と輝き、その周囲では星が控えめに自己主張をしていた。
 美しい夜空を見上げながら、は数歩離れてついて来る少年達の気配に小さく息を吐く。こうも用意に彼らに気づけたのは、雑兵どもの襲撃に備えて神経を研ぎ澄ませているというのもあるが、彼らが全くに対して自分達がついて来ている事実を隠そうとしていないからだ。
 何をしたいのかはわからないが、とりあえず彼らは放っておく。手を出すなと事前に言い含めてあるので、雑兵たちとの乱闘に割り込んでくる事は無いだろう。
 は黙々と十二宮を下り、近くにある森の中へと入る。その少し前から、ちらほらと周囲に無駄に殺気だったネズミどもの気配を感じ取り、仮面の下でニヤリと口端を吊り上げた。面白いくらい順調だ。
 少しばかり開けた場所に出ると、その場でじっと佇む。そうして、ネズミが餌に寄って来るのを待った。

「へへ、やっぱガキだな、一人になるなんてよ」
「まったくだぜ」

 がさりと草をかきわけ、卑下た笑みを浮かべた雑兵たちが近づいてくる。
 いかにも脳の足りなさそうな、私欲に塗れた感じの奴らだ。雑兵どもの顔を見回しながら、はやられキャラ的な並以下の顔立ちばかりだ、さすが雑兵、とどこかずれた感想を抱いていた。
 元々綺麗なもの、可愛いものが大好きなである。美形ぞろいの十二宮で彼らに囲まれて暮らしている所為で、彼女の美意識はより高いものへと変わっていた。
 言葉もなく男達を見上げる少女に、恐ろしくて声も出ないのだろうと判断を下した男達は、じりじりと輪を縮める。
 離れた場所で、二人の少年の怒気と殺気が地を走った。

「お嬢ちゃんに恨みはねーが、オレ達のために死んでくれ!」

 彼らの内の一人が立ち尽くすに殴りかかり、ぎりぎりで避けた少女の仮面を吹き飛ばす。
 ちょうどその時開いた天井から差し込んだ月光が、冷たい光を宿した紫紺の瞳と、獰猛な笑みを照らし出した。




 多勢に無勢の勝負は一瞬で片がついた。もちろん、の圧勝で。
 所詮雑兵対黄金聖闘士、例えが候補生であるとはいえ、明日には黄金聖闘士として正式に名乗る事を許される予定なのだ。
 そんな相手に雑兵が敵うわけが無い。そんな事すら解らないのか、と周囲に転がる男達を見回し、は息を吐いた。



 少年の声が少女を呼ぶ。
 手を払っていたは声のするほうを振り向き、手を挙げた。
 アルバフィカは駆け寄り、少女をくまなく観察する。そして怪我が無い事を確認すると、身体の内に溜まっていた不安をため息と共に大きく吐き出した。
 唇の端に僅かに苦笑を刻み、はフーガから仮面を受け取った。それを元通りに装着する。

「ありがと。で、何しに来たんだお前ら」
「こいつら運ぶの手伝おうと思って」
「いくらでも一人でっていうのは無理があるだろ」

 アルバフィカは笑顔で地面に伏している男達を指し、フーガもそれに同意する。PKを駆使すればこの人数ぐらいならばどうって事はないが、はただ微笑んで頷くに止めておいた。


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