14.布石


 正面から繰り出される拳を払って受け流し、懐に飛び込む。
 しかしアルバフィカもそれを予想していたのかバックステップで間合いを明け、低い位置から回し蹴りを放った。
 その足をはがっしりと掴み、重心とは反対方向へと投げ飛ばす。
 アルバフィカが手を突き体勢を整えようとする隙に素晴らしい瞬発力で持って合間を縮め、肩を地面に押し付けて咽喉元に拳を振り下ろした。

「そこまで!」

 指一本の距離で寸止めした瞬間に、審判役の声が上がる。
 その声に周囲も本人達も、知らず知らずの内に詰めていた息を吐き出した。
 はアルバフィカの上から起き上がり、倒れている彼に手を貸して向かい合う。

「「ありがとうございました」」

 頭を下げて、視線が集中する中、フーガの待つ階段まで走った。
 途中、「あれだけの激戦を繰り広げて……」だとか、「さすが未来の黄金」だとか、「あいつら本当に人間か?」とかいう失礼な台詞が聞こえてきたりもしたが、無視だ無視。
 確かに闘技場の中は地面が抉れていたり(の蹴り)、置いてある岩が砕けていたり(アルバフィカの拳)、観客席の一部が崩壊していたり(ぶつかったり足場に使ったり)しているが、それは他の連中も同じだ。壁のほうまで吹っ飛ばされている分だけ、奴らの方が闘技場に与える被害は甚大だ。

「お疲れさん、二人とも」

 恐れ、畏敬、愕然とした雰囲気の中で、フーガだけが暖かな笑みで二人を迎え入れる。
 明らかにほっとしたアルバフィカを横目で見て、は感受性が強すぎるのもいかがなものかと密かに息をつく。
 そこがアルバフィカの良い所で、これから先も残しておくべき大切な感性なのだろうが、それが彼自身を傷つける刃になりはしないだろうか。
 いつの間にか己の中で大切な人間に分類されている事実に複雑な心境になりながらも、どこまでその柔らかな心を守れるかと考えをめぐらせる。
 幸いその危惧を抱いているのがだけでなく他にも数人いるので、そこまで心配してはいないのだが。
 いずれはその問題にも直面するだろうと、今はその考えを箱の中に静かに収めた。

「おう」
「フーガもね」

 むき出しの頬や腕についた傷を指し、アルバフィカが笑う。そういう彼の頬や腕や足にも、擦り傷やアザがついていた。は仮面をつけている為に顔に傷は無いものの、腕やら足やらは二人と同じような有様だ。
 実戦を始めた直後、想像通りに彼らの師は嘆きに嘆き、幾度か巨蟹宮の主に出動願うはめになったが、の顔が仮面に保護されて傷一つつかない事には大いに喜んでいた。仮面を嫌い、黄金聖闘士候補生であるが故に緩和された仮面着用の掟を利用し、事あるごとにから仮面を取り上げている師が、仮面の存在を諸手を挙げて受け入れた瞬間である。
 身体についた土を払いながら、は二人を森の中へと促す。闘技場の中では話をするには色々と向いていない。
 森の少し奥まった場所には、丁度良い木陰と綺麗な水の湧き出る泉があった。
 そこで手足や顔の汚れを落とし、傷口を洗い咽喉を潤す。
 彼ら二人のほかに人がいない事を確認して、は仮面を外し汗ばんだ顔もすすいだ。
 いくら掟が緩和しているからといっても、それは黄金間での話であって、他に対しては今までどおり見られたら殺!である。ちなみにの中に「愛する」という選択肢は存在しない。
 は仮面を手に持ったまま、ごろりと柔らかな草の上に転がった。

、ヒーリングしなくていいの?」
「たいした怪我じゃねーからな。それに人間には自己治癒能力ってもんがあるんだ。あんまりヒーリングばっかり使ってるとそれがバカになるぞ」
「へぇ、そうなんか」
は何でも知ってるね」

 フーガが目を丸くし、アルバフィカが目を輝かす。
 は肩をすくめて、口元だけの笑みを浮かべ、二人の感想を流した。

「しっかし、二人とも上達したよなー」
「実戦の事?」
「おう。そろそろ俺とも組んでみねぇ?」
「私としちゃ大歓迎だが、師匠がなんていうか」
「体格差がありすぎて〜とかこじつけて却下しそう」
「体格差ねえ……聖闘士になったら戦う相手は選べないんだから、あんまり意味はねえよな。それに力はまぁ仕方が無いにしても、スピードと瞬発力じゃのほうが上だし、アルバフィカもここぞという隙は絶対見逃さねぇし、何より一撃一撃が誰より精密で鋭い。二回りくらい差が有りそうな相手でも大丈夫だと思うぜ、俺は」

 そういうフーガは技の繋ぎと身体の使い方がうまい。攻防力が高く、今のところ総じて三人の中でもっとも強いのはフーガだった。 
 しかし彼は、後数年経てばどうなるか判らないと笑う。

「今日帰ったら師匠に頼んでみっか」
のお願いなら師匠も聞いてくれるよね」
「あの人はに弱いからな。ああ、その時は仮面も取れよ。その上目を潤ませて上目遣いをすれば完璧だ」

 どんな対策だ。そう思いつつも師がに甘い――弟子達全員に甘いが、は自分が拾ってきたからか格別だ――甘いのは事実で、フーガが言ったとおりの行動を取れば一も二も無く了承する事は間違いない。
 ただ問題はがそこまで乙女な仕草を出来るかどうかで……。

「ああ、うん……できたらな」

 乙女な自分を想像し、起き上がって粟立った肌をさする。
 フーガもアルバフィカもさすがに想像がつかなかったのか、複雑な顔をしたり苦笑をしたり。
 は記憶の中の気色の悪い自己像を消し去った。あまりにも寒すぎる。

「ねえ、、フーガ。二人は技とかどうするの?」

 フーガの提案をとりあえず忘れる事にしたらしいアルバフィカが、代わりとばかりに新しい話題を出す。
 ああそれか、とは首を傾げて眉間に皺を寄せる。紫紺の瞳に光が入り、金色に光った。

「そういや考えろって言われてたっけ。俺は一応考えてるけど」
「私も。フィーは師匠から受け継ぐんだろ?」
「うん、その予定だけど」

 黄金は先代がいればその技を受け継ぐのだが、射手座と双子座には先代がいない。故に一から考え出さなければならないのだ。
 聖衣が先代の技を記憶している事も有るが、小宇宙の大きさが違えばそれを打つ事は出来ない。
 一からというのはとても面倒だが、その分誰にも知られていないという利点がある。

「フィーも一応考えとけよ」
「うん。でもどうして?」

 の忠告に素直に頷きながらも、首を傾げる。フーガも同じように首を傾げていた。自分で考えろ、そう言って突き放せないのは甘さだろうか。
 そんな風に思いながらも、は口を開く。

「師匠が使ってるって事は、他の人間もその技を知ってるってことだ。例えば、デスマスク様とか」
「うん」
「そういや、よく喧嘩してるもんなぁ」

 痴話喧嘩で毎度のように千日戦争になりかける二人を脳裏に浮かべ、俄か生徒二人は頷く。

「黄金聖闘士の技を止められる奴はそうそういない。でも自分より実力のある奴が敵で、そいつが自分の技を、もしくは受け継がせた師の技を事前に見知っていたら?」
「「一度見た技は通用しない?」」
「そういうこった。そうなれば万事休す。戦略を使って勝てたとしても、生き延びられる確立は低い。だから受け継ぐ技以外に、少なくとも二つは考えとけば少しは勝率も上がるだろ」
「なーるほどね。奥の手とさらにもう一手って事か」
「そっか……わかった。考えとくよ」

 真剣な眼差しでフーガとアルバフィカは頷く。その様子を見て、俄か教師は多少ほっとした。
 そろそろ記憶は薄れてきてはいるものの、原作でアルバフィカが命を落とした原因は、対ミーノス戦前に全ての技を出し切ってしまったところにあるような気がしてならなかったのだ。
 こういっておけば、後一つは技を考え出してくれる事だろう。こうして地道に布石を打っておけば、後々の悲劇回避に繋がるかもしれない。

「しっかしまぁ、考えるつってもなぁ」

 難しい。
 フーガはごろりと寝転がり、葉の隙間から見える空を見上げる。真っ青な空は目が痛いほどに鮮明で、は空を見上げる度に、時代の違いと空気の清濁の差を思う。
 電気も水道もガスもない生活というのは多少不便ではあるものの、慣れてしまえばそれほどでもなくなかなかに快適だった。

「距離、範囲、攻・防・治癒。肉体破壊に精神破壊。まぁ多種多様だからな。考えて試して相性も見ながら取捨選択していくっきゃねーだろ。こればっかりは一人で頑張れよ。私は知らん」
「やっぱりぃ〜?」

 情けない声を出しながらも、顔はしっかりと笑っている。どうやら口で言うほど困ってはいないらしい。それに人の手を借りても意味がないこともわかっているのだろう。
 できるだけ、仲間内にも知られない方がいいのだから。
 年上の弟弟子の反応には方眉をくいっと上げ肩をすくめる。やけに大人びた仕草ではあったが、老成している雰囲気を持つ彼女にはよく似合っていた。全く持って格好良い姉弟子だ。フーガは時折、どちらが年上なのか本気でわからなくなるときがある。
 その後に取った行動は、年相応のものであったが。

「お〜い、?」
「煩い。大人しく枕になっとけ」
「僕も!」
「はいはい」

 寝転がったフーガの腹を枕にして、とアルバフィカが寝転がる。
 二つ下の子供達の頭は鍛えている身体には軽く、の俺様な発現にもそれに続いたアルバフィカにも、フーガはただ笑って受け入れた。フーガはとアルバフィカに限り、少しばかり無茶をしても怒りはしない。
 そのままの状態で目を瞑り、は己の技に関して考える。
 遠・中・近距離と超接近――つまりはゼロの距離。それに広範囲と局部を組み合わせ、己の欠点である純粋なパワー不足を補うものが望ましい。
 そして強力な治癒が一つと、精神に対応したものが一つ。防御もそうだ。それを考えると、牡羊座の技はある程度理想にかなっている事がわかり、とりあえずのモデルとして心の内に留めておく。
 遠距離に局部破壊では命中率に欠けるため、広範囲攻撃を組み合わせるのがベストだろう。それこそ、サガやカノンのギャラクシアンエクスプロージョンのような、超強力なものが。
 逆に中・近距離は局部破壊のほうが良い。己が巻き込まれないためにも。その代わり、破壊力のあるものが好ましい。
 中距離は絶対に外れない命中率も必要だ。それこそ、標的に当たるまで追いかけ続けるような、追尾機能がある数の多い分散型が。
 それに近距離とゼロ距離用のパワー補足用の技を掛け合わせればどうだろう。破壊力だけならば抜群のはずだ。
 パワーの補足には、多分宇宙空間以外どこに行ってもあるだろう重力を使えばいい。
 うまく使いこなせれば、単純な肉弾戦ならば敵の攻撃もある程度無効化できるはずだ。
 治癒のほうは相性が良いらしく、ある程度目処はついている。精神の方も。こちらは教皇に教えを請えば、喜々として幻朧魔皇拳あたりを教えてくれるはずだ。
 何故だか彼はを教皇にしたがっている様子だし。利用できるものは利用しなければ。それを教えてくれたのも教皇なのだから、文句はないだろう。というか本人の意思を無視して勝手に次期教皇としての教育を施しているのだから、それぐらい甘受してくれないと割に合わない。
 問題は小宇宙を使っての攻撃に対する防御だ。これに関しては、小宇宙が目覚めたときからの奥深くに眠っている“何か”が役に立ちそうなのだが、人としての本能がにソレを引き出させる事を拒んでいた。
 何となく、わかる気がするのだ。奥深い所に息を潜めて眠っているソレは、この世の何よりも強大で無比のものだ。ソレを目覚めさせてはいけない。ソレを引き出してはいけない。
 ソレはが完全にその姿を確認した瞬間、何か大切なものを亡くすような気がしてならないのだ。
 正直、その正体は気になる。それがわかれば、がこの世界に前世の記憶を伴って生まれてきた理由がわかる気がするのだ。

――それでも……を失えば、私は……。

 脳裏によぎった言葉に、ははっと目を見開く。何かを掴みかけたのに、まるで砂粒のように、それは指の間からすり抜けてしまった。
 心の中にその名残のようなものが澱み、何とも言えぬ不快感を醸す。
 舌打ちしたい衝動に駆られたとき、愛らしい顔がを逆さまに覗き込んだ。

、どうしたの?」
「……何でもねぇ」
「そう?」

 フーガの腹枕から起き上がり、心配そうな二対の目に笑みを浮かべる。それは苦笑にしかならなかったが、聡い二人はそれ以上追及することなくあっさりと引き下がってくれた。
 正直、ありがたかった。
 は立ち上がり、空を見上げて仮面をつける。太陽が真上に鎮座していた。

「そろそろ巨蟹宮行こうぜ。今日はデスマスク様が作ってくれる約束になってる」
「もうそんな時間か。早く行かないと師匠が心配すんな」
「どっちにしろ師匠は心配すると思うよ。今日も傷だらけだし」
「……師匠もいい加減諦めりゃいいのにな。訓練なんて傷だらけになって何ぼだろうし」
「違いない」

 フーガの言葉に同意しながらも、慌てふためく師とそれを宥めにかかる双魚宮従者と巨蟹宮の主の様子が目に浮かぶようで、は喉の奥で笑う。
 巨蟹宮ではその予想と寸分違わぬ光景が繰り広げられており、魚座の弟子三人組はそれを見て腹筋を酷使するほど笑い転げるのだった。


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