13.頑張る理由(Side:F)


 路地裏に転がっていた少年の名前は、フーガといった。
 不思議な力――何と小宇宙が視認できるらしい――を持っていたために気味悪がられ、両親が死んだ後親戚にたらい回しにされた挙句追い出されたのだとか。
 とアルバフィカを天使と呼んだのも、二人が金色にキラキラ光っていたから、らしい。黄金聖闘士の小宇宙を感じ取っていたのだ。
 それならば自身の小宇宙――何せ本人も黄金聖闘士だ――を感じ取っていてもいいものだが、自分の小宇宙は見えないらしい。
 教皇やアフロディーテの話だと、まだ小宇宙に目覚めていないからだろうとの事。精度を上げていけば、小宇宙が目覚めていなくても見えるようになるかもしれないらしい。
 それはさておき、魚座師弟に無事発見された双子座候補生フーガは、聖闘士になる事を快諾した後、現在双子座の聖闘士がいないのなら、と魚座に師事する事を決めた。
 子供を心の底から愛してしまっているアフロディーテが、小躍りせんばかりに大喜びした事は言うまでもない。
 ちなみにその理由が、彼が気絶する前に口にした事そのままだった事は、かなり後になって本人の口から語られるまで、誰も知らないのだった。





 鬱金の瞳が目前にそびえる大きな岩を睨みつける。己の内に眠る小宇宙を燃やし、構えの姿勢から大岩に向けて拳を繰り出した。
 それはフーガの予測に違わず、大岩の表層に無数のヒビを入れ、最初と比べると大分と進歩した事に拳を握って会心の笑みを浮かべる。
 アルバフィカの誕生日を迎えて早数日。そしてフーガが聖域に迎えられ、数ヶ月が経っていた。
 フーガは周囲が驚くほどのスピードで小宇宙を身につけ、また小宇宙を見る特殊な目も成長させていた。今では見えないようにも出来るらしい。
 同じように早々に小宇宙を目覚めさせたが、ヒーリングはできても単純な破壊はまだできないというあべこべなと、同じくヒーリングを先に身につけてしまったアルバフィカが、テーピングをした手を赤く染めながらも、岩に傷をつけたフーガに小さな拍手を送った。
 その音に二人の姿を認めたフーガが、顔を輝かせる。

、アルバフィカ!」
「よっ」
「おひるもってきたよ」

 は軽く手を挙げ、アルバフィカはバスケットを掲げた。フーガは満面の笑みでもって頷き、日当たりのいい場所にいる二人の下へと駆け寄る。
 食事のためには上半分の仮面に付け替えており、形のいい顎と口元が見えていた。
 素顔が見れない事を少し残念に思いながらも、フーガは柔らかな緑の絨毯の上に腰を下ろす。
 バスケットに伸ばされた赤い手を、の小さな手が容赦なく叩き落し、捕まえた。

「いてぇ!」
「せっかく持ってきた昼食血まみれにする気か、この馬鹿。フィー、ヒーリングしてやれ」
「でもぼく、まだそんなにうまくないよ」
「あー、いい、いい。だから練習するんだろ。頼むな、アルバフィカ」

 渋るアルバフィカに、フーガが身体は丈夫だから気にするなと笑ってテーピングを外した赤い手を差し出す。
 アルバフィカは少しばかり緊張した面持ちで手をかざし、慎重に小宇宙を高めた。
 その間には布を水で濡らし、バスケットの中身を取り出して昼食の用意をする。
 弟弟子達の真剣な表情と、嬉しそうな顔を横目で見やり、微笑ましさに口元を緩めた。
 肉体的には同じような年頃だが、その精神は親と子ほどの差がある。小さな子供が目一杯頑張っている姿はとても可愛らしい。
 狐狸妖怪な神官どもは正直鬱陶しいが、こういう姿や美人(師とか牡羊座とか)を見れば癒される。いいやおつりがくる。
 俗物なバカどもはこの先とっとと追い出すか、教育し直せばいい事だ。神に使える神官らしく、白い心でいてもらおうじゃないか。
 一瞬ニヤリと黒い笑みを浮かべる。このとき「俗物なバカども」と称された一部の全く反対の意味で人間味のある神官達は激しい悪寒に襲われたそうだが、には与り知らぬ事である。

「できた!」
「おう、ありがとなフィー」

 不穏な笑みを消し去り、昼食の準備が整うのと同時に、アルバフィカの歓声が上がった。
 先ほど濡らした布を未だに血で指を染めているフーガに投げ渡し、水筒に入れてきた紅茶をカップに注ぐ。
 それを横から伸びてきた手――色は元に戻っていた――がかっさらい、一息に飲み干した。味わう暇も何もあったものではないが、延々大岩相手に休憩も無しで向かい合っていた事を知っているだけに無言でおかわりを注いでやる。
 それにそれだけで本当に嬉しそうな顔をするから、も何も言えないのだ。

、ぼくも!」
「はいよ」

 ちょっぴり脹れてカップを突き出すアルバフィカにも紅茶を注いでやり、自分の分も確保する。
 美しい紅褐色のそれはふくよかな香をふんだんに含み、柔らかな湯気を立ち上らせていた。
 三人でいただきますと手を合わせてから、昼食に手を伸ばし紅茶を啜る。育ち盛りの三人は、しばらく無言で己の腹を満たす事に集中していた。

「にしても、予想以上の上達っぷりだな」
 
 バスケットの中身が大方姿を消した所で、ヒビの入った岩をちらりと見たが口を開く。
 フーガはその賞賛に破顔して、金赤の頭をかいた。

「へへ、オレの場合は小宇宙が見えてたからな。感じ取るところから始める奴とはスタートラインが違ったし」
「でもすごいよ、フーガ。でも半年、ぼくはそれ以上かかったもん」

 行儀よく口の中の物を飲み込んでから、アルバフィカは同意する。
 がいくら鬼才だの何だのと言われていても、それは頭脳面や精神面での事。前世で存在し得なかった小宇宙の存在を掴み使用するのに、は半年をかけた。しかも一番最初に覚えたのがヒーリングだった事も合わせ、師も教皇も首を捻っていたが、こればっかりは仕方がない。破壊の力は「守るため、女神のため」と大義名分を掲げてはいても、結局は相対する存在を傷つけるものでしかないのだ。
 仮面の掟があればある程度の殺しは黙認されるしラッキーと思っている事は本当だが、自分の中にある強大な力に対し本能的に恐怖を覚えてしまったのも事実だ。
 ヒーリングを真っ先に覚えた理由はその辺りにある。これが結果的に聖域に来たばかりのアルバフィカを回復させるのに役立ったのだから、結果オーライなのだが。
 ちなみに、アルバフィカが先にヒーリングを覚えたのは相性と性格、そしてが使っているから、というのが原因らしい。
 その辺達と違ってまっとうに手順を踏み成長しているフーガは、二人に手放しで褒められ、顔を髪の色に負けないくらい真っ赤に染めた。

「ん、ありがと」
「どーいたしまして」
「同じく。でもそろそろ私達も岩くらい砕けるようにならなきゃな。そろそろ実戦も始めるみてーだし」
「だね」

 実に嫌そうな顔をして「実戦始めなきゃ……」と言った美貌の師を思い出し、アルバフィカもの言葉に頷く。
 自他共に認めるほど子供大好きな師は、以前教皇に宣言したとおり修行中は一切私情を挟まず、本人曰く心を悪鬼にして弟子達を指導している。
 しかしその反動なのだろうか。修行が終われば怪我をした弟子を泣きそうな顔で心配し、自己嫌悪に陥る事もしばしば。時には巨蟹宮から師の恋人を引っ張ってこなければならなくなる事もある。
 そして何より過保護度が増したような気がする。かと言って、行動を制限されたりはしないので、判り辛いのだが。
 この状態で怪我をする事は当たり前、擦り傷打撲何でも来いな実戦が入ったらどうなる事やら。
 が多少遠い目をしながら、巨蟹宮の主への協力要請を密かに決意していると、小宇宙を体得した次の日から既に実戦も行っているフーガが目を丸くしていた。

とフィーはまだやってなかったのか? 実戦」
「ああ。実戦はどんなに幼くても五歳以上からって決められてるらしくてな。師匠はフィーが誕生日を迎えるまではって先延ばしにしてたんだ」

 それでこの間教皇に説教をくらったらしいのだが、一応師の名誉の為に伏せておく。ちなみのこの情報の入手経路は、最近師の茶飲み友達兼愚痴聞き係と化している白羊宮の主だ。

「なるほど。だから闘技場にも来なかったんだな」
「行ってもおいかえされるんだよ。未来の黄金聖闘士をあやまって死なせる訳にはいかないからって」
「見学も駄目だとさ」

 アルバフィカが不満そうに唇を尖らせ、は肩をすくめる。
 一応達も黄金聖闘士の端くれ。己の身を、跳んでくる瓦礫や人から身を守る術は持っている。しかし聖域は徹底して黄金聖闘士の候補生を大切に保護していた。
 他の聖衣と違ってそう何人も候補生がいるわけがなく、多いときでも二人か三人という少人数なのだから仕方のないことだが、それでいて他の候補生よりも修行内容はきついというのだから、聖域も容赦がない。
 そうでなければ、黄金聖闘士全員が第七感を極め光速の動きを収得するなどできるはずも無いのだろうが。
 白銀や青銅の候補生が悲鳴を上げるような内容でも、それほどきついと思えないのは黄金聖闘士の素質か、はたまた例のトリップ特典か。
 ちなみには彼らの二、三倍はあるような内容も、彼らの修行内容を知るまでは普通かそれより下だと思っていた。
 できれば前者の方がいいなあと思ったのは、後者だと最近頓に磨り減ってきているなけなしすぎる良心が痛むからである。
 しかし、アルバフィカもフーガもそんなにきついと思っていないようであるから、たぶん前者だ黄金の素質だとは心の平穏を保つ為に己に言い聞かせていた。

「何だ、一回は来たんだな」
「うん。フーガってどうやってたたかうのか見てみたかったから」
「必死こいて今回は諦めてくれって説得にかかる雑兵のおっさんが不憫でな」
「けっこうねばったんだけど……」
「土下座までされちゃーな」

 あれ以上すると胃に穴が開きかねないので、仕方なく二人は引き下がったのだ。
 フーガはそこまでやらかした二人に一瞬頬を引きつらせるも、二人のやる事ならばどんな事でも受け入れてしまうほどに二人を絶対の存在としているフーガは、それをただの笑みに変えた。
 取った行動が何であれ、自分を見に来てくれたという事が嬉しい。それに今度から二人が実戦も追加されるなら、共に闘技場に行く事もあるだろう。
 今まで以上に努力する事を、フーガは己と女神に誓った。年下の絶対者達にいい所を見せたいのだ。そして、二人を守りたい。そのために、聖闘士への道を目下驀進中なのだから。
 密かに拳を握り締める年上の弟弟子に、年下の兄弟子と姉弟子は小首を傾げる。
 そんな二人にフーガは満面の笑みを浮かべて見せ、空になった二つのカップに冷めてしまった紅茶をとぽとぽと注いだのだった。






あとがき?
 小宇宙収得の難易度は下記参照。
 単純な破壊 → 技(性質、形状変化)→ ヒーリング → 守護(結界)
 主人公とアルバフィカはこの三番目から覚えてしまいました。
 ちなみに二番目に技が入っているのは、小宇宙に守護星座の特色が現れるため。
 普通はある程度技が完成すると、ヒーリングを教えられるという設定です。


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