12.双子座


 耳元で銅鑼を叩かれたようにクワンクワンと揺れる頭を抑えながら、ぐずぐずと泣いているアルバフィカを片手で抱きしめる。
 浅葱色の頭を小さな肩に押し付けて、未だにしくしくと泣き続けている双子座の頭部から視線をそらして、深々とため息をついた。



 耐え切れずに可愛らしい少女のような悲鳴を上げたのは、やはりと言うか、アルバフィカの方であった。
 も同じように息を吸い叫び声を上げかけていたのだが、耳元で響いた凄まじい悲鳴に不発に終わったのだ。
 涙を流すヘッドパーツへの嫌悪感も忘れて文字通り耳をつんざくような悲鳴に身悶えていると、アルバフィカの声を聞きつけた黄金たちが光速の動きで集まり、ポロポロとにしがみついて涙を流すアルバフィカと、黄金の矢を握り締め身悶えているを保護してくれた。
 宮の位置の関係上、一番最後に駆けつけた師の顔は、色を失って真っ白。
 とアルバフィカの無事を確認するや否や、冷たい床にへたり込んで泣き出してしまった。
 他の黄金はと言うと、ランティスは珍しい聖衣の現象にマッドサイエンティストのごとく目を光らせ、デスマスクは師を宥めるのに忙しく、獅子座のアスランとアルデバランは何事も無いと知ると、教皇に事の報告をしてくると十二宮を駆け上がり、青炎は今にもノミやツチを取り出しそうなランティスを押さえにかかり、スーラとエリアーデはどこからか取り出した枯れ木でヘッドパーツをつつき、パーンはとアルバフィカの小さな頭を注意深く撫でている。
 誰一人として、泣いている双子座のヘッドパーツに動揺のどの字すら見せなかった。



 そしてある程度落ち着いたところで教皇から招集が掛かり、現在黄金聖闘士と候補生二人は、教皇の間に勢揃いしていた。
 教皇の座す延長上に台座があり、その上に双子座のヘッドパーツ――双子座の聖衣を持っていくときに誰が持っていくかで一悶着あったのだが、結局がPKを使って移動させる事で決着がついた――と射手座の矢が置かれていた。
 しばらくそれを見ていた教皇は、にヘッドパーツ発見に至るまでの経緯を尋ね、は皆の視線が集中する中、腕にアルバフィカを抱いたままで自分達の身に起こった出来事を口にした。

「ふむ、射手座の聖衣がな……。よ、矢が放たれた時、もしくはその前何を考えておった?」
「この聖衣は私のものなのだと実感していました。放たれる直前は聖衣が床石削って動いた事に驚いてましたけど」
「……双子座とは全く関係が無いな」

 声に多少の落胆を滲ませて、小さく首を振る。
 興味津々で泣き続けるヘッドパーツを見ていた――というよりも凝視していたランティスが、黄土色の瞳を爛々と光らせたままで教皇を見上げた。
 
「教皇、問題は射手座の聖衣が取った動きではなく、双子座の聖衣の方ではありませんか? 黄金にもなると、聖衣にも意思が宿り、己で主を選びます。言い換えれば黄金聖衣は己の主を知っているともいえる。聖衣が泣いているということは……」
「双子座となるべきものが命の危険は無いまでも、助けを求めている、ということか」
「そしてその事実を知らせるために、射手座の黄金聖衣が動いたのでしょう」
「早急に探し出し、保護せねばならぬな」

 ランティスの見解に同意し、教皇は重々しく頷く。
 その言葉にランティスの瞳がマッドな色を帯び、キロリと光った。
 それを目敏く認めた教皇は即座に釘を刺した。この学者肌の牡羊座を放っておくと、双子座のヘッドパーツが解体されかねない。

「ならん。牡羊座よ、お前は待機だ」
「なだ何も言ってないではないですか」
「双子座捜索に行こうというのだろう、その聖衣を持って。お前に預けたら双子座当人はともかく、聖衣の方がどうなるかわからんからな」
「チッ」

 しっとり系の美貌が無表情なままで鋭い舌打ちをかます。
 周囲の黄金は生ぬるい笑みでもって、それを受け流した。
 漸く嗚咽が収まってきたアルバフィカの背を叩きながら、は頭上に渦を巻き鎮座している嫌な予感に仮面の下で唇を引き結んだ。
 その予感によく出来ましたと預言の神が微笑んだのは、未練たらたらでランティスが引き下がった次の瞬間だった。

よ」
「……はい」

 そら来た、と顔を歪ませる。

「このヘッドパーツを持ち、早急に双子座を探し出せ。もちろん魚座も行ってかまわん」

 何で私。
 そう思いながらも、言葉を覆す気配の全く無い教皇に、は諾と返す外選択肢は無かった。




 アルバフィカの時といい、今回の事といい、教皇は五歳――先日誕生日を迎えたばかりだ――の子供(中身はプラス20だが)に何を求めているんだ。

に何をさせたいんだ、あの狸は……!」

 外出の用意をしながらぶつくさと文句を言う師に心の中で大いに同意しながら、厚手のドレスを着込んだ上に白いファーのついたマントを羽織る。今回は外に出るということで、仮面は疾うに外していた。
 否応なしに双子座捜索に乗り出す羽目になったに、自分もついて行くと双子座のヘッドパーツにびくびくしながらも申し出たアルバフィカは、と色違いの薄い水色のマントを羽織っている。
 そして今回の騒動の元となった件の聖衣はというと、が使わない桃色のヒマティオンにぐるぐる巻きにされ、バスケットの中に突っ込まれていた。
 あんなだらだら涙を流す無機物、気味が――気色も――悪くて持って歩けたものではない。

「それでは人馬宮様、双魚宮様、次代様。お気をつけて」
「うん、行ってくるよロゼ」
「行ってきまーす」
「いってきます」

 珍しく白羊宮の下まで降りてきたロゼに手を振り、とアルバフィカはアフロディーテにしがみつく。
 アフロディーテは幸せと理不尽な憤りとを半々に噛み締めながらバスケットの中身に気を集中し、その波動に導かれるままにテレポートした。





「路地裏……」

 いや、いきなり道の真ん中に出るよりはいいけど。胸中で突っ込みを入れつつ、周囲を見回す。
 高いガ造りの建物の隙間から見える空は聖域の青い空とは全く違う灰色の曇天をしており、今にも雨――この冷え込みでは雪だろうか――が降ってきそうだ。
 はバスケットを嫌々抱えなおし、アフロディーテとアルバフィカの背に続く。
 細い隙間から顔を出すと、人々と馬車の行きかう大通が姿を見せた。
 アフロディーテを真ん中にアルバフィカとが並び、ヘタな注目を集めないよう――何せ美形率の高い三人組だ――極力気配を殺しながら、双子座の聖衣が反応を示す方向へとひたすら突き進む。
 聞こえる言葉はフランス語だった。

「お父様、本当にここであってるんですか?」

 聖域を出る前に呼べといわれた呼称で尋ねる。絶対にただの趣味だろうと思ったが、案の定とろけるような笑みを浮かべたアフロディーテは自信満々に頷いた。

「もちろん。その証拠に双子座の聖衣はちゃんと反応しているだろう?」
「はい」

 確かにその通りだ。今達を誘導しているのは、バスケットの中で布にぐるぐる巻きにされている黄金の無機物で、今バスケットから手を離せば一直線に飛んで行きかねない勢いだ。はそれを抑えるのに少し忙しい。
 無機物のくせして生意気な。心の中で毒づき、バスケットの取っ手を握り締める。籐で作られたそれからミシッと嫌な音が響き、は心持ち慌てて手から力を抜いた。
 アフロディーテはのその行動に苦笑し、アルバフィカはことりと首を傾ける。
 普段とは違う格好をしていることもあり、また違った魅力があるが、原因が原因であるだけにあまり嬉しくは無かった。
 口元を引き結び、バスケット(の中身)に引かれるままにスタスタと進む。そうして一つの細い路地の横を通り過ぎようとしたとき、バスケットを持った手がくんっと何かに引っ張られた。
 三対の目が、バスケットと細い路地を行き来する。

「ここ、か?」
「そうみたいだね」
「ふむ。私が行こう……と言いたい所だが」

 アフロディーテが麗しい顔を曇らせ、とアルバフィカは顔を見合わせた。その路地はアフロディーテのような大人では通れそうも無い細さである。
 しかし、幼児二人ならば何とか通れそうで、とアルバフィカはこくりと頷きあい、はバスケットを持ち直し、アルバフィカはアフロディーテが持っていたトランクを奪い取り中から一枚のヒマティオンと毛布を取り出し、腕に抱えた。
 幼いながらに何とも行動的な弟子達に、師は将来が楽しみだと笑みを浮かべる。

「それじゃ師匠、行ってきます」
「いってきます」
「気をつけて」

 二人は一つ頷いて、細い路地へと一歩足を踏み入れる。聖闘士として鍛え始めている二人の嗅覚に、排泄物による異臭が突き刺さり、激しい吐き気を覚えた。

「おえぇ……吐きそ……」
「く、くさい……」

 口元を押さえ、身を寄せ合いながら身悶える。聖域は住んでいる人間の感覚が鋭く、女神を迎え入れる場を穢すわけにはいかないという理由で衛生面は外界より一歩も二歩も前進し管理されているだけに、排泄物が放置されているこの状況は耐え難かった。
 しかしながらここで諦める訳にはいかず、回れ右しそうな足を必死で路地の奥へと進めた。
 そんな二人の目には涙がたっぷりとたまっている。

「い、急ぐぞフィー。いつ何がふってくるかわかんねーし、何より私達が持たねー」

 極力鼻で息をしないように気をつけながらつむいだ言葉に、腕の中のヒマティオンに顔を押し付けたアルバフィカがこくこくと頷く。
 それを少し羨ましく思いながら、は双子座の聖衣の頭部を大いに恨んだ。

――帰ったら即ランティス様に進呈してやる! 改造でも何でもされるがいいわ!

 目にも来る刺激に出てくる涙を拭き、薄暗い中で目を凝らすと、この寒い中薄い着物で路地の隅でうずくまっている小さな子供を見つけた。
 バスケットの中で双子座の聖衣のヘッドパーツが歓喜に鳴き、一瞬それにギクリと身体を振るわせたアルバフィカとは顔を見合わせてほっと胸を撫で下ろす。
 どうやらこの子供が、双子座の黄金聖闘士で間違いなさそうだ。
 膝に顔を埋めている子供に近寄り、肩に手をかける。一度揺するも反応が無く、は肩眉を上げ、アルバフィカは困った顔をした。

「ねてるのかなぁ?」
「いーや、起きてるぞ、こいつは。なあ、顔上げてくれよ」
「うるさい……俺にかまうな」

 子供が己の肩にかかる手を跳ね除ける。思いの外強いその力には目を見開き、アルバフィカは少し赤くなったの手にむっとした。
 小さな眉間に皺を寄せる弟弟子に大丈夫だと笑いかけ、そろそろブツリと逝ってしまいそうな我慢の緒に、は心の中で先の子供に向かって謝っておいた。
 最近アルバフィカの相手をしているからか、変な経験をつんでいるためか気が長くなってきているのだが、周囲を取り巻く異臭にそれも相殺されている。いや、いつも以上に短いくらいだ。

「いやだね。私達はお前を迎えに来たんだ」
「むかえ……?」

 心底不思議そうな声色で繰り返し、くすんだ赤い頭がそろそろと持ち上がる。鬱金の瞳が大きく見開かれて、とアルバフィカを凝視した。
 年はとアルバフィカよりも二つ三つ上だろうか、薄汚れた顔は思っていた以上に整っており、将来が非常に楽しみな顔立ちだ。正統派の美形に育ちそうな少年である。
 やたら美形に囲まれて目の肥えたが感心していると、少年がどこかへ飛ばしていた意識を戻して呟いた。

「俺は死んだのか……?」
「はい?」
「え?」
「だって天使がいる」

 少年の言に驚いたが、ぶほっと噴出した。その瞬間に鼻で空気を吸ってしまい、刺激臭に思い切り咽る。
 同じく驚いて目を見開いていたアルバフィカが、咳き込んで呼吸困難になりかけているに慌てて、おろおろしながら小さな背を撫でた。

「ぐ、ぐるじい……」
、だいじょうぶ?」
「…じょぶじゃらい……!」

 涙をボロボロ流しながら鼻をつまんで口を開け、酸素を供給する。それでも異臭は鼻を突くが、鼻で直接呼吸するよりは遥かにマシだった。

「天使でも泣くんだな。でも人間のより綺麗だ。なぁ俺の事迎えに来てくれたんだろ、だったらさ、天国、行けるんだな」

 呼吸も大分マシになったところで、相も変わらず勘違いしくさっている少年には何とも言えない顔をした。
 アルバフィカだけならば確かに天使と言えなくも無いが、何故自分も含みでそんな恥ずかしい口説き文句紛いな事を言われねばならんのだ、と。
 外見だけならそれなりに見えなくも無いと自認してはいるが、は中身がそれを裏切っている事も知っていた。
 師やエリアーデを始めとした聖域の者達は、それでも可愛いと言いつつ構ってくるが。(余談ではあるが、アルバフィカが来ても脱・構われはできなかった)
 少年はのそんな表情もアルバフィカの複雑な顔も、全く気にも留めずに微笑む。

「天国にいけるんならさ、俺、あんた達と一緒にいたいな。俺の事迎えに来たなんて言ってくれたの、あんた達が初めてなんだ。それが神様からの命令でも、あんた達の仕事のためだったとしても、すごくうれしかったから……。なんでもするから、だから、あんたたちの、そばに……」

 しゃべり続けていた声がかすれ、少年の身体からふっと力が抜ける。
 はその身体を受け止めて、立ち上る臭いと身体のあまりの冷たさに顔をしかめ舌を打った。

「フィー、ヒマティオン」
「はい、

 受け取った布を大きく広げ、少年を包む。PKで身体を浮かせて、さらにその上から毛布ですっぽりと包み、方向転換をしてから頭上を通り越して手元に引き寄せ、アルバフィカを促して路地を抜ける。
 幸いにも、上から何かが降って来る事は無く、帰りを待っていてくれた麗人の顔を見る事が出来た。
 心配に曇っていた顔が安堵にほころぶ。

「ああ、良かった。……この子が新しい双子座だね」

 の手前に浮かされている少年をアフロディーテが抱き上げる。とアルバフィカは薔薇の香のする師に抱きつき、その芳香を何度か吸い込み、生き返ったような気分になってからやっと口を開いた。

「し……お父様、早く帰ってそいつ温めてやらないと。毛布に包んでるからわからないだろうけど、かなり身体が冷たくなってる」

 アルバフィカもの言葉にこくこくと頷く。
 師は弟子二人の言葉を確認するように汚れた頬に触れると、あまりの身体の冷たさに目を見張った。
 すぐに顔を引き締め、小さな弟子達を引き連れて近くの路地裏に入る。そして素早く周囲を確認すると、聖域へと跳んだ。






ちょっとした豆知識(?)
 中世期ヨーロッパの衛生面はとてつもなく問題があり、テーブルクロスで口等を拭いてそのまま放置されていたとか。
 もちろんトイレなんてものも存在せず、衝立等の中でおまるのようなものを使い、窓の外に投げ捨てていたそうです。内と外との「捨てるぞー」「ちょっと待て」というようなやり取りも日常の光景だったとか。
 こんな不衛生がたたって、コレラが流行ることになったそうです。
 貴族の間では花壇が用足しの場所だったそうで……。女性の用足しの言い訳の「ちょっと花を摘みに」はここからきているそうです。


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