11.黄金の矢


 それを見つけたのは偶然だった。
 この世に偶然など無く全てが必然だと某魔女ならば言うだろうし、今回ばかりは、もそれに頷くだろう。
 起こるべくして起こった、という感じなのだから。

――でもできればあんなモノ見たくなかったぞ、私は!





 季節は冬。後一月強もすれば、年が変わるというある日のこと。
 修行の為に夜も明けきらない朝早くから起床し、冷え込む空気に震える体に気合を入れて二人分の熱で温まったベッド――アルバフィカが来た時から同じベッドで寝ている。寒くなるに連れ、子供の体温の存在は心底ありがたかった――から離れる。
 師の指導の下、体力づくりのための運動を軽くした後に朝食を取り、薔薇達の世話をする。そしてPKの訓練と小宇宙の制御の後昼食を取り、シエスタの時間が終わるまで自由時間と言われた時、アルバフィカが人馬宮に行きたいと言い出した。

「人馬宮? 別に良いけど、何しに」
はサジタリアスでしょ。ピスケスのクロスはみたけど、のはみてないから」

 だから見てみたい、と。
 そんなもんかと思いながらも、了承した途端顔を輝かせて走り出したアルバフィカの後を追う。途中すれ違ったロゼに人馬宮へ行く旨を告げて、長い階段を駆け下りた。
 そういえば、が次の射手座の黄金聖闘士だと告げられて以来、一度として射手座の聖衣を見に行ったことは無かった。時間があれば見に行きなさいと教皇やら師やらその他黄金から言われてはいたものの、原作で見て大体の姿形を知っていたために、あまり興味が無かったのだ。
 が来たばかりの頃は、人馬宮はとても人が住めるような所ではなかったそうだが、一応という射手座の候補――実質的に次期射手座――が現れた時点で人馬宮には人の手が入り、いつが宮を移っても良いようになっている。
 聖衣が安置されている場所も、きっと綺麗に整備されていることだろう。
 人馬宮までに通る宮で一応声をかけ、通り抜ける。双魚宮から人馬宮までは宮二つ分しか離れておらず、巨蟹宮まで降りる苦労を思うと、あっという間に人馬宮に到着した。

、おそい!」
「はいはい、ごめん」

 半年ほど経ってやっと子供らしい丸みを取り戻した頬を膨らますアルバフィカ。
 息を切らして紅くなった顔に可愛いーと仮面の下で頬を揺るませ、彼が背を預けている巨大な扉を見上げた。
 人馬宮の中に入るための扉で、この扉はにしか開けることが出来ないらしい。
 手入れをするとき以外は締め切っているその扉に手を触れると、それは主を迎え入れる喜びに小宇宙を震わせ、荘厳な音を響かせてその両翼を開いた。
 アルバフィカは小さな浅葱色の頭を出して中を覗き、すたすたと中に入っていくを慌てて追いかけ、少し薄暗い宮中を見回して、が数枚巻きつけたり羽織ったりしている紫のグラデーションの美しいヒマティオンをギュッと握った。
 がちらりと視線を向けると、それを感じ取ったアルバフィカが「こ、こわくなんかないからね! がこわいんじゃないかとおもって……」と何ともわかりやすく可愛らしい虚勢を張ってくれた。
 人馬宮には人気もぬくもりもまるで無く、双魚宮の雰囲気に慣れてしまっている小さな子供には何か――例えば幽霊とか――が出てきそうに見えるのだろう。
 は咽喉の奥で笑をかみ殺し、上着を掴むアルバフィカの手を取った。

「うん。怖いから手握っててもいーか?」
「う、うん!」

 普段から頼りになる姉弟子の手の暖かさにほっとするも、次の瞬間には珍しく弱気な――本人にとっては欠片たりとも本心ではない――言葉に勇みこんで頷く。
 頬を薔薇色に染めて気合を入れよりも前に進み出るアルバフィカに、揺れが伝わらないよう腕を固定しながらも、は声を押し殺し身を震わせながらその衝動が過ぎ去るまでずっと笑い続けていた。





「うわぁ!」

 そう感嘆の声を上げたのは、外見も中身も共にお子様なアルバフィカだった。
 外と内が激しく食い違い、異世界から記憶付きで転生するというぶっ飛んだ経験をし、後数年もすれば悟りの境地に達するかエイトセンシズも覚醒しちゃうかもしれない勢いのは、その翼の飾りはやっぱり邪魔だと、やたら実践的な考えを心の中でもたらしただけだった。
 アルバフィカはの手を握ったまま、夢見心地で聖衣箱から出て金色に発光している射手座の聖衣に近づいていく。

「キラキラしてる。きれいだね、……?」

 嬉しそうに振り向いた顔が、不思議そうな色に染まる。零れ落ちそうなほどに見開かれた大きな花浅葱の瞳に、の怪訝な顔が映り、そこに淡い金の光を見出して、は己の身体を見下ろした。
 黄金の小宇宙が、の身体からにじみ出ている。
 アルバフィカが見守る中では射手座の聖衣に近づき、そっと空いている方の手で触れた。
 高い、けれどもどこか優しさをはらんだ音が、人馬宮内に響いた。

?」
「私の小宇宙と聖衣が共鳴しているんだ」
「きょうめい?」

 小首を傾げる少年には仮面の奥で口端を吊り上げるだけで応えず、鳴き続ける聖衣を見上げる。
 この聖衣はのものだ。それは既に周知の事実ではあるが、自身は今初めて実感したと言ってもいい。心のどこかで、まだ誰か他に射手座の候補生が存在するのではないかとそう思っていたのか、この確信は少しばかりにショックを与えた。
 だからと言って、何が変わるという訳ではないが。

「ん?」

 ゴリ、と何かをこするような音が僅かに聞こえた。
 何の音だとが顔をしかめていると、再びゴリゴリという音が響き、その音の発信源に目をやったは瞠目した。アルバフィカも息を呑んで目を見開き、それを凝視している。

「聖衣が動いてる……」

 何かをこする音というのは聖衣の足が方向を転換するために石畳をこする音で、ゴリゴリと超金属でこすられた石畳は粉をふいて僅かに削られている。
 そして九十度ほど角度を変えたとき、射手座の聖衣はキリキリと弓を引き、達のいる方向へ向かってその黄金の矢を放った。
 矢はとアルバフィカの頭上を越え、外へと飛び出す。
 二人は一瞬顔を見合わせ、次いで全速力で矢を追いかけた。
 矢は天蝎宮、天秤宮、処女宮、獅子宮、そして巨蟹宮をも越えて、双児宮の中へと飛び込む。即かず離れずの距離で矢を追っていた二人は、ちょうど巨蟹宮を抜けようというところで、ガッ、と何かを打つような音をその優秀な耳で拾った。
 ラストスパートとばかりにスピードを上げて、双児宮へと飛び込む。
 揃って上がった息を整えながら薄暗い宮内を見回すと、通り抜けるための通路の巨蟹宮側に近いところで、床に突き刺さっている矢を見つけた。
 深々とめり込んでいるそれは、子供の手では到底抜けそうに無く、は年々威力が上がる一方のPKで矢を引き抜き、手の内に納めた。

「何だってんだ、一体」
「……ねぇ、。あれ……」

 まじまじと黄金の矢を見つめるの腕にギュッとしがみつき、奥の方に見えるものを指差すアルバフィカ。
 その方向へ視線を向けると、円柱形のシルエットを持った何かが床の上に鎮座していた。

「なんだろう、あれ」
「さぁ」

 首を傾げながらも、筆舌に尽くし難い雰囲気をかもし出すそれに近づいて行く。
 それに近づくにつれ、アルバフィカのしがみつく力は強くなっていった。
 その不安は、にもわかる。恐怖感は欠片も無いが、とてつもなく嫌な予感がした。
 薄暗い通路の中でもソレから二メートルほどの距離まで近づけば、その正体不明のシルエットの全貌も見えてくる。
 バケツをひっくり返したような形のソレは、左右に一つずつ顔を持った、双子座の聖衣の頭の部分だった。そう、頭の部分。他のパーツの姿はどこにも無い。
 しかも、善悪二つの面が揃って目のあたりから滝のような涙を流している。頭部の周囲は、当たり前だが水溜りが出来ていた。

「ひっ」
「うげっ」

 そのあまりの不気味さに、アルバフィカは恐怖に愛らしい顔を歪ませて息を呑み、は生首が泣いているかのような気色悪さに顔を引きつらせてうめいた。
 その間にもだぼだぼと涙は流れ、水溜りは広がっていく。
 あまりの恐怖と気色悪さに我慢の許容量を超えた次の瞬間。


「キャーーーーー!!!!」


 小宇宙まで乗せた甲高い悲鳴が十二宮中に響き渡った。


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