10.命名


「決まったぞ!」
「そりゃおめでとさん」

 多くの辞書等の書物に埋もれ、うんうん唸っていたアフロディーテが勢いよく顔を上げる。
 目の下に隈を作りながらも顔を輝かせる双魚宮の主をちらりと流し見て、ものすごく適当に相槌を打ったのは、恋人の最初の弟子たるから「師匠が使い物にならねーんで助けてデスマスク様」と小宇宙通信をもらった巨蟹宮の主だ。
 彼がのSOSに応え双魚宮に足を運んでから、既に三日ほどたっていた。
 その間ずっとアフロディーテは書物に埋もれており、はガリガリの子供――明らかに栄養が不足しているその子供が次代の魚座だと聞き心底驚いた――に付きっ切りでヒーリングを施し、世話を焼いていた為に、今は子猫のように寄り添いあってデスマスクの傍で眠っている。
 最初ガリガリの子供の方には怯えられていたのだが、出会ってそう経っていない筈なのにどういう経緯でか信頼しているがよく――もしかすると師よりも――デスマスクに懐いているのを見て、この三日ですっかり懐いていた。彼の師を差し置いて。
 そして今の今まで、ちょっとした親子もどきのような事をして過ごしていたのだ。
 小さなの後ろを、さらに小さな子供がカルガモの子のように付いて回っている様は、何とも微笑ましく愛らしい。
 これで少年が皮と骨でなければ、なおのこと。
 絶対に太らせようと、心ひそかにと同じ決意をしたことは、世話焼きで世話好きなデスマスクにはとても自然な事だった。
 その気合の入った栄養満点な料理のおかげか、己の世界に没頭するアフロディーテを世話するのに手一杯な従者が、目いっぱい感謝し倒すほど顔色が良くなっている。
 そんな事を知らないアフロディーテは、ここにいるはずの無い男の姿に驚き目を見開いた。

「何で君がここにいる」
「お前がそれに没頭してる所為でロゼの手が回らなくなってな。からSOSされたんだよ」
「そうだ、とあの子!」

 今の今まですっかり頭から吹っ飛ばしていた存在を思い出し、血の気を引かせる。
 デスマスクはちょいちょいと己の傍らを指差し、そこを慌てて覗いたアフロディーテがほっとしてへたり込んだ。

「まったく、一つの事に没頭すると周りが見えなくなる癖は全く変わってねーな」
「仕方ないだろう。そういう性分なんだ。あ〜良かった……それにしても大分顔色が良くなったね、この子」

 薄いブルーの、まだパサパサとした髪を撫でる。少年の細く小さな手は、昼寝中でも仮面を外さないの服をぎゅっと握っている。
 身を寄せ合うようにして眠る二人はまるで子犬か子猫のようで、心の中で可愛いと連呼した。

「で、そのガキが来てから三日経ったが、やっと決まったのか、名前」
「三日……あー、そんなに経ってたのか。うん、決まったよ名前」
「……やっと決まったんですか、師匠」

 肩眉をくいっと上げる男にアフロディーテが笑んで返すと、今さっき目を覚ましたらしいがあくび交じりに呟いた。
 少年も釣られるように目を覚まし、目元をこする。
 少しばかり皮肉の混じった少女の声に、麗人は苦笑と共に謝罪した。

「ごめん、放りっぱなしで。その子も大分顔色が良くなったね」
「デスマスク様が来て下さったので大丈夫です。顔色が良いのはデスマスク様の料理のおかげと私が頑張ってヒーリングし続けたからです。で、決まったんですよね。早く教えろ……じゃなく、教えてください」

 名前がないと不便です。
 寝足りなくて機嫌が悪いのか、取り付く島もなく師の言葉をばっさりと切り捨てる。
 師に対する敬語すら崩れかけているに、いつものじゃないと某アニメの幼稚園児のような台詞を心のなかで呟きながら、凹みそうな心を叱咤して口を開いた。

「アルバフィカ」
「あるば、ふぃか?」

 少年が小さな声で繰り返す。初めてその声を聞いたアフロディーテは顔をほころばせ、淡いブルーの髪を撫でながら続けた。

「“アルバ”はラテン語で『白い、白の』。スペイン語とイタリア語で『暁、夜明け、始まり』を意味するんだ。“フィカ”は古代ラテン語で『イチジク』という意味のフィカスからと、ポルトガル語の『居てとどまって』という意味から。で、何でイチジクかって言うと花言葉が『子宝に恵まれる、実りある恋、豊富、裕福、平安』だから」

 聖闘士とはあまり縁の無さそうな花言葉だとは仮面を付け直しながら思い、隣での服の裾を握りながら己の名となった言葉を繰り返し呟く少年を横目で見る。
 初めて己の名を得た少年は嬉しそうに顔をほころばせ、握った服の裾を引いた。

、ぼくアルバフィカだって」
「うん。改めてこれからよろしく、アルバフィカ」
「よろしく、

 抱きついてくる小さな身体を受け止め、いい子いい子と薄い青の髪を撫でる。
 そんな弟子達の可愛いやり取りを見て、麗人は身悶えして身を震わせながらばっしばっしとデスマスクの背中を叩いていた。
 背中に大きな紅葉が咲いていそうな勢いだが、当の蟹座は何でも無いような顔をして小さく息を吐く。
 相も変わらずな己の恋人に呆れながらも、その気持ちが判ってしまいそうな自分は、かなり毒されてきている。
 それでも悪い気がしないのは、この乾いた聖域で、何の屈託も無く子供達が笑っているからだと、ガラにも無く考え口端を吊り上げた。












ちょっとした豆知識(?)
 アルバは他にポルトガル語のalvaと描いて同じく白いという意味もあります。
 フィカはイタリア語でもイチジクを指します。この場合女性自身そのもの(または女性器)をさすこともあるとか。
 あと読みは異なりますが、スウェーデン語でFIKA(フィーカ)という言葉があり、これは「お茶の時間、休憩」という意味。
 FIKAを動詞にすると「コーヒーを飲む、渇望する」という意味になるそうです。
 前者の場合、「Ska vi fika」(スカ ヴィ フィーカ)というように使い、意味は「お茶にしませんか?」となります。
 ちなみに「tittut!」(ティットゥート)は日本語だと「いないいないばあ」になるそうです。


 アルバフィカの名前の由来はいったいどこから?という疑問からこんな話に。
 調べれば調べるほど、彼の話の展開を考えると、意味深な名前に思えてなりません。


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