6.射手座


 十二宮の頂点に存在し、女神神殿に続く教皇の間。
 はそこでアフロディーテの報告と同時に教皇と引き合わされ、傍から見ると見るからに怪しい仮面のじじいとにらめっこをしていた。
 これが普通の子供だったら泣き出すって、怖ぇよ教皇。

「おお……!」

 内心が呟いていることなど露知らず、教皇は感極まったような声を出し玉座から立ち上がる。ふらふらとどこか夢見がちな足取りでの前まで歩み、膝を着いた。
 エキゾチックな顔立ちの幼子を覗き込み、仮面の奥でもっとよくその黄金の小宇宙を見極めようと目を細める。

「まさしく次代。それもこの小宇宙は……射手座の黄金聖闘士! 良くぞ見つけてくれた魚座よ」
「はっ、恐れ入ります」

 の後ろから麗人の硬い声が聞こえる。
 色々な意味で別世界の男二人に挟まれて、は言葉も無く固まっていた。
 射手座の黄金聖闘士。誰が。他でもないこの私。
 胸中で自問自答し、強張った体から無理やり息を吐き出して無駄な力を抜く。
 確かに、アフロディーテから事前に黄金聖闘士になれる可能性が有る事を聞いてはいた。聞いてはいたが、星を読み宣旨を下す教皇に断言されると、少しばかり衝撃的だった。
 射手座ってあれだよな、と十四歳で死んだはずなのに二十歳の弟とそっくりな顔立ちをした、某兄を脳裏に浮かべる。
 っつーか、黄金聖闘士確定か。何の冗談だ。
 これ以上ないくらい真剣だということをわかっていながらも、そう思わずにはいられない。
 星矢世界――聖闘士や神々が存在する平行世界といったほうがいいのかもしれないが――にトリップし、PKの力を持っていたために捨てられ、そう苦労しないうちに超絶好みな美人さんに拾われて。
 今度は黄金聖闘士かよ。そんなトリップ特権と特典なんぞいらねーし。ああもうほんと誰だよ私をこの世界に送った奴は。
 がぶちぶちと心の中で愚痴っている間にも、現実は容赦なく進む。

「ふむ。となると師は誰が良いか……牡羊座、獅子座、蠍座は性格的に向かんし、牡牛座は幼女というだけで辞退するだろう。蟹座はなぁ、面倒見は良いが悪影響を与えそうだし……」
「教皇、私が見つけて拾ってきたんですから、何から何まで私が面倒見ます!」
「しかしお前では甘やかし過ぎそうでな」
「……公私ぐらい分けられます。子供ではないのですから」
「その間が一番心配なのだが……やはり天秤座あたりに任せるか」
「見知らぬ人間よりも知っている人間のほうが良いに決まってます!」
「それも一理ある。だが、ここにつれてくるまでに、宮にいる連中には顔を見せとるだろう。それにおぬしの双魚宮には魔宮薔薇があるだろうが」
「っ……薔薇園の奥に行かなければ何の問題もありません。それに宮には常に従者がおりますし、私の留守中でも、小さな子供がそこに入り込む可能性はとても低いと思いますが」

 芳香をかいだだけで人間を緩慢な死に導く花を引き合いに出され、アフロディーテは一瞬言葉に詰まる。
 ほんの一輪だけであっても、あんな幼い子供ではすぐに死んでしまうだろう。それを思うと怯みかけたが、この件においては全く譲る気のないアフロディーテは一呼吸置いて言葉を繋いだ。
 だって約束したのだ。ちゃんと責任持って育てると。の親代わりになると。
 彼女の手を取ったときの言葉を、決して違えはしない。を聖域につれてくる前に、己にそう固く誓ったのだ。

 教皇はいつも以上に強情な魚座に、仮面の奥で小さく息をつく。
 この女性的で華やかな美貌の主がこうなったら梃子でも動かない事を、教皇は嫌というほど良く知っていた。
 これはもう未来の射手座に判断を委ねるしかあるまいと、自分達の間に立ってい――教皇と魚座が舌戦を繰り広げている間も欠片も動じなかった将来有望と思われ――る幼子をひたと見据え、柔らかな濡羽色の髪をくしゃりと撫でる。
 その感触に否応無く逃避の世界から連れ戻されたは、何だかもう開き直るしかないところまで事態が発展している事に諦めを覚え、外見だけは子供らしくきょとんと教皇を見上げた。

よ、そなたは射手座の星の下に生まれ、女神に使えし黄金聖闘士になるべく定められておる。そのためには師につき、修行をせねばならん。わかるか?」
「はい」
「うむ。それでそなたの師なのだが、射手座は現在空位故、他の聖闘士に師事してもらうことになるのだが……」
「なら、アフロディーテがいいです!」

 半ば死んでいた目を輝かせ、頬を紅潮させて教皇を見つめる。
 無邪気な声――本人にとっては計算づくという可愛げの無い代物――で告げられた内容に魚座はぱっと花を咲かせる。言葉を遮られる形となった教皇は、できれば他の人間を選んでくれればと思いながらも、幼子の期待の篭った瞳を前にそうか、としか言えない。
 それでも双魚宮で蕾を付ける毒薔薇の存在は、この大事な次期射手座を害しかねないものなのだ。

「しかしアフロディーテの所には毒のある薔薇がある」
「アフロディーテげんきだよ?」

 背後に膝を着いたまま強い瞳でこちらを見てくる麗人を振り返り、じっと見詰め返す。双魚宮に毒薔薇があることも、彼が元気な理由も知ってはいるが、はまだ肉体的には三歳。今、あまり発達した精神を見せると色々と面倒になりそうなので、直接「耐毒体質作らせてv」とは口に出せない。ので、面倒だが遠回しにそこまで話を持って行くことにした。
 こうなったら何が何でも生き延びてやる。生存確率を上げるためには何だってやってやろうじゃねーか。

「それはそういう風に身体を作っているからだ」
「じゃぁもつくる!」

 子供特有の真っ白なキラキラ笑顔(本人にとっては以下略)で、じっと教皇を見つめる。
 黙り込んだ教皇は、ややあって言葉をつむいだ。

「苦しいぞ」
「だいじょうぶ!」

 それは間接的な許可の台詞だった。
 アフロディーテは歓声を上げに抱きつく。
 満面の笑みで言葉を返し麗人に抱きつかれた方はというと、聖衣の硬さと己の言動の気色悪さに内心身悶えちょっぴり涙目になりながら、こっそりガッツポーズを決めていた。





 ブルータスよ、お前もか。そんな台詞が聞こえてきそうだ。
 カエサルが暗殺されるとき、己を殺そうとする一味の中に信頼していたブルータスがいるのを見つけて発した言葉が、の頭によぎる。
 いや、実際カエサルが言ったのは息子だったとかいう説もあるらしいが、そんな言葉を発したかどうか判らないというのが実情だ。この言葉はシェークスピアの悲劇『ジュリアス=シーザー』で知られている。
 それはさておき、今現在直面している事態はまさにそんな感じだ。
 を弟子に出来て先ほどまでほくほくしていた麗人の前に、これまた女性にしか見えない男性――女にはあれない低い声で性別が判明――が「ついに、ついに双魚宮様が幼子をかどわかしにー!」と泣き崩れている。
 麗人はその人に必死になって違うと主張しながらも、「まったくどいつもこいつも……!」とぶつぶつと毒を吐いていた。ちなみに、泣き崩れている人がその台詞を口にした瞬間麗人が浮かべた表情は、まさに某氏が吐いた言葉と共に浮かべたものと同じものだったに違いない。
 泣き崩れるのに忙しい人とそれを宥めるのに忙しい師となった麗人に放って置かれて身の置き所が無かったは、とりあえず麗人に加勢することにした。
 そのときの心情が、行く先々で誘拐犯扱いされるアフロディーテに少しばかり同情を覚えたから、というのが二割。疲れたのでとっとと休みたい、というのが八割だったというのは内緒である。
 小さな足でとことこと泣き崩れている人に近づき、淡紅色のふわふわな髪を撫でた。
 瞠目して顔を上げた彼に、にっこりと笑いかける。

「アフロディーテのでしになったです。よろしくおねがいします」
「……双魚宮従者のロゼです。こちらこそ、よろしくお願いします。……って、え、お、お弟子様?」
 見上げる従者に、宮主は深々と頷く。
 葡萄色の瞳に溜まっていた涙を長いまつげが弾き、しばらく無言になってその言葉を租借し飲み込んだ後、音を立てて血の気を引かせた。
 そして今度は猛烈な勢いで謝り倒す。それを再び宥めにかかったアフロディーテを尻目に、は深々と、子供らしからぬ重いため息をついた。こりゃ駄目だと内心で零して。





「では新しい人馬宮様は女性なのですね。色々と準備をしなければなりませんね」

 小一時間ほどしてようやっと落ち着いたロゼは、アフロディーテとその膝の上に座らされた――言うまでも無く強制である――を見つめ、ニコニコと笑みを浮かべながらそう言った。
 先ほどまで泣き崩れていたとは思えないほどの切り替えの早さである。
 ちなみに何故まだ襲名もしていないのに宮の名前で呼ばれているかというと、例えまだ候補生だとしても、黄道十二宮の黄金聖闘士はほとんどの場合二人として候補者がでず、本決まりだからだそうだ。
 つまりは、後はが力を付けていくだけという話。
 それを考えると、青銅や白銀じゃなかっただけマシなのだろうか……。
 数多くいる白銀や青銅の上に立つ分、それだけの力を付けるために密度の濃い修行をしなければならないのだから、そうとも言えないかもしれないが。
 でも原作ではその最強の称号も主人公達青銅の方が相応しい気がするが。
 主人公と脇を比べてはいけないとわかってはいても、なんだかなぁと思ってしまうのは致し方ないだろう。
 これからはその黄金聖闘士を、否応無く目指さなければいけないのだから。

「双魚宮様、人馬宮様の仮面はどうなさるのですか?」
「もうランティスに頼んであるよ。仮面が出来るまで女聖闘士の掟は無効だそうだ」

 ああ、あの素顔を見られたら愛すか殺すかっつー相手にとっても自分にとっても究極の二択のアレか。
 原作に描かれ、さらに先ほど――といっても一時間以上前の話だが――教皇からも説明された事項を思い出す。
 私闘は厳禁だが、女聖闘士の場合は掟が優先されるというのだから、ある意味得だ。どうしても殺したい相手がいれば、そう重要な地位にいたり殺したらまずい相手でない限り、素顔を見せてしまえば殺しても掟優先で許されるのだから。
 滔々と疲れた頭で、そんな事を考える。
 基本的に、自分と自分の大切な人やものが無事なら、他は結構どうでもいいのである。
 きっと聖闘士となって、またはなる過程で誰かを殺すことになったとしても、大切な人がそんな自分を受け入れてくれる限り、きっと何も思わないのだろう。これはビジネスなのだと割り切ってしまう自分を、は安易に想像できる。
 その代わり、きっといい死に方はしないだろうが。
 人を殺すのならば、同じように自分も殺される覚悟を持って然るべき、というのがの持論である。
 だからといって、殺される覚悟があるから殺していいという訳では決して無いのだが。
 
「……ん? 、どうかした?」
「ねむい……」

 大口を開けてあくびをし、重く垂れ下がってくる目蓋をこする。
 気力は充分にあるとはいえ、の身体はまだまだ小さい子供のものなのだ。体力も限られてくるし、何よりヒーリングによって怪我を含め大分マシになったからといって、まだ衰弱した状態から完治したわけではない。
 しかも人肌にくっついているために、温かく心地よいのだ。
 今にも眠ってしまいそうなに、アフロディーテは微笑み、ロゼに部屋の準備を命じる。ロゼは喜んでそれに応じ、を用意した部屋に寝かしつけた。

「これから賑やかになりますね、双魚宮様」
「そうだね。射手座が見つかったから、十年もしないうちに全ての黄金候補が見つかるだろう。みたいな、小さな子供がいっぱいね」

 その先にあるものを憂いながらも、アフロディーテは笑みを浮かべる。
 そんなものは来ないで欲しいのだが、運命の輪は容赦なく回り、その時はやって来るだろう。
 戦いの系譜は、遥か古より続いているのだから。
 そしてその為に、我ら聖闘士は存在する。

「双魚宮様?」
「いや、大切に育てなければ、と思ってね。……女神の為に」
「はい」

 女神の為に。地上と人間を愛する、心優しき女神の為に。
 あの小さな子供の命を捧げる事を思うとどこか空しさを感じる言葉を口にして、アフロディーテは幼子の眠る部屋を優しい眼差しで見つめた。









ちょっとした豆知識(?)
 ブルータスはカエサルの愛人の息子であるマルクス・ユニウス・ブルートゥスと、従兄弟であったデキムス・ユニウス・ブルートゥスとの二つの説が有ります。
 カエサルは妻が三人おり(一夫多妻ではない)、愛人がかなりいたそうです。
 「ハゲの女たらし」と言われるほどで、一説には「元老院議員の3分の1が妻をカエサルに寝取られた」とも。
 上記のものは“やや誇張勝ちと思われる”とつくそうですが。


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