5.巨蟹宮で


「なるほどなー。こんなちびっこいのに酷ぇ事するぜ」

 そういってデスマスク――アフロディーテ同様原作と同じ名前である。受け継ぎ制という訳でもあるまいに――はの頭をぐりぐりと撫でる。
 なにやら命がけの夫婦漫才を終えた後、何事も無かったかのような体で大人二人は茶をしばき、何故かは巨蟹宮の主の膝の上にちょこんと乗せられ甘めに入れられたホット・チョコレート(デスマスク作)を両手に持っていた。
 本当は麗人が自らの膝の上に降ろそうとしたのだが、巨蟹宮の主から待ったがかかり、しぶしぶを巨蟹宮の主に渡したのだ。
 確かに聖衣着用の膝の上は痛い。だがしかし、椅子ではなく何故膝の上。ちゃんともう一脚あるってのに。
 そりゃ普通に椅子の上に座ってもテーブルに届かないだろうが、膝の上よりはましだ。膝抱っこなんて何の羞恥プレーだ。
 心の中で盛大に突っ込みを入れつつココアを啜っているの頭上で、がここに連れて来られるまでの経緯が話され、デスマスクの台詞はその後に発されたものだった。

「まったくだ。こんっなに可愛いのに!」

 思い切り力説し、とろけるような笑みをに向ける。それには反射のように笑い返し、デスマスクは呆れたような視線を向けた。

「で、聖闘士にするために連れて来た訳か。確かにキメラを一撃でしとめたんなら才能はあるんだろうが……従者にした方が良くねぇか? その方が生存率も上がんだろうが」
「ああ、うん。それね」

 はデスマスクの初耳な言葉にぴくりと反応を示し、手に持ったカップをソーサーの上に置いたアフロディーテを見つめる。
 完璧とは言いがたくても、安全な道があるとすれば是非ともそちらを選びたかった。

「さっき話したとおり、私はがキメラをしとめた音でその子とキメラを見つけた。その際にね、その子のいる方向からかなり淡かったが黄金の小宇宙を感知したんだ」
「おいおいそりゃぁ、次代ってことか……?」
「あの場所に私以外の黄金聖闘士がいなかったというのなら、彼女の小宇宙なんだろうからそうなるだろう。教皇に聞いてみなければはっきりしたことは判らないけど」

 動揺で声を震わせるデスマスク。もこれまた初めて耳にした事実に瞠目し、麗人の美貌を穴を開けんばかり凝視した。
 だからあんなに熱心に自分と一緒に来いって言ったのか。
 の小さな肩をがっちりと掴んだ手を思い出し、単なる子供好きだからではなかったのだと感心する。
 しかしながら、アフロディーテがを引き取ると言い出した理由のほぼ五割が己の欲望から出ていたのが実情なのだが、知らぬが仏である。
 そして感心する反面、そのせいでこれから先の己の身が危機に瀕している事実に、自己防衛のために使ったはずなのに窮地に追い込まれてるじゃねーかドチクショウと心の中で毒づいた。
 聖闘士になる為の修行は厳しく、原作の中でも百人いた候補生の内、生きて聖衣を得られたのはほんの一割であるということをはしっかりと覚えていた。
 例え聖闘士に、それもアフロディーテが言うように黄道十二宮の内のどれかになれる可能性があったとしても、その過程で命を落とさないとはどうして言えよう。
 ここがどんな世界だとしても関係ない。は命の限り生きたいのだ。
 その為には、生存確率の高い道をどうやってでも手に入れる気でいる。
 しかし、今ここにに選択肢が無いというのも事実であり……。

――こりゃ聖闘士になって力を付けるほうが確実か……?

 結果的にアフロディーテが望んでいる答えがの中で導き出され、心の中で深々とため息をつく。

「そうか……もし次代だとしたら、歴代でも珍しい女黄金聖闘士の誕生だな」
「そうだね。でも聖闘士になるとのこの可愛い顔が無粋な仮面に隠れてしまうんだ! なんてもったいない!!」

 バンッとテーブルを叩きエキサイトする麗人に、テーブルを壊すなよと一応の忠告を与えながら、デスマスクはやっぱりそこに辿り着くかと息をついた。
 彼は昔から、女聖闘士の仮面の掟には懐疑的なのだ。そこにはたっぷりと、「小さな子供の顔までかくすなんてぇっ」という私情が膨れ上がるほど入っているのだが。
 噛み付いてくる麗人を適当にいなしている巨蟹宮の主という光景を目に収めながら、は何とも表情豊かで素直な人だと麗人のことを評価し、ぬるくなってしまったチョコレートを飲み干す。底のほうにチョコレートの濃い部分が残っていた。
 短い腕を伸ばして空になったカップを置こうとすると、背後から大きな手が伸びてきての手の中のものを攫いテーブルの上に置いた。
 小さな子供がやるように――実際今のは小さな子供だが――首をそらして手の主を見上げ、にっこりと笑って礼を言う。
 デスマスクは薄い唇を皮肉っぽく吊り上げ、の小さな頭を乱暴に撫でた。
 アフロディーテはその様子を羨ましそうに見やって、カップの中身を勢い良く呷る。その様子が自棄酒をしているように見えるのは何故だろうか。
 麗人に美しいカップと琥珀色の芳しい液体というのは、薔薇と同じように似合うというのに。見かけによらず彼が取る行動ががさつだからだろうか。
 ああうん、そんな気がする。もったいない。
 綺麗なのにと嘆いていると、巨蟹宮を辞す言葉を述べていた麗人の腕が伸びてを抱き上げる。
 さっきまでは気にならなかったが、アームパーツが少し硬く、痛かった。

「じゃ」
「おう。また来いよチビ」
「うん。ごちそうさまでした」

 深緋の瞳に温もりを宿しの頭をぐりぐり撫でる男の言葉にしっかりと頷き、ひらひらと相変わらず小さな手を振った。





 ちなみに。
 先ほどの巨蟹宮から教皇の間まで行く間に通る獅子宮、天秤宮、宝瓶宮の三つの宮の主にまで「ついに攫ってきたのかと……」と言われて、双魚宮の主がぶすくれていたのが何よりも印象に残った。
 そんなふうに周囲に認知されるほど子供が好きって、いくらなんでも度を越えてねーか、おい。
 さらに先行き不安になってしまっても、誰も文句は言うまい。
 の必死の慰めにより浮上したアフロディーテだけが、遠いところを見つめるに首を傾げていた。


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