1.転生


 何なのだろうこれは。

「きゃーぁっ」

 何なのだろう、これは。

「うー……」

 口に出そうとする単語は全てが全て喃語となり、手は玩具のように小さく、首はまだ据わっていないために起き上がることすらままならない。
 何なのだろう、考えるまでも無く答えは出ているのだが、自問自答せずにはいられなかった。
 今現在、赤ん坊になってしまっている己の姿に。
 いや、正しくは生まれ変わったとでも言うべきだろうか。何せ母体の中にいたときから記憶があるのだ。
 もちろん、接合していない頭蓋骨を歪めて産道を通り生まれるという、何とも言えない体験もした。
 赤ん坊を外界で呼吸させるためには必要なストレスだというが、マジで苦しかった。信じられないくらい苦しくて本気で泣き出すくらいには。
 生まれたばかりの赤ん坊の姿としては正解なのだろうが、にとっては微妙な出来事だった。
 死ぬ間際――己が死んだ姿を確認したわけではないが、多分死んだはずだ――大型のトラックにはねられ、地面に身体を叩きつけられてさえも泣かなかったというのに。
 それを思って、――生まれ変わっても付けられた名前はだった――は赤ん坊らしからぬため息をつく。
 外見(赤ん坊)と中身(成人女性)が大きく食い違っているために生じる違和感には未だになれない。
 しかし、それはもうどうしようも無いことだ。今この姿に生まれて、生きているのだから。
 再び深々とため息をつくと、襲ってくる眠気のままに瞳を閉じた。
 まあそんなこんなで、は――強制的ではあるが――赤ん坊ライフ満喫中である。





 で、寝て起きて食って出してまた寝て時々遊んでを繰り返し、早三年。
 子供にとっての一日も一ヶ月も一年もとてつもなく長い代物なのだと経験上知ってはいたはずなのだが、思っていた以上に早く月日は過ぎ去った。
 体感する時間は精神に関係するのだろうかと首を傾げたが、そのおかげでだんだんと己の身体を思ったように動かせるようになったので、に否やは無い。
 しかしながら問題もある。
 今生の両親は、前世――記憶があるのでこういうのは何だか微妙だが――の両親となんとなく外見は似ており、自分の容姿も前世のものと酷似していた。
 だがは前世の両親と混同するような事は無かった。今生と前世の両親との間には、その精神のありように大きな溝があるのだ。
 今生の両親はを可愛がってくれてはいたが、やはり違和感を感じているらしく、年を経るごとに親子の間はぎこちなくなっていった。
 母親たる女性はすでにノイローゼ気味だ。父たる男は彼女よりはましだが、やはり引きずられるように精神が不安定である。
 何でも受け入れるしなやかな強さを持つ心を持っていた両親とは、外見は似てはいてもやはり違う存在なのだと、ぎこちなくなってきている空気と共には日々思い知っていた。
 けれど、最初はそれほどでもなかったのだ。
 それに拍車をかけたのは。

「これだよなーきっと」

 未だに回りきらない舌でギリシア語を使い、これで遊んでいろと言われ渡された積み木を、小さな指をくいっとまげてふわふわと浮かせる。所謂サイコキネシスだ。
 何故だか知らないが、いつの間にか使えるようになっていた超能力。
 この力の存在に気づいたのは、やっと首が据わり起き上がれるようになった頃のことだった。
 どうしてもタオルが欲しいのに、あと一歩のところで手が届かず、思い通りにならない身体にイライラしながら、こっち来いーと念じていたらふわりと浮かび上がってに向かって跳んできたのだ。
 最初は愕然としたものだが、動かなくても物を移動させることの出来る便利さに、今ではこっそりとだが愛用している。
 昔はタオルやら小物やらという小さくて軽いものしか動かせなかったのだが、年々力が強くなっているのか、使いまくっているおかげか、はたまたその両方か。今では自分の数倍はある大きな岩も難なく動かすことが出来るようになっていた。コントロール力も持久力もばっちりだ。
 何せ中身は成人女性。積み木なんぞで遊んでいても面白くもなんとも無いが、PKのコントロールを身に付けるためには丁度良い。最初に渡されたときはどうすんだよこれと持て余し気味だったが、この使用方法を思いついてからは、一人の時に限りいつもこうして訓練もかねて遊んでいた。
 しかしそうして多用していると、時々使ったものを戻すのを忘れることも有り、テーブルの上においていたり棚の上においていたりしていた物がいつの間にやら移動しているというホラー現象として両親に取られてしまうなんてこともあり。
 母は母親としての勘とでも言うのだろうか、見られてはいないはず――何だか生まれ変わって感覚が鋭くなったらしい――なのに、その現象とを結び付けている。
 PKで積み木をその名のごとく積み上げながら、はもしかしたらそろそろ母親あたりに捨てられるかもしれないなと心の中で呟く。
 人間、自分達とは違う異質なものを前にすると、畏怖し拒絶・迫害するか、奇跡だと祭り上げるかのどちらかである。しかしどちらかというと前者のほうが圧倒的に多く、今のの両親もその類だ。
 力を使わなければいい話かもしれないが、コントロールできなければ暴走の危険がありそうで怖い。まあやめない一番の理由はやっぱり便利だからというのと、母の精神状態がもう引き返しようの無いところま来ているからだが。
 どうせ捨てられるのなら、ちゃんと人が生活していける場所にして欲しい。サバイバル生活はこの身体ではちょっとばかり辛い。
 は他人事のようにそんな事を考えながら、背後から近づいてくる気配に浮かしていた積み木をキャッチし、積み上げていた積み木の上においた。
 がらがらと当たり前のように崩れたけれど。







 しかし、そんな願いも空しく。
 見渡す限り、木・木・木、木の群れ。の小さな頭の上ももっさもっさと葉が生い茂り、太陽の光もかなり遮られていてちょっぴり薄暗い。

「もりのなか……」

 しかも結構深い場所だ。
 清閑な森の中に、の声だけが散る。
 小さな子供――しつこいようだが中身は成人女性――の足では、PKのような特殊能力付でも脱出は難しいだろう。
 あえて出来ないと言わないのは、何故かついてきた20年分の人生という名の経験があるからだ。
 せっかくまた生まれて生きているのだから、ここで死んでやる気は全く無い。前途多難という言葉が具現化して立ちはだかっているような木々を眺め、深呼吸と共に気合を入れなおした。

「ちゃんとがいしゅつようのかっこうさせてもらっただけましだな。まずはほうこうのかくにんでもするか……」

 森へ来た方向は覚えているから、がんばれば元の町に戻れるだろうが、戻ってもまた捨てられるだろうから戻れないし、戻ろうとも思わない。
 母がこの森へ自分を連れてきた時の彼女の顔は、戻ったら殺されそうなほど鬼気迫り切羽詰っていたし。
 は脳裏から母親だった女性の般若の顔を消し去り、PKを使って身体を浮かせ森の上空へと出る。
 右手のほうにある家の群集がの生まれた町だが、そこに用は無いので無視。しばらく辺りを見回して目を凝らしていると、ちょうど真逆の方向にのいた町よりは小さいが、屋根の群れを見つけた。
 子供の足ではかなり遠いが、まあなるようになるだろうし、何とかなる……いや、何とかする。
 真っ直ぐ飛んでいけば楽といえば楽だが、誰かに見られでもしたら面倒なことになりかねないので、はゆっくりと地面に降りた。
 少し湿った土と、青い草の臭いが備考をくすぐる。

「いくか」

 できれば完全に日が沈む前に、洞窟なり何なりを見つけておきたい。
 どうせ一日では着けないのだろうし、もう日も暮れるのだからあまり先には進めないだろう。
 今夜の宿はそこだ。

「さばいばるはえんりょしてーのに」

 食料と飲料の確保をどうするかと頭を悩ませながら、小さく短い足を動かし、は森の中をすたすたと軽くは無いが重くも無い足取りで歩んでいった。


NEXT