時を越えた邂逅  前編



 雲ひとつ無い青空のど真ん中に、さんさんと輝く太陽が我が物顔で鎮座している。
 いらないほどの熱を齎すそれを鬱陶しそうに見上げ、タオルで汗を拭うと同時に息をついた。仮面で顔が隠れているとはいえ、億劫さを隠しもしないに、彼女の横に座り込んでいたアルバフィカは苦笑を浮かべる。彼女の気持ちは嫌というほど理解できたからだ。
 最も日差しが強く暑い時間ではないとはいえ、季節は夏。典型的な地中海式気候で空気はからっとしてはいるが、直射日光の中で運動をすれば当たり前だが暑い。物凄く暑い。じっとりと、汗で張り付く服が酷く不快だ。冬が一番嫌いだと言いながら、夏など早く過ぎ去ってしまえと半ばやけ気味に言い放ったに、矛盾していると思いながらも同意を返した事は記憶に新しい。
 胸元をつまんでパタパタと風を送っているから目を離し、正面を見た。とアルバフィカが見つめる先では、フーガとカルラが目にも留まらぬ速さ――それでもまだ音速の域だ――で攻防を繰り返している。はそろそろ光速に足を踏み入れるかと頭の隅で思いながら、まだまだ余裕があるフーガと必死に食いついているカルラをぼんやりと眺めていた。暑さで若干思考が鈍っている。
 だからだろうか、普段はしないような行動を取ってしまったのは。
 時折滲み、流れてくる汗をタオルで拭いながら、早く風呂に入りたいとぼやいていると、反対側からぎゃあぎゃあと騒ぎながら、最年少の黄金聖闘士候補生たるシオンと童虎が駆けてきていた。喧嘩をしているのか鬼ごっこをしているのか、待てだの待たないだのと夢中になって言い合いながら。
 どこに入ってきたのかすら認識していないようなチビ二人に、組み手に集中しているフーガとカルラは気付いていない。今にもエクスカリバーとアナザーディメンションをぶつけ合おうと構えている二人の間に突進してくる子供達に、アルバフィカは跳ね起きは反射的に飛び出した。

っ!」
「なっ……!」
「え!?」

 放たれた小宇宙の間に入り込み、同じく間合いに飛び込んできた童虎とシオンの襟首を引っつかんで圏外へとぶん投げる。そしてぶつかってくる小宇宙を相殺するために、己の小宇宙を爆発させた。
 ドン、と。轟音と砂煙を上げて、小宇宙が爆ぜた。容赦なく砂を巻き上げて襲ってくる爆風から目をかばいながら、アルバフィカは必死になってその中心部に入るはずの少女の気配を探る。けれど、三つの小宇宙が渦を巻いてい入り混じっている所為か、まるで掴めない。腹の底がひやりとした。

(早く収まれ、早く早く早く早く――!)

 心ばかりが先へ先へと走り、焦りに思いを支配される。ギリリと奥歯をかみ締めて今にも飛び出しそうな己を抑え込んだ。
 やがて宙に舞っていた砂粒が地に落ち、砂煙が晴れる。全てが収まるまでそう長い時間がかかったわけではないが、焦燥に駆られたアルバフィカにとって、それは実際の何倍にも感じられた。

……?」

 爆風に吹っ飛ばされたシオンと童虎、そして砂煙にむせていたカルラの耳を、アルバフィカの呆然とした声が打つ。振り返ってみると、彼は真っ青な顔色で、フーガは険しい表情で、クレーターのできた地面を見つめていた。
 少女の姿も、気配も、この世界から綺麗さっぱりと消えて無くなっていた。





 バキリと、顔が嫌な音を立てた。いや、正確には、がつけている仮面から聞こえた音だ。小宇宙と小宇宙のぶつかり合いと爆風の乱流に晒されながらも冷静さを失わなかったは、聖衣と同じ素材で作られているはずの仮面への衝撃と肌で感じた空間の異変にも慌てず騒がずの姿勢を貫き、球形のバリアーで己の身を包む。
 亜空間だ。光も音も無い寒々しい空間を見渡し、胸中で呟く。どうやらアナザーディメンションに巻き込まれたらしいと悟り、は口をへの字に曲げた。カルラとフーガが放った小宇宙と同じ強さの小宇宙をぶつけたはずなのに、フーガの力だけ相殺しきれず、呑み込まれたのだ。ここにいるということは、つまりはそういう事である。

(あの野郎、また強くなりやがった)

 それが悪いと言うわけではないが、何だかとてつもなく悔しかった。だが、今はそんな事を考えている場合ではない。早くこの空間から出なければ、色々と面倒なことになる。亜空間から脱出しても、がいなくなった事で上へ下への大騒動になっていることは想像に難くないため、それはそれで面倒だが、帰れなくなるよりは遥かにマシと言うものだ。
 目を閉じ、意識を集中させて、空間の歪みを探す。人を一人呑み込むほどの歪みはかなり大きい。そして、大きな歪みほど元に戻るには時間がかかる。人の手を加えない限りは、だが。がこの亜空間に飛ばされてきたのは、つい先ほどのことだ。今なら、元の場所――闘技場に出られるはずである。おそらくフーガも同じように歪みからの存在を掴もうとこちらを探っているはずだから、帰れる可能性も高い。
 感覚を広げる。存在を探る。そうして掴んだものに、ニィッと口角を吊り上げたが、次いで襲った衝撃に息を詰め、目を見開いた。





「掴んだ……っ!?」

 クレーターにできた歪みからを探していたフーガから上がった声に、たんこぶを三つ頭にこさえたチビ二人から歓声が上がる。しかし、喜びが滲んでいた顔は数秒と経たずして驚愕に染まり、あからさまに焦りの色をみせた。

「フーガ?」

 嫌な予感が、頭上で渦を巻く。張り詰めて心と表情で、アルバフィカはフーガを見つめた。彼の顔色は蒼く、表情は強張っており、アルバフィカの予感を肯定していた。ザッと、血の気の引く音がする。

「見失った……」

 ぽつりと吐き出された言葉は低くかすれ、震えていた。





 どさりと、何か重いものが落ちた音がした。と同時に身体に痛みが走り、先ほどの音が自分の身体が地に叩きつけられた時のものだと理解する。
 亜空間から無理やりひっぱり出された時の衝撃で飛びかけていた意識が、痛みのおかげで戻ってきた事に多少安堵し、詰めていた息をそろそろと吐いた。どこに放り出されたかわからないと言うのに、意識を失っていてはどうしようもない。とりあえず何が起きてもいいように僅かに小宇宙を燃やしながら、は放り出されたときの体勢のまま、周囲の様子を窺った。
 そして、注意深く探るまでも無く、強大な小宇宙が二つ。
 光と闇の間で揺れ動く不安定でありながら大きな小宇宙と、大海と潮騒を思わせる鮮やかなブルーの小宇宙。身近なようでいて全く知らぬそれ。空気は乾いた、かぎなれたもの。等々と分析をしていると、数秒の沈黙の後、叫び声が上がり、言い争う声が聞こえた。その中にサガだのカノンだのという単語を見つけ正直頭を抱えたくなった。今度はタイムスリップかよ。
 その後、空間の歪みを感じ取ったらしいシオンが――おそらくは――双児宮に怒鳴り込んできてを見るや否や宝物を扱うような丁重さで抱き上げて教皇の間へと運び込み、柔らかなベッドの上に寝かせた。そしてしばらくの間じーっと寝たふりをするを凝視していたのだが、の苛立ちが頂点に達しそうになった時に、運がいいのか悪いのか黄金の誰か――小宇宙の感じからして童虎だろう――に呼ばれて行ってしまった。
 彼らの気配が充分離れるのを待って、はむくりと身体を起こす。身体を打ちつけたところが痛い。しかしそれ以上に頭が痛かった。若い声のシオンが入る、青年の声を持つ双子がいる。ならば、が本来いるべき時代から200年以上は経過しているのだろう。しかしこの聖域で女神の気配を感じ取る事は出来なかった。いったい今は何時なのだろう。
 軽く舌打ちし、つけたままにされた仮面を取る。と共に時空を渡ってきたそれは全体に深くヒビが走り、口元が欠けていた。少しでも力を加えれば砕けてしまいそうである。牡羊座製の、聖衣と同じ素材の仮面が。外に人の気配を感じ、深々と息をつきながら今にも壊れてしまいそうな仮面を身につけた。

「失礼致します」

 控えめな声をかけ、淡い髪色の女官がしずしずと入室し頭を下げる。教皇が呼んでいると言う彼女は、よく教育されているのか現在何ともいえない身分――何せ次元の狭間から突然出てきた不審者が教皇に丁重な扱いを受けているのだ――のにも礼を取っているが、伏目がちな目には好奇心が煌いていた。この真新しい事の少ない聖域で、の出現はいいネタなのだろう。黄金聖闘士というだけで何かと話題になることの多いは既に慣れた事なので大して感慨を感ずる事もなく、ひとつ頷いて先導する女官の後を追った。
 何百年経っていようと建物の構造は変わっていないのか、謁見の間までの道のりはが知っているものと同じだった。途中、見知らぬ通路が増えている箇所もあったがそう変わりはない。そうして着いた両開きの扉の先。
 キンキンキラキラと光る十二の黄金の鎧に迎えられ、は心の中でうわぁ、と声を上げた。





 痛いほどの沈黙が、場を支配していた。その原因となったシオンと童虎のチビ二人は半べそで、アルバフィカとカルラは顔面蒼白。
 フーガは額に汗を滲ませながら、を見失った空間を再度探っていた。けれどやはり見つからず、眉間に皺を寄せた。を見失ったと言うのは事実だ。だが確かに、フーガはその直前まで彼女の存在を掴んでいた。それはフーガが亜空間に慣れているからというのもあるが、が元の空間に戻るためにフーガへと手を伸ばしていたと言うのが最大の要因である。けれど見失った。亜空間に生じた、多大なる衝撃と共に。

(入ってみるか)

 力や流れが不規則に荒れ狂う亜空間はひどく不安定で、危険も多い。ただの人間ならば、亜空間に飛ばされた時点で死んでいる。けれど飛ばされたのは、黄金聖闘士の中でも最強と名高いあのだ。そんな不安定な場所でも己が身を守る事くらい容易くやってのけるだろう。だから亜空間で見失ったと言う事は、どこか別の空間に――おそらくはあの衝撃が原因で――はじき出されたという事だ。あのの事だ、もしかしたら、何か彼女の行方に繋がるものを残しているかもしれない。
 半ば願望の入り混じった予測を立て、フーガはアルバフィカと向き合った。蒼白い顔色はそのままに、しっかりと意思を持った強い瞳が重なる。

「俺は亜空間に潜る。アルバフィカは女神と教皇の方を」
「わかった。気をつけて」
「ああ」

 真摯に頷くアルバフィカにニィと口角を吊り上げ、フーガは空間を割る。そして「まぁせいぜい叱られてくるんだな、チビども」という捨て台詞を残し、亜空間へと身を躍らせた。
 言い放たれた方はというと、小さくうめき声を上げて、先ほどとは別の意味で蒼褪めた顔を見合わせ首をすくめる。今までに無い特大の雷が落ちるのは必至だった。恐ろしい。心底恐ろしい。教皇をはじめとした十二宮の住人の、彼の射手座への溺愛ぶりを知っているだけに余計。けれど悪戯を働いた時のように逃げ出すわけにもいかず唸っていると、ひょいっと、猫の子のように襟首を掴まれ持ち上げられた。恐々と首をめぐらせると、そこには麗しい魚座の姿が。

「カルラはここに残ってくれ」
「わかった」
「お前達は私と共に上だ」
「「……はい、アルバフィカ様」」

 凍りついた瞳と低く地を這った声音に、二人はさも地獄の入り口に丸裸で立たされたかのような心持ちで首肯するのだった。


NEXT