ライナスの毛布





 学園は早朝からざわついていた。天女――鈴木愛梨が、当初所持していた荷物ごと、学園から姿を消していたからだ。そして、愛梨に思いを寄せていた者達が抱いた、自身の心境の変化に戸惑っていた。
 彼女の姿を求めて学園中を探し回る者、我関せずといつもと変わらぬ日常を過ごす者、愛梨の在不在など気にかける余裕も無く、己の心情に戸惑う者。半ば混沌とした様相を呈する学園内に、学園長や教師も愛梨の不在が学園中に判明した当初は少しばかり戸惑ってはいたが、特に干渉する様子も見せず、生徒達の自主性に任せる事にしたようで既に落ち着きを見せて見守り体勢に入っていた。
 そんな混乱をきたした学園に、大分と日が高く上った頃になってやっと達は帰還することが出来た。を始めとして、兵助、三木ヱ門、滝夜叉丸の三人は浅いと言えども傷だらけでぼろぼろの恰好で、体力も底を尽きたと言わんばかりにふらふらとしている。滝夜叉丸と三木ヱ門は互いに支えあいながら歩いており、と兵助は傍目に見るとまだ余裕があるようにも見えるが、若干足を引きずり気味で顔には疲労が滲んでいた。けれども、学園の門が見えると、その顔も安堵にほころぶ。

「漸く着きましたね」
「ああ。もう少しだ。歩けるな、平、田村」
「は、い」
「大丈夫、です」

 兵助の声は疲労ゆえにかすれていたが、はしっかりとした口調と声で四年生を振り返り問いかける。二人は息も絶え絶えに返事をしながらも、いくぶんか持ち直したように首を縦に振った。
 ようやっとたどり着いた学園の門を前に、は密かに安堵の溜息を吐き、通用口を叩く。そして秀作の暢気な声と共に開けられた通用口から中に足を踏み入れると、安堵のあまり滝夜叉丸と三木ヱ門は地面にへたり込んだ。

「うわぁ、随分ぼろぼろだね、大丈夫?」
「大丈夫です。怪我はしていますが、そう大したものでもありませんし」
「でも、平君と田村君が」
「あれは体力が底をついただけです」

 心配そうに顔を顰める秀作に、兵助とは苦笑を浮かべて、それでも差し出される入門表にサインする。兵助は自分の名前を書き終えると、学園にたどり着いた安心感からかうつらうつらと舟をこぎ始めた四年生二人を揺り起こし、筆を手に取らせた。

「ほら二人ともサインして。それが終わったら寝ても構わないから」
「はぁい」
「ふあい」

 のろのろとした動作で差し出される筆を取り、三木ヱ門が名前を書く。筆を離すと同時にぱたりと地面に倒れこんで眠ってしまった三木ヱ門を尻目に、滝夜叉丸が己の名前を書き記すとやはり限界だったのか三木ヱ門の隣に横になり、三秒と立たずに寝息を立て始めた。
 それを羨ましく思いながらも、まだ学園長に報告しなければならない事や一仕事残っている事を考えるとここで意識を飛ばしている場合じゃない、と兵助は内心気合を入れる。ここが踏ん張り時なのだ。無事に乗り切れば安らかな睡眠と今後の安泰が得られる事がわかっていて、放り投げることなど出来ようか。(反語)

「平と田村は眠ったか」
「はい、体力的に限界だったようで」

 入門表に無事サインを得られた事で笑みを浮かべて去っていった秀作の背を見送り、振り返ったは地面に倒れ伏す二人を見て、ふと柔らかく笑みを浮かべた。二人の側にしゃがみこんでいる兵助も、幼く見える寝顔にくすりと笑う。

「部屋まで運んでから学園長の庵に参りますか?」
「そうだな……いや、予想以上の頑張りを見せた二人に褒美でもやるか」
「褒美?」
「あぁ。俺達は一仕事こなす事になるがな」

 口角を引き上げ、懐から長細い笛を取り出す。それがある特定の人物に使われる犬笛である事をよく知っている兵助は、そういう事か、と納得すると同時にその気遣いが少々羨ましくなって、少しばかり嫉妬深くなっている己に苦笑する。
 何度かに分けられて息を吹き込まれた犬笛は、確かに役目を果たした事を五分とたたずに文次郎を引きずって、砂煙を上げて現れた体育委員長七松小平太その人のよって証明された。

「小平太、離せ!」
「もんじうるさい! ちゃん呼んだ!?」
「呼んだ。文次郎の奴は離してやれ。いい加減顔色が悪くなってきた」
「はーい」

 文次郎がどれだけ言っても右から左どころか、耳に栓の状態だったというのに、の一言には良い子の返事をしてぱっと文次郎の襟首を掴んでいる手を離す。やっと解放された咽喉元に咳き込んでいた文次郎は、文句を言おうと顔を上げた所でぼろぼろな姿で疲労も隠せずに居る二人を見つけ目をむいた。

、お前、その恰好……」
「ああ……。昨夜から出てたんだがな、散々な目にあった」

 さて、どうくるか。
 そんな事を考えながら、うんざりとした表情の下から文次郎の様子を窺う。

「昨夜から……? もしかして、お前、お前ら、愛梨さんを……」
「愛梨……? あの女がどうした」
「……知らんのか?」
「何をだ」

 片眉を上げて見せ、そ知らぬ顔ですっとぼける。文次郎は真偽を問うようにを見つめていたが、やがて諦めたのか納得したのか小さく溜息を吐いて、愛梨がいなくなった事を口にした。

「帰ったんじゃないのか。来るのも突然なら帰るのが突然でも、そうおかしくはあるまい」
「そう、だが……本当に知らんのだな?」

 疑惑が払拭できないのか再度聞いてくる文次郎に、は若干イラついたように毒々しく艶やかな笑みを浮かべて見せ、文次郎の肩を握りつぶさんばかりに掴んだ。

「知らん、と言っている。そもそも俺たちは昨夜学園長のおつかいに出て、今しがた帰ってきたばっかりだ。あの女に何かしようにも学園に居ないんじゃ出来る訳が無かろう」
「お疑いなら一年は組の子供達に聞いてみたらどうですか。土井先生がぽろっと零してしまったらしく、出発は夜だというのに見送りに来てましたから。そもそも何で、あんな女ごときを先輩がどうこうする必要があると言うんです」

 疲れているところに毛嫌いする女の名を出されて、苛立つ兵助。やはりそれもフリ、ではあるものの、半分ほどは本気だった。そうでなければ、一つ上の実力者を騙す事はやれないことは無いが難しい。
 以外に向けられるのは珍しい兵助の毒舌と、トラウマのストレートど真ん中を抉ってくるの笑みに、文次郎は腹の奥底を冷たい手で撫でられたかのような感覚を覚え必死に首を振った。横に。文次郎の同意を得られた途端は顔から表情をごっそりとそぎ落とし、肩から手を離す。若干青くなっている文次郎は放り出し、何を言わずとも既に滝夜叉丸を抱き上げている小平太へと顔を向けた。

「滝ちゃんを部屋に連れて行けばいいんだよね」
「ああ」
「了解! ほら、もんじもぼーっとしてないで田村担いで」
「あ、あぁ」
「同室の奴が居なかったら、ついでに怪我の手当てもしてやれ」
「はーい」

 良い子の返事をしてすたこらさっさとその場を去る小平太に、俺が呼ばれたのはこの為だったのか、と呟きながらもどこかげっそりとした文次郎が続く。二人の背が完全に見えなくなるのを確認し、気配も確かめてから、ようやっと不機嫌そうな表情を崩して溜息をついた兵助と顔を見合わせた。
 とりあえず、一仕事終了である。これでアリバイ工作は完了した。たちが昨夜居なかった事に対して疑問を抱き、調べ始めたとしても、出てくるのは達が確かに任務をこなしたと言う事実ばかり。むしろ調べれば調べるほどに、達の無実は証明されていく事になる。
 後は学園長に報告に行くのみである。

「……学園長の所へ行くか」
「はい」






「遅かったのう」

 意外そうな顔でのんきに茶を啜る学園長に、若干の殺意を覚えながらも、と兵助は頭を下げる。

「予想外の事が起きまして」
「予想外の事、か。共に任務に当たった者はどうした?」
「四年生の平滝夜叉丸と田村三木ヱ門は、流石に体力に限界が来たらしく、学園に到着すると同時に寝てしまったので先に部屋で休ませています」
「……それほどきつかったか」
「そのようで」

 明らかに文科系の委員会の癖して中身はバリバリの体育会系の会計委員会で鍛えられている三木ヱ門と、常に体力の限界に挑戦と言わんばかりに無茶な運動をしている体育委員会所属の滝夜叉丸が潰れたとあって、さすがの学園長も目を丸くする。そして、学園長の驚きを疲労を滲ませつつも、少しばかり余裕を見せて肯定したと兵助に、これは体力の差なのか、それとも精神力の差なのか、はたまた実力の差ゆえなのかと、少々疑問を抱いた。一日の総合的な運動量は、三木ヱ門や滝夜叉丸の方が上であるはずなので、体力だけで言えば彼らの方が勝っていそうなものなのだが。
 けれども疑問は表に出す事無く流し、学園長はをひたと見据えた。

「して、首尾は」
「全て滞りなく。先方も大変満足していらっしゃいました」
「うむ、ようやった。で、その予想外の事と言うのは」

 珍しくもぼろぼろな達の姿に、学園長は片眉を上げる。と兵助は顔を見合わせると、どちらからともなく生温い笑みを浮かべて深々と溜息をついた。これもまた珍しい反応である。

「忍務が滞りなく終った後のことです。帰る途中に学園の周囲に異常発生している忍に気付きまして」

 正確には、愛梨を埋めた穴を偽装する為に二人ほど忍者を狩って埋めた後、なのだが、これは今口にしなくてはいい事だと天井裏に忍び込んでいる忍たまの気配に上手く誤魔化す。
 思い出すのも疲労を伴う事態に溜息をつくと、その後を兵助が続けた。

「ざっと、二十人近く居たでしょうか。いろんな城の忍が何の展覧会だと思うほどいまして、互いに牽制して膠着状態に陥っていました。放置しておくことも出来ませんし、しばらく様子を窺っていたのですが、どうやら目的はかの天女と学園への攻撃だったようで……」
「すぐさま撃退に切り替えて、闇夜に紛れて攻撃したり、山中にある罠に追い込んだりしていて、最初に見つけた奴らはそう時間を掛けずに何とかできたのですが、その間にも別の忍者がどっかから湧いて出て、撃退したらまた湧いての繰り返しで」
「先生方も上級生の誰も学園周辺の哨戒に出ていないようだったので、連絡を取ることもできず、とにかく必要最低限はどうにかしようと動いていたらこんな時間に……」
「それは……四年生は大きな怪我はしておらんのか?」
「軽傷がいくつかあるだけです。毒も負っていません」
「そうか……すまんの」

 話している間にも疲労の色の濃くなっている二人の顔に、最初に口にした言葉は少しばかり無神経だったかもしれない、と学園長は顔を引き攣らせる。そして、たったの四人で昨夜から何時間も戦い続けていた彼らの精神力と体力、何時間もプロ相手に戦闘を続けさせることの出来たの指揮能力、そして学園を守ろうとしてくれたその心に感嘆と感謝の念を抱いた。

「そう思ってくださるのなら、早急に手を打ってください。どうにも学園は少々混乱しているようですし」
「わかった、そうしよう。お主達はもう今日は休め」
「はい、そうさせていただきます」
「失礼します」

 立ち上がったところでふらついた兵助を支えて、は学園長の庵を出る。学園周辺の出没する忍者を相手にするにあたって一番働いていただろうに、それでもしっかりとした足取りで歩いていくを見送って、学園長は感嘆の溜息をつき、現状の色々な事情に対して手を打つために教師陣を呼び寄せるのだった。





「風呂、飯、寝る」(風呂入って、飯食ったら、寝る)
「寝る前に怪我の手当てをしてください」
「医務室。不運」(医務室に行ったら確実にその場で寝かされるだろうが。不運の巻き添えはごめんだ)
「私がやります」
「……わかった」

 先ほどまでの饒舌さが嘘のように単語だけで話すに、さすがに先輩でも限界か、と自身の限界も感じながらも、兵助は苦笑を浮かべる。あくびを噛み殺し、目の端に浮んだ涙をそっと拭って、眠気を振り払うかのように小さく頭を振る。その様子が少しばかり普段の仕草と比べると幼く見え、兵助は苦笑を柔らかな笑みへと変える。

「あれ、兵助に先輩」

 少々おぼつかない足取りで歩いていると、前方からきょとんとした顔の勘右衛門に声を掛けられ、兵助は瞬く。

「勘ちゃん」
「……もしかして、さっき帰ってきたばっかりとか?」

 ぼろぼろになった装束と、軽傷とはいえ傷だらけの二人に目を見開く勘右衛門。それに、兵助は虚ろな笑みを浮かべてこくりと頷いた。

「ちょっと、予想外の出来事に見舞われて」
「あー……大変だったね」
「労わってくれるなら、ちょっと頼みがあるんだけど」
「頼み?」
「うん。食堂のおばちゃんに、何か軽いものを二人分作ってくれるよう頼んで欲しいんだ」

 流石に食堂によってから風呂に入り、また食堂へと移動する体力は無い。実際の所、今にも眠ってしまいたいのだが、そうすると布団はどろどろになって後々苦労するのは目に見えているし、すきっ腹を抱えたままでは熟睡できそうにもないので、結構頑張って今にも飛びそうな意識を繋ぎとめているのだ。二人とも。
 何時もよりも低いトーンで紡がれた言葉に、勘右衛門はその程度ならば、と頷いた。

「ついでに兵助と先輩の着替えも持って行こうか?」
「うん。ありがとう、勘ちゃん」
「ついでに俺の部屋に布団を敷いておいてくれ」
先輩……」
「構いませんよ」

 あくびを噛み殺してながらの言葉に、こんな先輩の様子は珍しいと思いながらも、勘右衛門はの要望を快諾する。用は済んだといわんばかりに、溜息をつく兵助を引きずって風呂へと歩いてくを見送りながら、勘右衛門はくすりと笑い声を漏らした。





 傷を庇いながらも風呂に入って、勘右衛門が持ってきてくれた着替えに袖を通し――ぼろぼろになった装束は勘右衛門が持っていったらしい――食堂のおばちゃんが作ってくれたおにぎりを胃の中に放り込んで互いの治療を終えると、はばったりと布団に倒れこんだ。腕に兵助を巻き込んで。

「あの、先輩」
「俺は寝る。お前も寝ろ」
「此処でですか」
「文句あるか」

 掛け布団をかけて、ごそごそと寝心地のいい場所を探して身体をずらし、の手が兵助の背や髪を撫でる。その手には性的なものは全く感じず、ただ宥めるような優しさだけが感じられた。眠気が全身を覆っているからか、いつもは少し低い体温も高く、掌も温かい。
 足を絡められ、全身を深く抱き込まれて、溶け合っていく体温にうとうとと意識すらも溶け出しはじめた。の胸元の寝間着を、指先に握りこむ。

「ない、です」
「なら寝ろ」
「は、い……おやすみ、な、さ……」

 すぅっと、静かな寝息がこぼれた。寝入ってしまった兵助の顔をじっと見て、は触れるだけの口付けを唇に落とし、柔らかな髪に頬を寄せて、ゆっくりと目蓋を下ろす。密やかな寝息が重なり合って、静かに室内を満たした。



天女闖入編・完



 と、言うわけで、終了しました天女闖入編。
 まだきりちゃんへのフォローとか、意中の人に抱っこされたり担がれたりしておそらくは治療してもらった四年生のその後とか色々書いてない部分が多々ありますが、本編はコレで終わりです。この後は拍手で細々と補完していきます、多分。
 しかし、長かったのか短かったのか……。本編だけだと22話。補完話を入れると30話近くありますよね。あれ、超えてましたっけ? まぁいいや。連載を始めたのは【艶にて候ふ】シリーズ始動とあまり変わらない時期でしたので、ざっと四ヶ月弱ですか。頑張りました、私。正直連載終えられてほっとしてます。補完話が残ってても……残ってても!
 でもまぁ補完ですので、気長にやります。

 それでは、天女闖入編連載開始時から付き合ってくださった皆様、並びに途中から読み始められた方々、皆様にお礼申し上げます。応援、ありがとうございました! 
 これからもちょい最低な艶主ともども、【艶にて候ふ】シリーズをよろしくお願いいたします。