Eat Me. (わたしをたべて)





 愛情を返してはくれないだろう人を好きになった。という男を愛した。一つ上の先輩で、同性で、他人に興味や情を抱くことが稀で、到底かなわぬ想いだと思った。けれど、その人が同性と体の関係を持っていると知って、諦めることができるはずも無く。先輩と関係を持っている人がいない時を狙って、近づくなと言われた時にあえて近づいて、抱いてくれと縋った。心が駄目なら身体だけでも。たった一度だけでも良いから、触れ合いたかった。
 唇を重ねて、吐息を溶け合わせて、肌を重ねて、身体の奥深くで交わって。本来ならば受け入れるような身体をしている訳ではないから、痛くて、苦しくて、それでも愛した人から与えられるものが嬉しくて、全てが快楽へと繋がっていった。そこに情など伴っていないと知っていても、涙が出るほどに嬉しかった。
 一度だけで良いと思っていた。触れて、離れて、それきりになっても構わないと思っていた。そのはずだった。けれども、人の欲は際限なんてないもので、一つがかなえば、また次と望んでしまう。また、触れてはくれないだろうかと。





 そっと、兵助はの横顔を伺い、視線をつけていた帳簿に落とした。初めて肌を重ねてから、一月近く経っている。その間、の態度は以前のものと変わらず、まるで兵助だけが強く意識しているようで、酷く気恥ずかしく少しばかり悲しかった。
 ごとりと、火薬の入った壷を動かす音がする。その音にはっと意識を戻した兵助は、止まっていた帳簿に急いで筆を走らせた。少しばかり字が汚くなってしまったが、はみ出したわけでも読めないわけでもない。これくらいならば許容範囲だろう。
 ぱたぱたと墨を乾かし、帳簿を閉じる。顔を上げるとじっとに見られていた事に気付き、兵助は顔を真っ赤に染めた。

「あ、あの、先輩、何か……?」
「いや」

 ふいっと視線をそらされ、は空の火薬壷を移動させる。何の反応も見せずに離れていってしまったに、やはり自分だけが過剰に意識しているようで、唇をかんで俯いた。悔しいのか、悲しいのか判らなかったが、じわりと、目の奥が熱くなった。
 溢れてきそうな涙をこらえ、帳簿を片付ける。今日はもうこれで終了のはずだ。それはと共にいる時間が今日はもう終わりだということで。何も変わらない一日が終るのだと、小さく息をついた。
 そんな兵助の様子を横目で見て、はなんだろうこの可愛い生き物はと胸中で呟いた。兵助に縋られて、衝動に突き動かされるままに抱いて、約一ヶ月。演習やらおつかいやらで学園外に出ている時間が長かったという事もあるが、それから一度も触れることも、夜の逢瀬を匂わせるような事もしなかった。
 は別段気にする事も無かったが兵助は違ったようで、顔を会わせる度に意識している事が丸解り。以前から思慕を向けられていた事は知っていたし、熱の篭った視線から兵助の気持ちを察してはいたが、一度抱いたからか今ではに向けられる表情には艶すらも滲んでいた。今もが何も感じていないのだと思い込んで、泣きそうになっている。その表情にひどくそそられて、これは喰ってもいいということだなと自己完結する。違うのだとしても美味しそうな表情をしている兵助が悪いのだと責任転嫁して、は壷で汚れた手を払った。

「兵助」
「は、い……!」

 の声に反応した兵助の腕を掴んで引き寄せ、たたらを踏んで胸にぶつかった小さな顎を捉え、噛み付くように口付ける。びくりと震えながらも抵抗しない身体に、片手は後頭部へと回し、片手は腰へとまわして身体を密着させるように抱き寄せた。一瞬大きく見開いて、ぎゅっと目をつぶった兵助に目を細め、柔らかな唇を味わうように目を閉じる。
 角度を変えて何度も重ね、薄く開いた唇から舌が入ってくる。形を辿るように口内を辿る熱い舌に、兵助はふるりと身を震わせの背に回した手は着物をぎゅっと掴んだ。

「ぅ、ん……はぁっ……ん……」

 繰り返される深い口付けに息苦しくなりながらも懸命に応えようとしがみつく。一月前に仕込まれた快楽を呼び覚ますかのような口付けに、兵助は今にも膝が崩れ落ちそうだった。それを、腰に回されたの腕が支えている。ようやっと唇が解放されたときにはもう、膝に力など入らなかった。
 呑み込みきれなかった唾液が口角からこぼれ伝い落ちていくのをの舌が舐めあげる。兵助はその感触に小さく息を呑み、くたりとに預けた身体を震わせた。

「せ、んぱい……」

 とろりとした表情で見上げてくる兵助に、は艶やかな笑みを見せる。真っ赤になった兵助の耳に唇を寄せ、耳の輪郭をそっと辿って小さく囁いた。

「今夜俺の部屋に来い」
「ぁ……」

 艶やかな声で齎された共寝の誘いに、兵助は呼び起こされた快楽を思い出して身をよじり、ややあってこくりと頷いた。それは、ずっと待ち望んでいた誘いだった。拒否など、できるはずも無い。
 身体を離す瞬間に、兵助の額にそっと柔らかな感触が。さっさと背を向けて去ってしまったを呆然と見送りながら、兵助はの唇が触れた部分に手を添え、両手に顔を埋めた。手に触れる部分が熱い。真っ赤になっているだろう事が、容易に知れた。
 嬉しいという気持ちが、心の中に溢れる。例えそれが性欲処理の相手でしかないのだとしても、兵助を共寝の相手に選んだという事が、の気を引くことが出来たという事が嬉しくて仕方が無かった。



 「捕食の法則」その後。一ヶ月ほど放って置かれて悶々としていた久々知と、知っていて放置していた艶主。何と言うか、うん。これで三年間関係が続くわけですが、艶主最低。自分で書いておきながら言います。反省はしている、だが後悔はしていない! 正直楽しかったですっ! もちろん妄想込みで!
 この後久々知は浮かれながら夜を待っていそいそと艶主の元へ向かって、要望通り艶主にうまうまと喰われると。