破魔の光



 ぴんと、の感覚に引っかかるものがあった。何かが、学園の中に侵入したらしい。急に明後日の方向を向いたに、小平太はすっと表情を引き締め、長次はそんな二人を見て口をつぐんだ。妙な緊張感が、室内を支配する。
 すっと目を閉じて集中する。学園の中に張り巡らされた、の霊力の警戒線が伝えてくる情報を読み取ろうと、意識を広げていった。いいものか、良くないものか。放置していてもいいものか、退治てしまわねばならないものか。
 目を開くと、の目は鋭く、真剣なものへと変わっていた。

「何か、良くないものが入り込んだらしい」
「破魔の剣はいる?」
「……一応、持っていってくれ。誰かが追いかけられてる」
「なら急がなきゃ」
「……?」
「ああ、長次はお茶の用意でもして待っていてくれ。それほど強い相手じゃない」

 は符や数珠を取り出し、小平太に剣を持たせ、準備を進めながらも会話を続ける。長次がの言葉にこくりと頷いたころには、既に部屋を出る準備は整っていた。

「行ってくる」
「長次、留守番頼むね!」
「……」

 こくりと頷く。すぐに姿が消えた二人を見送ると、長次は空を見上げ、僅かに開けられた障子を閉めた。見事な上弦の月だった。





 ぜぃぜぃと、己の呼吸音が五月蝿い。長々と走っているために、足も肺もぎしぎしと悲鳴を上げていた。けれども、足を止めるわけにはいかない。すぐ後ろには、捕まれば確実にまずい事態になるものが迫っていた。己の足が速いことに、これほど感謝したことは無い。今なら確実に、乱太郎にも勝てるのではないかと、三治郎は頭の片隅で思った。けれども、そろそろ限界だ。何度か足がもつれ、転びそうになっている。
 父ならば、退治できたはずだ。でも、いくら三治郎が山伏の子だと言っても、修行のしの字を始めたばかりで、背後に迫っている悪いものに対抗する術など持ってはいない。絶望的とも言える状況に、三治郎の目には涙が浮んでいた。

「あっ!」

 足がもつれて、転ぶ。背後にはすぐ嫌な感じがガンガンするものが迫っており、立ち上がって逃げる時間すらも残されていない事を知った。じわりと、視界が滲む。

「三治郎、そのまま伏せていろ! 小平太!」
「はいっ!」

 返事と気迫が一緒になったような声と共に、何かが空を切る音がする。その次の瞬間には、どすっと、三治郎の足のすぐ近くに何かが突き刺さった。
 ぱしりと、雷光のような光を出して、三治郎を襲おうとしていたモノが弾かれる。倒れ伏している三治郎とそれの間に小平太が立ち、は三治郎を抱き上げ片腕に乗せた。

「間に合ったか」
、せんぱい……?」

 安堵に胸を撫で下ろすに、三治郎は瞬く。その拍子にぽろりとこぼれた涙を拭って、は出来うる限り優しい笑みを浮かべた。

「遅くなって悪かったな」
「え、あの……」
「ここに侵入してくる、ああいう類のものは俺達の管轄なんだ」

 戸惑う三治郎に、は苦笑と共に小平太の向こうでじりじりと身動きが取れずにいる黒い靄のようなものを見る。つられて視線をそちらへ向けた三治郎は、刀を正面に構えて黒い靄と対峙する小平太に、目を丸くした。明らかに、その黒い靄は小平太を恐れている。

「どうして……?」
「小平太はああいう類のものを近づけない体質でな。加えて、性質の悪いものを浄化してしまうから余計に」
「そうなんですか」

 何て羨ましい体質だろう。昔からああいう類のものに悩まされていたために、三治郎は小平太の体質が羨ましくて仕方が無かった。安全だと何故か確信できたの腕の中で、力を抜き、もたれかかる。

ちゃん」
「ああ」

 背を向けたままでかけられる声に、は三治郎の頭を撫でると懐からすっと符を一枚出した。その符を、三治郎は知っていた。退治用の札だ。小平太が持っている剣同様、そこには強い霊力を感じ、まじまじと見つめた。

「謹請し奉る」

 ふわりと、霊力が渦を巻く。霊力の篭った符がまるで生き物のように力を増した。

「降臨諸神諸真人、縛鬼伏邪、百鬼消除、急々如律令!」

 呪と共に放たれた符が、黒い靄に突き刺さる。の霊力がまばゆいばかりの光になって黒い靄を覆い、金切り声のような音を響かせ、あっけなく姿を消した。ぱちぱちと、何度も目を瞬かせる。

「すごい……先輩って陰陽師だったんですか?」
「まぁな。それよりも三治郎、怪我は?」
「そういえば、さっきこけてたね」

 破魔の剣を鞘に戻し、小平太がくるりと振り返る。三治郎は言われて思い出したのか、こけたときに付いた両手を見つめた。掌と、腕にも少しばかり擦り傷が出来ている。

「あぁ、擦り傷がいくつができてるな。小平太」
「うん、先に戻ってる。ちゃんは保健室だって長次に伝えておくよ」
「頼む。さぁ、行こうか」

 の首にかかっていた長い数珠を受け取ると、小平太はにこりと笑みを浮かべて走り去る。は三治郎を両手で抱えなおし、保健室へと向かう。

先輩」
「うん?」
「さっきのって僕も出来ますか?」
「陰陽術をか?」
「はい」
「視えるのなら素養はあるが、使えるかどうかはわからん。小平太みたいに視えていても術は使えない奴もいるからな。まぁ、あれの場合体質が体質だから術が使えなくても問題ないんだが。教えて欲しいのか?」
「はい。せめて自分の身を守るくらいにはなりたいです」
「……考えておこう。ああ、そうだ」

 三治郎を片手で抱えなおし、は懐を探って一枚の符を取り出した。それを片手で器用に折って、三治郎の懐に突っ込む。

「先輩?」
「護符だ。身を守るための呪具は後日作って届けるから、今はそれを持っておけ」
「あ、ありがとうございます!」

 頬を染めて嬉しいという気持ち全開で礼を言う三治郎に、はそっと目を細めた。

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 視える子三治郎と陰陽師な艶主と護衛の小平太。
 本来、陰陽師というのは陰陽寮に所属している職員のことを指すんですが、中世以降になると民間で加持祈祷を行う者を指したそうです。ちなみに中世は鎌倉成立から室町滅亡まで。だから多分、艶主を陰陽師と言っても問題ないはず。
 艶主が霊的なものは自分たちの管轄だと言っているのは、術者が今のところ学園に艶主しかいないからです。でも視える人は数人。だから必然的に学園は艶主の縄張りで、守護が役割になります。そうしないと快適に過ごせないから。(笑)