深緋色の元結



先輩……」

 色の校外実習のために学園を出ようとしたところ、門の脇に寄りかかる年上の恋人の姿を見つけて、兵助は瞳を揺らした。彼には意図して、今回の実習のことを言ってはいなかったというのに何故、と。
 兵助と行動をともにしていた勘右衛門や五年ろ組の面々は、若干機嫌のよろしくなさそうな先輩の様子に顔を見合わせ、激励の意を込めて兵助の肩を叩き先に門から出てしまった。人の恋路を邪魔するものは豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまうのである。
 門に寄りかかったままは横目で彼らを見送り、瞬きもせずにを見つめたまま棒立ちになっている兵助へと歩み寄った。

「兵助」
、先輩……」

 名を呼ばれ、びくりと肩が震える。の薄い唇が笑みの形に歪んだ。

「これから色の実習だって?」
「ぁ…はい」

 気まずい。
 けれどもは兵助のそんな心情を理解していないのか、いや、分かっていながら、兵助の腕を取り、俯く顎を指先でとらえて持ち上げた。凍り付いているのではないかと危惧していた瞳は、思いもかけず面白そうな色を宿しており、兵助は何度も瞬く。

「何も言っていないのに、何故…とでも聞きたいのか?」
「ぁ、ぅ……」
「さて、去年の俺は何年生だったでしょう?」
「…あ」
「俺もその道を通ってここにいるんだがな」

 言われてみればそうである。つまり、兵助の取った行動は全くの無駄だったわけで。羞恥から頬を染める兵助に、はくつくつと咽喉を震わせながら、顎を離し、頬を指先で辿って、そっと前髪越しに額に口付けた。

「正直に話せばいいのに。授業でどうこう言うほど、狭量じゃないつもりだが」
「……私は気にします」
「可愛いな」

 再び咽喉を振わせるに、兵助は眉間に皺を寄せた。そんな兵助に愛しげに目を細め、笑みの種類を悪戯っぽいものに変えて、彼の元結を指先に絡め引き抜いた。紐が解ける音の後に、髪が背に広がる。
 高く結い上げていた髪をほどかれ、兵助は目を見開いて身を離したを見上げた。

「ちょ、先輩!?」
「何だ」
「何だじゃありません、返してください!」

 白い元結を取り返そうと手を伸ばす兵助。けれどもそれはの頭上高くに掲げられ、兵助が手を伸ばしても背伸びをしても届かない。飛び上がって捕まえようにもひらりひらりとかわされて、全く取り戻せそうになかった。五年と六年。たった一年、されど一年の経験の差である。
 このまま遊んでいては――そう、遊んでいるのだ。この目の前の恋人は至極楽しそうに――実習に遅れてしまう。兵助はきゅっと眉間に皺を寄せ、己の元結を諦めて目標をの手の中から変更した。

「あ……」
「とった!」

 しゅるりと深緋に染められた紐が引き抜かれた。遊んでいたために注意力が散漫になっていたは目を瞬かせ、己の元結で髪を結い上げる兵助を見つめる。

「それではコレ借りていきますね!」

 いってきます、と言い放つと同時に、兵助は駆け出し門の外へ出た。黒く艶やかな髪と共に揺れる深緋色の元結にくつりと咽喉を震わせ、は頭巾を解く。

「まったく、可愛いことだ」

 小さくごちて、指先に絡めたままの白い元結に口付けた。




「おまたせっ」

 ゆっくりと先を歩いていた級友たちの元にやっと追いついた兵助は、歩みをそろえながらそう乱れていない息を整える。その彼の髪を纏める元結の色が変わっていることに気付き、三郎はニヤリと笑みを浮かべた。

先輩、何だって?」
「……何でもいいだろ。それより先輩の変装はやめろ」

 わざわざの顔に変装して顔を覗き込んでくる三郎をじろりと睨んで、軽く頭をはたく。三郎は顔色も変えずにあしらう兵助が面白くなかったのか、すぐにいつもの雷蔵の顔に戻し、唇を尖らせて雷蔵の横に戻った。その様子を苦笑いして見ていた雷蔵も、兵助の元結の変化に気付き、首を傾げる。

「あれ、兵助、その元結……」
「雷蔵、やめとけやめとけ。馬に蹴られるぞ」
「でもうまくいってるみたいで良かった」

 クラスも部屋も同じで、彼らの中でも一番兵助との関係にやきもきしていた勘右衛門が、兵助の髪とともに揺れる深緋の元結を見てふわりと笑う。それには兵助をからかおうとした三郎も、首を傾げていた雷蔵も、馬に蹴られると揶揄した八左ヱ門も深く同意し、一人足取り軽く前を行く兵助を見つめた。

「何だよ?」
「「「「何でもない」」」」

 首を傾げる兵助に、四人は笑みを見合わせた。

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 仲良し五年生のターン。ほぼ三人称で書いているので久々知視点というわけではありませんが、やや久々知より。との関係にやきもきしていたのは彼らで、その中でもクラスも部屋も同じ(のはず。つどい設定にのっとるなら)勘ちゃんが一番はらはらしてたんじゃないかと。
 五年生ととの関係は、兵助とくっつくまではあまり良くなかったんじゃないかと今回書いてて思いました。五年連中は仲良しだから、彼らは兵助の味方だよ、うん。