落とし穴と出会い



「伊作」
「あ、

 ぽっかりと開いた穴をのぞいてみると、やはりと言うべきか、は組の片割れが中に落ちていた。中々に深い穴で、道具がなければ出るのが難しそうだ。そういえば昨日、綾部に会ったときにこの辺にいくつか穴を掘ったと言っていたから、そのうちの一つなのだろう。
 が思わず溜息を吐くと、穴の中に座り込んだ伊作がへにゃりと情けない笑みを浮かべた。

「ごめん、助けてくれる?」
「ああ、それはかまわんが……クナイも持ってないのか?」
「あはは、包帯と落し紙ならあるんだけどね」

 つまりは医務室に向かう途中に穴に落ちたわけである。また一つ溜息を吐いて、懐から取り出したクナイを伊作に向かって差し出した。良く穴に落ちるんだから脱出用の道具を常備しておけばいいものを。そう思いながらも、伊作を構う機会が減る事は望まないので口にはしないが。

「ありがとう」
「いや。ところで、怪我は無いな?」
「うん、大丈夫だよ」

 土に汚れた頬に笑みを浮かべ、クナイで土壁に穴を開ける。
 その様子を見ながら、そういえば初めて顔をあわせたときも、伊作は落とし穴に落ちていたなと思い出した。




 ふえぇんと、気の抜けるような泣き声が聞こえた気がした。子供の声だ。いつもならば無視して通り過ぎるその声が、何故だか妙に気になり、は周囲を見回した。部屋と廊下を分ける障子、屋根を支える柱、庭に植えられた木々にならされて地面に開いた穴。
 じっと、ぽっかりと口を開いたようにある穴をじっと見つめると、はそろそろと近づき穴の中を覗き込んだ。

「ふぇぇ、ひっく……」

 ぼろぼろと、大きな目から涙を流す、土で汚れた井桁模様の制服を着た子供。上から覗き込んでいるにも気付かず、嗚咽を漏らしながら泣き続けている。茶色い髪はふわふわとしていて、何だか子犬や子猫を思わせた。助けてやらねば、と変な使命感のようなものが胸をよぎり、自分にも庇護欲というものがあったのかと感心する。

「……大丈夫か?」
「ふぇ?」

 間抜けな声を漏らして、泣きすぎて赤くなった目をくりくりと見開いてを見上げる。小動物だ。を認めてぱっと明るい顔をした少年に、胸中で漏らす。

「怪我はしてないか?」
「だ、大丈夫!」

 ぱちぱちと瞬いて、少年は頬を染めながら言葉を返した。差し出した手に捕まった手はのものよりも小さく、脱出しようと頑張ったのか土に汚れ、所々傷ついていた。穴から引っ張り出すと、より全身泥だらけなのがわかる。思わず手ぬぐいを取り出して少年の汚れた顔を拭いた。

「んぷっ」
「あ、悪い」
「んーん、ありがとう」
「いや」
「ぼくは善法寺伊作」
「…だ」
「うん。助けてくれてありがとう、君」
「……でいい」
「うん!」

 ほわんと笑った顔を見て、子供って可愛いかもしれないと、初めて思った。





 それがは組、というより、伊作と留三郎との接点になったのだ。それが今でも続いている。
 つらつらと一年生の頃の可愛らしい伊作を思い出しているうちに、六年生の可愛くない伊作が穴から脱出してきた。礼とともに差し出されるクナイを懐にしまう。そしてふと、顔に土がついているのが目に入り、手ぬぐいを取り出して汚れを拭った。

「わぷっ」
「……一年の頃から成長してないな、お前」
も一年の頃から笑いもせずに助けてくれるよね」

 回想の中の伊作と全く変わっていない部分にふと零せば、にこりと嬉しそうな笑みとともに返されてしまい、違いないと笑みを浮かべるしかなかった。訂正。やはり六年経った今でも、伊作は可愛い。

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 にとって伊作は初めて可愛いと思った子供で、可愛がっている小動物のような存在。恋愛的な意味では全くありません。むしろ恋愛対象には絶対に含まれない。妹や娘に対する愛情です。(あえて弟や息子じゃない)
 小平太は可愛いとかそういう問題以前の存在。だって生まれたときから傍にいたから。