月下の舞姫




 しゅるりしゅるりと衣擦れの音がする。金糸銀糸で繊細な刺繍が施された白い絹の着物が翻り、扇が翻り、まん丸な月の光を受けて、ちらちらと星の瞬きのように輝く。着物の上を緩やかに波打った黒髪が滑り降りて、ふわふわと揺れた。
 詩も楽曲も無いその静かな舞に、は満足して目を細めた。杯に注いだ酒を飲み干す。美味い、と口元を歪める。
 その日は見事な満月だった。その事に気付いたは、閨に引きずり込む予定だった兵助に衣装箱の肥やしとなっている上質な着物を羽織らせ、舞扇を握らせてぽいっと庭へと放り出した。そうして、満月が照らす中で舞を舞わせ、己は月と舞を肴に月見酒としゃれ込んだ。
 美しい肴に美味い酒。その両方に満たされた気分になったとき、しゅるりと衣擦れのかすかな音を響かせて、兵助の舞が終焉を迎えた。ふっと息を吐き、様子を窺ってくる兵助に、は濡らした手ぬぐいを差し出した。

「腕を上げたな。美しい舞だった」
「ありがとうございます」

 縁側に座り、汚れた足を手ぬぐいで拭いながらも、ご満悦な様子のに嬉しそうに応える。足を綺麗にした後は、扇を壊さぬように少し遠ざけ、寝着の上に羽織った着物を脱いでたたんでいった。

「何だ、脱ぐのか?」
「はい、こんな上等で綺麗な着物を何時までも着ていると、緊張しますから」
「そんなもんか」

 その感覚がよくわからんと、鼻を鳴らすに、兵助はくすりと笑みを零した。

「そんなものです」
「……兵助」
「はい?」
「その着物やろうか」
「……他人にほいほいと渡せるような代物ではないと思うのですが」
「上等すぎて使いようが無いんだよ、それ。そんな着物を纏うような身分のある人間に擬態することもないからな」

 確かに、と皺がつかないように畳んだ着物に目をやる。絹で出来てると一目で分かるような光沢のある布地に、金糸銀糸の繊細な刺繍。こんなもの貴族やよほど力のある豪族でもなければ、お目にかかれない代物である。そんなものを何故が所持しているのかという疑問はあるが、彼は曲がりなりにも代々続いてきた貴族の家系の末裔である。おそらくその関係から貰った物なのだろうとあたりをつけて、そんなもの余計に受け取れないと首を横に振った。

「いらんのか」
「私が持っていても、それこそ宝の持ち腐れですよ。先輩以上に使いこなせません」
「全く、美しいだけで役に立たん」
先輩……」
「まぁ、お前を飾るには充分か」

 苦笑する兵助に、は畳まれた着物をばさりと広げ、頭からかけた。のいきなりの行動に、兵助は大きな目を更に大きく見開いて、を見上げる。
 白い肌、白い着物。白い夜着には乱れた長い黒髪が艶やかに垂れる。その姿に、まるで花嫁衣裳のようだと目を細めた。

先輩、どうかなさいましたか?」
「……白ばかりで踏みにじりたくなる、と思っただけだ」

 にいっと笑みを浮かべる。艶やかなその笑みに、兵助は頬を染め、視線を落とした。いつまでも可愛らしい反応を返す兵助に、はくつりと咽喉を鳴らして、その身をそっと抱き上げる。

「せんぱい……」
「次は俺の下で舞ってもらおうか」

 我ながらくさい台詞だと咽喉を震わせながら、笑みの形に歪む唇を、そっと兵助のそれへと重ねた。

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 舞を舞う久々知が書きたかっただけの話。
 は和楽器を使う事も出来るけど、頼まれないと腕前を披露する事なんて無いので、基本見てるだけ。でも、気分が乗った時は何も言わずに琵琶やら琴やら二胡やらを持ち出してきます。管楽器よりも弦楽器の方がイメージかも。
 着物に対しては、いいものは分かるけど、高かろうと安かろうと着物だろうという価値観を持っているからこその台詞。