甘酒湯たんぽ




「寒い」

 季節は冬。焔硝蔵の温度は下手をすると屋外よりも低く、底冷えしている。多くの火薬が管理されている焔硝蔵であるからして、当然の如く火気厳禁である。だから火鉢を置いて暖を取る事もできず、冬の委員会活動は甘酒でも飲まなければやってられなかった。
 しかしながら、である。委員の一人であるタカ丸がその甘酒を経費に含めてしまったために予算をバッサリ切られ、管理費だけでカツカツだった予算はさらに足らなくなって、甘酒など買う余裕はない。去年はまだ余裕があったのに、と寒さに歯を食いしばって、は再び「寒い」と零した。
 切れ長の目は据わっており、歯を食いしばっているためか表情は常より硬い。殺気すらもうっすらとこぼれており、の周囲はどろどろと何か黒いものが渦を巻いているようだった。

先輩、その殺気を収めてください。下級生が脅えています」
「……」

 口を開くのも億劫なのか、兵助の注意にもコクリと頷くだけだ。けれども呼吸一つで彼の周囲に渦を巻いていた殺気は消え去り、は少し離れたところで様子を窺っている伊助と三郎次に優しく微笑んで見せた。いつもの――上級生には一切見せない笑みも下級生の前では大盤振る舞いだ。故にが浮かべる優しげな笑みはいつもの事である――笑みを浮かべたにほっと息を吐いた二人は、冷たい火薬壷を棚に収め、小走りによって来た。

先輩、大丈夫ですか?」
「唇が紫色ですよ」
「大丈夫だ、見た目ほどは酷くない」

 明らかに嘘だと知れるの言葉に、兵助は密かに息を吐く。は寒さに弱かった。逆にいくらじめじめしても夏の暑さは平気なのである。本人は夏の湿気が大嫌いだと公言してはいるが、弱いわけではないのだ。その代わり冬が徹底的にダメである。乾燥にも寒さにも、耐性はあまり無い。現に今も、伊助の指摘通り唇は紫に変色している。触れていないので分からないが、おそらく手も足も氷のように冷たくなっているだろう。芯から冷え切っているのだ。だというのに、動きづらいという理由で半纏も身に纏わず、制服の下に重ね着する事も無く、常の服装そのままである。ちなみに、兵助以下の火薬委員は重ね着している上に半纏も着込み、襟巻きも隙間無く巻いて防寒対策はばっちりだ。

「うわっ、先輩、手が氷みたい!」
「げっ、本当だ。だから重ね着するか半纏を着てくださいと言っているでしょう!」
「嫌だ、動きづらい」

 伊助が冷えに冷え切ったの手を捕まえ、同じく手に触れた三郎次が顔を引きつらせて抗議の声を上げる。伊助の温かく小さな手を惜しく思いながらも、自分の手がどれほど冷えているか良く分かっているは伊助の手から自身の手を取り返し、重ね着は動きづらいから嫌だと首を横に振った。

「ダメですよ、先輩。ぼく達の委員会は四六時中動き回ってる訳じゃないんですから、このままだと風邪ひいちゃいます」
「伊助……」
「先輩、動きづらいとは仰いますが、先輩ほどの方が重ね着や半纏くらいで動きに精彩を欠くとは思えません」
「いや、遅くなる。小平太並みに遅くなる」
「……先輩、それは遅くなるとは言いません」

 体育委員会で日々山の中を上ったり下ったりして、六年生の中でも足腰が強く速い先輩の名を上げられて、三郎次は比較対象が間違っている上に普段ならそれ以上の速さを持つというの出鱈目な強さに溜息を吐くしかない。しっかりと反論してはいるが。
 頑なに重ね着は嫌だと言い張るに、今度はあからさまに溜息を吐いて、兵助は口を開いた。

「伊助、三郎次。此処はもういいから、タカ丸さんを連れてきてくれないか?」
「タカ丸さんをですか?」
「ああ。甘酒を買ってきてくれるように頼んでおいたんだ。そろそろ帰ってくる頃だと思うんだが」
「わかりました!」
先輩、ちゃんと半纏だけでも着てくださいよ!」

 甘酒と聞いて、顔色を明るくした二人が声高らかに返事をして、の答えも聞かず走り出す。小さな背中を見送って、は再び歯を食いしばった。

先輩、とりあえず作業は一通り終りましたから、半纏だけでも着てください」
「……動きづらい」
「でも寒いのはお嫌でしょうに。帰ってきたときに少しでもマシな顔色をしていないと、伊助達が泣きますよ」
「……わかった」

 可愛がっている下級生達が泣くと聞いて、やっとこさ久々知が差し出した半纏を着込む。確かに中に綿が入っていて多少なりとも動きにくいだろうが、それでも寒さは幾分かマシだろう。その証拠に、の顔が僅かに緩んだ。

「寒いのでしたらちゃんと着込んでください。昔はちゃんと防寒してらしたのに……」
「お前も知ってるだろうが。昔、これで小平太から逃げ切れずに捕まった事」
「ああ、そうでしたね」

 昔はちゃんと重ね着して焔硝蔵に来ていたのだが、ある日あまりにも顔色が悪いと七松小平太が騒いで、逃げるを捕まえてあの体育委員会の体力の限界に挑戦と言わんばかりのマラソンに強制参加させてしまったのだ。の足は小平太よりも速く、本来ならば逃げ切れたはずなのだが、その時は着込んでいたものの所為で体が思うように動かせず捕まってしまったのである。
 はその時から、小平太に捕まる可能性のある時間帯はいくら寒くても絶対に重ね着での防寒をしなくなった。確実に小平太から逃げ切るために。

「でも先輩、あの頃とはもう比べ物にならないくらい実力を伸ばしていらっしゃるのですから、少しくらい重ね着しても」
「兵助、俺が成長している分小平太も成長しているのだという事を忘れるな」
「あ……」
「それにあいつに捕まれば、確実に今以上に委員会に出てこれなくなるが、構わんと」
「構います! ……構いますが、それとこれとは別ですよ。先ほど伊助が言っていたように風邪をひいたらどうするんですか」
「今までひかなかったんだから今年も大丈夫だ」
先輩!」
「そんなに心配なら……」

 正面から腕を回されて抱き寄せられ、ひやりとした氷のような左手が半纏の中に入って背を撫でる。そのあまりの冷たさに身を震わせ、顔を顰めてを見上げた。顔色は悪いが表情は何時ものように余裕綽々で、細められた目元にうっすらと色気が漂っている。じんわりと兵助の体温が移り始めている左手よりも更に冷たい右手を頬に添えられ、親指で口角を撫でられた。兵助の目元に朱が走る。

「お前が温めてくれる?」
「……っタカ丸さんたちが、戻ってくるまで、でしたら」
「充分」
「ぁ……ん、ぅ」

 頬を撫でていた右手が首の後ろに回され、左手が腰を掴んで、力強く引き寄せられる。優しく触れながらも荒々しく奪いつくそうとする唇が一度兵助の唇を撫で、甘噛みして、舐めて、深く深く兵助を侵食する。冷たい舌が上あごをくすぐり、歯列をなぞり、舌を絡めとられて。の口内へと導かれ、甘噛みされ舌先を舐められる。の二の腕の辺りを掴んでいた兵助は、快感に崩れ落ちたしまいそうな膝に、両の腕をの首へと回し縋りついた。兵助に回されているの腕にも、力がこもる。が兵助から体温をもらい、互いのぬくもりが溶け合っていく。それが快楽へと完全に流れていってしまう前に、は腕の力を抜き、名残惜しげに兵助の唇を舐め、離した。
 は、と両者から熱い吐息が零れる。は先程よりも熱の上がった兵助を抱きしめ、温かな頬にまだ冷たくはあるものの大分と色の戻った頬を摺り寄せた。

「……温まりましたか?」
「まぁまぁ」

 血の気の戻った手で頬を挟まれ、まだ冷たくはあるものの先ほどまでの氷のような冷たさは感じられず、ほっと息を吐いた。心配が薄れたからか、表情の柔らかくなった兵助には小さく笑みを浮かべ、口付けに潤んだ瞳へと、まぶた越しにそっと唇を落とした。そして、長い睫毛の淵を唇で辿る。
 その甘やかな触れ合いに、兵助は心を震わせ頬を染める。こんなにも優しく甘く触れてくるというのに、この人は何も言ってはくれないのだ。兵助の想いなど、とうに察しているだろうに、何て酷い人。けれども詰る言葉など出てきはしない。そういう人だと知っていて好きになり、慕情を募らせたのだから。ただ触れ合う肌に、幸せを感じる。

「そういえば」

 兵助が切なさと幸せな気持ちと共にの唇に身をゆだねていると、が今思い出したかとでも言うように、口を開いた。

「はい?」
「甘酒の代金なんてどこから出したんだ? 確か今期はカツカツだろう?」
「ああ、はい。それでしたらタカ丸さんに町で髪結いをしてもらって稼がせてもらいました」
「……来期の予算も危ういな」
「今から持ってきてもらう甘酒は、タカ丸さんが自分で稼いだ小遣いで買った大好きな甘酒を一杯あるから、とたまたま委員会の仲間である私たちにおすそ分けしてくれる分ですので、予算として計上する必要は欠片もありません」
「なるほど、そうきたか。まぁ、それで文次郎を説き伏せられるか否かは別だが」
「そこは先輩が頑張ってくれませんか?」
「それはお前が頑張って説得すれば?」

 夜の気配を漂わせて笑みを浮かべるに、兵助は何を求められているのかを瞬時に悟り、湯気が出そうなほど真っ赤に顔を染めて視線を彷徨わせ、やがて小さく頷いた。は満足げに息を吐くと、兵助の身体を離した。
 扉の向こうから、下級生達の気配が近づいてくる。兵助は熱くなりすぎた顔をぱたぱたと手で扇いだ。何とか顔から熱が引いたと同時に、扉が開く。

先輩、久々知先輩! ただいまもどりました!」
「あ、ちゃんと半纏着てますね、良かった!」
先輩、久々知君、ただいま〜! 甘酒買って来たよー!」
「おかえり」
「おかえり甘酒を早く寄こせ凍え死ぬ」

 きゃいきゃいと騒ぐ後輩たちに、兵助は微笑ましそうに目を細めて、は同じように柔らかく目を細めながらも兵助を離した事で再び冷えた手を差し出す。タカ丸はその手の白さに目を丸くしながらも、湯気の立つ湯飲みを渡した。温かいを通り越して少しばかり熱い湯のみを両手で包みこむ。じんと、指先が鈍く痛んだ。

「うわー、先輩手が真っ白。顔色も悪いよ、どうしたの!?」
「寒いんだよ」
先輩、さっきまで動きにくいから嫌だって半纏も着てなかったんですよ」
「しかも制服の下に重ね着もなさってはいない」
「え、この寒いのに!?」
「まぁ、それには色々あって……」

 信じられないという目で見てくるタカ丸を、は甘酒をそそりながら無視する。久々知は件のドタバタをこの中では唯一知るだけに、苦笑をして返した。後輩達はその「色々」の内容が気にかかりつつも、先輩達がそれ以上口を開く気が無いと察したため、仕方なく口をつぐむ。

「でも、タカ丸さんを迎えに行く前よりは、顔色良くなりましたよね、先輩」
「兵助を湯たんぽ代わりにしてたからな」
先輩……」
「火気厳禁だから熱源なんて人しかいないしねー」
「確かに寒い時は人にくっついていると温かいですよね」
「まぁな。というわけで」
「うわっ」

 うっすらと、分からないほどに頬を染める兵助に悪戯っぽく笑ってから、三郎次を胡坐をかいた膝の上に乗せる。後ろからしっかりと抱え込んで、頭の上に顎を乗せた。は温かいし、三郎次は冷たい床の上に座ることはないしで一石二鳥である。その様子を見て、の横に腰を下ろした久々知が、伊助を確保して膝の上に乗せている。温かいのか、表情が緩んでいた。タカ丸はというと、出遅れた事を把握し、唇を尖らせる。

「ちょ、先輩!? 何で俺!?」
「お前が近くに居たからと、兵助の体格なら二年よりも一年のほうが抱きかかえるにも楽だろう」
「いいなー二人とも。温かそー。先輩、久々知君、オレもひっついていい?」
「お前は着膨れするくらい着込んでるんだからもういいだろうが」
「良くないよー寂しいよー」
「はいはい」

 目の前で騒ぐタカ丸を適当にあしらいながら、は手の中の温かな湯のみをいじり、時折口をつける。がっちりと膝の上に確保されている三郎次はというと、もう既に諦めて大人しく甘酒をすすっていた。文句を言うだけ無駄だと、彼はこの二年ほどで学習しているのである。兵助と伊助は、だんだんと顔色の良くなるに安心し、和気藹々としたその様子に、顔を見合わせて笑みを浮かべたのだった。


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 相変わらずいちゃいちゃしている主人公と久々知。俺様主人公と乙女久々知も相変わらずです。
 そんでもって委員会は家族。頼りない長男タカ丸に、世話焼き次男三郎次、しっかり者の末っ子伊助ちゃんで、俺様父主人公と尽くす母兵助。体育と会計もナチュラルに親子だと思います。用具は保育園、保健は伊作がお母さんよりの立ち位置。で、用具に伊作、保健に食満をつっこむと、秋月的に家族に変身。私は食満伊・こへ滝・文三木(文仙でもいいけど)を推奨します。
 ちなみにタカ丸さんは主人公と久々知の関係に薄ら気付いているけれど、しっかり把握してはいないという感じです。
 作中に出てくる甘酒は、寒いのがダメダメなの為に久々知が用意したもの。正確には「焔硝蔵で凍死しそうな先輩の為に甘酒を買う余裕は残しておいたのに、予算をバッサリ切られたためにその余裕も無い。だから原因であるタカ丸さんがその分稼いで、甘酒差し入れてくださいね」って感じで持ってこさせたもの。