理不尽な要求





は実技、兵助は教科で今年入学する一年は組を担当するように!」

 煙玉を投げ入れ、煙が晴れると共にそう言い捨てて、また同じように煙玉を投げつけて去っていく。まるで瞬間的な嵐のような学園長に、恋人の膝を枕にだらりと昼寝に勤しんでいたと、膝を提供しつつ縫い物をしていた兵助は現状を上手く把握する事が出来ず、ぽかんとその嵐を見送ってしまっていた。

「……えーと、私が教科でさんが実技で……で?」
「……新入生の担任」

 混乱したままはてなマークを頭上に飛ばしている兵助の膝から起き上がり、は頭が痛いとばかりにこめかみに指を押し当てながら小さく唸る。ぼそりと呟かれた言葉の意味を、えらく時間をかけながら咀嚼し呑み込んだ兵助は、理解すると同時にひくりと顔を引き攣らせた。

「……私、半年の実習を終えたばかりなんですけど」
「俺は一年間だ」
「それなのに新入生の担任!? 何を考えているんですか、学園長は!」

 針を針山に戻し、布を放り出して、わなわなと震える兵助。は細く長く息を吐き出して、すっくと立ち上がった。その動きにつられて顔を上げた兵助の、眉尻の下がった少しばかり情けない顔を見下ろして、くいと顎で学園長が開け放していった障子の方を指した。

「行くぞ」
「……既に決定している事柄への抗議は時間の無駄のような気がしますが」
「それでも、文句もなく好き勝手させてしまえば、これから際限なく面倒事を持ち込まれるようになりかねん。決定事項が変わらんとしても、調子付く前に締める所は徹底的に締めさせてもらう」

 そう言って浮かべられた笑みは壮絶で、なんだか黒いものが滲み出ていた。年を重ねる毎に滴るように増している色気はそんな顔をすれば駄々漏れで、見慣れているはずの兵助もほんのりと頬を染めてしまう。当然のように差し伸べられる手を拒む事などできるはずもなく、兵助は小さく溜息をつきながらも素直に指先を預けた。





 負けるなワシ。
 近頃とみに迫力が増してきた笑みを前にして、学園長はそう自らを励ました。相手はつばなれをした頃から知っている子供、かつて天才と言われた忍である自分がどうこうされてしまうような相手ではない。まだまだ尻に殻のついたひよこも同然だ。そう思うのに、ああ、そう思うのに。何故笑顔一つでこんなにも冷や汗が流れてくるのだろうか。同じように笑顔で対抗しながらも、自分が気圧されている事を認めたくない学園長は必死に現実から目を逸らしていた。

「学園長」
「っならん! ならんと言ったらならん! もはや決定事項じゃ!」
「まだ何も申しておりませんが」
「おぬし等の用など、新入生の担任の件に決まっておるじゃろうが!」
「否とは申しませんが」
「それ見ろ」

 得意顔で胸をそらす学園長と、全く余裕を崩す事無く対峙しているを、顔に出さないようにしながらも兵助ははらはらとしつつ見守る。下手に学園長の機嫌を損ねてしまえば、それこそ面倒ごとを持ち込まれ、兵助自身もその嵐に否応無く巻き込まれていくのだ。自分から飛び込んで行くのならばまだいいが、巻き込まれるのは正直ゴメンである。自身に何事も無いのならば。
 ドライなんだか半ば惚気なんだか解らない思考を展開しながらも、兵助はこの自信をどう突き崩してやろうかと内心うずうずしているだろうの袖をついとひっぱり、しばし視線を合わせる。兵助がにこりと笑みを浮かべると、はひょいと肩をすくめてヘムヘムが持ってきた茶に口をつけた。どうやら素直にこの場を譲ってくれるつもりらしい。

「しかし学園長、さんは実習期間ももうじき一年になりますが、私はまだ半年ほどしかこなしていないのですよ。それなのに新入生の担任など、務まるとも思えないのですが」
「大丈夫じゃ!」

 やけに自信満々に言い切る学園長。はぴくりと片眉を跳ね上げ、兵助は困惑気味に小首を傾げた。何故やってもいないうちからこんなにも自信満々なのだろうか。しかもいつもの唐突な思い付きなどという不安定なものではなく、根拠がしっかりとあるように見える。一瞬、二人して聞かないほうがいいのではなかろうかという思いが脳裏をよぎった。

「何故、そう言いきれるのですか?」
「決まっておる、はあのは組に先輩として一年、担任の補佐として一年、兵助は先輩として二年、補佐として半年ついておる。あやつらのはちゃめちゃっぷりに胃を痛める事も無く付き合っていける上にしっかりと授業もこなしたおぬし等じゃ。たかだかつばなれしたばかりの子供たち相手なんぞ赤子の手を捻るよりも簡単じゃろうて」

 あれ以上凄まじい学級などこの先もおらんだろうしのう。
 そう続けた学園長に、確かに、と二人は何の疑問も挟む事無く納得してしまった。あの、一年の頃から付き合っている土井ですら胃痛と胃薬のコンビとは親友といってもいいくらいの仲の良さだというのに、担任の補佐としてついたが為に土井以上には組の子供たちに振り回されているはずのと兵助はそんなものにお世話になった事は無い。むしろ喜々として課題と称し可愛がっている後輩達をかなりぎりぎりの所まで追い込んだり追い詰めたりした事もあったりなかったり。これにはは組の子供たちも泣いて喜んでいた。先輩たちの鬼! という可愛らしい罵声とともに。そして最後にはもうしませんから勘弁してくださいと涙ながらに土下座して、無駄な反省を見せるという展開がこの一年の間に何度か繰り返されたりしたのだが余談である。ちなみにストッパーとして半年後に呼ばれたはずの兵助は加速装置にしかならなかった所為で、一時期土井の胃の壁には穴が開きかけたそうだ。
 閑話休題。
 その様子をさらに胃を痛める本来の担任たちと共に見ていた学園長は、胸を張りながらも子供たちの様子を思い返し、ちょっぴり早まったかもしれないと背中に一筋冷や汗を流した。

「ああ、あんな感じでいいのか」
「ならどうにかなりますね」

 学園長が言うならそれでいこうと、自分たちの容赦の無さを客観的にしっかりと把握している二人は熟年夫婦も真っ青なほどのツーカーッぷりで頷きあい、言質を取ればもう用はないとばかりにさっさと退出してしまう。学園長の制止もヘムヘムの鳴き声すらも挟ませない見事なタイミングに、跡に残された二人はかくりと肩を落とした。

「……ヘムヘム、ワシは少しどころでなく早まったのかもしれん」
「ヘム……」
「卒業までに何人残るかのう、今年の新入生……」

 過去最低記録を更新するかもしれない。少々嫌な予感に苛まれつつも、前言を撤回する気にはならない学園長であった。