骨の髄まで愛してる! 2





 変な奴。は一言で言えば、そんな人間だ。不運というわけでもないのに保健委員に自ら志願し、五年間保健委員で居続けている事や、えらく骨や骨格というものに執着しているというところがとてつもなく変わっている。
 そして、鉢屋三郎にとっては気に触る奴でもあった。何せ、彼には三郎の変装がまったく通じない。どんなにうまく化けることができ、教師たちを騙す事ができても、彼だけは一度も引っかかることなく、変装した彼を鉢屋三郎だと見抜くことができていた。それがとても納得できない。そしてもう一つ。彼は何故か三郎に近寄ろうとしない。向こうから話しかけてくるときはほぼ全てが用事がある時だけ。話しかけてきても、一定の距離を保って手が届く範囲には入ろうとはしない。組は違えども同じ学園、そして同じ学年だというのに、過剰に警戒されているようだといつも思う。三郎は彼に何かをした覚えはないというのに。
 だというのに、今日も。

「鉢屋」

 雷蔵と三郎を違うことなく見分けて呼びかけ、腕の長さ二つ分くらいをきっちりと開けて、は立ち止まる。その微妙な距離とまた見分けられたという事実をなんとなく憎憎しく思いながらも、三郎は振り返ってと向き直った。

「何だよ、
「学園長先生がお呼びだ。一刻後に庵まで来るように、と」
「わかった」

 頷きつつも一歩前に出ると、は一歩後ろに下がる。それに内心イラっとしながらも、それ以上は近づかず、去っていくの背中を睨みつけた。





 苛々する。
 心の中でそう呟きながらも、三郎は傷にきつく布を巻きつけ止血した。に伝言を受け、学園長から渡された忍務。それ自体は成功したものの、逃げるときにまったく関係のない他の国の忍に見つかってしまい、攻撃を受けてしまったのだ。相手方は本気ではなかったためか、三郎を深追いすることもなかったために逃げ切れたが、受けた被害は小さくはなかった。腕や足やその他の切り傷はたいしたことはない。幸い毒も受けることはなかった。けれども、足首を盛大にひねってしまったのだ。すでに腫れ上がっている足首は、歩いて帰ることすらも許してくれそうにない。
 それもこれもいらぬ苛立ちをくれてくれるの所為だ。
 胸の中に沸いてくる苛立ちをまるで頑是無い子供のようにになすりつけながら、三郎は足首を固定していく。たとえ完璧に固定できたとしても、この熱の持ちようでは焼け石に水でしかなさそうだ。

「くそっ」

 小さく呟いたはずが、思いのほか静まり返った森の中に響いたように感じられ、はっと息を呑んで口を噤む。緊張したまま耳へと意識を集中し、気配を探り、ようやくそこに自分以外誰も居ないと納得できると、そろそろと息を吐き出して体からわずかばかり力を抜いた。
 やはりむかつく。
 いつもの自分でいられないことにさらに苛立ちが募り、それもこれも全ての所為だ、と心の中だけで絶叫して、ぎりりと奥歯をかみ締める。ずくずくと脈打つように痛む足が、余計にその苛立ちを煽っていた。

「鉢屋」

 天にかかる月がいくらか傾いたとき、苛立ちの原因とも言えるの声が聞こえた。目の前にも、違わずの姿。もしかして痛みと苛立ちのあまり幻を見ているのではなかろうか、どうせ見るのなら、雷蔵がいい。雷蔵でなくても、でないのなら他の面々でもいいと三郎は思う。けれども、足やら腕やらから伝う痛みは、それを現実だと嫌と言うほど知らしめており、なぜこんなところにいるのだと目の前の男を見上げた。

?」

 訝しげに名を呼ぶ三郎に、禁欲的な雰囲気のする表情をわずかに崩して、はこくりと頷いた。そうして、少しばかり躊躇した後、意図的に開けていた距離をネコ科の動物のようにするりとつめてテキパキと三郎の負っている傷を治療し始めた。どこにそんな道具を隠し持っていたのかと聞きたいほど多くの治療道具を持つに、わざわざ助けに来たのだろうか、と眉間にしわを寄せる。
 そんな事を考えているうちに、の手がひねった足へと伸ばされ、固定されている足に影響を与えないように慎重に持ち上げてじっと凝視した後、同じように慎重に下ろされた。こいつは何がしたいのだろうか。そう思った次の瞬間、の口から出た言葉に目が点になった。

「捻挫だけか。よかった、骨に異常はないみたいだな」

 ほっとしたように表情を緩める
 見ただけなのになぜそうも断言できるのだ。そもそも何故お前がここに居る。言いたいことが山ほど浮かんできて口の方が追いつかず、はくはくとまるで金魚のように口を開閉して、そうこうしている内にひょいっと背負われてしまい、呆然とする。
 しばらくゆらゆらと背中で揺られて、三郎がはっと己を取り戻した時には、すでに学園までの道中を半分ほど超えていた。

「な、何なんだよお前!」
「……声が大きい、耳が痛いしどこかで活動してるかもしれない忍びに見つかったら事だ。もう少し小さな声で話してくれ」

 肩を震わせ、一瞬動きを止めてしまったに、三郎はぐっと言葉を詰まらせそれも――後半の部分だけだ。断じての心配なぞしてはいない――もっともだと声のボリュームを周囲に響かない程度に抑えた。

「本当に、何なんだよ、お前。クラスが違うとはいえ数少ない同学年で、それほど知らない仲じゃないって言うのに用事がない限り近づいてこようとしないし、近づいてきたと思ったら一定の距離は絶対に開いてるし、私たちが苦手なのかと思ったら私以外にの奴らには保健委員の連中と同じかそれよりちょっと遠いくらいの距離感くらいでしかないしちゃんと普通の会話も成り立ってるし、嫌われてるのかと思えば何かそうでもないっぽいみたいだし、警戒って言うのもなんか違うし、私は別にお前に何かした覚えなんかないのになのに避けるし、かと思えば今日は助けに来るし、そういえばお前なんで私を助けにこれてるんだ、私の忍務先も使用ルートも知らないはずだろう、なのにいるし、治療道具なんてしっかり持ってるし、しかも見ただけで骨に異常が無いとかなんでわかるんだよ保健委員だからとかそんな言い訳はるかに超えてるだろうそれ、新野先生だって見ただけじゃ骨の異常なんて判らないことはそれが専門じゃなくても解るんだぞ、ああもう、本当に何なんだよお前、!」

 今まで胸のうちにたまっていた疑問を苛立ちと共に全てぶちまけ捲くし立てて、三郎は息を荒げる。耳元で怒涛のように言葉をぶつけられたはというと、思わず歩みを止め忙しなく瞬いた。そして脳内で三郎の言葉を全て処理しきると、ふただび足を進めながらも口を開いた。

「一つずつ、答えると」
「全部答えろよ」
「選択肢は」
「ない」
「……わかった」

 少しばかり葛藤した後、はこくりと頷いた。

「今日、鉢屋を見つけられたのは偶然だ。近くを通ったときに強い血の臭いがして、気になって見に行ったら鉢屋がいた。治療道具を持っていたのは保健委員だから、としか言いようが無い」
「保健委員の習性ね」

 怪我人がいれば問答無用に無差別に治療をしてしまうのが保健委員という生き物だ。自分から所属していようが不運で所属していようが、そのあたりはきっちり両方とも染まってしまうらしい。とりあえず、そのあたりには納得する。

「それで、骨の異常が何故見ただけでわかるのか、というのは、俺の目が特殊らしいからだ」
「特殊?」
「生まれたときからこうだったから、特別だと言われてもよくは解らないんだが、骨とか骨格とかが見える」
「それって、世の人間全部がコーちゃんみたいに見えるって事か?」
「いや、そこまではっきりとは……」
「でも見えてるんだな? で、それで人間を判断しているから私と雷蔵のことも簡単に見抜けたわけか……」

 なんて出鱈目な。
 疎ましいのか驚愕にか唸るようなその言葉に、は困ったように眉尻を下げる。

「で?」
「……俺が、鉢屋に近づこうとしない理由は」
「理由は?」
「……」

 未だに躊躇しているのか葛藤しているのか、口を開きたがらないの耳を三郎はぎゅっと引っぱった。

「…痛い」
「は・な・せ」
「……言葉にすると変態じみていて嫌なんだが」
「……」
「触りたくなる」
「……は?」
「だから、手の届く範囲には立ち入らなかった」

 思いもよらなかったその事実に、三郎はぽかんと口をあけた。まさかそんな答えが返ってくるとは、夢にも思わなかったのだ。てっきり嫌われているものだと、いや、嫌われていいても何の障害にもならないのだが。ただ、苛々するだけで。苛々する、だけで。しかし何故自分はこれほどまでにを気にかけ、苛立っているのだろうか。
 頭の中でめまぐるしく変わっていく疑問に、三郎はしばし固まっていたが、最後には一言ポツリと言葉をこぼした。

「触りたくなるって、何で……」
「骨格がものすごく好みなんだ」

 見てるだけではなく触って確かめたくなる。
 なんだか想像の斜め上を行く返答に、くらりと眩暈がしそうになった。

「……そんな事を言われたのは初めてだ」
「だろうな」

 疲れたような声に、こくりとは頷く。
 それからしばらくは、二人分の体重がかかる足音だけが響いていた。

「……触られるのは困る。というか、嫌だ」
「ああ」
「でも、距離をとられるのは腹立つ」
「……以後気をつける」

 触りたくなるので距離はある程度とっていたいのだが、それで鉢屋を不快にするのも、とは少しばかり間を空けて態度を変更する事を約束する。それに達成感のようなものを感じ、満足げにうなずくと、三郎はにつかまる手にぎゅっと力をこめた。