骨の髄まで愛してる! 1





「今日も完璧だ」

 ストイックな印象を与える表情を恍惚としたものへと変え、一心に見つめる先にあるのは骨格標本のコーちゃん。そうして自分の世界に浸っている間にも、左手は人数分の茶が入った湯のみが置かれた盆を持ったままこけかけた左近を支え、左足は倒れかけた薬棚を壁のほうへと押し返し、左手は薬棚を倒しかけた張本人である伊作――手には棚から抜き出した引き出しがある――を少しばかりのけぞらせた体勢で支えていた。
 つい先ほどまでコーちゃんの前に座り込んでいたというのに、不運が発動しかけたその瞬間に光のような速さで全てを阻止したその姿に、一連のできごとを座って見ていた一年生二人はぱちぱちと手を鳴らした。

「すごいスリル〜」
「さすが先輩」
「あ、ありがとうございます」
「い、痛いぃ……! 、助けてくれた、のはありがたいんだ、けど、もうちょっと、体起こしてぇ……!」

 腰が、背骨が、と呻く伊作に、は確かに右手の下で骨が無理な体勢に悲鳴を上げているのを感じ取り、薬棚が壁に背をつけ、左近をきちんと立ったのを確認すると、引き出しを受け取ってから伊作の体を起こしてやった。

「助かったよ、ありがとう、
「いえ。礼を言うならコーちゃんを下さい」

 安堵の息をついている伊作に熱のこもった眼差しで請うと、にっこりと笑って、「それはダメ」と断られる。それに小さく舌打ちをしただったが、次の瞬間にはけろりとした表情で医務室内を見回した。

「ところで、数馬はどうしました?」
「え?」
「あれ?」
「……迎えに行ってきます」

 見事に忘れ去られている不運な後輩に、は一つため息をつくと名残惜しげにコーちゃんを見つめてから、伊作に引き出しを渡して医務室を出た。「動き回らないで下さいよ」という一言を残して。
 伊作と左近はその言葉通りにそろそろとその場に腰を下ろす。たとえ五年生であっても、唯一不運ではないの発言権は大きいのだ。防いだ不運の分だけ。

が帰ってくるまで、とりあえずできるだけ動かないようにね」
「「はーい!」」
「わかってます」

 自らの不運をしっかりと把握している保健委員たちは、伊作の号令に素直に頷く。そして左近の入れたお茶をすすって一服すると、乱太郎がことりと首をかしげて伊作を見上げた。

「ところで伊作先輩、聞いてもいいですか?」
「なぁに、乱太郎?」
先輩はどうして保健委員なんですか?」
「それは不運じゃないのにってこと?」

 苦笑する伊作に、乱太郎は少しばかり気まずそうに頷く。本人がいないのに勝手に行ってもいいものだろうか、と伊作は一瞬だけ思ったが、一年生たちの不思議そうな視線と左近の生ぬるい表情に、あまりにも有名すぎる事実だからまぁいいかと考えることを放棄した。

はコーちゃんが大好きだからね」
「え?」

 首をかしげる一年生二人に、今度は左近が生ぬるい表情をそのままに口を開いた。

「つまり先輩は、コーちゃんを見たいがためだけに五年間ずっと保健委員でいらっしゃるんだ」

 しかも初恋の相手でもあったりするのだが、少しどころでなくシュールな事実であるために口を噤む。本人は隠していないのでいつかはわかることであっても、下手に口にしての機嫌を損ねれば、保健委員会は大惨事だ。

先輩は何でコーちゃんが好きなんですか?」
「ですか〜?」

 骨しかないのに、と首をかしげる一年生に、伊作は苦笑を浮かべる。

「憧れの骨格なんだって」

 もたらされた答えに、やはり一年生は首をかしげていた。





 ぽっかりとあいた丸い穴から空を眺めて、数馬は一人ため息をついた。一つ上の先輩が掘った穴に落ちるのはいつものことだが、今日嵌った穴はいつになく深い。安全設計で作られているために落ちても痛くはなかったが、クナイもかぎ縄も持っていなかったために出ることもかなわない。しかも人通りが少ない場所でもあるため、助けもあまり期待できなかった。何たる不運。

「先輩達が気づいたら探しに来てくれるかなぁ」

 自分が人に忘れられやすいという事実の前に、それも望み薄だと思いながらつぶやいてみる。もう一度深々とため息をついたとき、頭上からふと影が差した。

「その骨格と声は数馬か?」
せんぱぁ〜い……」

 見上げた先にあった伏し目がちの静かな表情をたたえる人の姿に、数馬は情けない声を上げる。差し出された手に引き上げてもらい、やっとのことで外に出ると、軽く土を払われた後に肩に担ぎ上げられた。

先輩!?」
「普通に歩いたら罠に引っかかって医務室につくまで時間がかかるだろう。おとなしくつかまっていろ」
「はい」

 至極もっともな言い分に、数馬はおとなしく頷いて、の消息につかまった。時折不思議な足運びですたすたと医務室への道を歩むに、そこに罠があるのかと肩の上で揺られながら思う。自分だったらそれこその言うとおりひっかかっていた。

先輩」
「何だ?」
「相変わらず骨格で人を見分けていらっしゃるんですね」
「ああ。お前たちは容姿や装束や声で見分けているんだろう」
「はい。先輩のように特別な目は持っていませんから」

 普段あまり変わらない表情が、困惑したかのように少しばかり歪む。それもそうだろう。にとって呼格を見透かし、骨の密度まで見取って、それでもって人を区別することは別段特別でもなんでもない普通のことなのである。そして彼は、学園でそれを指摘されるまで、人の区別の仕方が他人とはまるで違うのだということを知らないでいたと、数馬は伊作から聞いていた。
 の視界はどうなっているのだろうか、と、純粋な好奇心で、その人の見ているだろう世界を思う。

「先輩みたいな目があたら、骨折とかひびとか早く見つけて治療できるのになぁ」
「まぁな。だが変姿の術は苦手だ」
「人間の美的感覚がよくわからないからですか?」
「そうだ。伊作先輩にでも聞いたか」
「はい。それに孫兵も似たようなことを言っていました」
「まごへい……あぁ、伊賀崎か」

 毒のある動物や虫をこよなく愛する後輩の名前に、さもありなんとは頷く。蓑虫にロマンスを見出せる孫兵にしてみれば、どうでもいい人間など曲線と直線が合わさったような存在であろうし、最も美しいと感じる存在はいつも連れ歩いているジュンコなのだろう。が、コーちゃんの骨格に憧れ、初恋を捧げたように。

「さて、着いたぞ」

 友人と先輩が似たもの同士なんだと、数馬がこくこくと頷いているうちにどうやら医務室についていたらしい。肩からすとんと下ろされて、医務室へと入っていくに数馬も続く。中では、彼ら二人を待っていたらしい先輩や後輩たちが座って笑みを浮かべていた。

「さて、全員そろったことだし、委員会を始めようか」
「はーい!」
「はい」

 委員長の掛け声に、よい子の返事が即座に返った。





あとがき
 とりあえず主人公はこんな人、という話。