かまいすぎるのはあまりよくありません





 目が覚めたら、横では尾浜が散らばりに散らばった俺のスペース――部屋の真ん中で面白いぐらいきっぱりと、散らかっているのと片付いているのとに分かれている――を片付けてくれていました。
 てきぱきくるくると効率よく片付けていっている尾浜の姿に、ぼんやりとした思考のまま器用だなと思う。いや、俺がずぼらすぎるんだけど。自覚しているなら治せと五年間同室者であり親友に言われて続けても治らなかった悪癖を思い、のっそりと起き上がった。気がつけば、青かった空は黄色から赤のグラデーションに染まっている。思っていた以上に寝てしまっていたらしい。

「あ、起きたんだ」

 片付けの手を止めて振り返った尾浜は目元を和ませて、いつもよりも声のトーンを落として、密やかな声でそう言った。それにこくりと頷いて、からからに渇いた口の中に眉を寄せる。

「はい、お茶」

 すっと目の前に湯飲みを差し出される。素直にそれを受け取って、一気に煽った。熱すぎず冷めすぎず丁度好い温度のお茶が咽喉を滑り降りる。うん、美味い。

「……ありがとう」
「どういたしまして」

 にこりと嬉しそうな笑みを浮かべて、尾浜はまた片付けに戻る。散らばっている紙を纏めて、本を重ねて、図書室から借りてきたものと分けて。それがまた俺にも変わりやすく配置されて片付いていっているものだから、思わず感嘆の溜息をついた。

「どうかした?」

 溜息を耳ざとく聞きつけたらしい尾浜がくるりと振り返る。その顔が心配そうに雲っていて、慌てて首を横に振った。

「そう? ならいいけど。あ、これここでいい?」
「ああ」
「ならこれはここに纏めとこう。あ、これ破れてる」
「……この前の実習で木の枝に引っ掛けて」
「あー、結構盛大。でもこれならまだ直せるか。片付け終わったらやっておくね」

 破けたまま放っておいた装束を片手に笑う尾浜にとりあえず頷く。そのままぼんやりとしていても、部屋は片付き、宣言したとおり尾浜は俺の装束を器用な手つきでするすると糸を通して縫っていった。針が布の波をざくざくと乗り切り、装束と同じ色の糸を通していく作業を正面から覗き込み、時折手元をじっと見つめている尾浜の顔を覗き込む。
 尾浜は奇特な奴だと思う。同室者の親友ですら投げ出した俺の世話を嫌な顔一つせずに焼いて、何も言わなくてもさっきのように咽喉が乾けば茶を出してくれたりする。けれど押し付けがましいわけでもなく、遠慮しているのでもなく、ごくごく自然体で。息がしやすい、と思う。

「俺尾浜がいないと生活できなくなるかもしれない」
「……どうしたの、いきなり」

 装束を縫う手を止めて、大きな目を瞬かせる。きょとんとした顔がなんだか可愛かった。

「こう至れり尽くせりだと、無い生活力がますます無くなっていってる気がする」
「そう?」
「ああ。尾浜は俺を甘やかしすぎ」
「そうかな」
「そうだよ」

 顔を覗き込むと、尾浜は縫い物を再開しながら、くすくすとどこか嬉しそうに笑っていた。何が嬉しいのかわからないが、それでも尾浜の機嫌が良いなら良いかと思う。また畳の上に横になって、じっとその様子を見て、目を閉じた。

「もう寝ちゃダメだよ」
「寝ない」
「声が眠そうだ」
「うん……勘右衛門」
「へ……?」

 気の抜けた声が漏れる。俺は目を閉じたままで尾浜が今どんな表情をしているかだなんて、想像すらしなかった。

「……て、呼んでいいか?」
「……って呼んでもいいなら」
「構わない」
「ならいいよ」

 まさか、声だけは平然と返した尾浜の顔が、真っ赤に染まっているだなんて。



(反則だ、不意打ちで名前呼びなんて……!)(計画が順調にいってる喜びなんて、あっという間に吹っ飛んじゃった)



































































おこらせるとおもわぬはんげきをうけます





 兵助が緩みきった顔で笑っている。周囲にはデフォルメされた花とハートが飛んでいて、ああ幸せなんだと考えるまでも無く察することが出来た。もちろん恋愛方面の充実で。と上手くいってるんだろう。

が好きだって言ってくれたんだ」

 ふわふわとした笑みで、聞いてもいないのにそう教えてくれる。から預かってきた装束に針を通しながら、おれは右から左へと兵助の話を聞き流していた。そうでもなければ、朝から延々と繰り返されるのろけ話になんて付き合ってられない。最初の一回は良かったねと笑顔で返せたが、それ以降は基本生返事だ。本当に真面目に相手なんてしてたら胸焼けしちゃうよ。

「勘ちゃん聞いてる?」
「はいはい、聞いてる聞いてる」
「むぅ……」

 不満そうに唇を尖らせても、すぐに幸せな記憶を思い返してふわふわとした笑顔に戻る。それだけでもなんだか胸がむかむかしてくる気がして、おれは眉間に皺を寄せた。
 とはかなり仲がよくなったと思う。勉強でわからないことろがあったら真っ先に聞きに来てくれるようになったし、名前で呼び合うようになった。そして目論見通り、おれがいないと生活できないように誘導できているし。
 それでも、恋仲になったわけではない。好意を持ってくれても、それは恋ではないのだ。それは現在進行形で鋭意努力中だからいいのだが……いいのだが。
 やはり目の前でのろけられると気に食わない。同じ話を何回もされて食傷気味だということもあった。

「勘ちゃんってば!」
「はいはい、聞いてるよ」

 なので繕い物をしながら笑みを浮かべてみせて、今日の夕飯の豆腐は横から取り上げてやろうと、小さな報復を決意した。



(あ、勘ちゃんそれ俺の豆腐!)(うん、美味しいよ)(あ、あれ、勘ちゃんもしかして怒ってる……?)(あっはっは、そんなわけないじゃない)(目が笑ってないよ、勘ちゃん怖い……!)




























































かいぬしのへんかにびんかんです





 が生温い笑みを浮かべていた。諦観と達観を混ぜ合わせたような目で、ぽんと肩を叩かれて、がくりと肩を落とす。仕方が無いから諦めろ、とその仕草だけで充分に伝わった。諦めて受け入れてしまえと。
 尾浜勘右衛門のことが好きかもしれない。恋愛感情で。
 どうしようと思った。けれどもそう自覚してしまった時点で、既に気持ちを終らせるには遅すぎて。が言うとおり、その気持ちを諦めて受け入れてしまうしか取れる手段は無かった。
 それでも、気持ちを伝えるには勇気も無く、自覚してしまった気持ちに彼を前にすると、どういう態度をとればいいのかわからなくなってしまって。以前、彼が好きだと自覚する前はどんな態度を取っていたのかすらも忘れてしまった。
 どうしよう、とに相談しても「そのまま好きだと伝えればいいだろう」と真剣に取り合ってもくれず――久々知に売渡した事を未だに許してくれていないらしい。今は両思いで幸せなくせに――もう本当にどうしていいのか解らない。なので、勘右衛門を避けるしかない……のだが。
 勘右衛門に関わらずに生活するなんて無理だ……。結論なんて簡単に出てくる。
 今や勘右衛門が居なければ綺麗に室内を片付ける事も出来ず、元々苦手だった繕い物などできるはずもなく、髪を綺麗に纏めるのにすら時間がかかってしまう。こんな事ではダメだと思いながらも、生活面で勘右衛門に頼りきりで自分でやるということを放棄していた為に、既に手遅れで。人は甘い蜜を吸うと蜜の味を覚える前には戻れないのだという真理を理解したような気がした。
 ちろりと、今も鍛錬中に盛大に木にひっかけてしまった装束を繕ってくれている勘右衛門を見る。小さな針と糸を使ってするすると器用に破けている箇所を修復する指先、じっと手元を見つめる大きな目。少し丸まった背中に、高く結い上げられた長い髪が小さな動きにあわせてゆらゆらと揺れる。そんな姿が好きだなと思って、視線を逸らした。
 彼の自分に対する姿はどうしようもない幼子に対する母親のようで、学級委員長なんてものをしている彼には俺のずぼらな所が放っておけないだけで。きっと、恋愛感情なんて無いだろうに、ちょっとしたことで見ほれるような可愛らしい笑みを浮かべる勘右衛門に、少し期待してしまう。だって、そんな顔は親友であろう久々知にだって見せてはいないのだ。でもそんなものは、九割九分都合の好い思い込み。恋する者の愚かさでしかないのだろう。
 溜息を吐くしかなかった。





 最近に避けられているような気がしてならない。何でだろう、何かしくじってしまったのだろうか。生活面からを絡め取って落とそうとしているのがばれた、とか。
 いや、それはない。そうでなければ、今こうして部屋に入れて、自分の側で無防備に寝転がっている事などないに違いない。アホだのなんだのと言う奴らも居るけれど、は組の連中ほど開けっぴろげなくせに警戒心の高い奴らはいない。その中の一員であるだって例に漏れずで、解りやすいけれど解りにくいという矛盾した所を持っていた。
 本当に、どうして避けられているのだろうか。何か、してしまったのだろうか。何か、嫌われるような、ううん、避けられるような事を。
 どうしよう、と思った。が好きだ。とてもとても、好きで仕方が無い。けれどこの気持ちはまだ一方的なもので、心を繋ぎ止めようにも、繋ぎとめる恋心さえもまだ彼には無い。今この時点で離れていってしまったら、おれにはどうしようもないのだと、今ふと気付いた。好きな人の関心が、自分から僅かにでも離れていってしまう事が、とても怖い。心臓が、どくりどくりと嫌な鼓動を刻んだ。
 嫌だ。、おれを見て。おれを好きになって。おれはこんなにもが好きだから、だから……。心の中ではどうとでもいえるのに、口に出来るほどの勇気はまだ無い。
 悩みながらも、が先日盛大に木の枝に引っ掛けて破ってしまった装束を縫う。学級委員長なんてしてはいるけれど、それほど気長に他人の世話なんて出来る性分でもない。けれど、世話を焼いている相手がだと思うと、彼の過ぎるほどにずぼらな所も愛しく思えて仕方が無かった。その中でも、彼の破れてしまった装束を繕う事が好きだ。好きな人が身に纏う物に、自分の手が加わっているという、たったそれだけの些細な事が、嬉しくて仕方が無い。
 縫い終わって、よれてしまった場所を伸ばして玉止めをして糸を切ると、じっとおれの手元を見つめていたが小さいけれども深い溜息を吐いていた。

、どうかした?」

 すぐに反応して、問いかける。ああ、こんな所がダメなのかな、と全神経をに傾けながら思う。は、眩しいものでも見るかのように目を細めた。

「……ん、いや、勘右衛門には凄く世話になってるのに、何も返せてないと思って」

 ああ、嘘だ。すぐに気付いた。でも、そう思っているのも事実なのだろう。溜息を吐いたときに考えていた内容ではないだけで。

「……そんなの、いいのに」
「でも、俺の世話焼くの大変だろ。も投げ出したくらいだし、最近頓に酷くなってるし」

 それなら、それなら……。
 おれの事好きになって、愛して。
 さらりと流れた茶色い髪をぼんやりと目で追いながら胸中で呟いたはずなのに、視線の先に居たは大きく目を見開いていて。表情が驚愕に染まっているのを見て、口に出してしまっていたことに気付き、口元を手で蔽った。



(ああ、こんな所で口にするつもりは無かったのに)(もっと、絡め取って逃げられないようにして)(それから、それから……)
































































きほんてきにマイペースです





 都合のいい夢かと思った。愛情を望むあまり白昼夢を見たのだと。
 俺の装束を縫い終わって、会話をしている最中にこぼれた、今にも消え入りそうな小さな声。聞き間違いかと思った。けれど、俺の驚いた顔を見るなり他ならぬ勘右衛門が驚いた顔をして口元を手で蔽って、顔から血の気を引かせて。真っ青になった顔に、それが本音なのだと知った。

――それなら、それなら……おれの事好きになって、愛して。

 どうしようと勘右衛門の青ざめた表情が語っていた。真っ直ぐに俺を見つめてくる潤んだ瞳は怯えに震えていて、嫌われるのではないか突き放されるのではないか、そんな事を思っているだろう事が簡単にわかる。そこにあるのは、紛れも無く恋愛感情で。
 ああ、ああ。勘右衛門も同じ気持ちだったのだ。胸に歓喜が溢れる。
 身を起こして手を伸ばす。肩を震わせて逃げようとする勘右衛門を捕まえて、深く胸の中に抱き込んだ。俺よりも小さな身体はすっぽりと腕の中に納まる。勘右衛門は突然のことに事態を把握しきれていないのか、緊張しているのか、抵抗も忘れて固まってしまっている。

「好きだ」
「え……」
「好きだ」
「うそ……」
「嘘じゃない、好きだよ勘右衛門」

 顔を真っ赤にしてうろたえてしまっている勘右衛門の頬に手を添えて、震えている唇に口付けを落す。何度もついばむような口付けを繰り返して、ぎゅっと目を閉じて装束を両手で握りこんだ勘右衛門の背をそっと撫でて、最後に長く唇を重ねて。
 鼻先が触れ合うほどの至近距離で恐々と開いた勘右衛門の目を覗き込んだ。

「好きだよ、勘右衛門。好きじゃなかったら、男相手にこんな事できない」
「あ、う……」
「勘ちゃん、可愛い……」

 赤い顔をさらに真っ赤に染めて混乱極まって今にも泣きそうになっている目元に口付けると、僅かに海の味がした。ぴくりと震えた肩を宥めるように撫でる。

「なぁ、俺の事どう思ってる?」
「そ、んなの、言わなくてもわかってるだろう?」
「聞きたい、勘右衛門の口から」

 ちゅっと音を立てて口付けて笑みを浮かべると、これ以上ないほど耳から首まで赤くして、首筋に顔を埋めてしまった。そして、耳元で小さく呟かれた言葉。

「好きだよ、

 羞恥にか緊張にか震えた声が耳をくすぐって。
 こみ上げてくる歓喜に促されるままに、腕の中の身体を強く抱きしめた。



(うそ、うそ、うそ)(好きだって、おれのこと)(ああ、!)

































































ていきてきにけづくろいをしてあげましょう





 ほつれてしまった着物を繕う。おれの膝の上には繕っている最中の桔梗紺の装束と、装束の持ち主の茶色い髪が散っていた。膝を枕にして眠るの顔はあどけなくて、年よりも幼く見える。
 くすりと笑って茶色い髪を梳く。すると薄い目蓋が震えて眠気にとろりととけた瞳が覗いた。見上げてくる瞳には愛しげな光が宿っていて、その瞳に移る自分の姿に、喜びで心が震える。おれとの関係はまるで変わっていないように周囲には見えるらしいけれど、兵助には幸せそうだと言われて、に簡単に纏まってしまってつまらないと言われたらしい。つまり、近しい人には一目で知れるほどには幸せなのだ。

「もうすぐで終るから」
「ああ。……勘右衛門」
「なぁに?」
「ありがとう」
「うん、どういたしまして」
「好きだよ、勘ちゃん」
「……うん」

 好きだと、初めて告げられたときからは惜しげもなく好意を伝えてくれる。何度も、何度も。その言葉はおれの心にふわふわと降り積もっていて、どんな言葉よりも胸の中をほわりと温めてくれた。とても嬉しくて、溺れてしまいそうになるほど幸せだ。その感情が無くなったら、死んでしまうのではないかというくらい。
 繕い物が終って針を針山に戻すと、おれの膝から起き上がったの手が伸びてきて胸元に抱きこまれる。強く抱きしめられて、何度も口付けられて。また、好きだと告げられて。
 絡め取って、おれなしでは生きられないようにしようと思っていた。望みどおりに事は運んだけれど、実際に絡め取られて無しでは生きていけなくなってしまったのはおれの方なのかもしれない。

「おれも好きだよ、

 もうこのぬくもりに包まれていなかった頃の事なんて、忘れてしまったのだから。



(抱きしめて、離さないでいて)(きっと離れたら死んでしまうから)





 や、やっと終ったモブ主B(もしくはその二)、尾浜の獲物編。
 この二人は久々知とモブ主Aが襲ったり襲ったり襲い返されたりしている間、ほのぼのとマイペースに過ごしているだけなので、ネタに困る困る。しかもモブ主Bの視点よりも勘ちゃんの視点で進めたほうが書きやすいところが多かったので、視点の数は圧倒的にモブ主Bが少ないです。
 とにかく難しかったこの二人。久々知編よりもストーリーが出来上がって無かったって言うのもその要因なんですけど。勘ちゃんは兵助ほど大胆というか突拍子も無い動きはしない(むしろストッパー。なりきれてないけど)し、モブ主Bはずぼらで自分から動くという気がほとんど無いしで大変でした。もうこの二人はいいや、お腹一杯です。