○手折るのならば 心一つで






 空から天女様が降ってきました。そう言ったのは幼い忍たまの子供で、数少ないくのたま上級生の私は他のくのたまの子達と同様、その「天女様」を観察しておりました。
 するとどうでしょう。彼女は私と同郷の人間ではありませんか。でも彼女と私は違いますね。だって私は彼女の言う平成の世界での生を終らせて、この世界の人間として生まれて今まで生きてきたのですから。すでに元の世界への折り合いはついております。彼女もあまり元の世界に未練は無いようですが、この世界で生きていくという事を真の意味で理解していないからなのでしょう。そうでなければ、今頃多くの忍たまたちに囲まれて嬉しそうに笑っているなんて事、できるはずもありませんものね。
 でも私は彼女に関心なんか有りませんから。忠告してあげる義理も無いことですし。彼女に下手に関わればバカを見るだけ。だからね、可愛い可愛い私の後輩達、そして美しい友人たち。好きな人が取られたからとそんなに泣くものではありませんよ。忍たまなんてバカばっかりなんだから、もっとイイ男を他に見つけなさい。男はこの優しい囲いの中にいるものが全てではないのですから。
 え、私? 私は良いんですよ。確かに私は潮江文次郎が好きでしたが、私が好きだった方は学園一ギンギンに忍者をしている潮江文次郎であって、天女と呼ばれて有頂天になってる少女にどっぷり溺れているバカな男ではないのですよ。ええ、私は三禁三病を跳ね除けているその姿が好きだったのです。だから最初から期待なんてしていなかったし、少し可愛らしいだけの小娘に鼻の下を伸ばした姿を見た瞬間、私の中にあった彼への熱がすうっと冷めていくのを感じたのですよ。
 でも、本当に忍者の三禁と三病はどこへ行ったのでしょうね。あれではマトモな忍なんて育たないかもしれないわ。この先数年は忍たまの方は不作ね。
 ほらほら、私の可愛い後輩達、そして美しい友人たち。涙を拭きなさい。そしてバカな忍たまどもを嘲笑ってやるのですよ。
 悋気に歪んだ醜い顔ではなく、美しく艶やかで恐ろしい、くのいちの無敵の微笑でね。




(私は自ら己の恋をあっさりと手折りました) (だって摘んで欲しかった人は天女に殺されてしまったのですもの)































○綺麗に咲かせてあげましょう





「好きです、結婚を前提に付き合ってください!」

 何の罰ゲームでしょうか。そう考えた私は悪くないはずです。いくら私がは組の不運二人組と比較的仲がよくとも、所詮はくのたまと忍たま。私たちは忍たまにとって恐怖の対象でしかないはずですのに。
 けれども、愚かではないと自負している私はその考えを言葉に出す事無くまじまじと、突然告白してきた善法寺伊作の顔を見つめました。顔は勿論のこと首から耳の先まで真っ赤で、羞恥にか緊張にか釣り目気味な大きな目を潤ませてじっと私を見つめています。握られた拳は僅かに震えていて、彼の本気具合が知れるというものです。しかも私と一生を添い遂げる覚悟があるとそう言ったかしら。
 あらあらあら。もしかして随分と前から彼は私が好きだったのかしら。気付かなかったのはきっと、私が潮江文次郎ばかりを見ていたからね。

「あなた、私のことが好きだったの。気付かなかったわ」
「それは、その、君はずっと文次郎の事を見てたし、気付かれて話せなくなるのも嫌だったから……」

 頑張って隠していた、と。
 いくら不運でもここまで生き残った六年生。さすが、というべきかしら。それに私が一人の男に夢中になっていたからだなんて、なんて不覚。

「でも、最近になってぱったり文次郎を見ることもなくなったし、僕のことも少しは見てくれたら、と思って」

 それでプロポーズまがいの告白。
 不運だという彼が誰にも邪魔されず、罠にかかることも無く、私と二人きりで。それって常日頃から不運に見舞われている彼にとって、物凄い幸運なんじゃないかしら。
 真っ赤な顔を俯かせてしまった彼をただ見つめる。この世界で15歳と言えば、いきおくれでないにしても結婚適齢期真っ只中。城主の娘であれば少し遅いくらいかもしれないけれど、庶民の私には丁度良いくらい。でもくのいちとして、戦忍として生きていくと決めたのだから、結婚なんてしなくても構わないと思っていたのだけれど。彼の、滅多に無い幸運に乗ってみようかしら。

「あの、とりあえず僕の気持ちを知って欲しかっただけだから、返事は考えて……」
「ねぇ、善法寺」
「ぇ、あ、何?」
「あなた、私のことが好きで、一生を添い遂げる覚悟があるのよね」
「う、うん」

 真っ赤な顔をさらに赤くして頷く。あら、何だか可愛いわ。

「私、学園を出たら戦忍として生きていくつもりなの。だから旦那様になる人は忍として生きていくことを許してくれて、家で待っててくれて、帰ったら笑顔で『おかえりなさい』って出迎えてくれる人がいいわ」
「え、え?」
「ねぇ、善法寺、それでもあなたは私を娶る気はあるかしら」
「も、もちろん! 僕は卒業したら薬師と町医者を兼ねるつもりなんだ、だから、あまり楽はさせてあげられないだろうけど……」
「あら、そんなこと構わないわ。お金が無ければ不便なことは確かに多いけど、それだけが全てではないもの」
「ええと、じゃぁ、一緒に幸せになりたいのでお嫁に来てください」
「はい。末永くよろしくお願いしますわ、旦那様」

 旦那様、と呼びかけたとたん、私の両手を握り締めた伊作は顔どころではなく全身を赤く染めた。どうやら恥しかったみたい。思っていた以上に初心な未来の旦那様の反応に、熱中症で倒れないと良いけれど、と思わずくすくすと笑い出してしまった私は悪くないはずです。

「うぅ……あ、忍として働くのはいいけどあまり無茶しないでね」
「善処するわ、旦那様」



(可愛らしいわね、未来の旦那様) (あなたと咲かせる花はどんな花かしら) (どんな花でも、いつか実る果実はきっとあなたに似て可愛らしいわね)






























○害虫を潰す指先





 未来の旦那様をゲットして数ヶ月。山の紅葉も色づいてきました。今まで天女様の観察を続けていたのですけれど、どうやら彼女、自分を取り巻いている殿方ではなく、伊作のことが好きらしいです。だって彼を前にした時の顔色とか態度とかが全く違うのですもの。でもおあいにく様、彼は既に私のものなのです。彼女の事は興味も情もありませんが、少しばかりいい気味と思ってしまうのは後輩や友人が泣かされたからでしょうか。きっとそうですね、だって私は彼女を恨んでいるわけではありませんもの。
 彼女の引力に負けず、私を想ってくれている未来の旦那様。でも彼女が望んだことで、その引力が旦那様にまで及んで、結婚の約束を反故にされたら溜まりませんもの。釘を刺さなくちゃ。

「それで、六年長屋にまで来たの……?」

 訪ねた瞬間の満面の笑みから一転、がっくりと肩を落す伊作に、私はふんわりと笑いかけた。

「ええ、半分は」
「後の半分は?」
「顔を見たかったのよ、旦那様」

 にこにこと笑ったまま見つめていると、またまた真っ赤になって俯く旦那様。愛されているって実感できる瞬間よね、何て可愛らしい旦那様かしら。

「祝言挙げる前から早速尻に敷かれてるな、伊作」
「うう、言わないでよ留三郎」
「あら、嫌かしら旦那様?」
「……嫌じゃないです」

 がそう呼んでくれるならもう何でも良いよ。
 そう言って突っ伏す伊作。ころころと笑い声を上げると、顔を上げて眩しいものでも見るかのように目を細められた。うふふ、愛情を注がれるのって思っていたよりも幸せね。でも愛情はギブ&テイクが当たり前。貰った分は返さなくちゃ。

「ねぇ、伊作」
「何?」
「私、きっと、あなたが思っているよりもあなたの事が好きよ」
「え……えぇ!? 、もう一回、もう一回言って! お願いだから」
「うふふ、やーよ」
「えええ、そんなぁ……でも可愛い……!」

 そう言って突っ伏した瞬間に口の中を噛んだのかがちっと歯がぶつかる落ちがして、小さく悲鳴を上げた伊作は涙目になって両手で口元を押さえた。本当に不運なんだから。でも可愛いのは伊作の方よね。

「だから、私だけを見ていてね」

 天女様を見てしまっては嫌よ。
 可愛らしいやきもちのような言葉を口にしてみる。笑いを含んだからかい交じりの言葉でも伊作を翻弄するには充分で、また顔を真っ赤にしてこくこくと何度も首を縦に振った。

「で、何時祝言挙げるんだったか?」
「しょちゅ……卒業して、診療所の準備が整ったらの予定だよ」

 今度は舌を噛んだのか、また口元に手を当てて伊作と私のやりとりを見守っていた食満の問いに答える。祝言を挙げるのは話し合ってその時期にしたんですよね。お互いもう保護者はおれど両親はいませんし、そう仰々しくする必要も無いので内輪だけでひっそりと終らせる予定です。
 ちなみに診療所兼新居は学園からそう遠くない町にあったりして。学園に居つく予定の天女様から近いのが気にならないでもありませんが、伊作は新野先生の手伝いというか跡目というか、とにかく将来は忍術学園で勤める可能性が高いので、仕方の無いことです。まぁ、天女様に関しては同級生や後輩が次々と陥落していく中で数少ない例外ですし、今後も大丈夫だとは思いますが。本人もその気は無いみたいですし。

「そうか。まぁ、兎に角おめでとう。日取りが決まったら呼べよ、どれだけ忙しくても祝いに行ってやるから」
「ありがとう、留さん」
「ありがとうございます、食満」

 食満はまったく伊作の保護者ですねぇ。
 微笑ましそうに伊作と私を見る目に、私はそんな感想を抱きました。
 もう忍者なんてなるのやめて保育士か学園の教師にでもなったらいかがですか。後日、その事を口にしてみたら目を輝かせて「ああ、いいな、それ!」と同意していました。数年フリーで忍者をした後、学園に教師として戻ってくることにしたそうです。
 適職なんじゃないですか?




(恋は与えるもの、愛は返すもの) (返せない愛にはぷちっと潰されてしまうのですよ。常識ですよね) (たくさんの愛情を当然のような顔をして受け取るだけ受け取って、天女様はどうなるのでしょうかね) (興味は毛の先ほどもありませんけど)






























○無垢なままで咲き誇れ





ちゃん、結婚するの!?」

 素っ頓狂な声を上げてくださったのは天女様。彼女とは自発的に交流する気はありませんが、たまに話すことはあります。きっかけはそうですね、私が彼女に嫌がらせをするくのたま達を宥めてくれたから、めっきり平穏になって、その御礼を言いたかったとかそういう事でした。別に彼女たちの嫌がらせを止めたつもりは無いのですよ。だって天女様の安全なんて私には何ら関係の無いことなんですもの。ただ可愛い後輩や美しい友人達が泣き濡れていたから、天女様にも彼女に溺れきってしまった忍失格な男どもにもそんな価値はないと教えてあげただけなのですよ。価値の無いものに手間隙かけるだなんて、下らないことこの上ないでしょう? 彼女たちはそれに共感してくれただけなのですよ。
 以来、彼女は私を見かけると話しかけてくるようになりました。どうやら私は天女様の味方と認識されてしまったようです。恋する乙女は敏感ですから、伊作が私を好きだという事には気付いているみたいですが。
 天女様は私の婚姻話聞いて、それはそれは嬉しそうな顔をしてくださいました。

「ええ、学園を卒業して、新居の方が整ったら祝言を挙げる予定です」
ちゃんって15歳よね、早くない?」
「いいえ。丁度適齢期ですよ」

 天女様のいらっしゃった所では違うのですね。
 おっとりとした笑みを意識的に浮かべたまま知っている事を態と尋ねてみると、「だから私は天女なんかじゃないってば!」とばたばたとその場で暴れて自分の名を繰り返し名乗りました。そう何度も言わなくとも一度聞けば分かりますよ、馬鹿ではないのですから。覚える気は皆無ですが。

「そっかぁ……じゃぁ私ってもしかしていきおくれ?」
「まぁ、あまりお気になさらないほうが良いと思いますわ。天女様はこの世界の方ではないのですから」
「そうかしら?」
「ええ」
「そっか、そうよね!」

 おやおや、いきおくれという単語を否定することもなく、お前はこの世界の人間ではないと毒を吐いたというのに、全く気付かない上に同意してしまうとは。どうやら天女様は少しばかり頭の足りない方のようですね。

「ねぇ、ちゃん、結婚する相手って親が決めた人?」
「いいえ。自分で決めた方です。親は昔他界してしまいましたので」
「そ、そうなの? ごめんなさい」
「気にしないで下さい。それで、相手の方がどうかしましたか?」
「ううん、どんな人なのかと思って」
「……過ぎるほどに優しい方ですよ。それになんというか、性格の可愛らしい方ですね」

 もう一つ最大の特徴を挙げるのなら、不運がついて回っているということですけれど、これは言わなくても良いことですよね。彼女が私の未来の旦那様を好いていると知った上での、ちょっとした意地悪です。決して可愛い後輩や美しい友人が泣いていたことに対する復讐ではありませんよ。ええ、ちょっとした意地悪です。

「そっか。それにしても良かった」
「何がですか?」
「だって結婚は好きな人とするものよ、親に決められた結婚だなんて可哀想だもの」

 そう言って晴れやかな笑みを浮かべる天女様に、私はただ無言で笑みを返しました。
 言うに事欠いて可哀想、とは。勝手な事を言ったものです。この時代結婚なんて親が決めた相手とする事が普通で、結婚は個人のものではなく家同士の結びつきです。私のような例外もありますけれど、殆どがそんなものです。くのいち教室でも故郷に婚約者がいる子がほとんど。今は決まっていない子も、ほとんどがいい家の子なのだからいずれは親が選んだ相手の元に嫁いでいくのです。
 つくづく、天女様はこの時代に馴染む気が無いのだと思い知ります。郷に入れば郷に従えと言いますでしょうに。どこまで自分の考えを貫き、人に押し付けていくのでしょうね。

ちゃん、おめでとう。幸せになってね!」
「はい、ありがとうございます」

 祝福されるのは嬉しいものですね。
 ええ、もちろん。言われずとも必ず幸せになります。
 あなたが今勝手に失恋させている、あなたの大好きな人を旦那様にしてね。
 もう卒業も間近です。



(あなたは一転の曇りも無い無垢な笑みを浮かべたままでいてくださいね) (その笑みが輝かしければ輝かしいほど、絶望した時の落差は激しいのですから) (私の旦那様が伊作だと知った時の顔が今から楽しみでなりません)






























○過ぎた愛は根を腐らせる





 学園を卒業するための準備と平行して行っていた診療所兼新居の用意も終り、学園も卒業してついに祝言を挙げる準備が整いました。親しい友人たちも都合がつくそうです。方々に就職したりフリーで働いていて忙しくても、絶対に来てくれると招待状への返事が来ました。
 そうそう、天女様はまだ伊作が私と結婚する事を知らないのです。彼女に惚れている方々が驚かせてやろうと共謀しているそうですよ。発端は七松小平太、に見せかけて、彼に吹き込んだ食満です。食満も彼女に惹かれなかった数少ない人間の一人で、私の計画に苦笑しながらも乗ってくれた人。どうやら伊作と祝言を挙げることで、私も彼の庇護下に置かれたようなのですよ。純粋な戦闘能力では、食満とそう変わらないのですけれどね。
 その天女様のことですけれど、伊作が卒業した後学園近くに診療所を開いて学園に通いの形で半就職すると知って、告白することは見送ったそうです。どうやら伊作の思い人たる私は結婚するし、焦る必要も無いと思ったらしいのです。実際そう言っていましたしね。故意に隠してきましたから、彼女が真実を知らなかったのは無理も無いことです。だって忍の訓練を受けてきた人間が一般人ごときを騙せなくてどうします。ねえ、天女様。その私の結婚相手は伊作なのですよ。
 当日、集まってくれた恩師や友人の前でささやかな祝言を挙げました。皆が温かな言葉で祝福してくださる中で、一人真っ青な顔で震えながら片隅にいる少女が一人。こうしてみると本当に顔が良いだけのただの小娘ですね、天女様。彼女の出現で涙に濡れた友人や後輩達は彼女をちらりと見た後、一瞬だけその瞳をいい気味だという愉悦に染めてすぐに祝福の輪の中に入ってきました。卒業したてやまだ在学中のたまごとはいえくのいちですもの、天女様を想う人間が大勢いる中で彼女を嘲るような愚かな行為をする者はいませんわ。
 仕掛け人の一人である私はその彼女を視界の端に収めながらも、投げかけられる祝福の言葉にこの上なく幸せそうな笑顔でお礼を返します。いいえ、本当に幸せなのですよ、旦那様はとても優しくて可愛らしい方ですもの。天女様にも言った通りに、ねぇ。

ちゃんの、結婚相手って、伊作君だったの……?」

 蒼い顔に震える声。ふふ、あの輝かしい笑顔の面影なんて欠片もありませんね。いえ、いい気味だなんて思ってなどいませんよ。いい気味だなんて、ね。

「私、言いませんでしたかしら?」
「聞いてっ、ない、わよ」

 幸せそうな笑みを浮かべたまま、少し困ったような顔をしてみて小首を傾げる。すると天女様は激昂したのかカッと頬を染めて語気を荒げかけ、自制したのでしょうか、語尾は消え入りそうな大きさになりました。

「あら、じゃあ私、言った気になってしまっていたのですね」

 あなたに恋愛話を請われて将来の旦那様について大分とのろけましたもの、ねぇ天女様。覚えていらっしゃるでしょう? 
 ふわふわと柔らかすぎる笑みでその時の話を持ち出して、話を切り出す。

「そういえば私も聞いていませんでしたね。天女様の意中の殿方ってどなたなのですか?」

 もしかしてあなたを取り巻いていた方々の中にいらっしゃるのかしら? だとしたらこんな所で聞いては無粋ね。あら顔が真っ赤。照れていらっしゃるのね。
 ころころと、上品な笑い声を上げる。もちろん天女様が真っ赤になっているのなんて、怒りと屈辱からだということなんて分かっているわ。これでも山本シナ先生自慢の優秀な生徒だったんですから。

「楽しそうだね、

 自分の中で処理できなくなったらしい怒りから、天女様が口を開き怒鳴ろうとした所で少しお酒が回っているらしい伊作が私の隣に座りました。天女様も思い人の登場には口をつぐむほか無いですよね。女は醜い姿を好きな人には見せたくないものですもの。

「ええ。ねぇ旦那様、私、天女様に結婚する事は知らせていたのに、相手があなただと教えるのを忘れていたのよ」
「そ、そうなんだ。じゃあいきなりで驚かせちゃったかな?」

 相も変わらず旦那様と呼ばれる事に慣れない伊作は、顔を真っ赤にして初心な反応を返してくれる。逆に天女様は、照れながらも嬉しそうな顔をする思い人に再び真っ青になってしまいました。でもこれで終わりではないのよ。最後まで付き合って頂戴ね、天女様。

「ふふ、それにね、天女様の意中の殿方の名前も聞き忘れていたことに今さっき気付いたの」
「珍しいね、でもそういうことあるんだ」
「未来の旦那様についてのろけていたら忘れていたのよ」
……!」

 もう勘弁して!
 旦那様は私の身体をぎゅうっと抱きしめて、肩の辺りに顔を埋めてしまいました。あらあら、そんなに恥しかったのかしら。それとも嬉しすぎてオーバーヒートしてしまったのかしら。何て可愛らしくて愛しい旦那様。
 天女様は私に抱きついたまま離れない伊作に、真っ青を通り越して白い顔。じっと自らの思い人を見つめる瞳は涙で潤んでいました。ああ、その顔、その顔が見たかったのですよ。あなたが現れたことで泣き伏した、可愛い後輩や美しい友人達と同じ顔をしたあなたを。

「それでね、伊作、私は天女様を取り巻いていた方々の中にいらっしゃると思っているのだけど」
「ああ、彼らと一緒にいると楽しそうだったもんね」
「ええ」

 ああ、素敵な旦那様。その言葉だけはあなたに言って欲しかったのよ。
 天女様は己の思い人からの言葉にさらに顔色を悪くしました。それはそうね、好きな人にそんな勘違いをされてしまっているのだものね。それでも涙を流さないのはとても強い人だと思うわ。いいえ、涙が出ないほどの衝撃だったのかしら。

「それならここで聞くのは無粋でしょう」
「そうだね。聞かれたら大変なことになるもの」

 顔を寄せ合って小さく小さく内緒話。
 目の前には顔色を失って、ぶち壊された未来予想図に今にも泣き出しそうな顔をしている天女様が一人。彼女は唇をわななかせて、身を乗り出しました。

「ち、ちが……っ」
「伊作ー、ー、一年は組どもが来たぞー」

 彼女が素敵な勘違いをしている旦那様に否定の言葉を投げかけようとした時、食満の呼ぶ声が聞こえた。なんて良いタイミングなの、食満には組の子供たち。天女様もなかなかに不運ね。
 伊作はあっさりと天女様が何か言おうとしている事を忘れて、食満に返事を返して私の手を引きました。
 ああ旦那様、こけないように気をつけてくださいね。わかってるよ。
 そんなやり取りをして、天女様の前から抜け出す。彼女が引きとめようとしているけれど、既に伊作の意識は可愛い後輩へと移っていて天女様のことなんて欠片も気付いてなんかいません。だって最初から彼はあなたを物珍しく思ってはいたけれど、惹かれてなんていなかったんですから、可愛がっていた後輩を優先するのは当然の事。

「こんなはずじゃ……どうして……?」

 顔色悪く座り込んでいる彼女を心配して男どもが集っている中心地から小さな呟きが聞こえた気がしましたけれど、素敵な旦那様と可愛い後輩に囲まれた私には関係の無いことですよね。
 そうそう、案の定旦那様は御自分の衣装を踏んづけてこけたけれど、巻き込んでしまった私はしっかりと抱き込んで庇ってくださったのよ。ふふふ、幸せね。




(何を悔やんでいるの天女様?) (あなたは愛情の海にひたって、心地良さそうにしていたではありませんか) (それで一番欲しかったものが手に入らなくても、それは自業自得というものでしょう) (そうそう私、あなたに興味は無いけど、何でも思い通りになると思っているその顔が大嫌いなの)





 デフォルト名は鈴蘭。
 愛らしい外見に反して毒草です。なので、この傍観主も可愛らしい外見に反して毒舌です。だってくのたまの六年生だもん。綺麗な花には棘があるのがデフォルトですよね。
 今回天女様は酷いことにはなりませんでしたが、可哀想。
 美形にちやほやされるのが嬉しくて、本命を後回しにした結果、望まない結末を迎えることになった天女様認定の逆ハートリップ主。
 好きな人は天女様に取られて失恋したけど、あっさり切り替えて自分を愛してくれる人の手を迷わず取り、徐々に愛情を抱いて幸せを掴んだ転生トリップくのいち主。

 ちなみに天女様に取り込まれなかった食満は、伊作と鈴蘭嬢の間に生まれた長女(年の差約17歳。やっぱり綺麗だけど毒をもつ花の名前が良いかな)に押しかけ女房されるまで独身です。