人は皆 誰かの代わりに愛される





 空から天女様が降ってきた。何だかふわふわしていて、笑顔が可愛くて、優しい子。でもくのいち教室にはざらにいるんじゃないかな。彼女に笑いかけられた途端に落ちてしまった友人や後輩達には言わなかったけれど。だって皆あの人に溺れきってるんだよ。何か言ったら絶対に良くない事が起きるに決まってるじゃないか、唯でさえ不運なんだから。
 僕にとって、彼女はただ物珍しいだけの少女だった。空から降ってきて、笑顔一つでたまごとはいえ忍を虜にして。あの文次郎でさえも彼女に捕まってしまったというのだから、驚いたけど。
 そう、文次郎。僕が大好きな人が好きな男。彼女は上手く隠していたから気付いている人は殆どいなかったけれど、僕はずっと、彼女が彼を見つめるのと同じくらい彼女を見ていたから気付いた。彼女を想う気持ちなら誰にも負けない自信はあったけど、文次郎なら仕方ないと思っていたんだ。文次郎は教科も実技も優秀で、くのたまの中でもぬきんでた実力を持つ彼女が惚れるに申し分ない男だと納得できていたから。でも、彼は彼女ではなく、ある日突然ぽっと現れた女の子なんかに惚れてしまった。そんな女の子よりも、のほうがよっぽど美しくてしとやかで素晴らしい教養の持ち主だというのに。
 でも僕にとっては、この上ない機会だった。だって彼女が、ずっと文次郎だけを見ていたが文次郎を欠片たりとも見なくなったんだもの。だから告白してみようと思った。今なら、彼女は僕を見てくれるかもしれない。見てくれないまでも、意識してくれるきっかけくらいにはなってくれるかな。

「好きです、結婚を前提に付き合ってください!」

 滅多に無い幸運が折り重なって、罠にかからず、誰に邪魔される事も無く、と二人きりになれた時に告白した。結婚を前提に、だなんて早かったかなと思わないでもないけど、この学年が終れば僕も彼女ももう卒業だ。だから、絶対的な繋がりが欲しかった。
 案の定彼女は驚いて目を見開いていた。僕の気持ちには気付かなかったって。うん、そうだろうね。君は本当に一途に文次郎だけを見ていたから。憧憬と密やかな愛情に満ちた、美しいその視線で。
 澄んだ瞳で言葉も無く僕を見つめる彼女に、緊張と羞恥で赤面してしまっている顔がさらに赤くなる。回らない舌を必死に動かして、彼女にとっては急な事だから返事は考えて欲しいと言おうとしたら、彼女に遮られた。彼女の眼は、何かを覚悟したかのような、そんな光が宿っている気がした。

「ねぇ、善法寺」
「ぇ、あ、何?」
「あなた、私のことが好きで、一生を添い遂げる覚悟があるのよね」
「う、うん」
「私、学園を出たら戦忍として生きていくつもりなの。だから旦那様になる人は忍として生きていくことを許してくれて、家で待っててくれて、帰ったら笑顔で『おかえりなさい』って出迎えてくれる人がいいわ」
「え、え?」
「ねぇ、善法寺、それでもあなたは私を娶る気はあるかしら」

 私を娶る気はあるかしら。
 そう、彼女は言ったの……?
 それは、紛れも無く、僕の告白を、求婚を、受け入れようとする言葉で。
 意外にも思ったけれども、そう、胸にこれ以上ない喜びが満ち溢れて、じっと見つめてくる彼女の美しい瞳に急いで頷いた。条件は付いたけれども、それでも構わなかった。君が望むのなら、その通りにしてあげたいから。

「も、もちろん! 僕は卒業したら薬師と町医者を兼ねるつもりなんだ、だから、あまり楽はさせてあげられないだろうけど……」
「あら、そんなこと構わないわ。お金が無ければ不便なことは確かに多いけど、それだけが全てではないもの」
「ええと、じゃぁ」

 幸せにするから、と言おうとして、どこか一方的な言葉はは好まないだろうと思って、彼女の手を取って言い換えた。

「一緒に幸せになりたいのでお嫁に来てください」
「はい。末永くよろしくお願いしますわ、旦那様」

 どこか嬉しそうな顔で、は頷いてくれた。

「うぅ……あ、忍として働くのはいいけどあまり無茶しないでね」
「善処するわ、旦那様」

 うん、でもやっぱり釘は刺しておきましょう。だって僕は保健委員だからね。
 って、そんなのは建前で、本当は唯彼女に怪我して欲しくなかっただけだけ。留さんともサシで互角に勝負できるだから、あまり心配は要らないかもしれないけど。
 それにしても旦那様だって! くすぐったくて恥しいけど、嬉しいな。
 彼女の目に映るのは好意であっても、恋でも愛情でもないけれど、それはこれから二人で積み重ねていけば良いことだよね。



(好きです、大好きです、愛しています)(恋じゃなくても、愛じゃなくても、僕は君が隣にいてくれるだけで幸せです)(いつかは君も、そう思ってくれるといいな)





































人は皆 心の何処かで惨劇を望む





 空から降りてきた天女様。そう呼ばれている女が学園に入る。俺だって最初は、そのあまりの白さに自分の手の赤さを思いながらも惹かれはしたさ。けれど、彼女に陥落されていく級友や後輩を見て戦慄が走った。あの、自他共に認める俺の好敵手である潮江文次郎が一人の女に溺れているのだ。おいどうした、三禁三病を誰よりも嫌い、己を制していたお前はどこに行ったというのだ。けれどもその言葉を口にする事さえ空しいことこの上ない状況に、学園は陥っていた。将来忍になる者が何たる体たらく。
 人のふり見て我がふり直せとはよく言ったものだ。天女と呼ばれる女に傾きかけていた心が一気に元に戻った。いや、逆に彼女に対する警戒心のほうが際立ったような気さえする。
 そんな中、伊作が天女が現れてからもずっと想い続けていたくのたまの一人、に告白した。求婚も同時にしたっていうから、中々に根性座ってるよな、こいつ。そして色よい返事をもらえて、騒がしい学園の中でもしっかりと二人の時間を確保して上手くやっているらしい。
 嬉しい事を子供が親に報告するみたいに今日はあんなことがあった、こんなことがあったと幸せ満開な笑顔で報告してくるものだから、こっちまで嬉しくなってくる。そう他の奴に言うと普通は嫌がるものだと言われた。まぁ、そうかもしれん。独り身相手ののろけなんて、嫌味だろう。そう思わない俺はどこまで行っても保護者気質なんだろうな。
 この前なんかはと連れ立って街まで下りて、診療所兼新居を探しに行っていた。良い物件をみつけたみたいで、帰ってきた二人の顔は晴れやかだった。その診療所兼新居を卒業の準備と平行して整えて、それが終ったら祝言を挙げるんだと。幸せそうで何よりだ。

「日取りが決まったら呼べよ、どれだけ忙しくても祝いに行ってやるから」
「ありがとう、留さん」
「ありがとうございます、食満」

 ふわふわと、幸せに満ち溢れた笑顔で礼が返ってくる。は伊作を可愛いと言うが、俺からしたら伊作ももそう変わらん。どっちも同じくらい可愛い。似合いの夫婦になるんじゃないか。これは疑問ではなく確信だ。まぁ、は俺や文次郎と互角にやりあえるとんでもない戦闘能力の持ち主ではあるが、それはそれ、これはこれだ。
 だから俺は、が言い出した、天女様に自分の結婚相手を黙っていてくれというちょっとした悪戯にも、苦笑しながらも頷いた。

「いいのですか? それが何を意味するか分かっているでしょうに」
「ああ。俺はあの天女様なんぞよりもお前や伊作の方が大事だからな」

 あんな阿婆擦れに下手に介入されないようにするための予防策にもなるだろう。どうやらあの女、あれだけの男に囲まれていながら、伊作に目をつけたみたいだからな。男を見る目は有るのだろう。だが、あの不運不運と言われている伊作が、滅多に無い幸運を使って手に入れた幸せを、この俺がみすみす邪魔させる訳が無い。
 そういうと、はその可愛らしい花の顔に苦笑を浮かべた。

「なら協力をお願いします」
「ああ、お願いされた」
「それにしても、あなたは本当に保護者気質というか、なんというか……忍よりも保育士か学園の教師の方が性に合っていそうですね」

 ああ、それは俺もそう思う。
 委員会活動でも後輩は可愛くて仕方が無いし、伊作のような手の掛かる奴はもう面倒の見がいがあって、世話を焼いている事が苦でないどころかどこか楽しいと思える。しかし、ふむ、学園の教師か。しんべヱや喜三太、平太みたいなころころした可愛い奴らの面倒を見て、時には親代わりになって、先生と呼ばれて……。

「ああ、いいな、それ!」

 思い描いた未来予想図に目を輝かせた俺に、一瞬きょとんとしたはころころと鈴を転がすような可愛らしい笑い声を上げた。

「よし、数年フリーで忍者をした後に学園に教師として戻ってくるか」
「ふふ、天職なんじゃないですか」
「おう!」

 あっさりと決定した卒業後の進路に笑いあっていると、保健室から戻ってきた伊作がひょっこりと顔を出した。

「あれ、どうしたのに留さん。楽しそうだね」
「ふふふ、お帰りなさい旦那様。食満の進路の話をしていたのよ」
「そ、そうなの。留さん、フリーか城勤めかずっと迷ってたけど決まったんだ?」

 の呼称に未だに慣れない伊作が顔を赤くして、視線をうろうろと彷徨わせながらも向けられた言葉に清々しい笑みと共に頷く。

「ああ。フリーで数年忍者した後、学園の教師になることにした」
「へぇ、留さんらしくていいんじゃないかな」

 赤みの残る頬に笑みを浮かべる伊作に、伊作に寄りかかりながら機嫌よく笑い声を上げる。やっぱり二人とも可愛らしい似合いの夫婦だ。この二人を間近で見ていられたら中々に幸せかもしれん。
 だから、彼らの間に割り込もうとしているあの阿婆擦れはいらないのだ。



(結果的に天女が泣こうが喚こうが知った事か)(俺はこの二人が幸せで、後輩達が笑っていられるのならそれで構わない)(それが俺の幸せだ)





































人は皆 許すふりをして許さない





 ああ、何と言う事をしてくれたのだあの女!
 突然空から降ってきたと思えば、次々と忍たまたちを魅了してしまった。どこぞの敵対勢力の回し者かもしれないというのに、殆どの者が疑いもせず、あの女を天女と呼んで受け入れてしまっただなんて、なんという悪夢だ。あの、男を侍らせて悦に入っている阿婆擦れが天女でなどあるものか。今学園が襲撃を受ければ、きっと総崩れだ。
 幸い、あの女は微笑み一つで忍を篭絡する妙な術以外は普通の女で、不自然なほどに何も出てこない事から、どことも繋がりが無いということは分かってはいるが、学園にとっての異分子である事には変わらない。
 この乱世に人を傷付けてはいけないだとか、敵対している人にも待っている人はいるのだとか、結婚は好きな人とするものだとか、綺麗な言葉ばかりを投げかけてくる。そんな事はわかっている。だが殺らなければ殺られる。戦場で相手の事を考えていたら自分が待ってくれる人の所に帰れなくなる。それに結婚は家同士の繋がりで、個人の感情だけで行うものではない。お前はどこまで自分の常識を私たちに押し付けてくるつもりだ。吐き気がする。
 だというのに、その女の言葉に感化されていく者の多い事! なんだその体たらくは。お前達は忍になるのではなかったのか。全てを受け入れて、覚悟して、乗り越えて、生き抜いて、一つ一つの学年を這い上がってきたのではなかったのか。
 特に文次郎、お前だ。三禁と三病はどこに行った。今のお前は以前のお前が酷く嫌い遠ざけていた姿そのものだというのに、気付かないとは。なんと嘆かわしいことだ。
 だが、なるほど。そんな姿ではあの、ずっと文次郎を想っていたが愛想をつかすのも仕方の無いことだ。くのたまらしく賢く美しい彼女は、たった一人のぽっと出の女に腑抜けてしまった男をあっさりと見限って、自分だけを見てくれる男の手を取って幸せへの道を歩いている。
 ああ、文次郎。彼女の方がお前の事をよく理解してくれていたというのに。三禁、三病をきつく自制していたお前をこそ好んで、憧憬と静かな愛情で以って見守ってくれていたというのに。何と馬鹿な男だ。
 お前とならば、時間をかけて歩み寄れば忍らしくもよい夫婦になっただろうに。
 だがそれももう過ぎたこと。何を言ってももうどうしようもないだろう。
 だが、あの天女と呼ばれる女は深く学園に食い込んでしまった。それを許す気など無い。許せるものか。我ら忍を全否定する存在が、忍術学園にいて良いはずが無いのだ。
 一度は忠告した。ここはあなたの住む世界とは違うのだと。だが返ってきたのは「人間だもの、話せば分かるわ! 暴力はよくないよ!」というどこまでも我を通す言葉ばかり。こちらの事情を斟酌しようともせず、我を通そうとばかりするお前が何が“話せば分かる”だ。そう言うのならば何故、まずお前が私の言葉を理解しようとしない。
 あれはいらぬものだ。学園にも、後輩にも、いらぬ影響ばかりを与える。そろそろ始末せねば、取り返しの付かないことになる。

「少し待ってくれませんか、立花」

 美しい顔に、うっそりと空恐ろしい笑みを浮かべて、がいつの間にか私の背後に立っていた。だが驚きはしない。彼女は忍たま顔負けの戦闘能力の持ち主だ。あの留三郎と文次郎さえ相手にして互角にやりあえるのだから。

「何故。あれは学園にはいらぬものだろう?」
「ええ、もちろん。でも私、ちょっとした悪戯を彼女に施しているの」
「悪戯?」
「そう。ねぇ立花、天女様は伊作が好きみたいなの。だから私が祝言を挙げて伊作が落ち込んだところに取り入るつもりでいるそうよ」
「何を、の結婚相手は……」

 伊作だったはず。喜びこそすれ、落ち込むいわれなどない。
 そう言おうとしたところで、の笑みが深められた。そして悟る。あの、天女と呼ばれている女は知らないのだ。が祝言を挙げる相手を。そしても直接あの女から伊作の名を聞いてなどいないのだろう。蜘蛛が糸をはるように、慎重に罠を張り巡らせている。あの女に絶望を贈るために。

「彼女が来た後、私の可愛い後輩と美しい友人達が泣いてしまったの」
「なるほど、報復か」
「いいえ、ちょっとした意地悪と悪戯よ」

 私は彼女に興味なんか無いもの。憎悪なんてものも覚えてないのよ。
 そう言ってころころくすくす笑う彼女。その姿は本当にちょっとした悪戯をして遊んでいるだけにしか見えない、可愛らしいものだった。彼女にとってのちょっとした、があの女にとってどれだけ大きな衝撃になるかを分かっているだろうに、そんな態度を微塵も見せないのだ。流石は手だれのくのたま。くのたまは元から敵に回したくは無いが、彼女は特に敵に回したくは無いものだ。
 そんな思いに反して、私の口角は自然と釣りあがった。

「わかった。今は我慢しよう」
「ありがとう、立花」
「だが、それが終れば」
「お好きになさいな。私、彼女自身がどうなろうととんと興味などありませんもの」

 いくら彼女自身が私をお友達だと認識していてもね。
 再び空恐ろしい笑みを浮かべて、は鮮やかに立ち去った。ああ、本当に。もったいない女を手放したものだよ、文次郎。同情などしてはやらぬがな。



(さて、それなら私はゆっくりと牙を研いでいるとしよう)(そう言えば、あの阿婆擦れを嫌悪している忍たまは他にもいたな、声をかけるか)(決行は祝言の後。ああ、今からあの傲慢な女の顔が歪む時が至極楽しみだよ)




































人は皆 喧騒の中に居場所を探す





 素敵素敵素敵! 夢にまで見た異世界トリップよ! しかも私が逆ハーヒロイン! 何て素敵なの!!
 傍観夢なんていうジャンルがあるから、もしかしたらそれじゃないかしら、とか心配もしていたんだけど、どうやら純粋に逆ハー設定みたい。だって、私が来て少しした頃にくのたま達の嫌がらせがあったけど、すぐに納まったんだもの。どうやら、くのたまの上級生のリーダー格の子が宥めてくれたみたい。
 それ以来すっかり平和。だから、そのリーダー格の子を味方につければもう危険なんてないでしょう? だから、忍たまの子に聞いて会ってみたのよ。そしたらその子美人で可愛くて、でもくのたまなのに穏やかな性格みたいで、笑顔がふわふわしているの。ちゃんて言うんだって。名前まで可愛いなんて本当に羨ましいんだから。
 後でもんじ君に聞いたんだけど、ちゃんてくのたまの中でも随一の戦闘能力保持者で、もんじ君や留三郎君と互角に戦えるくらい強いんだって。ビックリしちゃった! だって可愛くて腕も足も細くてそんな風には全然見えないのに。それに教養のほうも貴族のお姫様もびっくりなくらい優秀で、くのたまの子達からも先生達からも一目置かれる存在なんだって。その子が嫌がらせは止めなさいって言ってくれたから、くのたまの子達も素直に従ったんだって。
 本当に仲良くなって損はないわよね!
 そう決めた日から、ちゃんを見かけたら話しかけることにしたの。くのたまの子達はあまり忍たまの子達と関わらないから、食堂以外では見ない日のほうが多いんだけど、話しかけに行ったら嫌な顔一つせずに相手をしてくれるのよ。本当に良い子! ああ、そうなのね、この子が逆ハーヒロインの友人ポジションにいてくれる子なのね!
 ふふ、嬉しい。こんな可愛いくて優しい子が友達なんて。
 それから毎日が楽しくて楽しくて、忍たまの子達は優しいしカッコイイし、皆私のことが好きなのよ!
 皆かっこよくて可愛くて、最終的に誰落ちにしようか迷ってたんだけど、決めたわ、善法寺伊作君。あの不運委員長。それで話しかける機会とか狙って、ずっと見てたんだけど、どうやら彼、ちゃんのことが好きみたいなのよね。確かに彼女は美人だし可愛いし、性格も良いけど、私は逆ハーヒロインなのよ、全然問題ないわ! でも心配だから、ちゃんに好きな人はいるかって聞いてみたのよ。
 そしたら。

「私、学園を卒業したら祝言を挙げる約束をしている人がいるんです」

 祝言。祝言って、確か結婚のことよね。

ちゃん、結婚するの!?」
「ええ、学園を卒業して、新居の方が整ったら祝言を挙げる予定です」
ちゃんって15歳よね、早くない?」
「いいえ。丁度適齢期ですよ。天女様のいらっしゃった所では違うのですね」

 そういってふんわり微笑むちゃん。
 もう、皆私のこと天女様って呼ぶのよ。何度訂正しても天女様って呼ばれるの。でもそれだけ皆に好かれてる証拠なのよね。否定もしないで放っといたら反感かうかもしれないから一応否定してるけど、天女様って呼ばれるのも好きなのよね。だって、逆ハーヒロインだって実感できるじゃない。
 
「そっかぁ……じゃぁ私ってもしかしていきおくれ?」
「まぁ、あまりお気になさらないほうが良いと思いますわ。天女様はこの世界の方ではないのですから」
「そうかしら?」
「ええ」
「そっか、そうよね!」

 私は愛されているし、引く手数多だものね。結婚したかったらあっさり決まるし、気にすることも無いわよね。
 それにしてもそっか、ちゃんは結婚するの。ということは伊作君の失恋は決定。なるほど、伊作君についてはそういう設定なのね。失恋した彼に優しくすることが、彼を落す条件な訳だ。うふふ、そう、そうなの、待っててね伊作君、私が優しく優しく慰めてあげるから、だから私を愛してね。
 彼に優しくするのに一番効果的なのは、ちゃんの結婚式の後かしら。でもそしたら、伊作君も卒業しちゃってるわね。告白するのは卒業する前が良いかしら。そう思って留三郎君に伊作君の就職先を聞いてみたら、学園に近い町で診療所をやりながら、学園に半就職するんですって。いずれは新野先生の後を継ぐらしいのよ。それなら卒業した後でも充分会えるわよね。これって運命ね!
 とりあえず学園にいる間はできるだけ仲良くして、ちゃんの結婚式の後に落ち込む伊作君を慰めてあげて、ずっと傍にいてあげるの。これで完璧ね。
 それからはちゃんと恋愛話をしては盛り上がって、少しだけ伊作君といる時間を増やして今までと同じように過ごしていたの。時々ちゃんは学園からいなくなる時があるんだけど、旦那さんと新居の準備をしてるんだって。伊作君も診療所の準備があるから忙しいみたいで、本当に卒業が近づいてくると六年生は一緒にいられる時間が少なくなったのよ。
 そして、ちゃんの結婚式の当日。卒業していった六年生達が迎えに来てくれて、ちゃんの新居に行ったの。二人ともご両親がもういないから、友人とか身内だけでひっそりやるんだって言ってたの。だからその分盛大に祝ってあげなくちゃって、思ってた。
 そう、思ってたのに。

 何で何で何で何で何で何で。
 何で、ちゃんの隣に伊作君がいるの。伊作君の隣で、ちゃんが花嫁衣裳を着て、微笑んでるの。
 何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で。
 どうして!
 どうして、ちゃん、私に、頑張ってって、言ってくれたじゃない!

ちゃんの、結婚相手って、伊作君だったの……?」
「……私、言いませんでしたかしら?」

 幸せそうな顔の中に、少しだけ困惑の色を混ぜて小首を傾げる。その姿は憎らしいほどに可愛らしかった。でも、そう、そうよ、聞いてないわ。そういえば、旦那さんになる人の話しは色々聞いたけど、名前なんか一度も聞いたこと無かった。

「聞いてっ、ない、わよ」

 思わず怒鳴りそうになって、声を抑える。こんなところで声を荒げるなんて、すぐに私が悪役にされちゃうじゃない。いくら逆ハーヒロインでも、花嫁の前でそんなことしたら、どっちが悪いかなんて簡単にわかっちゃう。そんなことしたら味方もいなくなっちゃうわ。

「あら、じゃあ私、言った気になってしまっていたのですね。天女様とは旦那様の話をたくさんしましたから」

 幸せそうな、幸せそうな、顔。

「そういえば私も聞いていませんでしたね。天女様の意中の殿方ってどなたなのですか? もしかしてあなたを取り巻いていた方々の中にいらっしゃるのかしら? だとしたらこんな所で聞いては無粋ね」

 しゃあしゃあと。
 そんな思いが胸の中に広がる。確かに私は一度も伊作君の名前を出したことは無かった。でも、ちゃんは私が伊作君を好きだって気付いてたんじゃないの。そんな考えが浮んで、目の前が怒りと屈辱で真っ赤に染まった。

「あら顔が真っ赤。照れていらっしゃるのね」

 ふわふわふわふわ。幸せに染まった笑みを浮かべて、ころころと、同性でも可愛らしくて上品だと思う笑い声を上げるちゃん。その声が、酷く耳障りだった。
 この、女。

「楽しそうだね、

 思わず怒鳴りつけようとしたところで、お酒を飲んだらしいふわふわとした伊作君がちゃんの隣に座る。なんてタイミングよ。思わず口をつぐんだところで、ちゃんがさっきの五割増は可愛いはにかんだ笑顔を浮かべた。

「ええ。ねぇ旦那様、私、天女様に結婚する事は知らせていたのに、相手があなただと教えるのを忘れていたのよ」
「そ、そうなんだ。じゃあいきなりで驚かせちゃったかな?」

 旦那様、と甘い声で呼ぶちゃんに、伊作君が照れて嬉しそうな顔をする。何よ、何よそれ。何でそんなに嬉しそうなのよ。私が、逆ハーヒロインの私が、目の前でこんなに青い顔をしているのに。何で気付かないのよ。

「ふふ、それにね、天女様の意中の殿方の名前も聞き忘れていたことに今さっき気付いたの」
「珍しいね、でもそういうことあるんだ」
「未来の旦那様についてのろけていたら忘れていたのよ」
……! もう勘弁して!」

 指の先まで真っ赤になった伊作君が、ちゃんに抱きつく。本当に、幸せそうな顔をしている二人。何よ、何よ、何よ、何よ、何よ。何が起こっているの。じわりと、目の奥が熱くなった。

「それでね、伊作、私は天女様を取り巻いていた方々の中にいらっしゃると思っているのだけど」
「ああ、彼らと一緒にいると楽しそうだったもんね」
「ええ」

 え……?

「それならここで聞くのは無粋でしょう」
「そうだね。聞かれたら大変なことになるもの」

 くすくすと、顔を寄せ合って幸せそうに、楽しそうに、笑いあう二人。そこにいたのは、私だったはずなのに。何で。
 私を取り巻いていた人たち。確かにたくさんいたわ。当たり前でしょう。だって私は逆ハーヒロインなんだから。楽しそうだった? 確かに楽しかったわ。だって、皆が私を好きなのよ、私は愛されているの、逆ハーヒロインなんだから、当たり前でしょう。でも、でも、彼らが好きなんじゃないのよ、皆が私を好きなのよ、それで、私が特別に選んであげたのは伊作君なのよ。だからあなたは私に愛されて、私を愛さなきゃいけないの。
 そう、伊作君は私の事を好きだって言ってる人たちの中に、私が好きな人がいるって勘違いして、やきもちやいて、それで私の近くにいたちゃんを選んじゃったのね。ねぇ、そうなんでしょう!? そうじゃなきゃ、逆ハーヒロインの私が振られるわけ無いじゃない!!

「ち、ちが……っ」
「伊作ー、ー、一年は組どもが来たぞー」
「えっ、留さん本当!?」
「伊作せんぱーい!」
「あ、乱太郎の声だ、行こう!」
「はいはい、旦那様。そう急がずともは組の子供たちは逃げませんよ」
「でも、せっかく祝いに来てくれたんだから、早く行ってあげないと」
「もう。ああ、旦那様、こけないように気をつけてくださいね」
「わかってるよっ」

 伊作君の勘違いを否定して引き止めようとしたけど、留三郎君の声に遮られて、伊作君の興味はあっさりとそっちに移っちゃった。本当に嬉しそうな顔をして、ちゃんの手を引いて楽しそうに会話を交わしながら新たにやってきた元一年は組の子供たちのを迎えに行ってしまった。
 伊作君の顔は、本当に、幸せそう、で。

「こんなはずじゃ……どうして……?」

 ぺたんと座り込むと、心配したもんじ君達が顔を覗き込んでくる。でも、違うわ。私が欲しいのは貴方達の慰めの言葉なんかじゃなくて、伊作君なのよ。貴方たちがそうやって私に構ってくるから、伊作君は私を見てはくれなかったのよ。そうじゃなきゃ、私が愛されないはずないもの、私は逆ハーヒロイン、なのよ……。

「全く、醜いな」
「本当ですね。こんなのに雷蔵が惹かれたなんて、なんの冗談ですかね」

 誰に声をかけられても、学園に戻ってからも、何かをする気力もなくぶつぶつと呟いていると、背後から声が聞こえた。
 冷たい、声。
 背中からくる冷たい圧迫感に、体が震える。知っている、この、声。彼らだけじゃない、他にも、何人かいる気がする。でも、怖くて振り返ることなんて出来なかった。

「ど、して……」
「どうして? 言ってもわからんだろう」
「先輩は忠告してくださったのに、分からなかったあなたが悪いんですよ」
「そういうこと。じゃ、おやすみ」
「永遠にな」

 首筋に、すとんと衝撃が走って、視界が暗くなった。
 ねぇ、なにが、わるかったの?



(だーいせーいこぅ)(それじゃあ、鉢屋、手はず通りに)(はーい。先輩の仕事の手伝いっていう名目で学園を出て、この女と入れ替わって一日でドロンでいいんですよね)(私は穴掘ってきます)(遠い場所に深いのだぞ)(わかってまーす)









































人は皆 美化した過去に囚われる





 美しい人がいた。優しい人がいた。その人は“へいせい”という天の国から降ってきて、天女と呼ばれていた。本当に、天女のように美しく優しく、か弱い人だった。健気な人だった。全く知らない世界に一人で放り出されて心細いだろうに、いつも笑って過ごしていた。
 けれどくのたまはそんな彼女が気に入らないらしく、あの人に嫌がらせをしていた。変な噂を流したり、物を隠したり、着物を濡らしたり。健気に日々を過ごしている彼女の何が気に入らないのだ。彼女に惹かれている者達は皆そう思っていた。実際、くのいち教室にまで乗り込んでいこうとした奴もいたが、それが実行される前に、嫌がらせはぴたりとやんだ。不思議なほどに唐突に、静まり返ったのだ。
 嵐の前の静けさか、彼女に何かしようとしているその準備期間か。あまりの唐突さにそう訝しく思ったが、どうもあのがくのたま達を宥めて止めてくれたらしい。さすが、というべきだろう。彼女はぬきんでた教養と戦闘能力から、多くのくのたまに慕われ、教師達に一目置かれている。そんなの言う事だから、くのたま達は素直に従った。
 そのことがきっかけで、天女のように美しい人はと仲良くなったらしい。はあまり忍たま教室のほうには出てこないが、たまに出てくるとよく彼女と話している姿を見かけた。天女は優しい人だし、はくのたまにしては穏やかな性質の持ち主だから気があったのだろう。そして女性同士でしか話せない事もあるだろう。天女の表情も明るくなっていたし、俺は安心したのだ。
 そうして穏やかに日々が過ぎ去っていく中、伊作とが婚約した。これまた唐突な気がしたが、伊作は随分と前からが好きだったらしい。俺はどうもそういう感情に疎いから気がつかなかったようだ。以前の俺なら忍者の三禁がと口にしていたかもしれないが、天女が現れてからというもの、人を好きになるという感情がよく分かるために、ただ祝福だけを告げた。

「おめでとう」
「ふふ、ありがとうございます。それでね潮江、一つお願いがあるんだけど」
「何だ?」
「天女様に、私の結婚相手が伊作だという事を黙っていて欲しいのよ、当日に吃驚させたいの」

 楽しそうに、悪戯っぽい笑みを浮かべては小首を傾げる。
 言い出されたときは疑問に思ったが、なるほど。は確かにくのたまの中に居て珍しいほど穏やかな性質を持っているが、くのたまらしく悪戯好きでもある。そう過激なことはしないが、小さな悪戯は昔から良く忍たまに仕掛けていた。彼女の悪戯は授業で施されるもの以外はそれほど被害が大きくならず、笑って済ませられるものばかりで。だから俺は、今回もその一環なのだろうと、何も疑問に思う事無く頷いたのだ。天女とは仲が良かったから、余計に。

「ああ、かまわん」
「ありがとう。ふふふ、当日が楽しみね」

 幸せそうな、嬉しそうな、楽しそうな笑みに、心の奥が疼いたような気がしたのは何故だろうか。
 そして、伊作との祝言の当日。どうにか都合が付けられて、天女を迎えに学園に向かってから、伊作達の新居兼診療所へと向かった。
 幸せそうな夫婦となった二人と、天女が楽しそうに話をしていた。けれど二人が食満に呼ばれて元一年は組の子供たちの元へと行った後、何故か天女は青い顔でへたり込んでしまった。何があったというのだ。彼らは彼女を傷つけるような事を言ったわけではない、それは見ていたら分かることだ。もれ聞こえてくる声の中に、彼女が傷つくような単語は無かった。

「こんなはずじゃ……どうして……?」

 青い顔で、美しい瞳いっぱいに涙を湛えて。天女は呟く。
 訳が分からなかった。

「彼女は伊作が好きだったのさ」

 慰め方も知らず、彼女を一歩引いたところから見守るしかなかった俺にそう言ったのは仙蔵だった。切れ長の目は伏せられ、背を壁に預けている。思いもよらぬ言葉に、俺は目を見開いた。

「そう、なのか?」
「ああ。気付いていないのはお前のように人の好意に鈍い奴だけだ」
「……は、この事を」
「ああ、知らないぞ。伊作との幸せにいっぱいいっぱいで気付いていない。普段ならばありえないことだがな」

 仙蔵の言葉に、俺はそうか、としか言えなかった。あの優秀なくのいちであるはずのが気付かない訳が無いと思いはしても、確かに幸せに浸っていると周囲のことには鈍くなる。それに、は天女と仲が良いのだ。こんな、故意であれば遠まわしな嫌がらせをする訳が無い。

「まったく、殺気や悪感情には鋭いくせに好意には鈍いとは損な性分だな」
「放っておけ」

 眉間に皺を寄せ、仙蔵の傍を離れた俺には「だからあんな良い女を掴み損ねるのだ」という呟きなど聞こえはしなかった。きっと聞いていたとしても、誰の事を指しているかなどその時の俺にはわからなかっただろう。
 祝言が終わり、呆然としている天女を学園まで送り届けて、俺は就職した城に取って返した。新人の俺が、そう長い間抜けていることは出来ないのだ。
 そうしてある日、ぱちんと、何かが弾けた気がした。
 くらりと、視界が回る。しかし、それに身を任せてばかりはいられない。今は戦闘中なのだ。手にした袋槍で敵の急所を貫き、返り血を浴びる前に蹴倒した。荒くなった息をつき、未だに揺れている気がする頭に手を当てる。がさりと、背後から音がした。けれども、気配は知っている人間のものだ。

「殺したのか」

 意外そうな声だ。何が意外なのだろう、殺さねば死ぬのはこちらだ。当たり前だろう。だがそう思って、ふと違和感に気付く。そうだ、それが当たり前だ。だというのに、少し前まではそれが至極いけないことだと思い込んでいた自分がいた。
 ああ、何故だ、何故そんなことを思っていた。俺は忍だ、騙す事も殺す事も生き延びるために必要なことではないか。それなのに何故、何故殺すことがいけないことだと呼吸をするように自然に思っていた。そんな生温い感情は忍術学園で学年が上がると同時に捨て去っていったものではないか。
 いつからだ、そんな馬鹿みたいな生温い思考を持つようなったのは。
 いくぞと踵を返した先輩に付いていきながら、思考は過去を遡る。そうだ、あの時だ。あの女が天から降って来て、笑みを浮かべたあの瞬間。あの時から、俺はあの女を無条件に好いていた。あの女が吐き出す言葉が何よりも尊く優しいものなのだと思い込んでいた。
 人を傷つけてはいけない。敵対している人にも故郷に待っている人がいるのだ。そんな、生易しい、この乱世では命とりな言葉を。ああ、何たることだ、吐き気がする!
 そんな言葉を吐いて、自分は安全な場所に大事に大事に保護されている女に対しても、その言葉を容易に受け入れてしまったこの俺も、何と異質で気持ちが悪い存在だろう!
 俺は忍だ、忍なんだ、だからこそ三禁も三病も持たぬ今の俺こそが正しい俺なのだ。
 空から女が降ってきてから無駄にしてしまった日々と、何時からか感じていたはずの――そしてあの女が降ってきてから感じなくなった――あの柔らかな視線を思い出し、俺はぐっと奥歯を噛み締めた。



(そうだ、あの柔らかな視線こそを、俺は)(ああ、だがもう遅い。あの視線の主はもう俺ではなく他の男を見つめている)(後日、天女が消えたという話を聞いた。俺を含め、悲しむ人間などほとんどいなかったという)


 「路傍の〜」の他者視点でした。一番書きやすかったのは仙様。意外なほどに筆が乗りました。そしてやりにくかったのは文次郎。こいつどこのポジションに置けば良いのかわかんないんだもん。とりあえず好意に鈍くて損な男と相成りました。うん、不器用だと思うよ、文次郎は。
 そして真っ白な伊作と灰色な留さん。留さんは骨の髄からお父ちゃんか保育士(しかも過保護)だと思うんだ。なので食満視点で書くと、何か変な人になりました。留さんにとっちゃ伊作は子供ですかい。多分彼らの娘に押しかけ女房されたら大弱りだな。心情的に孫に近いから!(笑)
 天女様については排除対象ではなかったはずなのに、仙様が暴走してくださりました。排除じゃなかったはずなんだよ。もんじあたりとくっついて鈴蘭嬢を(傍から見たら)逆恨みして、自分のミスで殺されるはずだったんだよ。(充分酷い)
 でも仙様がそんなことは許さん、害悪はとっとと排除すべしとノリノリで動き出してくださいました。うん、まぁいいか。