性的・暴力的表現注意!



● 恋は結局勢いでするもの。





 ざくりと、クナイの刃先が地面を抉った。少しばかり髪が切れているものの、の身には怪我一つない。咽喉元をめがけて振り下ろされたはずのクナイが全く見当違いの場所を突いた様に、は心底不思議そうな表情を浮かべ、刃が埋まっている方へと首を傾げて見せた。

「どうして殺さないの?」
「どうして? それはこちらの台詞です! どうして、避けようともしなかったんですか、貴方は僕の何倍も、こんな体勢でも貴方が有利なのが変わらないくらい強いのに! こんな簡単に押し倒されて、笑って死を受け入れようとして、何で、どうして……!?」

 土にめり込ませたままのクナイを荒れ狂う感情に震える両手で掴み、を上から覗き込んでいる伊作の瞳は必死な光を浮かべながらも涙の膜で揺れ、その顔は苦しそうに歪んでいた。今にも泣きそうな伊作に、はきょとんと瞬き、伊作の頬に軽く触れた。その瞬間、ぴくりと伊作がその身を震わせたが、気にとめることもなく長く細い指で涙の滲む目尻を擦る。

「君と若君になら殺されてもいいもん」

 まるでそれが真理であるかのように、はあっさりと己の死を語る。伊作は何の感慨もなく紡がれたその内容に、驚きのあまり言葉をなくし目を見張った。

「若君の父親は俺が謀殺したから若君にはその権利があるし、君には色々……ん、あれ、そういえば俺がしたのって、アイツ等が俺にしたのと同じ……? えー……」

 心底嫌そうに顔を歪めて、は嫌だなぁとブツブツ呟く。そんなを、伊作は呆然と見下ろす。殺されてもいい、と言う割りに、反省の色が全くないのは精神的弊害の所為だということはわかってはいるが、こうも態度が変わらないともう何と言っていいのかわからない。腹立たしいやら呆れるやら脱力するやら、やはり複雑な感情が腹の中に渦を巻いていた。

「……まぁ、とにかく、君になら殺されてもいいよ。俺なら殺すし。それに」
「そ、れに……?」
「討ってもいいのは、討たれる覚悟のある奴だけだって、誰かが言ってたよ」

 もう何百人手にかけたか解らないけど。
 そう言って、あまりにも綺麗に微笑むに、伊作ははっと息を吐き出した。綺麗な、綺麗な、笑み。安堵と諦観と少しの喜びと悲しみが入り混じった透明な。まるでそこから命が流れ出しているかのようで、体が震えた。胸が、痛い。

「死にたいんですか?」
「死ぬのは怖いよ」
「なのに、殺されても良いって言うんですか?」
「君ならね」
「貴方を殺したら、僕はここの人たちに殺されてしまいますよ」
「そんな事にはならないよ。悠一郎達の手が回ってるもの。君は俺を殺したくないの?」
「どうでしょう……」
「どうして?」

 問われて、どうしてだろうと自問する。変わらず、目の前の人に抱いている感情がどんなものなのかが良く解らない。

 許せない。

 恐ろしい。

 切ない。

 かなしい。

 そのどれもが本当で、どれもがそのまま当て嵌まらない。
 それでも、を目の前にして、言葉を交わして、触れて、解ったのは、どうしようもなく胸が熱くなり泣きたくなるという事だった。
 倒れたまま、伊作の溢れ出した涙を拭っていたを起こし、至近距離で見詰め合う。膝の上座り込んできょとんとした目で見上げるの頬を両手で掴み、じっと、その深淵の瞳を覗き込んだ。

「名前を、呼んでください」
「なまえ?」
「だって、貴方、一度も僕の名前を呼んでくれなかったじゃないですか」
「そう、だっけ?」
「そうです」

 どうしてそんな話が出てくるのか全く解らないと表情で語るに、伊作はもう一度名前を呼んでくれと強請る。は幾度か瞬き、小首を傾げながら、それでも求められるままに視線を合わせたまま口を開いた。

「いさく」

 たった一言。耳にしただけで、伊作の表情はくしゃりと崩れた。
 かっと、胸と目の奥が熱くなる。変わらずぐるぐるする感情はあったけれども、殺したいだなんていう物騒な思いは、それだけでどこか遠くに吹っ飛んでしまった。反則だと思う。そんな風に無防備に、どこか温かさすら感じる声で名前を呼ぶだなんて。
 この気持ちは恋じゃない。近いかもしれないが、愛でもない。そんな綺麗な感情なんかじゃない。それでも、生きながら死の淵に佇んでいる人の傍にいたかった。傷ついて歪んだ魂が愛(かな)しくて、抱きしめていたかった。
 ぎゅっと、衝動のままにの頭を抱きしめる。腕の下で、の体が硬直した。

「い、さく?」
「恋じゃないんです」
「うん……」
「きっと愛でもない」
「ん……」
「でも、傍にいたい。抱きしめたい……それが答じゃダメですか?」
「え……?」

 どうして、と呟いてもがくの頭を抱きしめる腕に力を込めて、頬を摺り寄せる伊作。本気になれば簡単に解く事が出来る腕を、それでも強引に引き剥がす事は出来ずに、は眉尻をへにょりと下げた。どうしてこんな展開になるのだか、全くわからない。

「こま、るー」
「どうしてですか?」
「いさく、が、いたら、俺は“詠野”じゃなくなっちゃう」

 守れない。そう嘆くように告げるに、伊作はそれだけこの人に影響を与える事が出来るのだと、少しばかりくすぐったい思いを抱く。思わず口元をほころばせながらも、口から出てくるのは少しばかり彼を突き放した言葉。

「頑張ってください」
「ヤエザキがー……」
「貴方が多少弱くなっても、悠一郎さんとかがいるじゃないですか。ヤエザキは大丈夫ですよ」
「で、もー……」
「じゃぁ、それが僕に対してしでかした事への罰って事で」
「あう……」

 ことごとく反論を封じて、言葉をなくしてしまったにくすくすと笑う。抱え込んでいた頭を離して、の小さな顔を両手で包み込んだ。

「お傍においてください。ね、様」
「……うん」

 にっこりと、極上の笑みを浮かべる伊作に、は泣き出しそうな困ったような顔をしながらも、こくりと頷くしかなかった。





 光の中、が伊作に手を取られ、【蕾】の子供たちの中へと引っ張られていく。彼が浮かべる表情は今までの不安定さが嘘のように穏やかで、浮かべられる笑みは儚く透明で、けれども柔らかさを増していた。あまりにも綺麗な表情に、頬を真っ赤に染めながらぽーっと見とれる子供たち。は自分に向かってくる視線の意味が解らずに首を傾げ、伊作が少しばかりムッとした表情を浮かべ、その様子を見て三郎が密かに笑っていた。
 それを見ていた九郎や悠一郎も、くつりと咽喉を鳴らす。

「やれやれ、どうなる事かと思ったが」
「無事に一件落着、ですね。の精神面は、時間をかけて何とかするしかありませんが」
「まぁ、それはな……。あいつはヤエザキの守備の面を気にしてたが、後進の連中が上手く育ってくれてるからそう心配することもない」
「最終決定権はが持っていても、大半の指揮は実質的に俺が取ってるからそっちの方も心配ありませんし。あいつ一人の武力もそりゃ大きいですけど、それよりも精神的な支えの役割の方が実際のところ大きい」

 恥しい話、こうなるまで気付きませんでしたが。
 肩をすくめ苦笑を浮かべる悠一郎に、九郎も同じく苦笑で応える。

「色々とあいつに頼りすぎてた、ってことかね」
「甘やかしてたつもりなんですがね」

 苦笑をかわす事しか出来ない大人達は密かに溜息をついて、十年以上もかけてようやっと満たされ始めた笑みを浮かべて子供のように手を振るに、温かい気持ちになりながらも手を振り返した。



(ゆーいちろーもこっちー!)(はいはい)(九郎先生!)(はいよ、どうしたガキども)(とうっ)(うわ、ちょ、危ねーだろうが、!)(えへへー)(あ、兄様ずるい! 私も!)(おいこら、三郎!)(ああっ! お前ばっかりずるいぞ悠一郎!)(だーっ、どいつもこいつも!)(嬉しいくせに)(嬉しくて悪いですか!?)






あとがき

 うっうっうっ……! やっと、やっと終わりました、伊作編三部作……!
 結局、伊作の抱く感情は白黒はっきり出来ずに終わりました。というか、白黒はっきりできるような環境でも心境でもないので、決着の付け方はコレで満足しています。作者的には。
 まぁ、最後のほうはちょっと嫉妬してるような描写もありますが。愛じゃないとか言ってますが、癒羅がに対して持ってた恋愛感情はちゃんと受け継がれてますし。多分この後じっくりゆっくり愛情に変わっていくんじゃないかと思います。
 しかし一番の謎は、が伊作に対して抱いている感情です。後ろめたくて強く出れない、と言うのは呼んでて解っていただける部分だと思いますが、恋愛感情かどうかはここまで書いてる私でもわかってないとか。言っちゃいます。ええ、言っちゃいます。彼が伊作に対して抱いているのは、純粋に欲しいという物欲に近いものがあります。多分。この後いろーんなモノが混ざり合って独占欲になるんじゃないかなーとか思ってたり。

 ちなみにこの話の終了時点で、伊作は六年生への昇級が確定した春休みです。なので、くっついた(?)後から漸く原作軸に時代が移り変わります。この後の話はまぁ、ぼちぼち短編で続けていこうかなー。もしかしたらお題連載のままかもしれませんが。

 それでは、皆様、長い話にお付き合いくださりありがとうございました! これからもたちをよろしくお願い申し上げます。