● ままごとの延長線。





 たっぷりとした黒髪、前髪のかかる額は抜けるように白く、大きく黒い瞳は知性と慈愛に満ちていた。紅を引いた唇は上品な笑みを浮かべており、ともすれば冷たくも見える美貌に柔らかな印象を添えている。初めて目にした美しい人に、三郎は言葉も無く見とれていた。

「そなたがの拾ってきた子供ですね。名を教えてもらえますか?」

 鈴を転がすような声が、三郎の名を尋ねる。息を呑むほど美しい人に話しかけられた事に驚いて、三郎はおずおずと傍らに座す兄を見上げた。縋るような視線に、は上機嫌な笑みと共に頷く。

「はちやさぶろう、です」

 微笑ましそうに三郎が答えるのを待ってくれている人に、消え入りそうな声でなんとか己の名を呟いた。すると上座に座した人は柔らかく目元を和ませ、三郎は恥しくなって熱くなる頬に、着物の膝の部分ををぎゅっと掴んだ。

「わたくしはここの城主の妻で、芙蓉といいます」
「ふようさま」

 復唱した三郎に、が花の名前だと教えてくれる。芙蓉、という花は知らないが、きっとこの人のように美しい花なのだろうと思った。父か兄に見たいと言えば見せてもらえるだろうか。名を復唱すると、ふわりと嬉しそうな顔をする人を直視することが出来なくて、三郎はそっと視線を落とした。

「ふふふ、三郎は魚や雁……じゃ可愛くないか。花か月かな」
「まぁ、お世辞を言っても何も出はしませんよ、
「あにさま、それはほめことばなのですか?」

 三郎にはわからなかった言葉に恥しそうに頬を染めて口元を隠し、それでも嬉しそうにしている奥方の様子に、ことりと首を傾げる。不思議そうに見上げてくる三郎に、は大きく一つ頷いて三郎の頭をぐりぐりと撫でた。

「そーだよ。『荘子』に載ってる言葉で、魚や鳥や花や月が恥しくなって隠れちゃうくらいの美人さんって事。三郎もそう思うでしょ?」
「はい! ふようさまはとてもおきれいです」
「まぁ」

 幼子の素直な言葉に、困ったように眉尻を下げる。けれども何の思惑も無い純粋な褒め言葉が嬉しくないはずも無く、奥方は素直に喜びを表情に表した。まるで少女のような笑みを浮かべた奥方は初々しい雰囲気を身に纏い、久方ぶりに奥方の明るい表情を見たは釣られたように嬉しそうな笑みを浮かべる。綺麗な人たちが浮かべる綺麗な笑みに嬉しくなった三郎も釣られて笑みを浮かべて、その可愛らしさに奥方は三郎を手招いた。

「三郎、こちらへいらっしゃいな」
「はい」

 本当に近寄っていいものかどうかの顔を見上げて確認する前に、の細い手に背を押され、立ち上がってとことこと小さな足を動かして奥方の座る上座へと近づく。けれども一段高くなっている上座には上らず、直前で足を止めて腰を下ろした三郎に奥方はそっと目を細めた。

「三郎は頭の良い子ですね」

 上座から手を伸ばして、亜麻色のサラサラとした髪を撫でる。三郎は兄や父や悠一郎なんかとは違う柔らかな繊手に、むずがゆいようなくすぐったいような心持ちになって首をすくめた。ころころと笑う奥方の鈴のような声と、御機嫌なの笑い声が聞こえて、恥しさにぽっと頬を染める。それでもや奥方が笑ってくれているのが嬉しくて、されるがままだ。

「それにしても、今日は具合も良さそうで安心しました」
「ええ、今日は特に気分が良かったのだけれど、あなたや三郎の顔を見たらもっと元気になれたのですよ」
「光栄です、奥方様」
「ふようさまはどこかおわるいのですか?」
「違うよ、三郎。奥方様は懐妊していらっしゃるの」
「かいにん?」

 きょとんとした顔で首を傾げる三郎に、奥方は本当に可愛らしいことと呟いて、三郎の小さな手を取って己の大きくなった腹に当てさせた。その手を内側からぽこんと蹴られて、三郎は忙しなく目を瞬かせる。

「わ、わ……!」

 わたわたと片手をばたつかせ、奥方が離した手を見つめる三郎に、奥方は悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。

「わたくしのお腹の中にはややこが居るのですよ。その事を懐妊するといいます」
「やや……あかちゃん。さっきのぽこんっていうのも?」
「ええ、お腹の中のややが動いたのです」
「うわぁ……!」

 すごい、と顔一杯に書いて奥方の腹を見つめる三郎を、大人二人はにこにこと笑みを浮かべながら見守っていた。

「ふようさま、いつうまれるのですか?」
「もう二月ほどすれば。仲良くしてあげてくださいね、三郎」
「はい!」

 くすぐったそうに、嬉しそうに。三郎は満面の笑みを浮かべて首を縦に振った。



































































































































● いつの間にか一緒に寝ていた貴方。





「おやまあ」

 腹の辺りで丸まっている塊に、夜中ふと目を覚ましたは寝ぼけ眼でそう呟いた。こんな小さな子供は今の所の拾ってきた三郎しか居ないので、暗闇で色がはっきりわからない中でも、その存在を間違えるはずは無い。
 丸くなって熟睡している子供を胸元に引き上げ顔を覗き込むと、目尻には涙が乾いた跡があった。どうやら寂しくて潜り込んできたらしい。今日は弥次郎が居るはずなのに、何でこんな所まで来たのだろうか。
 はて、と首をかしげながらも、懐いてくれているのは嬉しいと感じるので、ガビガビに乾いた涙の跡を指先でつついて、しっとりと汗ばんでいる髪を撫でてから、胸元に引き寄せて掛け布団を引き上げた。
 そうして、目を瞑る。数分後には穏やかな寝息が響いていた。





「う……」

 夏でもないというのに何故だか寝苦しく、悠一郎は目を覚ました。身体が拘束されて動かない上に妙に温かい。けれど異変というほどのものでもなく、まだ眠気の残る頭で何なんだ一体と考え、唯一自由になる頭を動かして己の身体を見下ろした。

「ぁあ……?」

 胸の上には小さな子供が乗り上げていて、右肩の関節の上にはそれよりも大きな黒い頭が乗っていた。足にはその頭の持ち主の両足が絡まっており、右手は痺れていないのが唯一の救いだった。左手は動かせるものの、この状態では武器を握るくらいの役にしか立たないだろう。
 深々と溜息をついて、悠一郎は胸から腹にかけてにうつぶせに乗っかったまま熟睡している子供の頭を撫でた。そして自分の肩口を枕にぴとりとくっついて眠っている黒い頭を見て、また溜息を一つ。何故悠一郎の部屋で、一人用よりも少しばかり大きい布団とはいえ三人も固まって寝ているのだろうか、眠りに付くまでは一人だったのに。などという疑問は抱いた瞬間に答は出る。
 簡単なことだ。一人で眠れなかったがまず悠一郎の褥に潜り込んで、眠れずにの部屋を訪ねた三郎がの不在に気付いて、悠一郎の部屋へと潜り込んできたのだ。そこでを見つけたものだから、悠一郎との隙間に猫の子のように潜り込んで眠って、いつの間にかこの体勢になったと。何故潜り込んでくる気配に気付けなかったかなんて愚問だ。起きたら増えているなんていう事態は、三郎が連れてこられてから――いや、が拾ってこられた時から何度も経験しているためだ。これが本当に侵入者だったらきちんと目を覚まし、その瞬間から戦闘態勢を取れる自信が悠一郎にはある。
 これは朝起きて、三郎が部屋にいないことに弥次郎が気付いたら煩くなるだろうなぁ、今は城内に居るはずだし。の部屋と自分の部屋を素晴らしいスピードで確認しに来る三郎の養い親が巻き起こす翌朝の騒動を思って、悠一郎はもう一度深々と息をついた。朝一番の仕事は弥次郎を宥めすかして子供達に朝飯を食わせることに決定だ。
 夜明けまではまだ時間がある事だし、悠一郎はもう一度眠ることにして、三郎の背との方に手を回し、布団の中から出て行かないように確保しながらも目を閉じた。





「三郎、様!」

 すぱーんと勢い良く障子が開き、が二十代半ばになったらこう成長するだろうと予想できる顔に変装した弥次郎が必死の形相で悠一郎の部屋を覗き込む。
 開かれた障子に朝日が燦々と部屋の中に入り込み、こまごまとした物の多い部屋の中を白く照らし出した。その中に弥次郎の予想に違わず小さな亜麻色の髪の子供と大きな黒髪の子供とその保護者の姿を見つけて、ほっとしながらも何故悠一郎ばかりと頬を膨らませた。

「悠一郎ばかりずるいぞ!」

 突然差し込んだ朝日にまだ眠いとむずがる子供二人の頭を撫でて宥めながら、大人の癖に子供のように拗ねて見せる弥次郎に悠一郎は生温い笑みを浮かべた。けれども、変われるものなら変わってほしいとは思わないのだから、悠一郎も結構な親馬鹿なのである。


































































































































● 子供のわがまま・大人のわがまま。





 三郎を奥方に目通りしてから二月後、奥方は若君を出産した。
 生まれたての赤子は、本当に全身真っ赤でサルのような顔をしていた。身体は小さくてふにゃふにゃとして頼りない。手を離すだけで簡単に殺してしまえそうな小さな存在に、はただ戸惑うばかりだった。
 そんなを見て、子供を生んでから顔色が悪く寝込んでいる時間が増えた奥方が、白い顔をしながらも嬉しそうに笑い、抱いてあげて欲しいというものだから、恐々と腕に抱いたのだ。小さくて、軽くて、それでも腕にはずっしりと重みがかかって。不思議そうな顔をしてまだ顔立ちのしっかりしていない赤子の顔を覗き込むに、奥方は「貴方も生まれたばかりの頃はこうだったのですよ」と慈愛の滲んだ柔らかな声で教えた。こんなにも頼りない生き物から成長したのだと言われても、不思議なものは不思議でじっと赤子を凝視して動かなくなってしまったに、奥方はころころと鈴の音のような笑い声を上げた。

 だというのに。

 その数日後に、奥方は息を引き取った。元々体が弱く、子供を生めば命が危ぶまれると言われていたのを押しきっての出産だった為に、奥方自身は死を覚悟していて、今わの際はとても穏やかな顔で迫り来る最期の時を待っていた。ただ、幼いというにも幼すぎる若君を残して逝ってしまう事が心残りでならないと、一粒、真珠のような涙を流していたけれど。
 何度も何度も、殿や家臣やたち忍者隊の者に若君の事をよろしく頼むと、どうか健やかにお育てして欲しいと頼みに頼み込んで、がこの世で一番美しいと思っていた女性は逝ってしまった。
 葬儀は厳かに執り行われ、国中の人間が美しく聡明な女性の逝去に涙し、喪に服した。それだけ奥方は人々の慕われていたのだ。彼女の賢明な言がヤエザキの殿を動かし領地を治め、善政を布いていたと言っても過言ではないのだから。ヤエザキの殿は優しい人間ではあるが一国一城の主としての器の持ち主ではなく、奥方を愛するあまり彼女の望みは出来うる限り聞き入れていた。それが政治のことであれ、子供のことであれ。忍者隊を欲し組織したのも奥方の要望だった。自分が、城から動けないから、目となり耳となる者を欲したのだ。そしてヤエザキは豊かになり、治安もよくなった。敵対する城も有りはするが、すぐに攻め入られるほど弱くは無い。
 そうなるように、導いてきた人が死んだのだ。
 多くの人間が悲しんだ。でさえ、その瞳からぽろりと枯れ果てたはずの涙を零したほど、芙蓉のように美しい人は多くの人から愛されていた。特に殿の嘆きようは見るに耐えないほどで。

「だからって育児放棄は無いよねぇ」

 ふにゃふにゃとした赤子を両腕に抱いて、は呟いた。赤子は柔らかな布に包まれて、危うげのないの腕の中で、実の父親に見放されたことも知らずすやすやと眠っている。赤子の世話の為に室内を整えていた悠一郎は、その呟きに全くだと頷いた。
 ヤエザキの殿は当初から、赤子を産むにはまさに命をかける必要がある奥方の出産には反対していた。子供より奥方の命の方が大事だと、そう言って。けれども奥方は愛する夫の血を引いた子供を欲し、頑ななまでに生むと言い張った。どんなに宥めすかしても折れないので、奥方に滅法弱い殿の方が先に折れてしまったのだ。そして生まれたのが、ヤエザキの跡取りたる若君だった。けれども、その子供が奥方の命を奪ったのだという考えに至ってしまったらしい殿は、若君を憎悪の視線で見はしても、愛情など欠片もかけようとはしなかった。そうして、生まれたばかりの赤子たる若君の世話をする事を放棄し、また周囲にも放棄させたのだ。
 もちろん、反対する人間もいる。だからこそ奥方の為に作られ、存在したと言っても過言ではない忍者隊の元へと密かに連れてこられた。家老達の中でも一番若いが賢明な人物がもう少ししたら乳母も連れてこれると言っていたので、乳等の心配も無い。この事を殿に知られれば怒りを買うことは火を見るよりも明らかなので、現在忍者隊の間ではの名の下に緘口令が敷かれていた。

「まーったく、使えない城主だこと」
……」
「ホントの事でしょー、ねー」

 すり、と赤子に鼻先を寄せて小首を傾げる。赤子に対して同意を求めても返ってくるわけが無いだろうと、さえもその返事を求めていないだろう事を知っていながらも、悠一郎は心の中で突っ込まずにはいられず溜息。はくすくすと笑って、赤子の頬を優しくつついていた指で悠一郎の眉間をちょんとついた。

「しわー。取れなくなるよ」
「へいへい。お気遣いどーも。ほれ、しっかり両手で抱いとけ。落したらそれだけで死んじまうんだからな」
「はーい」

 再び両手で赤子を抱きなおし飽きもせず顔を覗き込んで凝視しているに、そうそうそのまま大人しくしててくれと頷いて、悠一郎は室内の整理に戻った。
 そうして室内の整理が終ろうとしたとき、障子がこつんと叩かれて、隙間から亜麻色の小さな頭が覗く。

「はいってもいい?」
「どーぞー」

 眠る赤子を抱いたままで、は笑みを浮かべて三郎を迎え入れる。三郎は自分一人が入れる程度に障子を開くと、するりと室内に滑り込んでぴったりと障子を閉めた。そして、いそいそとに近寄り、そっと腕の中を覗き込んだ。

「わかさま、ねてるの?」
「そー。おねむだよ」

 じっと赤子を見つめる三郎は、自分よりも小さな存在に興味津々らしく、頬が紅潮し、梔子色の目はきらきらと輝いていた。そうして、ちらちらと赤子とと自分の両手を交互に見て小さな手を何度もにぎにぎと動かす様子に、悠一郎は、ああ抱っこしてみたいんだと微笑ましい気分になった。けれどもがそんな子供の心の機微を自ら進んで察そうとするはずも無く、ことりと小首を傾げるだけだ。
 何度かその行動を繰り返すと、三郎は緊張をその幼い顔に浮かべて、口を開いた。

「あにさま、わたしにもわかさまをだっこさせてください!」

 どこか必死なその顔に、は反対側に首を傾げると、ややあってこくりと頷いた。

「いいよ。首も据わってないし落さないように気をつけてね」
「はい!」

 みようみまねで腕の形を作った三郎の腕の中に、熟睡している赤子をひょいと渡す。三郎はずっしりと両腕にかかった赤子の予想外の重さに目を見開き、落としてしまいそうになって慌てて膝の上に下ろした。据わっていない首は何とか支えられており、が完全に手を離していないこともあって、三郎は何とか赤子を抱く事ができた。

「あかちゃんっておもいのですね」
「そのぐらいの子で一貫近くはあるからね」
「うわぁ……!」

 感動したように頬を染めて、赤子の顔をじっと覗き込む。その仕草が先ほどのと良く似ていて、悠一郎はくつりと咽喉を鳴らした。三郎はを兄と慕っているが、近頃は本当の兄弟のようにその仕草が似てきている。
 も上機嫌な笑みを浮かべて自分よりも小さな二人を見ており、一番小さな赤子の命が危ないだなんてことが嘘のようにほのぼのとしていた。

「やっぱり城主は邪魔」

 目だけを冷たく光らせたの呟き以外は。



















































































































● 慣れ始めた擬似家族。





 領内は荒れはじめている。それもこれもヤエザキの頭脳であった奥方が亡くなったためだ。そのために城主の精神とまるで共鳴するように、僅かにではあるが民の間に影が落ち始めている。家臣や奥方が居たときと変わらず暗躍している忍者隊のおかげで今はまだそれほど深刻な事態にはなっていないが、それでもゆるゆると落ちていっていた。まるで、緩やかな自殺のように。

「という訳で、生かしておいても若君の為にならないので、いっちょ暗殺してみようかと思います」

 自らが信頼する忍者隊の幹部連中の前で、はそう宣言した。緊張感の漂う暗い室内をぼんやりと照らし出す火がゆらゆらと揺れて、淡く笑みを浮かべるの闇色の瞳に影を作り出した。の保護者であるが故に側に控えていた悠一郎は、の宣言にすうっと半眼になる。

「で、本音は?」
「あいつ気に入らない」
「そんな事だろうと思ったよ」

 むすっとした表情に拗ねた声で吐かれた言葉に、室内に満ちていた緊張感がどっと崩れて地を這う。それを予想していた悠一郎は小さく息をつき、小頭はひょいっと肩をすくめただけで納得したが、他の幹部連中は畳の上に突っ伏したりがくりと両手を畳に付いたりと忙しい。
 けれどもの城主暗殺宣言に関しては反対ではないらしく、気を取り直してを見つめてきた。元々、忍者隊は城を動けぬ奥方の目となり耳となり、領地を守る為に組織された集団だ。奥方を慕う人間は多く、同じくらい城主に対しては何の情も抱いていない人間が存在する。言うまでも無くもその内の一人だ。慕っていた奥方に領地と息子を頼むといわれ、動かないはずが無い。その手段が奥方が望まないものであろうと、もう悲しんでほしくない人がいないのだから、が気を遣って手段を選ぶはずも無かった。邪魔だから排除する。単純明快で短絡的な思考回路ではあったが、それが一番簡単で難しいことだ。何せ相手は城主である。失敗したら文字通り首が飛ぶ。

「組頭、それで具体的にはどうするおつもりで」
「うん、事故死してもらおうと思ってる」
「事故死、ですか」
「そ。だって病死してもらうにも城付きの医者がいるから難しいし、暗殺者を差し向けてそのまま放置なんてしたらうちの怠慢だなんだって突いてくる奴が出てくるでしょー。日頃誰に守ってもらってるかも忘れてさ」

 あ、想像したら腹立ってきた。
 ぷっくりと頬を膨らますの言い分は最もで、確かに事故死が一番無難かもしれないと、室内の忍たちは頷いた。他のやり方はどうやったって角が立つ。ぶつぶつと不満を漏らしているは次の言葉を待っている忍たちの様子に気付く事無く自分の世界に入り込んでしまった為、悠一郎は小さく溜息をついて軽く頭をはたく。恨めし気に彼を見上げただったが、続きを話せと促されてぽんと掌を打った。

「とーにーかーくー、殿と殿派の家臣も一掃出来て且つ若君擁護派と俺たち忍者隊に全く咎めが来ないように色々手を回すから、これから忙しくなるって事覚えといてねー」
「はーい」

 全く気負いも緊張感も無い声に、気の抜けた幹部達の間延びした返事が返る。先ほどまで深刻な話をしていたはずだというのに、全くそれを感じさせないやり取りに、小頭は苦笑を口角に刻んだ。
 夜叉王が忍者隊を纏めていたときとは空気が全く違う。夜叉王の時は、彼が存在するだけでその場にぴんと糸を張ったかのような雰囲気が崩れることなど無かった。誰もが緊張を解かず、失敗は即死に繋がると言わんばかりだった。忍務なのだから失敗すれば死に繋がるのは当たり前のことだが、夜叉王の前だとそれが過剰に強調されているような雰囲気で。それが悪いとは言わないが、息苦しいことは確かだった。その息苦しさが夜叉王が存在するという安心感を与えていたのもまた事実だが。
 ぞろぞろと部屋を出て行く幹部連中を見送ると、がぴらりと二枚の紙を取り出した。片方には小さく丸を書き、もう片方には小さくバツを書いて、それぞれに名前を書き連ねていく。

「……殿派と若君派の連中の名前か」
「あ、やっぱりわかる、小頭?」

 ふふんと笑って筆を動かし続けるは、ややあってかたりと小さな音を立てて筆をおいた。悠一郎も二枚の紙を交互に眺め、くいっと片眉をあげる。

「全員書き出したわけじゃないのか」
「まーねー。ここに書いてあるのは白黒はっきりしてる連中だけだよ。もう少し調べる必要があるけど、今の時点でわからない連中はだいたい日和見主義の蝙蝠さんなんだよねぇ。使えないったらないよ、本当。まぁ、奴らは少しでも甘い蜜を吸わせとけば大人しくしてるから問題ないない。だから、今回の計画はここに書き出した連中を中心に進めるよ」

 口角は不敵につりあがり、焦点の合わない瞳がきらりと刃のような鋭さで光る。珍しくも全力でやる気になっているに、これはよっぽど城主が気に食わないのだとわかり、悠一郎は口元を引きつらせた。そんな二人に、小頭は面白そうに咽喉をならずばかりだ。
 そんな中、赤ん坊の泣き声が響く。力強いその泣き声に、は目を細めて声が聞こえてきた方向を見た。

「夜泣だね」
「ああ。元気な声だな」
「赤ん坊って不思議だよねぇ、大音量で泣かれてもだぁれも五月蝿いなんて思わないもの」

 何処を見つめているのかわからぬ瞳が、不思議そうに揺らいで瞬く。

「三郎もね、あの子が泣くと驚いて慌てて泣きやまそうと必死になるんだよ。あのちっちゃなさぶろが自分がお兄ちゃんだって主張するみたいに」
「……それが赤子っていう存在だ」

 ぽんと小頭はの頭を撫でる。そんな小頭を見上げてことりと首を傾げ、はふぅんと呟いて悠一郎の腕にぽすりと凭れた。

「……あぁ、夜泣が止まった。乳母かな、さぶろかな」
「乳母だろう。子供は熟睡してる時間だ」
「そうだっけ。そうだね」

 理解しているのかどうかわからない顔で、は言葉だけの納得を告げる。悠一郎と小頭は苦笑を見合わせた。は凭れている悠一郎の腕に全体重をかける。ずりずりとずり落ちていく身体を全く気にせず、そういえば、と口を開いた。

「さぶろがねぇ、若様は奥方様そっくりだって」
「若君が、か? まだ顔立ちもそんなにはっきりしてないだろう」
「……そういえば、弥次郎の奴もそんな事を言っていたな」

 天井を見上げるに、悠一郎はどう見ても奥方に似ているとはまだまだ思えない赤子の顔を思い出して首を傾げ、小頭はふむ、と顎に手を当ててヤエザキ一の変装名人の言を思い出した。その時は話半分に聞いていたが、親子揃って同じ事を言うとは。

「外も中も奥方様に似てるといいねー」

 ついには畳の上に仰向けに寝そべってしまったは、淡い笑みを浮かべて見せた。















































































































































● 行く先は見えないけれど、今幸せ。





 計画は密やかに、速やかに決行された。それというのも、暗殺計画が実行されるまでの期間が長ければ長いほど、その計画が露呈される危険性が高くなるからだ。や小頭、悠一郎が忍者隊に属する者達を信用していないわけではなかったが、リスクは少なければ少ないほど良い。
 結果は勿論のこと、大成功だ。殿は自ら忍者隊の者を遠ざけ、若君派に属する者の静止も聞かず、自分の派閥の者だけを連れて外に出て、事故に遭い亡くなった。そして城主の死の責任を取らせて殿派の家臣を一掃。日和見主義な蝙蝠たちが動き出す前に若君派の家臣が政治の実権を握り、彼らと忍組が若君を擁立し城主の地位につけた。後見人はもちろんと若いが賢明な家老がついて。
 あまりにも上手く行った計画に、はやっと顔立ちのはっきりして首の据わった若君を腕に抱いて御機嫌だった。

「いやー、あっさりさっぱりって感じ?」
「お前な」
「間違ってないでしょー。やっぱりあいつはあの人がいなきゃダメだったし」

 ふふふ、と固有名詞を出さずに計画の成功を喜ぶ。忍者隊の者ばかりが揃っているのだからそれほど心配は無いとはいえ、やはり誰が聴いているのかわからないのだから不用意な発言はよして欲しい。そう言っても気配はしないから大丈夫と取り合ってくれない事がわかっているので、悠一郎は小さく溜息をついた。

「ふふふ、ねぇ若君。若君も俺を恨んだり嫌ったりするようになるのかなぁ。俺があの人を殺した奴らを恨んだみたいに、夜叉王を嫌ったみたいに」
……」
「俺はねえ、若君になら殺されてあげてもいいよー。似たようなことを感じたことがあるよしみでね」

 淡い笑みを浮かべて物騒なことを呟くに返ってくるのは、当たり前ではあるがあーうーという赤子特有の喃語ばかりだ。ぴたぴたとの顔を触ってくる小さな掌に、は幾分か嬉しそうな色を滲ませる。
 そんなの様子がたまらなくなって、悠一郎はの頭を引き寄せてがしがしと撫でた。

「させねぇよ」
「ゆーいちろー?」
「お前は殺させないからな」

 強い声に、はきょとんと瞬く。何故そんな事を言うのだろうと、表情が語っていた。

「何で?」
「俺がそうしたいからだ」
「ふぅん」

 色々と胸に渦巻く感情をその一言に込めた悠一郎に、はやはりわかっているのかわかっていないのかまるでわからない顔で、気の乗らない返事をする。ことりと、少しばかり傾いだ頭にをもう一度撫でて、悠一郎はの頭を離した。
 そこへ、ちょこりと障子の隙間から亜麻色の小さな頭が覗いて、と視線が合うとはにかんだ表情を浮かべてそろそろと部屋の中に入ってきた。

「ああ、三郎、来たね」
「はい。あにさま、ほんとうにわかさまをおしろにかえしてしまうの?」
「そー。若君は城主におなりだからね。何時までも忍者隊の長屋においておくわけにはいかないの」
「わかさま……」

 小さな手が、さらに小さな手を握る。寂しそうな顔をする三郎に、悠一郎は苦笑を浮かべながら、小さな頭を優しく撫でる。

「これが一生の別れって訳じゃない。会いたくなったらいつでも会えるさ」
「……ほんと?」
「ああ。そうだろ、
「んー? お城に行くくらいならいつでも連れてってあげるよ。一応俺も後見人の一人だし」

 一応どころか最強と言っても過言ではない後見人だが。
 胸中で突っ込みを入れながらも、悠一郎は赤子に絶対に会いに行くからねと微笑みながら告げている三郎と、三郎の指を御機嫌な様子で握っている赤ん坊に、どうかそのまま心身ともに健やかに育ってくれと願わずにはいられなかった。
 そしてどうか願わくば、歪みも傷もひっくるめて、を受け入れてくれるよう。
 神でも仏でもなく、をはじめとした忍たちの主となる赤子に対して、密かに祈りを捧げた。





 時系列的には前作から一年後くらい。えー、16歳で三郎が5歳です。
 三郎に関しては生い立ちから素顔から何から何まで捏造してます。そして彼の父親になったオリキャラ鉢屋弥次郎。鉢屋という苗字ではありますが、三郎の名前の由来になった尼子氏とは全く関係ありません。彼は元々フリーの忍者で、作中で言ってるようにに気に入られてヤエザキに連れてこられた人です。んでもって綺麗だったり可愛かったりするものが大好き。ぶっちゃけ面食いです。だから素直ににも付いてきて居ついていると。の中身に関しては全く気にしてません。
 そしてまたもや今回も退場して行った方々が。この二人に関しましては予定通りです、イエス!
 次からはやっとお相手キャラが出せるかも。もしかしたらですけど。その前に部下とか雑渡さんとの関わりだとか入れようかな。