玉響〜名前と面と恐怖〜
「ほぅ……」
小さく呟いて、シカマルはニィッと口端をつり上げた。
まだたった五つだというのに、その笑みはどこか妖艶。
が、その瞳は全く笑っておらず、シカマルの正面に居るシカクは恐ろしさの余り寒気を感じた。
余りにも情けない反応だが、息子がこんな表情をするときはろくな事がないのだ。
術の実験台にされたり、新薬の実験台にされたり、まぁ色々と。
今回その対象になっているのが自分ではないことを知りながらも、精神的ダメージを回避することは出来なかった。
それだけ、実験台という過去は破壊力抜群である。
シカクが過去を思い出し青ざめている間、シカマルは薄ら寒い笑みを貼り付けながらじっと己の手元を凝視していた。
そこにあるのは、本日休みだったシカマルの代わりに、彼の父が三代目から預かってきた面と暗部の装備一式に三代目からの通知書。
暗部に入ったものには必ず支給され、渡される書類なのだが、その中身が問題だった。
記されているのは、これから名乗ることになる暗部名と諸々の注意事項。
普通暗部での名前は自分で決めるものなのだが、火影に名づけられることもある。
忍にとってそれは大変名誉なこと――なんせ火影にその実力を認めてもらっているに他ならないから――だ。
しかし、それはシカマルにとってどうでもいいこと――むしろありがた迷惑――で、正の感情があったとしても、「自分でつける手間が省けてラッキー」という程度。
だが、今回はそれさえも無い。
曰く、「暗部としては『玲鹿』と名乗るように」。
まるで女の名である。
加えて面は雌鹿。
ふざけているとしか思えない。
クツリと、喉の奥で笑う。
それにびくりと反応して、シカクは息子を見下ろした。
「シ、シカマル……?」
「普通に17、8くらいに成長した姿をとってやろうと思ってたんだがな……気が変わった」
クツクツと笑いながら呟かれる言葉。
地を這うような低い声が「覚悟しやがれ、三代目」と紡いだのを聞き取って。
シカクは火影邸がある方向に向かい、心の中で合掌した。
暗部服の上下を着込み、手裏剣ホルスターを右足に固定する。
ポーチは二つ腰につけ、もう一つはポーチの変わりに医療パックを。
しかし、二つの内一つには丸薬等の薬が入っている。
その上に、ベストと肘当てはつけず、刀を背負わず、白衣に袖を通して、仕上げとばかりに長い髪を襟の中から出した。
そして、目の前に並べられた多くの薬品を白衣の中に納めていく。
「相変わらず不思議な構造した白衣だな……どうなってんだ、一体」
「秘密です」
20種類異常は確実にある薬品を全て収めきると、何度見てもなれないらしいシカクの言葉を一刀両断に切り捨てる。
シカクも答えが返ってくることを期待していなかったのか、一つ息をついて自分より少し低い背の子供を見下ろした。
変化をしてるのだが、チャクラの流れはあくまでも自然。
全く違和感を感じさせないそれは、チャクラコントロール技術の賜物だろう。
実戦は苦手だのなんだのというが、己の息子ほどコントロール技術が優れ、無駄の無い動きで任務にあたる者を知らない。
それは元くノ一である妻ヨシノも同じらしく、感心しながら、そして誇らしそうに己の息子を見上げていた。
「……なぁ、シカマル」
「玲鹿、です。何ですか、奈良さん」
どこかしら嫌そうな顔をした父に、普段以上に冷めた視線を送る。
完全に仕事モードに入っている。
白衣を着ると、普段の息子とは別人のように、己の目的を果たすためには手段を全く選ばなくなる。
絶対これが本性だよな、と思いつつ、仕事モードスイッチオンな息子に向けて言葉を続けた。
「本っ当にその姿で行くのか?」
「そのつもりですが、どこかおかしいところでもありますか?」
「いいえ、とっても綺麗よ、玲鹿ちゃん」
ニコニコと笑みを浮かべながら、ヨシノが首を横に振る。
玲鹿も二コリと実に楽しげに笑い返し、シカクは諦めたように溜め息をついた。
もう何を言っても無駄である。
「それでは、行ってきます」
「おう。ま、テキトーに頑張れや」
「怪我しないように気をつけてね」
ひらひらと手を振る両親。
玲鹿は一つ頷き、雌鹿の面をつけて、ゆらりとその姿を己の影の中へと消した。
「さて、あの子が帰って来た時の為に何か作っといてあげるとしますか」
くるりと、ご機嫌な様子できびすを返した妻を見送り、シカクは息子が消えた場所をもう一度見やり、確実に息子に玩具――という名の実験台――にされるであろう三代目の健闘をほんの少しだけ祈った。
「嫌な予感がするわぃ……」
ひしひしと、何かが迫ってくるのを感じ取り、三代目は遠い目をして呟いた。
心当たりはイヤ過ぎるほどしっかりとあり、やはりまずかったか……と悔恨の念で肩を落とす。
三代目のその一連の動作を見ていたナルトは、狐の面を頭に押し上げ怪訝そうな顔をした。
「どうかしたのかよ、じっちゃん」
「うぅむ……怒らせてしまったかも、しれんくての……」
ぼそぼそと答え、視線を彷徨わせる。
しかも何故か怯えながら。
一体なんだというのだろうか。
疑問を口に出そうと開きかけた、丁度その時。
「よく解っていらっしゃるようですね、火影サマ」
声と共に、部屋の隅の闇が揺れた。
波立ち、立ち上がり、人の形を取る。
布が剥がれ落ちるように、身体にも取った闇がはがれていった。
ナルトはその存在の気配を感じ取れなかったことに驚愕の面持ちで、闇の中から現れた人物を見詰めた。
彼女は零れ落ちそうなほどに大きな瞳をさらに大きく見開いているナルト――変化をしているので「うずまきナルト」だとは解らないのだが――に小さく頭を下げ、同じく唖然として目を見開き、口をぱかりとあけている三代目の方へと向いた。
「何アホみたいな面曝してやがんですか、三代目」
「シ……いや、玲鹿、その、のぅ……」
玲鹿と呼ばれた彼女の毒舌ではっと我に返り、冷や汗をダラダラと流す三代目。
ナルトは玲鹿の丁寧何だか乱雑何だかわからぬ口調と毒舌に顔をひきつらせながら、初めて見る三代目の様子に興味津々で二人の様子を見ていた。
「三代目、はっきり仰ってください」
「……何故そんな格好をしておる」
小首をかしげる玲鹿の面の向こう側に般若の如き雰囲気を纏った麗しい笑みの気配を感じ取り、三代目は微妙に視線をずらして大人しく白状した。
「どこか変な所でも?」
するりと面を外し、目を細める。
美しく整った顔に、柔らかに登らせた笑みは妖艶で、変化であろうとわかっていても、ナルトは僅かに頬を染めた。
女性にしては長身ではあるものの、ともすれば野暮ったく見える白衣をすっきりと着こなし、その白衣に包まれた身体は、すらりと伸びた手足に細くくびれたウエスト、程よい大きさの胸と、とても魅惑的である。
背に滝のように流れる髪は青銀色で、面をとったことで露になった切れ長の目の瞳の色も髪と同じ青銀色。
通った鼻梁に仄かに色づいた形の良い唇。
肌もぬけるように白く、文句なしの美女だ。
――ちなみに、躰の比は全て黄金比だったりするのはシカマルの「ヤるからには徹底的に」というモットーからだ。
火影は脱力して、溜め息をついた。
「……お主、男じゃろうが」
「若い女性と話すことがご趣味な三代目に対するちょっとした嫌がらせです」
はっきりキッパリ。
口元に笑みは浮かべているのに、瞳は全く笑っていないという笑みを浮かべたままで、言い放った。
三代目は顔をひきつらせる。
「そんなに嫌か……?」
「当たり前です。まさか気に入るとでも?」
「いや、その……」
ちょっとした遊び心じゃったんじゃ。
乾いた笑みを浮かべる三代目に、玲鹿は今度はニッコリと心底楽しそうな笑みを浮かべた。
三代目の瀬に悪寒が走る。
まずい、非っ常ーっにまずい。
冷や汗ならぬ油汗をかき始めた三代目を前に、玲鹿は白衣の内側を探り始める。
それに生命の危機を感じ取り、三代目は焦って口を開いた。
「れ、玲鹿! 面が気に入らぬというのなら作り直させてもかまわんし、暗部としての名が気に入らぬのなら変えても良い!」
ぴたりと、玲鹿の動きが一瞬止まり、腕が白衣の内側から引き抜かれる。
その手に何も掴んでいないのを見て取って、三代目は安堵の息をついた。
「なら三代目、面は変えてください。名はこのままでいいですよ、姿を変える気はありませんので」
結構大変だったんです。
そう言って、満足気に表情を消す。
三代目はがっくりと肩を落とした。
二人の様子を観察していたなるとは、狸爺だと思ってやまない火影をやり込めてしまった玲鹿に「すげぇ…」と呟いた。
周囲の反応などまるで気にせず、玲鹿はすっと白い手を火影に差し出した。
「……何じゃ?」
「任務下さい」
「おお!」
ポンッと手を叩く三代目。
どうやら玲鹿の姿が余りにもショックだったらしく、呼び出した理由である任務のことを忘れていたらしい。
玲鹿とナルトの白い目を受けながら、いそいそと一つの巻物を取り出した。
「これじゃ。そこに居る玲狐と共に行って欲しい」
「はぁ……」
「はぁ!?」
玲鹿は己と似たような名を持つナルトに、被害者がこんなところにも、と溜め息をつき、ナルト――玲狐はまさか目の前の白衣を着た暗部と組むことになるとは思っておらず、驚きの声を上げた。
「おい、俺は単独でと言った筈だろう!」
「そう言うでない。玲鹿は今日が初めてじゃから、誰か一人はつかねばならん。しかし、そこらの暗部では玲鹿についていくことは出来ん」
実力が違いすぎるからのう。
「……強いのか、そいつ」
三代目の言葉にピクリと反応して、玲鹿をさす。
乗ってきた玲狐に三代目は飄々と笑いながら頷いた。
「もしかしたら玲鹿のほうが強いかもしれんのぅ」
「行く」
どこか楽しそうに承諾し、面をつける。
玲鹿はというと、すでに面をつけ、言い合っている二人を尻目に渡された巻物を紐解いていた。
「話はついたみたいですね」
ポンッと任務書を放り投げる。
玲狐はそれにさっと目を通し、さっさと焼き捨てた。
「それでは、行ってまいります」
「うむ……ってちぃと待て」
小さく頭を下げる玲鹿に頷きかけて、引き止める。
「お主、防具はどうした。そのままで行く気か?」
「はい。防具ならこれだけで十分です。特別な術を織り込んであるので、ね」
ついと白衣を引っ張ってクスリと笑うと、玲鹿はするりと窓から出て行く。
玲狐もそれに倣って、「行ってくる」というと窓からひらりと身を躍らせた。
玲鹿の楽しそうな笑みに過去の恐ろしい記憶が甦り、意識を飛ばしかけていた三代目は呆然と二人を見送り、数秒して我に帰ると。
「窓は出入り口ではないわー!!」
と、お決まりの台詞を叫んだのだった。
(速い!)
白衣を翻し、自分と同じスピードで書ける玲鹿に驚き、目を瞠る。
結構本気で走っているのだが、彼女――否、三代目が男だと言っていたから彼だろうか――は今まで組んだ奴等とは違い、遅れるどころか余裕さえ感じられる。
火影邸で出てくるまで気づかなかった気配。
変化していてもその違和感を感じさせないチャクラコントロールの精密さ、そしてこのスピード。
自分を玲鹿についていかせるための方便かとも思っていたのだが、どうやら本当らしい。
火影以外で初めて強いと感じることの出来た人間に、玲狐は面の奥でニヤリと笑った。
『玲狐』
『! 何だ?』
突然飛び込んできた心話に少し驚き、返事を返す。
心話は古い術で使える人間は稀なのだ。
次々といい方向へ予想を裏切ってくれる玲鹿に、顔が緩んで仕方がない。
『任務のことです。あの情報では四人一組が四小隊となっていましたが、八小隊の間違いですので』
気をつけてください。
そう言う玲鹿に、今さっき見たはずの任務内容の情報なんか一体いつ集めたんだ、と思いながらも応と返す。
『それと……』
『まだ何かあるのか?』
『はい。戦闘にはなるべく介入しないでいただきたいのですが』
『何故?』
『巻き込まないためです。少し、やりたいことがありまして、ね』
くすくすと、楽しそうに笑う。
玲狐は怪訝そうにするものの、その笑い声に何故か悪寒が走り口をつぐんだ。
その判断はとても賢明なものだった。
四人一組、八小隊。
計三十二名の忍が一堂に会していた。
面の奥で心底楽しそうに目を細めながら、玲鹿は木の上から彼らを見下ろしていた。
「見ぃつけた」
小さく小さく、呟く。
音も無く隣に降り立った玲狐をチラリと横目で見て、玲鹿はとてつもなく長い印を組み始めた。
玲狐はまたも目を瞠る。
印を組む手は早い。
加えて一つ一つが正確で、体内で練られているチャクラがどんどんその力強さを増していた。
しかもこれは、どう見ても結界術の奥義だ。
あっという間に最後の辰の印が組まれ、音も無く結界が上下四方を包み込む。
意識していなければわからぬその結界は、紛れもなく火影が作るもの以上の出来だった。
ぞくりと、肌で感じる強さに喜びが走る。
「さて、と」
ごそごそと、玲鹿は白衣の内側を探る。
そして数本の蓋付き試験管を取り出し、蓋を開け試験管を傾ける。
中に入っていた色とりどりの液体は勿論重力に従って流れ出てきたが、玲鹿の胸の辺りで飴のような球体になってふわふわと宙に浮いた。
あまりにも自然の理に反した出来事に、玲狐は瞬く。
「……やりたいことってそれか?」
「はい」
「……どうなってんだ、それ」
「チャクラを使っているんです。傀儡の術の応用みたいなものですね」
「……」
簡単に言うが、その応用は結構とんでもないものである。
本当に、己よりも強いかもしれない。
玲狐が沈黙の中そんな事を考えている間に、玲鹿の周囲に飛ぶ小さな球体の形をした薬は優に二十を越えていた。
「行きます。手は出さないでくださいね」
「おう」
二人揃って、木の枝を蹴る。
玲鹿は敵のど真ん中まで降り、玲狐は周囲の木に潜んだ。
ふわりと、白衣の裾が広がる。
目の前に降り立った青銀と白に、周囲の忍は一瞬何が起こったのかわからなかった。
が、すぐに木の葉の暗部を示す面に気づき、クナイや手裏剣、術が飛ぶ。
そんな中、玲鹿は何をするでもなく突っ立っていた。
面の奥の口元に、不敵な笑みを湛えながら。
殺った、と忍たちは思った。
けれど次の瞬間、勝利を確信していた顔は驚愕に歪む。
術やクナイが暗部の白衣に触れた瞬間、ふっとその姿を消したのだ。
玲鹿はクスリと笑い、ホルスターの中からクナイでも手裏剣でもなく、一本のメスを取り出した。
「三十二、ですか。七名ほどはいりませんね」
小さく呟く。
そして目にも留まらぬ速さで、メスを投げ印を組んだ。
――手裏剣影分身の術。
一本だったメスが、七本に増えて忍たちの眉間に突き刺さる。
忍たちは色めき立ち、次々と玲鹿に襲い掛かった。
玲鹿は軽々と避け、目の前にふわふわと浮く薬の一つを飛び込んできた忍の口の中へと弾く。
すると薬を強制的に飲まされた忍はも声無き悲鳴を上げ、びくびくと痙攣した後その生命活動を止めた。
ぼっと、何もしていないにも拘らず発火する。
「なるほど」
そういう反応を出しますか。
唖然と燃え出した仲間を見る忍の中で、玲鹿はただ一人どこからかクリップボードを取り出し、何かを書き込んでいく。
その間に我に返った忍たちが襲ってくるが、次々と薬を口の中に放り込まれ、気づいた時には全員が地に伏していた。
もがき苦しんでいる者やら、すでに事切れている者、中には最初の忍と同じように発火したり、凍りついたりずたずたに切り裂かれているものも居た。
玲鹿はふむふむと頷きながら、ただ一人ペンを走らす。
その様子を木の上で見ていた玲狐は、ひくりと顔をひきつらせていた。
あの悪寒はこの所為か、と。
火影が玲鹿に対して怯えていた訳が、今やっとわかった。
あのキラキラしい笑顔に恐怖を覚えていたのは、三代目は玲鹿の薬の効果を身をもって知っているからだろう、と。
さすがにあそこまでのは飲まされていないだろうが、玲鹿の薬というだけで恐ろしい。
解剖部や薬剤班の連中はマッドサイエンティストだと言われているが、その名称は玲鹿にこそ相応しいように思う。
というより、玲鹿のためにある言葉だと言った方が正しいかもしれない。
薬の効果の記入を済ませた玲鹿は、クリップボードを白衣の内側に突っ込み、玲狐の待つ木の上へと跳ぶ。
死体処理をせずに上がってきた玲鹿に、玲狐は顔をしかめるが、玲鹿の背後に青い炎が立ち上ったのを見て息をついた。
印もなしに蒼葬火の術を使うとは……と。
けれど口元は緩んでいて、玲狐――ナルトは玲鹿のことが気に入っていた。
その強さも、性格も、変化ではあるが顔も、ナルトの好みだ。
くすくすと、笑う。
「玲狐?」
「いや。帰るか」
「はい」
首を傾げる玲鹿を促し、瞬身の術を使う。
三代目に次から玲鹿と組むことを強制させようと思いながらも。
そして里に帰った後。
玲鹿に薬を飲まされ昇天しかかった後、殺気を伴った玲狐に脅されている三代目の姿があったらしい。
災難続きの三代目に合掌。
マッドサイエンティスト鹿。
本領発揮とでも言いましょうか。
そう言えばこれは一話完結の話ですので、続きは余り期待しないほうがよろしいかと思います。
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