流行というものがある。
 どこそこの団子屋の新商品だとか、帯の結び目だとか、逢引場所だとか、物や事象を問わず、流行というものがある。
 それは、忍術学園という枠組みの中にも存在している。

「別に頼ってくるのは構わないんだけどよ、ひとの恋文をこうぐりぐり捻っていくのはなあ……」
 留三郎が些かぐったりした様子で言うのに、伊作は苦笑いして、は頓着せずに茶を啜った。
「一応聞くんだぜ? 元結紙じゃないから切れやすいし、どうしても墨が掠れるって。でも、普通の元結と一緒に使う、想いは掠れないって……身に着けなくてもいいじゃねーか、普通にとっとけよ。胸にしまっとけよ」
「あはは、まだ廃れなさそうだから、留さんのとこにもひと来るだろうね」
「廃れたら廃れたで『留三郎は一時期ひとの恋文を捻り潰しまくっていた』という事実だけが残るんだな」
「どうしてお前はそういう言い方するんだ!」
 怒鳴る留三郎を涼しく受け流し、はお茶のお代わりを催促した。それに渋々とはいえ応える留三郎は、ほんとうにひとが好い。
 なんとなく集まった保健室、怪我人も病人もいないので、まったりと茶を交わす三人は、ふとした会話から学園で流行っていることへと話題を移させた。
 どこから始まったのかは不明だが、恋仲同士で、相手が任務や実習に向かう際、恋文を渡すと、お守りとなって、相手が無事に戻るというものらしい。
 話というのは広まれば付随するものもあり、今ではその恋文をこより、元結のように身に着けることで離れても相手と繋がっているとかなんとか。
 しかし、先ほど留三郎が言ったように、元結紙ではない恋文は下手にこよれば千切れてしまうか、上手くこよれずにぐしゃぐしゃになるだろう。力加減や手先が利かない者は、想い人からの恋文を自らの手で無残なことにしてしまうのだ。
 千切ってしまったからまた書いて。
 そんなことは早々言えるものではない。なんとか平身低頭書いてもらったとしても、次はないと考えるのが妥当だろう。
 そこで頼りにされたのが、器用な用具委員、その委員長である留三郎だ。
 最初に後輩が恋文を差し出して頼み込んできた時、留三郎は酷く困った。
 恋文の持ち主や差出人はいいかもしれないが、関係ない留三郎としては込める想いもないため「人様の恋文内容を見て、それを捻っていく作業」になる。それを成して感謝されても、複雑な心境だ。悪くないのに胸中は謝罪が浮かぶ。
 その後輩一人きりだったならまだ良かったのだが、恋文を元結にする、というものが流行となっているため、留三郎を頼る者は続々と増えた。勘弁してくれ、という叫びはしまわれたまま、先ほども留三郎は恋文を捻ってきた。
「お前なら内容を言い触らしたりしない、という信用もあるからだろう。人徳だと思え」
「そんな重たい信用はいらねえ……」
「あはは。そういえば、は恋文って書くの?」
 周囲をやきもきさせ続けた関係をようやく明確にしたに、伊作は何気ない疑問を投げかける。
「どんな恋文を書いたの」ではなく「恋文自体を書くのか」という言い方のあたり、の性格が伺える。
「歌とか得意だろ。恋歌でも送ってやれば久々知が喜ぶぞ」
 没落したとはいえ、貴族の末端だったにとって歌を詠むことは馴染みがあるものの、進んで詠む気はない。
「そういえば、きな臭い城があったな。近々、任務でも入るんじゃないか。お前達も今からお互い宛に恋文用意しておくと、いざとなっても焦らずに済むんじゃないか」
「ちょっ」
「おい、!」
「ひとの恋愛事情をつつくなら、自分達もつつかれる覚悟をしておけ」
 はふん、と鼻で笑った。



 兵助は食堂に入り、きょろり、と周囲を見渡した。すぐに「こっちこっち」と手を振る勘右衛門を見つけ、空けられた席に着く。
 当たり前のように確保されていた豆腐定食に礼を言えば、向かいに座る八左ヱ門の目がもの言いたげに揺れている。
「ああ、任務」
 すぐに察した兵助が端的に言えば「やっぱり」と返される。
 そもそも、食堂へは八左ヱ門に誘われて、勘右衛門や三郎、雷蔵と共にきていたのだが、その道すがら、兵助だけ教師に呼ばれて遅れたのだ。時期や雰囲気で、四人はなんとなく呼び出し理由を察していたらしい。
「最近きな臭いあの城でしょ。六年に回されるかと思ってたけど」
 雷蔵がちょっと意外、と言えば「任務の内容は口外しません」と兵助は内心で「当たり」と呟きながらも素気無く返す。忍者として正しいので、それきり聞き出すような会話はなくなったが、食事を楽しむための話題のひとつとして、最近流行っている「お守り」の話が上がった。
「丁度いいじゃん。兵助、持っていけよ」
「持ってないものは持っていけない」
 名案とばかりに八左ヱ門がいえば、兵助がさっくりという。それに「え」と固まったのは八左ヱ門だけで、他の三人は「あっちゃー」と内心で八左ヱ門の失言に額をぺち、と叩いた。
「え、だって、え?」
先輩だしねー」
「形に残るものより態度や仕草とかね」
「あと表情と視線」
 戸惑う八左ヱ門を遮って後方支援する三人に、兵助はこれといって表情を変えずに箸を動かす。つるり、とした絹ごし豆腐の喉越しは最高だ。
「へ、兵助は先輩に恋文とか……いや、なんでもない」
 おずおずと口を開いた八左ヱ門だが、ちらり、と視線を上げた兵助に何を思ったのか、すぐに口を噤んだ。
 なんともいえない気まずさが漂い、箸ばかりが進む中、茶をひと口飲んだ兵助が困ったように笑った。
「欲しくないわけじゃない。でも、それは貰えたらうれしいっていうものだから。
 俺はいま、すごく、しあわせなのだ」


「――って言ってたよ」
「で、お前はそれを態々報告した、と」
 夜、符を作るための用意をしていたの自室を訪れた小平太は、食堂で聞いた兵助たちの会話を笑いながらに話して聞かせた。
 どういう意図で報告してきたのかは、にこにこ笑う小平太の顔からは読み取れない。聞けば答えるだろうが、その気はなかった。
「六年の宿題やり遂げた時もそうだけど、やっぱり、久々知って優秀だね」
「そうだな」
 傷だらけになっても、やり遂げたあの姿は、いま思い出しても誇らしい。
 目を細めるに、小平太は嬉しそうに、うれしそうにわらった。
「しあわせなんだって」
「ふうん」
「私も幸せです、様」
「……そうか」
 ぐりぐりと丸い目が深い色で自分をじっと見てくるのに、はそっと目を伏せた。
 ひとつ息を吐いて、は使うために用意していた墨を片付け、文箱の中、僅かに古くなった紙に包まれた、別の墨を取り出す。
「紫墨? ちゃん、絵でも描くの?」
「似たようなものだ」
 薄く磨った墨に筆を浸し、短冊に滑らせようとしたが、ふとは筆を止めた。
ちゃん?」
 ぴたり、と静止したを不思議に思い、小平太が声をかければ、はゆるく首をふって「なんでもない」と返す。
「時代錯誤だな」
 小平太に聞こえない声で呟き、は筆を走らせた。
 書く前に考えていたものから、僅かに変化して完成した短冊に、はふう、と独特の笑みを浮かべた。



「兵助」
 勘右衛門と長屋に戻る途中、後ろからかけられた声に、兵助はぱっと振り返った。
 勘右衛門は立っていたのが予想通りの人物であると「先に言っているね」と声をかけて離れていき、頷いた兵助は僅かな距離を小走りでつめた。
 目の前で立ち止まった兵助に、は目元を微かに和らげる。
先輩、なにか……」
「やる」
「え」
 とられた片手にぽん、と短冊が渡され、いったい何事かと思えば、すっと顎を持ち上げられ、眦に朱の走る目と視線が合い、こくり、と喉が鳴る。
 近くなる顔に目を閉じることもできずに硬直すれば、唇を啄ばまれ、いつもと違う違和感に兵助はぱちり、と瞬いた。
 接吻されたことは多々あるが、気持ちを交わすそれではなく、快楽を得る手段でもなく、まるで、行為自体に意味があるようなそれは、初めてだった。
「……これも、時代錯誤だな」
「え?」
「じゃ、今夜はがんばれよ」
 ぽん、と兵助の頭を撫でて、はその場から立ち去った。
 なにやらわけも分からず、用件を済ませたらしいの背中をぽかん、としながら見送って、兵助は手の中の感触にはっとする。
 今さら風に飛ばされないようにしっかりと持ち直し、いったい何を渡されたのかと見てみれば、見慣れない、ぴんとこないものがあった。
「字? 絵?」
 短冊にうつくしい紫墨で描かれた、字とも絵ともいえない「なにか」に、兵助は小首を傾げる。
 尋ねようにもは既にいないし、いたとしても態々こういうい形式をとったのなら簡単には教えてくれないだろう。
 ――今夜はがんばれよ。
 ふと思い出したのは最後の言葉。
 今夜は先日言い渡された任務に赴くのだが、はそれを知っていたらしい。
 では、それに関係するものだろうか。いや、それならばもそれらしい態度をとるだろう。あれは、完全に私事だったように思う。
 雷蔵のように悩んだ兵助だが、結局答えが出ないまま、ひとまず先に行った勘右衛門達を追うことにした。

 長屋の自室に戻れば、勘右衛門が「おかえりー」と明るい声と共に、用意していたのだろう茶を差し出してきた。
「ただいま、勘ちゃん。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
 頭巾を外して勘右衛門が淹れてくれた茶を飲めば、ほっとして落ち着いた。
先輩なんの御用だったの?」
 兵助が赤くなっていることも緊張した様子でもないので、なにか他愛ないやりとりがあったのだろうと判断した勘右衛門がさり気なく問えば、兵助は困ったように唸った。
「なに、なんかあったの?」
「んー……勘ちゃんに見せても、いい、の、か……?」
「ちょっと、なにそれ。すごく気になるんだけど」
 任務に関わることではなさそうだし、その方面では問題ないのだろうが、私事ならば私事であっさりと明かすのは、少々面白くないような気もする。しかし、なにも分からないまま任務に行くのもちょっと、という気持ちもあり、兵助は難しい顔で懐にしまった短冊を取り出した。
「なにこれ」
「なんだと思う」
先輩がくれたの?」
「うん」
 触ってもいいか聞いて了承されたので手にとり、勘右衛門はくるくる回したり、裏返したりして短冊を眺めた。
「えー? 絵ー?」
「字のような気もする……」
「先輩、字はすごくきれいだけど、絵が壊滅的で字に見える、とか……ないよね!」
 失礼な発言にちらり、と視線をやれば、勘右衛門はにこっと笑って撤回した。
「でも、ほんとうになんだろ。御札とか……不用意に扱えないものを、何も言わずに渡すわけないか。暗号?」
「……こんな暗号見たことないのだ……」
 そもそも法則も成り立ちも不明過ぎる。
「お困りのようだな頭の固い、い組!」
 ふたりで唸っていると、スパーンと障子が勢いよく開けられて、三郎が入ってきた。
「ちょっと、障子痛む」
「いつから聞いてた」
「ふっふっふ、兵助が戻ったあたりで、ふたりを驚かせようと思って、顔をあれこれ考えながら隠れてた! あと障子はごめんなさい」
 ぺこ、と頭を下げて、三郎は障子を静かに閉め直す。
「態々、待機してまで考えてたのに、結局は雷蔵の顔じゃん」
「だって、驚かせるより楽しそうなことをふたりが話してるから……」
「で、頭ぐっちゃぐっちゃの三郎は分かるのか」
「頭固いとか言ったの根に持つなよ。で、どれどれ」
 勘右衛門が持つ短冊を覗き込み、三郎はふむ、と一つ頷く。
「さっぱり分かんない」
 兵助と勘右衛門は三郎の頭を叩いた。
「いたっ、ちょ、だって分かんないし!」
「なんか賑やかだなー」
「はっちゃん……」
 次から次へと賑やかだこと、と兵助はため息をつく。
 ひょい、と顔を出した八左ヱ門は、べっしべっしと叩かれる三郎に何事かと目を丸くする。
「三郎なにやったんだ」
「かくかくしかじかで」
「そりゃ三郎が悪い」
「助けて雷蔵、ここには味方がいない!」
 わっと嘆く三郎の肩をぽんぽん叩いてやりながら、八左ヱ門は件の短冊を見たが、やはり、さっぱり分からなかった。
「あれ、ハチいい匂いしないか?」
「ん、そうか?」
「花、か? するよな?」
 三郎が八左ヱ門の袖を引きながら兵助と勘右衛門にも問えば「そういえば……」と同意が返る。
「花……ああ、さっき、くのたま教室に花届けたんだよ」
「勇者だな」
「ハチ、いつの間に……」
「はっちゃんがくのたまに懸想するる日がくるなんて」
「いや、違うちがう。裏山に狂い咲きの藤があってさ。くのたまで生け花だかなんだかって話聞いたところだったから、使うかなーって」
「ハチ、いい男だなって、待て。藤って言ったか?」
 三郎が待て、と手のひらを八左ヱ門に向けながら、難しい顔をする。
「そう、藤の花。ほんとう、狂い咲きにもほどが……」
「勘ちゃん、短冊っ」
「え、ええ?」
 ぽかん、とする三人を置き去りに、三郎は短冊をつまみ、ひらひらと揺れる様を眇めた目で凝視した。
「――藤、だ」
「え?」
「藤の花が描かれているんだよ」
 ほら、と「藤」という方向性を示唆した上で兵助を促せば、同じように凝視した兵助の目が大きく見開かれる。
「ふじ、か……」
「あー、言われてみれば」
 隣から覗き込んだ勘右衛門も頷く。
「でも、なんで藤?」
「あの先輩だ。更になんか仕込んであるに違いない」
 勘右衛門が首を傾げれば、三郎は断言して睨むように短冊を見る。
「あ、ってか字でも『ふじ』じゃね?」
「え」
「ほら『ふ』から始まって『し』って続いて、絵として濁点で花をたくさん……?」
「途中まではいいけど、濁点のくだりはちょっと無理が……」
「濁点? それなら多すぎるし位置的に……あ」
 ゆるゆると三郎が片手で口元を覆う。
「なに、なにに気づいたんだ」
 兵助がじれたように三郎の肩を揺さぶれば、僅かに顔を赤らめた三郎がぽつり、と言う。
「『ぶじ』って書いてあるんじゃないか……?」
「ぶ、じ……? って、無事、か……?」
 ふたりのやりとりを聞いて、勘右衛門も「あ」と気づいたように声を上げる。
「兵助、任務……」
「あ」
 兵助は三郎の手から短冊を受け取って、じっと視線を落とす。
 美しい紫墨の藤の花。
 ――今夜はがんばれよ。
 無意識に唇をなぞり、兵助は目を閉じる。
 ただの薄墨でもよかっただろうに、態々、紫墨まで使って描かれた美しい花。そこに込められた意味は――
「……分かりにくいですよ、先輩……」
 短冊に額を押し付けるようにして、兵助は上ずった声で呟いた。



 月のない真っ暗闇の中、ひとつの気配が学園を出たのを見て取り、は寄りかかっていた木から起き上がった。
「久々知行ったね」
「まあ、大丈夫だろう」
「『お守り』渡したし?」
 ひょい、と音もなく隣に立った小平太に、は肩を竦めるて歩き出す。
「でも、ちゃんが『無事』に、なんて、ちょっと意外」
 当然のようにの後ろに続いた小平太の呟きに、は肩越しに振り返った。
「あれ、違うの?」
「……いいや?」
「あ、他にも意味があるんだ」
 意味深な顔のに、小平太はぽん、と手を叩いた。のことならば、小平太の頭はよく回る。
 僅かに口角を上げたは、また前を向いて歩き出す。
 変わっていないと、小平太は思う。
 兵助が落ちてくるように仕向けて、ひたすら待った時と、まったく変わっていない。
 本質からして、一筋縄ではいかないひと。
「最初はもっと単純だったんだが」
 独り言のようには言う。
 闇夜の中で尚、艶めいて美しい滝のような髪がさらさらと流れ、まるで墨絵のようだった。
「元々が元々だ。そのままじゃ芸がないから、一文字付け足してみた。それも、嘘じゃないからな」
 無事に、という言葉は嘘じゃない。後付のようなものではあったが、建前ではない。
様、付け足した文字はなんですか」
「無粋だな」
「申し訳ありません」
 即、謝罪する小平太に、は気にするな、とひらひら手を振った。
「『ふ』だ」
「ふ、ですか……――だから、元結にならないような短冊に?」
 ぴたり、と立ち止まり、は体ごと振り返る。
「――初めて書いた『恋文』を捻じ切られたら、癪だろう?」
 ふうっと咲いた微笑は、ぞっとするほど艶やかで美しい、だけが持つ毒花で、比較的見慣れている小平太ですら一瞬だけ息を飲む。
「……久々知、気づくかな」
「さてな」
 いつまでも気づかないようなら、耳元で教えてやるのもいいかもしれない。
 嘯くの楽しそうな様子に、小平太は嬉しくなって顔いっぱいで笑いながら思う。
(久々知、気づけばいいのに)

「『い』と『し』」と書かれた藤の花。
 愛しい相手の、無事を願った藤の花。


 そういう意味を込めた、恋文だったのだ、と。





 雪下様からいただきました、【艶にて候ふ】の夢小説です。
 ありがとうございます、恐悦至極でございます! まさか早くにもこんなすばらしいものをいただけるとは露ほども思いませなんだので、嬉しさのあまり踊りだしそうになりました。
 これからも当サイトをよろしくお願い申し上げます。

秋月しじま