量産品と一品物の愛



 三月十四日、ホワイトディ。
 世のお嬢様方がお返しの品に心ときめかせ、男達が財布の重みに涙する、製菓業界――のみではないが――の思惑がギュッと詰まった、今やメジャーなイベントの一つである。
 そんな国民的行事の数日前、バレンタインに大量のチョコやら小物やらをもらった、アルバフィカ、フーガも無関係でいられるわけも無く、働き蜂よろしくクッキー作りに勤しんでいた。

「いつになったら終るんだ……」

 机の上に方を放り出し、椅子にぐったりともたれかかったフーガは深々とため息を吐いた。斜向いでアイスボックスクッキーの細長い生地を切っているも表情に疲労を滲ませ、眉間に皺を寄せている。

「作りすぎたかな、生地……」

 冷蔵庫を覗き、そこに寝かせている四つの塊に引きつった笑みを浮かべたアルバフィカが呟く。彼はその足で朝からフル活動しているオーブンの中身を取り出しに向かった。
 三枚の天板に敷かれたクッキングシートの上には多種多様なクッキーが所狭しと並んでおり、おいしそうな狐色に焼きあがっている。作り始めた当初は香ばしい匂いに顔をほころばせ、焼きあがったクッキーをおいしそうだと思いもしたが、同じ作業を数時間も繰り返し、甘い匂いが充満する中に居続けていると流石にうんざりしてくる。三人とも甘いものは嫌いではないが、胸焼けを起こしてしまいそうだった。
 キッチン用のミトンでクッキングシートの端を持ち、ラップを敷き詰めたテーブルの上にざらざらと落とした。そしてまた天板の上にクッキングシートを敷き、とフーガの間に置き、型抜きされたり包丁で切られたりしたクッキーを並べてオーブンの中へ。クッキーを焼いている間に、アルバフィカは焼きあがったクッキーを小分けして袋詰めしていた。
 一枚の袋――百均で売っている数枚セットのもの――に入れるのは三枚ほどだが、もらった数が数なため、お返しの数も多い。半端なく。何せ一人百個以上はもらっているのだ。三人合わせるとそれは四百近くにもなる。単純計算で1200枚ものクッキーが必要で、どうせだからと作った生地にかかった材料もグラムではなく既にキロ単位。このあたりでかなりの重労働だと気付いてはいたのだが、それでも実行に移したのはもはや意地だった。

「…しばらくクッキーは見たくもねぇ……」

 包丁を生地に振り下ろしながらのの言葉に、フーガとアルバフィカは強く同意するのだった。





「お、終った……」

 死屍累々。そんな言葉がそっくりそのまま当てはまりそうな風体で、三人はリビングの床に沈んでいた。少々肌寒いが窓も前回にして。数時間ぶりに甘い匂いから解放された三人の鼻先を、薔薇の優しい香りが通り過ぎ、同時に安堵の息を吐いた。

「まさかこんなに疲れるとは思わなかった……」
「生地作ってた時はそんなに疲れなかったのになー」
「こねてまぜて冷蔵庫につっこむだけだったから、そりゃーな。それと、大変なのは当日もだ……」

 あくびを噛み殺しながら、はぐりぐりと米神を揉む。床とお友達になりながら、フーガは「あー」だか「うー」だか唸りながら当日の大騒ぎを思って沈没し、アルバフィカだけは大きな浅葱色の瞳をきょとんと瞬き見開いた。顔にははっきりと疑問が書かれている。
 見知らぬ他者からその美を賞賛される事を嫌う彼は、自分が超のつく美人だと理解してはいるものの、本当の意味でわかっていない。
 彼が作った、と言う付加価値だけでそのクッキーの希少性は一気に跳ね上がるのだ。例え作っている最中ゴム手袋――手術等に使われるような薄い物――を着用しつつ、直接手で触れるような作業は極力やらないようにしていても、もらう方はそんな事など知るよしもないのだから。きっとチョコレートを渡した渡してないにかかわらず、クッキーの奪い合いが起こるに違いない。主に水面下で、だが。それはやフーガにも言える事だが、こちらは一応自分が周囲に与える影響というものを自覚しているために問題は無い。
 惚れた欲目か身内の欲目か、そんなところもアルバフィカらしくて可愛いと思ってしまっているとフーガは、そうなった原因が自分達にある事を頭の中から綺麗に抹消して、半ば呆れながらも衝動の赴くままぎゅむりと彼を抱きしめ、わしゃわしゃと頭を撫でた。

「わっ、ちょ、っ、む、胸が……!」

 あまり豊かとは言えないまでもそれなりにある柔らかな胸に顔を押し付けられ、耳まで真っ赤に染めてもがくアルバフィカの頭上では。

「守れよ」
「アイ、マム!」

 というやり取りがアイコンタクトで行われていた。

、ちょ、本当に離してほしいんだが……!」
「ん? ああ、わりぃ」

 押さえつけていた手から力を抜き開放すると、アルバフィカは大きく深呼吸を繰り返し、熱くなった頬を手で仰いだ。
 行き着くところまで行っているというのに、こういう不意な接触にはいつまで経っても慣れない。そんなところがの心を鷲掴みにして離さないのだが。
 恋人の愛らしい反応に悦に入っていると必死に熱を冷まそうとしているアルバフィカの様子をニコニコと見守っていたフーガは、そういえば、と首を傾げた。

「なぁ。お前はフィーに何か用意したのか?」
「ああ……何か欲しいものあるか?」
がくれるのなら何でもいいよ」

 赤みの残る顔に花のような笑みを浮かべる。完璧に予想の範囲内だった答えには顎に手を当てると、次いで何かたくらんでいますと言わんばかりの悪戯っぽい笑みを見せた。
 フーガは瞬時にその気配を察して己の部屋へすたこらと逃げる。そして相手が構えきる前に、爆弾を投下した。

「なら首にリボンでもかけてベッドで待っててやろうか」
っ!!」

 引きかけていた熱をぶり返らせ、先程以上に真っ赤になって怒鳴る。
 動揺しっぱなしのかなしくて仕方がない人を再び胸に抱え込んで、は声を上げて笑った。







どっとはらい


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 バレンタイン話の続きです。
 一塊の生地をクッキーの形にするのも大変なのに、せんにひゃく……私なら作りたくありませんね!
 そして主人公はバレンタインのお返しをあげるようです。首にリボンかけてベッドで〜を実行したかどうかは知りませんけど。
 
 何だか駄文度が上がっているような上がっていないような……こんなものでよろしければ、持って行っていただければ幸いです。
 それでは。


秋月しじま





-------------------------------------以下は切り取ってください。

 この話は三月一杯までフリーにします。
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 自分が書いたと主張するような方はいないとは思いますが、念のため。
 それでは、失礼します。