06: 後ろめたさ



「フィー」

 聖域の中にある、一番大きな木の根元でぼーっとしている少年に、はそっと声をかける。
 生い茂る葉の隙間から何のけなしに空の青を見ていたアルバフィカは、いつもよりも柔らかな声で話しかけてくる少女に、内心首をかしげながらも彼女を振り仰いだ。


「こんなところで何してるんだ?」

 もうすぐ昼飯ができるぞ。
 周囲に人がいないことを確認して仮面を外し、小さく首を傾げる。
 実際、彼が何故この場所にいるのかは知っていたのだが、アルバフィカはそんな事を露知らず、花びらのようなやんわりとした笑みを浮かべた。

「うん、友達にここで待ってて、って言われたから」
「そうか」

 つられるようにして笑みを浮かべながらも、は心の中で小さく舌を出していた。
 そんなことは知っている。そしてその友達は絶対来ないということも。
 アルバフィカは年々その美貌をいや増し、美しくなる一方だった。
 美しいものが大好きなにとっては眼福で、その笑顔を間近に見ることが出来るのは幸福ではあったが、美しいものに害虫はつきもの。
 薔薇に虫がつきやすいように、白薔薇のような彼にも害虫は付きまとっていた。
 今日アルバフィカをこの場に呼び出した彼の友人も、アルバフィカに知られないように巧妙に隠してはいたが、彼に近寄る害虫のうちの一人だった。
 欲に目をくらませ、問答無用で襲い掛かってくるような奴は秘密裏に処理してしまえば済む話だが、大事な彼の友人であるのならば話は別だ。
 愛らしいこの少年に対し、友人の立場に立ち続けていると言うのならば、もフーガも何も言わない。むしろ温かい視線で見守っているだろう。聖域はこんな場所――あらゆる意味で――であるからして、普通の友人と言うものは得がたいものだから。
 けれど今日、その友人であった男は、その境界を越えようとした。そういう欲をもってアルバフィカに近づく事は、彼を傷つけることになる。そんな事を許せようか。
 例え過保護だと言われても、もフーガもこのような行動を取る事をやめようとは欠片たりとも考えた事はなかった。そしてこれからもその予定は無い。
 ちょっとした後ろめたさを感じることもあるが、そんなもの、アルバフィカを守る事を思えば些細な事である。むしろ爪の先以下だ。

「……遅いな、何してるんだろ?」
「何か、どうしても抜け出せない用事でも出来たんじゃねぇか? 師匠に呼び止められてるとか」
「そうかな」
「そうそう」

 実際の所、その友人は現在フーガに教育的指導と言う名の制裁を受けているのだが。
 いい気味である。
 そんな心の声をおくびにも出さず、はアルバフィカの手を取って立ち上がらせた。

「そろそろ行こうぜ。せっかくデスマスク様が作ってくれたのに冷めちまう」
「ん、でも……」

 悩むように小さく頭を横に倒すアルバフィカ。
 かわいいなぁと心の中だけで悦に浸り、どうやって彼をこの場から引き離そうか頭脳を高速回転させる。
 しかしながらタイミングよく、彼の友人への教育的指導を行っていたフーガがこちらに近づいてきている事に気付いて、考える事をやめた。
 フーガの顔にはいつもの陽気な笑顔が浮かんでおり、先程まである一人の少年を恐怖のどん底ツアーに案内していたなどとは、例え本人が訴えたところで真実を知る以外信じる事はないだろう。何よりアルバフィカがそんなことを訴えられたところで、信じる事は無く友情が崩壊するだけだろうが。

「フィー、お前の友達から伝言。師匠から用事を言いつけられて来れなくなった、ゴメンって」
「んじゃ、もうここにいる必要もないな。巨蟹宮に行こう」
「うん」

 花のような笑みを浮かべるアルバフィカに二人は同じように笑みを返し、は仮面をつける。
 心配事も無くなり足取りも軽く前を行く少年を微笑ましく見守りながら、共犯者二人は掴んだ勝利にそっと拳をぶつけ合うのだった。