眠れる魚のアンテナ



「素敵ねえ……」

 うっとりキラキラ。そんな効果音が周囲に飛び交っていそうな恍惚とした表情で、エリアーデはシルクの布の上に鎮座している大粒の琥珀を見つめた。
 が聖域に帰ってきて丸一日。教皇から「お前がもらったのだから自分で管理しろ」と押し付けられた――実際もらったのはなのだからそれが道理なのだが、厄介には変わりないのでの認識は半ばそんな感じだ――ドリュアス由来の赤ん坊の拳ほどもある大粒の琥珀の扱いに困り、は十二宮の中で最もこういう事に詳しそうな人物を己の宮へと呼んでいた。頼みごとがあるのだから、本来はの方から尋ねていくのが礼儀であり、実際そうしようとしたのだが、エリアーデの方から、昨日初任務から帰ってきたばかりで疲れているだろうから、とわざわざ人馬宮まで降りてきてくれたのだ。基本的にこの人はそういう細かな所によく気のつく人だ。いらん事を言って墓穴を掘ることもよくあるが。

「素敵がどうかはさておき、本っ当に大きいなー、このエレクトロン」
「まぁな」
「うん。でも良かったね、助かって」
「そう……何の話だ、フィー」

 どうにも自分達にではない方向へと言葉が飛んだことに気付き、は怪訝な顔で右隣に座る美少年を振り向く。フーガも同じように疑問符を浮かべてアルバフィカを見ていたが、なにやら思い当たることが有ったのか、ぽんと手を叩いた。アルバフィカは何が嬉しいのかにこにこと顔をほころばせている。

「ああ! もしかしてもしかしなくてもあの時の声の主か!」
「うん」
「……だから何の話だ」
が任務に就いてる最中にフィーの奴が『助けて』って声を聞いたらしくてさ」
「……マジか?」

 こっからあの場所ってかなり距離が有るだとか、あの場所にいた私ですら狂ったドリュアスの本音なんか聴くまで分からなかったぞ、とか、何で聞こえたんだとか、言いたいことは山のようにあったが、その全てが一言に凝縮される。
 驚愕も露にアルバフィカを見つめると、相も変わらず琥珀を見つめニコニコしながら首肯した。至極当然のように肯定するアルバフィカに、もうこれは感受性が豊かとかそういうレベルの話ではないと顔を引きつらせる。これはもう一種の才能だ、いや、異能の一つだ。ただでさえ繊細なのに、何て厄介な能力なのだろうと内心頭を抱える。本人は何とも思っていないようだが、後々の事を考えると悪影響を及ぼす可能性が高い。教皇と師にこの事を報告して、まだ未発達ないし潜在能力で終っているうちに何とか、いいや、封印してしまおう、そうしよう。
 本人の知らぬところで、その能力の取り扱いが半ば決定――師も教皇も結構な確率で彼女の意見を採用するため――した所で、巨大な琥珀に魅入っていたエリアーデが現実へと舞い戻り、パンと手拍子を一つ。

「さて、このエレクトロンの取り扱いについて、だったわよね」
「はい」

 講義を始めようとするエリアーデの楽しそうな笑みに、三対の瞳が注目する。

「他の宝石とそう変わらないし、難しいこともないわ。ただ、硬度は下から数えた方が早いくらい低くて、下手すると爪でも傷ついちゃうから、その点だけは要注意ね。オパールのように乾燥に弱いとか、逆に水に弱いとかいった弱点もとくにはないわ。それと、これは他の宝石にも言える事だけど、火気は厳禁よ。最高の高度を持つダイヤモンドですらあっという間に灰になっちゃうんだから」

 まぁ元は炭素だしな。「他の宝石とは別に保管しなさいよ!」と注意するエリアーデにうんうんと頷き、クラレットが入れてくれた紅茶を押し出す。それを綺麗に手入れされたエリアーデの指が攫い、くーっと腰に手を当てて飲み干す姿に、彼女(…)が男であった頃の名残を発見したり。

「それにしても、本当に綺麗よねー」

 うっとりと覗き込むエリアーデ。豊かな香りを立ち上らせる紅茶を、目を細めて味わっていたは、そんな彼女をちらりとカップの陰から見やった。

「欲しいと仰るのなら差し上げますよ」
「あら、ホントに!?」
「ドリュアスの呪いが高確率でついてきますけど」

 テンションの上がった声を、続いた声が淡々と突き落とす。
 とたん沈黙がその場に横たわり、が紅茶を啜る音だけが奇妙に響いた。

「ダメだよ」

 凍りついたエリアーデと、マイペースにお茶を楽しんでいたとフーガの視線が、沈黙に割って入ったアルバフィカへと向けられる。凝視していた琥珀から視線を上げ、彼はを真っ直ぐに見据えた。

「彼女はの所にいたいって」
「……話が出来るのか?」
「ううん。何となく分かるだけ」
「あー……そう」
「うん」

 この子、本当にどうなってるんだろう。合わさった三人の視線が、雄弁にアルバフィカの不思議に疑問符を浮かべていた。
 そんな中、エリアーデにじーっと突き刺さる視線に、彼女は冷や汗を流しながら「遠慮しとくわ……」と先ほどの発言を撤回する。は失望二割諦め八割で頷いた。


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 「ドリュアスの嘆き」の直後の話。何気にエリアーデが出張り、アルバフィカが若干電波に。……あれ?
 いえ、あの、電波じゃないんです。単にフィーの特殊能力なんです、主人公が言ってるように! 私も書いててこの子どうなってんのとか半ば思ってたりしても!
 えー、気を取り直しまして。エレクトロンはギリシャ語で琥珀を指します。これは英語の電気の元になってる言葉ですね。理由は琥珀はこすると静電気を発するからだとか言われています。
 そして琥珀の硬度ですが、2〜2.5。比重は1.05〜1.10です。ですから本物は飽和食塩水(比重は1.13ほど)に放り込んだら浮ぶんですよー。これはイミテーション(比重は1.20〜1.30の間)との見分けかたにも使われます。でも裸石でしか使えない方法ですが。
 そんでもって、これは皆様知ってると思いますが、琥珀は植物――主に松柏科の針葉樹の樹脂が地中で化石化したものです。ジュラ紀から第四紀まで知られていますが、主として第三紀の地層から出てくるそうです。
 産出国は、ドミニカ共和国、バルト海沿岸、ルーマニア、ドミニカ、ミャンマー、イタリアなど、日本では岩手県久慈市が有名です。久慈市には琥珀博物館なんてものもあるそうですよ。

 ちなみに作中でエリアーデが火気厳禁と言っていますが、火にくべると心地よい香りを放つそうです。西洋ではお香としても使われていたとか。
 そういえばジュラシックパークの冒頭で、琥珀から出された蚊から血を抽出して〜というシーンがあるそうですが、実際の所、琥珀の中に閉じ込められた蚊は既に化石化しているので、そんな事は出来ないそうです。